仕事の出来る悪役令嬢、薄幸王子様を幸せにアップグレードしておきました。

 ここで心を入れ替えて、何事もなかったかのように、昼行灯の貴族として過ごすという道もまだ残っているはずなのに……そんなこともわからなくなってしまったのね。本当に残念だわ。

 ……それに、モニカがウィリアムを虐めなくなった理由。

 それは中身がそっくりそのまま変わってしまったことが原因だけれど、ダスレイン大臣にそれをここで言ったとしても、信じてはくれないだろう。

「あの、ダスレイン大臣。何を仰っておられるのか、私にはわかりません。ここから、出してくれませんか。私はシュレジエン王国ラザルス伯爵ポールの娘。そして、王太子ウィリアム様の婚約者でもあります。もし……これが知られれば、貴方は謹慎どころでは済みませんよ」

 私は毅然とした態度で、自分を誘拐したダスレイン大臣へと伝えた。

 王太子ウィリアムの婚約者であるということは、未来の王妃、王族でもあるということだ。そんな伯爵令嬢を誘拐し害を為したとなれば、もしかしたらダスレイン公爵家の取り潰しにもなりかねない。

 いいえ。

 死人に口なしと、私がここで殺されてしまっても、おそらくは彼が一番の容疑者となってしまうことだろう。

 だから、今彼は自ら底なし沼に落ちるような……そんな馬鹿な真似を仕出かしてしまっていることになる。

「ええい!! うるさい……うるさいうるさい!! お前が!! 俺の思い通りに動いてないから!! 俺の言う通りに動いていれば……許さない!!」

 ……あ。

 これは、とても話が出来る状態ではないわ。

 私は彼と会話することを、早々に諦めた。とにかく、私が何を言っても刺激になり、更に興奮してしまうだろう。

 黙っているのが一番だわ。

 牢の隅にあった椅子に座ると、静かに時が過ぎ去るのを待つことにした。

 ダスレイン大臣は怒ってしまうと暴れてしまうのは、自分でも止められないのかもしれない。

 悔しそうに地団駄を踏んで、廊下にある物を壊してまわっていた。

 けれど……これって、そもそも悪巧みしなければ、失敗もしないし、怒るような出来事もないから。

 ……全部が全部、彼の自業自得よ。

 私の目は口汚く叫びながら暴れる回るダスレイン大臣の姿を映しつつも、頭の中ではウィリアムに迫り来る、次なる困難への解決策をいくつか考えていた。

 ……私の記憶からすると、そろそろ、不穏な知らせや、前兆が起こり出すはずなのよね。

 自分がどうしようもない出来事には、別のことに意識を向けて変にメンタルを削られない。平常心を保つことこそが、自分を助けてくれる。

 あんな風に目の前でわざとらしくいくら暴れ回っても、私は怯えたり恐怖したりなんてしないわよ。

 誰かの不機嫌は、その人だけのもの。私は決して影響されたりしない。

 ……私がみっともなく泣き叫び絶望すると思って、やっているんでしょう。だから、敢えてその逆を行くわ。

 本当に、残念でした。

「良いか……モニカ・ラザルス。お前は、一生ここに居るんだ。ここは知られていない。誰も助けに来ない。行方不明で探されても、ここには辿り着けないだろう。絶対に、許さないからな……」

 私が考え事に耽っていた隙に、ダスレイン大臣が起こした癇癪は、ようやく落ち着きを取り戻していたようだった。

 あら……いけない。

 ここで私がダスレイン大臣に余裕の態度を見せると、逆上してとんでもないことになりそうだわ。

 彼の怒りの行為を見て十分に怖がっていると、怯えた演技をしなくては。

 実際には、彼のことなんて怖くともなんともない。だって……私はここから自力で逃げる気満々だもの。

 鉄格子を両手に持って、昏い目で私をじっと見つめるダスレイン大臣。なんだか……あの頃のウィリアムを思い出してしまう。

――――希望の光が一切見えぬ、絶望の目。

 あれから短い期間しか経っていないというのに、彼ら二人の立場は逆転してしまったようだ。

 いえ……そもそもウィリアムだって、この大臣の策略さえなければ、幸せなままだったかも知れない。

 だから、この人だけは、絶対に許せない。

「ここから……出してください」

 思わず怒りで震えてしまった声でそう言えば、ダスレイン大臣は満足したように、鼻をふんっと鳴らした。

「お前の態度次第ということにしよう。夜に一度戻る……おい。良く見張っていろよ!」

「……かしこまりました」

 そこに残されたのは、一人の兵士。

 昏い目に無表情。

 彼だって何かダスレイン大臣に、耐え難い弱みを握られているのかも知れない。

 ここに見張り役がこの兵士一人しか居ないのは、わかりやすい罪状のない私を捕らえていることを知られるのを恐れているのだろう。

 これまで……近しい存在に情報漏洩されているのかと思うくらいに、物事が上手くいかないものね……なんだか、ごめんなさいね。

 ダスレイン大臣の想定出来ない存在、私さえ居なければ、悪巧みはある程度は成功していたというのに。

 ダスレイン大臣が足音高らかに去った後、一人の兵士は牢の中の私を、じっと見ていた。

 けれど、尿意をもようしたのか、それとも食事の時間なのか、その場を動くことにしたようだった。

 だって、私は非力な伯爵令嬢で、鍵が掛かった牢の中。

 そうよね。少しの時間くらい、目を離したとしても、何が変わるなんて誰も思わないわよね。

 私は彼が扉を閉めて姿を消したその瞬間に、左足の靴を脱いで靴底を剥がし、そこにあった小さな工具を取り出して、もう一度靴底を戻した。

 よし……まだ戻って来ないわね。

 さきほど出て行った兵士がすぐに帰って来ないことを確認して、私は鉄格子の扉へと近づいた。

 私はウィリアムのためにも、こんな場所で死ぬつもりなんてないので、すぐに逃げることにするわ。

 ……ここは城地下にある牢。

 大昔から使われていない地下牢を、ダスレイン大臣は気に入らない相手を閉じ込める場所として私的に使っていたことは小説の中でも描かれていた。

 なので、それを知っていた私はこんなこともあろうかと、地下牢を下見して、その上で鍵開けの技術を会得することにした。

 この牢の鍵だって、実際に開けに来たことはある。

 現地確認して、この辺りにほぼひと気がないことだって把握済みだ。

 私は鍵穴を確認して、工具をその中に突っ込み、かちゃかちゃと音を鳴らして鍵開けを開始した。

 ……鍵の構造というのは思いのほか楽しくて、私は鍵を制作する専門の職人のもとに弟子入りし、最近は彼の工房に入り浸ってしまっていた。

 かのマリーアントワネットの夫、真面目な性格の持ち主フランス国王ルイ16世も錠前の作成に嵌まってしまったと聞いたことがあったけれど、あれが面白くて夢中になってしまう気持ちが私にもわかるわ。

 鍵開けの技術は、学び始めは非常に難しい。

 けれど、コツさえ掴んでしまえば、簡単な構造であるならば、すぐに解除することだって可能だった。

 私が工具を使い何度か動かすと、カチャッと音がして、鍵が開いたことがわかった。

 あら。

 これまでで最速で開けられたわ。自分で言ってしまうのもなんだけれど、私って本当に本番に強いタイプ。

 工具をポケットに仕舞うと、鍵を投げ捨て牢を出て、素早く出口に向かった。

 牢屋のある奥にはくるくると円を描くような螺旋階段があり、そこには外に通ずる扉がある。

 あらあら。拍子抜けするくらい、上手く逃げられそうだわ。

 私が螺旋階段を上がろうとしたその時、キャーと甲高い悲鳴が響き渡り、私は慌てて声の主を確認した。

 外に通じる扉には、ここに居るはずのないキャンディス!


 ああ。竹本さん……嘘でしょう!!


 そういえば、彼女も『君と見る夕焼け』の愛読者だった!! 私が誰かに誘拐されたらしいと聞けば、もしかしてと考えて、ここに来たって何の不思議もないわ。

 不思議はないけど……あまりにも、タイミングが悪すぎるわ。竹本さん!

 バタバタバタと音がして、背後を振り向けば、そこにはさっき出て行ったはずの兵士。近くでご飯でも食べていたのか、手には飲み物が入ったコップを持っていた。

 ここで、捕まったらもう……逃げられないわよね。

 だって、私が自力で鍵を開けられることは知られてしまった。

 それに、ここではないダスレイン公爵邸になんて連れていかれたら、情報も何もなく、逃げることができなくてもう一貫の終わりよ。

 私の背中には、ゾゾッとした嫌な予感が走っていった。

「やっ……山下さん!! あ、あぶなーい!!」

 キャンディスはそこで、再度の叫び声をあげた。私の目の前に居る兵士が、腰に履いていた剣を抜き放ったからだ。

 ここで私を逃してしまえば、彼はダスレイン大臣に睨まれて命をなくしてしまうと思っているのかもしれない。

 それほど、鬼気迫る目付きをしていた。

 私は重いドレスを着ていて、螺旋階段は走って上がることは出来ない。

 とても訓練された兵士からは、逃れられない。すぐには殺されないように、とにかく、一度は切られることを覚悟するしかない。