キャンディスが仕事に慣れて立派な女官になった頃に、彼の宮へと侵入してウィリアムと出会うはずだから……そっか……主役二人が出会うのは、もうすぐなのね。
「どうか……落ち着いてください。うっかりしていて足を踏み外してしまうこと自体は、誰にでも起こりうることです。これから先、どうすれば失敗を減らせるかという回避策を、私と一緒に考えてみましょう」
私は失敗して大混乱した新人に良く使っていた言葉を、ついついここで口に出してしまったけれど、キャンディスは目に見えて変な表情になり震えた声で言った。
「あの……ごめんなさい。とても、変なこと聞きますけど。もしかして……山下さんですか?」
キャンディスが恐る恐る口にした名前を聞いて、私はその時、驚き過ぎて息が止まりそうになった。
なんですって……山下さん。前世での私の名前。現代日本で使われる名前。この異世界では、絶対に聞くことがないはずの名前。
もしかして……キャンディスも転生者で、前世の知り合いだということ?
「え? あの……そうです。確かに私が山下ですが、貴女は誰なんですか!?」
私は戸惑いつつ発した質問に、彼女は表情を明るくして微笑んだ。
「嬉しい! 一緒に転生していたんですね! 私、竹本です! 山下さん。お久しぶりです!」
満面の笑みを浮かべて微笑んだキャンディスの中に居る竹本さんは、私が直接OJTを担当した新人で、私がドがつくほどハマってしまった小説『君と見る夕焼け』を教えてくれた後輩、張本人だ。
すごい……竹本さんもこの世界に、転生して来ていたなんて!
「まあ! 竹本さん……驚いたわ。貴女も転生していたのね」
「はい! ここに来る前に神様っぽい人に、一人で転生するの嫌だなって言ったんですよ! 良かった! 願いが叶ったんですね! わー! 山下さんも転生していたんですね! すっごく心強いです!」
え? 神様らしき人に一人で転生するのは、嫌だと言ったですって……?
そういえば、私はあの時に本を読みながら眠っただけで、死んだ記憶がない。
もちろん、眠っている時に心臓発作なり、突発的な死という可能性もあるけれど、あまりあることではないわよね。
そんな私とは違い竹本さんには、死の記憶があるということかしら?
「……え? あの、ごめんなさい。失礼なことを聞くようだけれど、竹本さんは……どんな転生の仕方をしたの?」
「えへへ。私は深夜に酔っ払って赤信号の横断歩道を歩いていたら、トラックに轢かれました!」
にこにこして明るく答えるような出来事でもない気がするけど、そうなのね……異世界転生もの開幕にはよく見るトラック轢かれ展開なのね。なるほど。
異世界転生は少し嗜んでいる私だけど、彼女の死因には納得して大きく頷いた。
……ただ、竹本さんだけでなく私も異世界に呼ばれた原因が、ここでなんとなくわかった気もするけど、そこを掘り下げても何の良いこともなさそうなので、聞かなかったこととする。
集中すべき点と捨て置く点を明確にすることは、とっても大切なことよ。無駄な時間を極力排除するためには。
「そうなのね……キャンディスが現れたら、もうこの物語は安心ね。あの子は、ウィリアムは……本当にとっても良い子だから、大事にしてあげてね。髪をといてあげたら喜ぶから……」
ウィリアムの頑固な癖毛はなかなか言う事を聞いてくれず、私はいつも香油を付けて梳かしてあげていた。これからは、ヒロインキャンディスの役目になる。
『君と見る夕焼け』の中でだって、小説にはそういう記述はなかったものの、二人はウィリアムの髪をとかしたりする時間を過ごしていたのかもしれない。
「わかりました! モニカとして、ウィリアムとも和解済なんですね。仕事が速い! 流石です! 山下さん!」
祈るように両手を組んで私を見つめる竹本さん……もとい、キャンディスに私は苦笑いした。
竹本さんはこうしてわかりやすくおだてていれば、私が代わりに仕事をしてくれると思っている子なのだ……実際、教えるよりも早いと何度かやってしまったことが失敗だった。
新人の自立心を育むために心を鬼にして見守れなかったということは、指導役の私の不手際にほかならないので、私たちが二人がこんな関係性になってしまったのも彼女のせいではない。
キャンディスと出会った、その翌日。
後輩竹本さんこと女官見習いのキャンディスを連れて、ウィリアムが住む離宮にまで行った。
かくかくしかじかで……と、これからは私の代わりにキャンディスがお世話に来ると事情を説明しても、ウィリアムは『何をいきなり言い出したんだ』と、非常に焦った様子だった。
……けれど、これは仕方ない。
だって、ウィリアムはいずれ、キャンディスと結ばれる運命なのだから……二人は早い内から効率的に仲を深めておく方が良いと思うもの。
それに、私にはウィリアムのためにすることが、他にもたくさんあるのだから。
一方的にキャンディスに彼を任せた私が、ウィリアムに会わなくなってから、一週間後。
エレイン様の部屋からまっすぐ自分の邸へと帰ろうとしてた私の元まで、ウィリアムを任せていたキャンディスがやって来て、何故か非常に怒っていた。
「山下さん! ウィリアム、私のこと……さっさと出て行け、モニカを呼んで来いの一点張りです! これじゃ、私……『君と見る夕焼け』のヒロインになんて、なれないですぅ!」
そう言いながら感極まってしまったのか、キャンディスは瞳を潤ませていた。山下さん……会社員時代も自分の失敗を報告する時は、こうだったわよね。
報告には客観的事実のみで、当事者の感情を入れてはいけないのに……いいえ。これは、仕事の話ではないわ。
「……え? どういうことなの?」
「知りませんよ! どうにかして、説得してください! モニカにしか、自分の髪は触らせないって!」
身体をくねくねさせて駄々をこねるキャンディスを見て、前世の竹本さんも確かこうだった……と、大変だったあの頃と既視感。
彼女がやらかしたあれこれの業務の尻拭いで、終電を逃した夜も数知れずだったものだ……人って生まれ変わってもどこまでも変わらないものね。
変なところで感心した私が頷くと、キャンディスは涙目で訴えた。
「もうっ! 山下さん。そんな自分は無関係だしみたいな顔して……ウィリアムにちゃんと言ってくださいよう!」
私はべそをかくキャンディスに促されてウィリアムの元へ向かえば、彼は腕を組んで本当に不機嫌な様子だった。
「おい。俺の婚約者はお前だろう。なんであの女を、こちらへと寄越すんだ。おかしいだろう。理解出来るように説明しろ」
私はウィリアムに対し、これをどう説明すれば良いかと考えた。けれど、咄嗟に唇をこぼれ落ちたのは、こんな言葉だった。
「……貴方を幸せにすることが、私の役割だったんです」
そうだった。
このまま、不幸の渦へと墜ちていく人を、ただ見ているだけなんて、そんなことはとても出来なかったから。
「……だった? 何を言っているんだ! 俺の幸せは、お前が決めることではない。そうではないのか……」
「そうです……そうですが、でも……あっ」
思わず言葉を止めてしまったのは、悔しそうに顔を歪ませたウィリアムが、ぽろぽろと涙を流していたからだった。
どうして……私は孤独だった彼を、幸せに出来たはずで……。
「お前は……お前は、本当に酷い。突然こんなに優しくして親身になってくれたというのに、ここで俺を見捨てるというのか」
「それはっ……決して、そうではありません!」
焦った私がウィリアムの元まで慌てて行くと、私の手を掴んで私に言った。
「俺はお前が好きなんだから、ここでお前が居なくなると不幸になるぞ! それはお前のしたかったことなのか?」
……息が止まるかと思った。
ウィリアムのことはヒロインのキャンディスに任せないといけないと考えていたから、お互いに恋愛対象外だと、ずっと思い込んでいたからだ。
「あの……ウィリアム様。好きって言って貰えて、嬉しいです……けど」
モニカはウィリアムを虐めていた。けれど、幽閉されている彼の世話をして、本来は禁じられている欲しい物を持ち込んだり、会話を出来るようになったりした、初めての人物は……転生して来た私だった。
ヒロインの……キャンディスではなくて、私がその役目を奪ってしまっていた。
「けど? 何だ……何か、他に問題があるというのか?」
「私……次はエレイン様の命を、救わねばなりません。これから、私にしか出来ないやるべき事が沢山あるのです。物語上次々と人々を襲い来る悲劇フラグを、主人公の一人である貴方のために、全て折らなければ。だから、私には恋愛をしている暇はないんです!」
……そうよ。ウィリアム一人を救ってからと言って、立ち止まっている場合ではない。
私がこれからやらなければならないことは、数えることも難しいくらいに山積みなのだから。
「はぁ? ……良く理解出来ないが、お前がすべきことが全部終わったら……婚約者の俺のことも……ちゃんと考えるんだな?!」
間近にまで迫ったウィリアムに本気の目を向けられて、私は思わずたじろいだ。嘘を許さぬ強い視線。今更この場しのぎで、嘘をつくつもりなんてないけど。
「そうです。けれど……悲劇フラグがたくさん有り過ぎて、私がすべてを対処するまで、何年もかかってしまうと思います。だから、効率的に幸せになるのならウィリアム様は私などより、キャンディスさんを恋愛相手に選ぶと良いと思うのです……」
仕事が出来ると自負している私は……そうだとしても、不幸を背負って生まれた王子様ウィリアムの前に立つフラグ撲滅をやり遂げるためには、何年も掛かるだろうと算段していた。
しかし、私が辞めてしまっても、誰かが代わりをしてくれる会社とは違う。
正真正銘、その仕事はこの世界では私ただひとりにしか出来ない。
ウィリアムとの恋愛と、悲劇フラグ回収の仕事。どちらをこの時に選ぶべきかなんて、火を見るより明らかだった。