私が以前に聞いていた彼女を訪ねると、ドジっ子女官キャンディスは予想通り、前に居た職場から配置換えされていた。
たけも……キャンディス……一体、何個目の職場を転々としているの。
それでも、辞めさせられていないことも、本当に凄いわ。流石、どう叱られようがまったく動じず定時に帰宅するガッツある新人、元竹本さんだけあるわね。
今の彼女はなんと城の食料貯蔵庫の整理をしているらしく、私は城の裏に複数ある倉庫へと足を進めていた。
えっと……確か、さきほど聞いたのは、五番倉庫だったかしら?
同じような建物が建ち並ぶ辺りを抜け、私が迷いながら目的の場所に辿り着き、倉庫の中に入った瞬間、扉がいきなり閉まった。
……え?
そして、私のすぐ後ろに居たはずの護衛騎士が、慌てて扉を開けようとしている音を聞いた時に、視界が真っ暗闇に……。
◇◆◇
両目を閉じている私の耳にはぴちゃんぴちゃんという、水が高い場所から滴る音が響いていた。
「……ん。ここは?」
固い床の上に横たわっていた私が目を開ければ、そこは鉄格子で囲まれた牢の中だった。
あ……ダスレイン大臣に、攫われたのかしら?
女官キャンディスと私が親しいことは、彼女を死の危険から助ける時に噂で流れただろうし城では知られているから、罠にかけようと思えば、あの時だったのね。
……すべて上手くいったと思い、完全に油断してしまっていたわ。
……倉庫に配置換えがあったという話も、全部嘘だったのかも知れない。私には以前の職場の人からそう言われれば、真偽を確認することもないもの。
これは、まぎれもなく私のミスだわ。
何も考えずに、あんなひと目のない場所にまで誘導されてしまった。
注意深く身を起こすと鉄格子の外側には、予想通りにやけにほっそりとしていて、やつれていたダスレイン大臣が立っていた。
「……全部、全部、全部。お前のせいだ。お前が悪い。モニカ・ラザルス……お前のせいで、俺の計画がすべて、狂ってしまったんだ!! 何が起こったんだ。お前はもっと金に汚く、権力欲の強い性悪な女だったはずだ。何があったんだ。改心したのは、何が原因だ!! 教えろ。教えろ!! ……教えろ!」
ああ。私を誘拐したのは、やはりこの人だったのね。
王に激怒されて謹慎していると聞いていたけれど、城の中の牢を勝手に使うなんて、まだ自分の立場が理解出来ていないらしい。
……もう誰にも注目されない、人の良さそうな公爵ではなくなったというのに。
このところ思惑が上手くいかなさすぎて、すっかりおかしくなってしまっているらしい。ダスレイン大臣は、もう目の焦点も合っていない。
……なんだか、可哀想。
人畜無害で人の良さそうな小太りのおじさんだったのに、今では髪を振り乱し、おそろしい幽鬼のような風情になってしまっていた。
……これが、私のせいですって?
いいえ。まさか。私は何もしていない。
ダスイレン大臣だって、王族に対し何もしなければ、これからだって何もないはずだ。
だって、ダスイレン大臣が謹慎された理由は、上手く行かない苛立ちを抑えられずに、城の執務室をめちゃくちゃにしていたところを、国の最高権力者である国王陛下に見られてしまったことだけ。
印象が悪いと言えばそうなのだけれど、『まだ』彼の悪事は暴かれていないし、王族に暗殺者を送ったという証拠なども出揃っていない。
ここで心を入れ替えて、何事もなかったかのように、昼行灯の貴族として過ごすという道もまだ残っているはずなのに……そんなこともわからなくなってしまったのね。本当に残念だわ。
……それに、モニカがウィリアムを虐めなくなった理由。
それは中身がそっくりそのまま変わってしまったことが原因だけれど、ダスレイン大臣にそれをここで言ったとしても、信じてはくれないだろう。
「あの、ダスレイン大臣。何を仰っておられるのか、私にはわかりません。ここから、出してくれませんか。私はシュレジエン王国ラザルス伯爵ポールの娘。そして、王太子ウィリアム様の婚約者でもあります。もし……これが知られれば、貴方は謹慎どころでは済みませんよ」
私は毅然とした態度で、自分を誘拐したダスレイン大臣へと伝えた。
王太子ウィリアムの婚約者であるということは、未来の王妃、王族でもあるということだ。そんな伯爵令嬢を誘拐し害を為したとなれば、もしかしたらダスレイン公爵家の取り潰しにもなりかねない。
いいえ。
死人に口なしと、私がここで殺されてしまっても、おそらくは彼が一番の容疑者となってしまうことだろう。
だから、今彼は自ら底なし沼に落ちるような……そんな馬鹿な真似を仕出かしてしまっていることになる。
「ええい!! うるさい……うるさいうるさい!! お前が!! 俺の思い通りに動いてないから!! 俺の言う通りに動いていれば……許さない!!」
……あ。
これは、とても話が出来る状態ではないわ。
私は彼と会話することを、早々に諦めた。とにかく、私が何を言っても刺激になり、更に興奮してしまうだろう。
黙っているのが一番だわ。
牢の隅にあった椅子に座ると、静かに時が過ぎ去るのを待つことにした。
ダスレイン大臣は怒ってしまうと暴れてしまうのは、自分でも止められないのかもしれない。
悔しそうに地団駄を踏んで、廊下にある物を壊してまわっていた。
けれど……これって、そもそも悪巧みしなければ、失敗もしないし、怒るような出来事もないから。
……全部が全部、彼の自業自得よ。
私の目は口汚く叫びながら暴れる回るダスレイン大臣の姿を映しつつも、頭の中ではウィリアムに迫り来る、次なる困難への解決策をいくつか考えていた。
……私の記憶からすると、そろそろ、不穏な知らせや、前兆が起こり出すはずなのよね。
自分がどうしようもない出来事には、別のことに意識を向けて変にメンタルを削られない。平常心を保つことこそが、自分を助けてくれる。
あんな風に目の前でわざとらしくいくら暴れ回っても、私は怯えたり恐怖したりなんてしないわよ。
誰かの不機嫌は、その人だけのもの。私は決して影響されたりしない。
……私がみっともなく泣き叫び絶望すると思って、やっているんでしょう。だから、敢えてその逆を行くわ。
本当に、残念でした。
「良いか……モニカ・ラザルス。お前は、一生ここに居るんだ。ここは知られていない。誰も助けに来ない。行方不明で探されても、ここには辿り着けないだろう。絶対に、許さないからな……」
私が考え事に耽っていた隙に、ダスレイン大臣が起こした癇癪は、ようやく落ち着きを取り戻していたようだった。
あら……いけない。
ここで私がダスレイン大臣に余裕の態度を見せると、逆上してとんでもないことになりそうだわ。
彼の怒りの行為を見て十分に怖がっていると、怯えた演技をしなくては。
実際には、彼のことなんて怖くともなんともない。だって……私はここから自力で逃げる気満々だもの。
鉄格子を両手に持って、昏い目で私をじっと見つめるダスレイン大臣。なんだか……あの頃のウィリアムを思い出してしまう。
――――希望の光が一切見えぬ、絶望の目。
あれから短い期間しか経っていないというのに、彼ら二人の立場は逆転してしまったようだ。
いえ……そもそもウィリアムだって、この大臣の策略さえなければ、幸せなままだったかも知れない。
だから、この人だけは、絶対に許せない。
「ここから……出してください」
思わず怒りで震えてしまった声でそう言えば、ダスレイン大臣は満足したように、鼻をふんっと鳴らした。
「お前の態度次第ということにしよう。夜に一度戻る……おい。良く見張っていろよ!」
「……かしこまりました」
そこに残されたのは、一人の兵士。
昏い目に無表情。
彼だって何かダスレイン大臣に、耐え難い弱みを握られているのかも知れない。
ここに見張り役がこの兵士一人しか居ないのは、わかりやすい罪状のない私を捕らえていることを知られるのを恐れているのだろう。
これまで……近しい存在に情報漏洩されているのかと思うくらいに、物事が上手くいかないものね……なんだか、ごめんなさいね。
ダスレイン大臣の想定出来ない存在、私さえ居なければ、悪巧みはある程度は成功していたというのに。
ダスレイン大臣が足音高らかに去った後、一人の兵士は牢の中の私を、じっと見ていた。
けれど、尿意をもようしたのか、それとも食事の時間なのか、その場を動くことにしたようだった。
だって、私は非力な伯爵令嬢で、鍵が掛かった牢の中。
そうよね。少しの時間くらい、目を離したとしても、何が変わるなんて誰も思わないわよね。
私は彼が扉を閉めて姿を消したその瞬間に、左足の靴を脱いで靴底を剥がし、そこにあった小さな工具を取り出して、もう一度靴底を戻した。
よし……まだ戻って来ないわね。
さきほど出て行った兵士がすぐに帰って来ないことを確認して、私は鉄格子の扉へと近づいた。
私はウィリアムのためにも、こんな場所で死ぬつもりなんてないので、すぐに逃げることにするわ。
……ここは城地下にある牢。
大昔から使われていない地下牢を、ダスレイン大臣は気に入らない相手を閉じ込める場所として私的に使っていたことは小説の中でも描かれていた。
なので、それを知っていた私はこんなこともあろうかと、地下牢を下見して、その上で鍵開けの技術を会得することにした。
この牢の鍵だって、実際に開けに来たことはある。
現地確認して、この辺りにほぼひと気がないことだって把握済みだ。
私は鍵穴を確認して、工具をその中に突っ込み、かちゃかちゃと音を鳴らして鍵開けを開始した。
……鍵の構造というのは思いのほか楽しくて、私は鍵を制作する専門の職人のもとに弟子入りし、最近は彼の工房に入り浸ってしまっていた。
かのマリーアントワネットの夫、真面目な性格の持ち主フランス国王ルイ16世も錠前の作成に嵌まってしまったと聞いたことがあったけれど、あれが面白くて夢中になってしまう気持ちが私にもわかるわ。
鍵開けの技術は、学び始めは非常に難しい。