けれど、コツさえ掴んでしまえば、簡単な構造であるならば、すぐに解除することだって可能だった。
私が工具を使い何度か動かすと、カチャッと音がして、鍵が開いたことがわかった。
あら。
これまでで最速で開けられたわ。自分で言ってしまうのもなんだけれど、私って本当に本番に強いタイプ。
工具をポケットに仕舞うと、鍵を投げ捨て牢を出て、素早く出口に向かった。
牢屋のある奥にはくるくると円を描くような螺旋階段があり、そこには外に通ずる扉がある。
あらあら。拍子抜けするくらい、上手く逃げられそうだわ。
私が螺旋階段を上がろうとしたその時、キャーと甲高い悲鳴が響き渡り、私は慌てて声の主を確認した。
外に通じる扉には、ここに居るはずのないキャンディス!
ああ。竹本さん……嘘でしょう!!
そういえば、彼女も『君と見る夕焼け』の愛読者だった!! 私が誰かに誘拐されたらしいと聞けば、もしかしてと考えて、ここに来たって何の不思議もないわ。
不思議はないけど……あまりにも、タイミングが悪すぎるわ。竹本さん!
バタバタバタと音がして、背後を振り向けば、そこにはさっき出て行ったはずの兵士。近くでご飯でも食べていたのか、手には飲み物が入ったコップを持っていた。
ここで、捕まったらもう……逃げられないわよね。
だって、私が自力で鍵を開けられることは知られてしまった。
それに、ここではないダスレイン公爵邸になんて連れていかれたら、情報も何もなく、逃げることができなくてもう一貫の終わりよ。
私の背中には、ゾゾッとした嫌な予感が走っていった。
「やっ……山下さん!! あ、あぶなーい!!」
キャンディスはそこで、再度の叫び声をあげた。私の目の前に居る兵士が、腰に履いていた剣を抜き放ったからだ。
ここで私を逃してしまえば、彼はダスレイン大臣に睨まれて命をなくしてしまうと思っているのかもしれない。
それほど、鬼気迫る目付きをしていた。
私は重いドレスを着ていて、螺旋階段は走って上がることは出来ない。
とても訓練された兵士からは、逃れられない。すぐには殺されないように、とにかく、一度は切られることを覚悟するしかない。
兵士の持つ真っ直ぐな剣は、無骨で実戦的な剣だ。
ああ……こんなことだとわかっていれば、武術も習いに行っていたのに!!
私は目を閉じて、もうすぐやって来るだろう痛みを覚悟した。
……その時。
ダンっと鈍い音がして、逆に男性の悲鳴が聞こえた。
え?
私が恐る恐る瞼を開けば、そこに居たのは大きな背中。視線を上げれば、癖のある黒髪。
「……ウィリアム!」
状況から見るにウィリアムは扉の前に居たキャンディスを押し除け、螺旋階段を飛び降り、私の前に立ちはだかっていたのだ。
彼は王太子なのよ。なんて、無茶なことするの!
そして、ウィリアムに斬られたらしい腕を反対の手で押さえていた兵士は、これはもう私を捕えることは無理だと観念したのか座り込んで項垂れていた。
なんだか……可哀想。助けてあげられないかしら。
「モニカ。お前……」
「はっ……はい!」
振り返り私を睨みつけたウィリアムは、いまだかつてなく怒っていた。私は怒鳴られることを覚悟して、また目を閉じた。
「……無事でよかった」
耳元で声が聞こえた時には、ふわっと身体全体が温かな熱に包まれていて、私はウィリアムから抱きしめられているのだと知った。
掠れた声を聞けば、どれだけ私を心配していたかを知り、自然と私の手は彼の体を抱き返していた。
「……あ、あのー!! すみません!! お取り込み中、すみませんー!!」
「おい、何だよ!」
キャンディスの声が高い位置から聞こえて、私たちは彼女の居る扉前を見上げた。
しまった。
「お忘れかもしれなませんが、そろそろ、ウィリアム様だけでも、離宮へと帰った方が良いと思います! モニカ様は誘拐されていたので、ウィリアム様は一人で出歩いてはいけないことになっているので!!」
「そうだ。ああ……もう……不便だな。いや、姉上には迷惑を掛ける訳にはいかない。帰るか」
ウィリアムは舌打ちをして私から離れると、手を繋ぎ階段を上がり出した。
「ウィリアム様。助けてくださって、ありがとうございます……けど、剣は一体どこで……?」
ウィリアムは離宮に閉じ込められていて、その上自害も出来ぬように刃物から遠ざけられている……はずだった。
実際に切りつけた瞬間は、私は目を閉じていて見えなかったものの、身のこなしは、とても素人ではなかった。
まるで……本格的な戦闘訓練を受けた人のような……。
「護衛の……オブライエン一家だ。俺にはあまり暗殺者が来ないから暇だと、毎日剣の稽古だったり護身術を教えてくれていたんだ」
オブライエン一家……!
ウィリアムは元業界トップ暗殺者たちに、武術を教えてもらったってこと……?
ううん。
ウィリアムはその頭脳もずば抜けているけれど、身体的能力だって、やたらと良くて……やっぱり、彼はチートヒーローで……。
「格好良かったです……」
自然と私の口からはそんな言葉がこぼれ、振り向いたウィリアムは照れくさそうな嬉しそうな表情をしていた。
「おい……先に離宮に帰っているから、取り調べが終わったら、俺の元に来い。お前が来るまで、絶対に眠らないからな!」
ウィリアムは拗ねたように言い切り、私は孤独だった彼が私に甘えているという事実に感動していた。
ええ……ウィリアム。
私はこれからも、どこにも行かないです。
貴方の傍でずっと居て、世界で一番に幸せな王子様にしてみせますとも。
◇◆◇
ウィリアムを素早く逃した私は、ダスレイン大臣に誘拐されたことを、地下牢にまで駆けつけた王宮騎士団に証言した。
彼が乱心して執務室を破壊したらしいという噂があったとしても、ダスレイン大臣の印象は、未だ『人畜無害な良い人』という立ち位置だった。
これまでに特段の悪行もなく品行方正だった公爵で大臣が、あまり繋がりのなさそうな一伯爵令嬢を誘拐するなどと、なかなか信じてもらえなかった。
……けれど、そこにまさかの急展開。
私の見張りを命じられた、腕に怪我を負った兵士が『ダスレイン大臣に命じられました』と、自白をし始めたのだ。
私にもあの兵士がどんな理由で、大臣から脅されていたのかは、わからない。
小説を読んでいてわかっていることは、ダスレイン大臣は弱みを握り自分の思うままに操れて絶対に裏切らない人間しか、傍に置いていなかったということ。
けれど、この兵士は今しかないと、そう思ったのかもしれない。
延々に逆らえず縛られる地獄から抜け出すために、ここで勇気を出すべきだと……そう思ったのかもしれない。
そして、湯浴みをして着替えまで済ませた私が、案外早くにウィリアムの元へ行けば、居間のソファに座り本を読んでいた彼は本を閉じると嬉しそうに微笑んだ。
「おかえり。モニカ」
「……はい。ウィリアム様」
「あの件は、一体どうなったんだ?」
「ダスレイン大臣は王より叱責を受けての謹慎中なのに、このような罪を犯したからにはと……ダスレイン公爵家全体に、捜査の手が入ることになりそうです」
「ふーん。まあ、自業自得だな」
ウィリアムは肩を竦めて、私はそれに苦笑するしかなかった。
最近、離宮でウィリアムの身の回りを世話をしているのは、オブライエン一家だ。
毒殺の危険があるという理由で、食事なども全て彼らが管理している。
それに、このような場所で王太子が虐待されているなんてと現状を知って憤り、これまでに居た使用人はエレインの息が掛かった者以外、全て辞めさせたようだ。
そして、今はオブライエン一家の幼い末娘キッテンが、可愛いメイド服を着て私にお茶を運んでいた。
可愛らしく頭を下げ、去っていく姿が可愛すぎる。
……放ったらかしにされていたあの時が、今となっては思い出せないくらいだ。
「あの……ウィリアム様。どうやってこの離宮を出られたんですか?」
私はこれを、ずっと疑問に思っていた。
今のところウィリアムは暫定処置として、婚約者の私と一緒であれば外出することが許されている。
もし、一人で勝手にどこかに行こうとしたら、最近めっきり目が生き生きしてきたあの門番が止めるはずなのに。
「ああ。以前に僕の離宮へキャンディスが、潜入しようとしたことがあっただろう? モニカが居なくなったと騒ぎになったので、あの女官を呼び、彼女に抜け道を聞く事にしたんだ。僕自身もここに住まわされているが、逃げてはいけないと思われていたのか、抜け道がどこにあるかは知らなかったからな」
「まあ……そうなのですね」
なんだか、不思議……とんでもない事になってしまったキャンディス離宮潜入事件が、今ここで役に立ったなんて。
「しかし『ヤマシタサン』とは、いったい何なんだ。君の友人は……その、少々……変わっているようだが」