仕事の出来る悪役令嬢、薄幸王子様を幸せにアップグレードしておきました。

「……え? あの、ごめんなさい。失礼なことを聞くようだけれど、竹本さんは……どんな転生の仕方をしたの?」

「えへへ。私は深夜に酔っ払って赤信号の横断歩道を歩いていたら、トラックに轢かれました!」

 にこにこして明るく答えるような出来事でもない気がするけど、そうなのね……異世界転生もの開幕にはよく見るトラック轢かれ展開なのね。なるほど。

 異世界転生は少し嗜んでいる私だけど、彼女の死因には納得して大きく頷いた。

 ……ただ、竹本さんだけでなく私も異世界に呼ばれた原因が、ここでなんとなくわかった気もするけど、そこを掘り下げても何の良いこともなさそうなので、聞かなかったこととする。

 集中すべき点と捨て置く点を明確にすることは、とっても大切なことよ。無駄な時間を極力排除するためには。

「そうなのね……キャンディスが現れたら、もうこの物語は安心ね。あの子は、ウィリアムは……本当にとっても良い子だから、大事にしてあげてね。髪をといてあげたら喜ぶから……」

 ウィリアムの頑固な癖毛はなかなか言う事を聞いてくれず、私はいつも香油を付けて梳かしてあげていた。これからは、ヒロインキャンディスの役目になる。

 『君と見る夕焼け』の中でだって、小説にはそういう記述はなかったものの、二人はウィリアムの髪をとかしたりする時間を過ごしていたのかもしれない。

「わかりました! モニカとして、ウィリアムとも和解済なんですね。仕事が速い! 流石です! 山下さん!」

 祈るように両手を組んで私を見つめる竹本さん……もとい、キャンディスに私は苦笑いした。

 竹本さんはこうしてわかりやすくおだてていれば、私が代わりに仕事をしてくれると思っている子なのだ……実際、教えるよりも早いと何度かやってしまったことが失敗だった。

 新人の自立心を育むために心を鬼にして見守れなかったということは、指導役の私の不手際にほかならないので、私たちが二人がこんな関係性になってしまったのも彼女のせいではない。


 キャンディスと出会った、その翌日。

 後輩竹本さんこと女官見習いのキャンディスを連れて、ウィリアムが住む離宮にまで行った。

 かくかくしかじかで……と、これからは私の代わりにキャンディスがお世話に来ると事情を説明しても、ウィリアムは『何をいきなり言い出したんだ』と、非常に焦った様子だった。

 ……けれど、これは仕方ない。

 だって、ウィリアムはいずれ、キャンディスと結ばれる運命なのだから……二人は早い内から効率的に仲を深めておく方が良いと思うもの。

 それに、私にはウィリアムのためにすることが、他にもたくさんあるのだから。

 一方的にキャンディスに彼を任せた私が、ウィリアムに会わなくなってから、一週間後。

 エレイン様の部屋からまっすぐ自分の邸へと帰ろうとしてた私の元まで、ウィリアムを任せていたキャンディスがやって来て、何故か非常に怒っていた。

「山下さん! ウィリアム、私のこと……さっさと出て行け、モニカを呼んで来いの一点張りです! これじゃ、私……『君と見る夕焼け』のヒロインになんて、なれないですぅ!」

 そう言いながら感極まってしまったのか、キャンディスは瞳を潤ませていた。山下さん……会社員時代も自分の失敗を報告する時は、こうだったわよね。

 報告には客観的事実のみで、当事者の感情を入れてはいけないのに……いいえ。これは、仕事の話ではないわ。

「……え? どういうことなの?」

「知りませんよ! どうにかして、説得してください! モニカにしか、自分の髪は触らせないって!」

 身体をくねくねさせて駄々をこねるキャンディスを見て、前世の竹本さんも確かこうだった……と、大変だったあの頃と既視感。

 彼女がやらかしたあれこれの業務の尻拭いで、終電を逃した夜も数知れずだったものだ……人って生まれ変わってもどこまでも変わらないものね。

 変なところで感心した私が頷くと、キャンディスは涙目で訴えた。

「もうっ! 山下さん。そんな自分は無関係だしみたいな顔して……ウィリアムにちゃんと言ってくださいよう!」

 私はべそをかくキャンディスに促されてウィリアムの元へ向かえば、彼は腕を組んで本当に不機嫌な様子だった。

「おい。俺の婚約者はお前だろう。なんであの女を、こちらへと寄越すんだ。おかしいだろう。理解出来るように説明しろ」

 私はウィリアムに対し、これをどう説明すれば良いかと考えた。けれど、咄嗟に唇をこぼれ落ちたのは、こんな言葉だった。

「……貴方を幸せにすることが、私の役割だったんです」

 そうだった。

 このまま、不幸の渦へと墜ちていく人を、ただ見ているだけなんて、そんなことはとても出来なかったから。

「……だった? 何を言っているんだ! 俺の幸せは、お前が決めることではない。そうではないのか……」

「そうです……そうですが、でも……あっ」

 思わず言葉を止めてしまったのは、悔しそうに顔を歪ませたウィリアムが、ぽろぽろと涙を流していたからだった。

 どうして……私は孤独だった彼を、幸せに出来たはずで……。

「お前は……お前は、本当に酷い。突然こんなに優しくして親身になってくれたというのに、ここで俺を見捨てるというのか」

「それはっ……決して、そうではありません!」

 焦った私がウィリアムの元まで慌てて行くと、私の手を掴んで私に言った。

「俺はお前が好きなんだから、ここでお前が居なくなると不幸になるぞ! それはお前のしたかったことなのか?」

 ……息が止まるかと思った。

 ウィリアムのことはヒロインのキャンディスに任せないといけないと考えていたから、お互いに恋愛対象外だと、ずっと思い込んでいたからだ。

「あの……ウィリアム様。好きって言って貰えて、嬉しいです……けど」

 モニカはウィリアムを虐めていた。けれど、幽閉されている彼の世話をして、本来は禁じられている欲しい物を持ち込んだり、会話を出来るようになったりした、初めての人物は……転生して来た私だった。

 ヒロインの……キャンディスではなくて、私がその役目を奪ってしまっていた。

「けど? 何だ……何か、他に問題があるというのか?」

「私……次はエレイン様の命を、救わねばなりません。これから、私にしか出来ないやるべき事が沢山あるのです。物語上次々と人々を襲い来る悲劇フラグを、主人公の一人である貴方のために、全て折らなければ。だから、私には恋愛をしている暇はないんです!」

 ……そうよ。ウィリアム一人を救ってからと言って、立ち止まっている場合ではない。

 私がこれからやらなければならないことは、数えることも難しいくらいに山積みなのだから。

「はぁ? ……良く理解出来ないが、お前がすべきことが全部終わったら……婚約者の俺のことも……ちゃんと考えるんだな?!」

 間近にまで迫ったウィリアムに本気の目を向けられて、私は思わずたじろいだ。嘘を許さぬ強い視線。今更この場しのぎで、嘘をつくつもりなんてないけど。

「そうです。けれど……悲劇フラグがたくさん有り過ぎて、私がすべてを対処するまで、何年もかかってしまうと思います。だから、効率的に幸せになるのならウィリアム様は私などより、キャンディスさんを恋愛相手に選ぶと良いと思うのです……」

 仕事が出来ると自負している私は……そうだとしても、不幸を背負って生まれた王子様ウィリアムの前に立つフラグ撲滅をやり遂げるためには、何年も掛かるだろうと算段していた。

 しかし、私が辞めてしまっても、誰かが代わりをしてくれる会社とは違う。

 正真正銘、その仕事はこの世界では私ただひとりにしか出来ない。

 ウィリアムとの恋愛と、悲劇フラグ回収の仕事。どちらをこの時に選ぶべきかなんて、火を見るより明らかだった。

 私にとっては産まれてからこれまで、一番にやりがいのあると胸を張れる仕事だった。達成した時の喜びが、尋常なものではないと、今でも想像出来るくらいに。

 だから、そんな私よりウィリアム様はキャンディスを相手に選べば、すぐに幸せになれるのに……というか、元々キャンディスの方が、彼に選ばれるはずだったのに。

 物語の中では悪役令嬢モニカは彼に嫌われたままで、改心することなく断罪されて酷い目に遭って、役目を終えてしまうはずだったのよ。

「あー!! ……お前は!! 自分の幸せに効率を考えるような奴、どこかに居るのか!! 本当にわかってない奴だな!! わかったよ。それは俺も手伝うよ! まず姉上の命を救うために、何をすれば良いか、さっさと言えよ!!」

 やけを起こしてガチギレ気味にそう言ったウィリアムに、小説では不信感いっぱいで不幸なはずの彼の片鱗なんてどこにも見えなくて、私は思わず声をあげて笑ってしまった。

 異世界での私の初仕事は、どうやら上手くいったみたい。
「……おい。笑うな。これは、決して笑い事ではないぞ。それに、姉上の命を救うとはなんと不穏な……一体何の話なんだ」

 興奮して涙目になってしまっているウィリアムから、半目でじろりと睨まれて、私は慌てて口に手を置いた。

 ……しまった。

 もう既に不幸ではなくはっきりと自分の意志を私に訴えたウィリアムが、あまりに可愛くて笑ってしまったけれど、これは現状ではないIFがあることを知っている、私にしかわからないことだもの。

 自分のことを笑われて、馬鹿にされたと思ってしまっても、無理はない。

「ウィリアム様。笑ってしまって、ごめんなさい……これは、その……あの、ええとですね……どう言えば良いか」

 ウィリアムを可愛いと思ったからつい笑ってしまったなどと正直に言えず、なんと言って誤魔化そうかしらと悩んでいたら、彼は一国を背負う王太子らしく腕を組んで高圧的に言った。