仕事の出来る悪役令嬢、薄幸王子様を幸せにアップグレードしておきました。


 完全に考え込んでしまっている様子のウィリアムを見て、私は肩を竦めて、温かいお茶を出すことにした。

「……なぁ。モニカ」

 お茶を出し終わった私が自分のカップに口を付けようとした時、ウィリアムがいきなり名前を呼んだ。

「はい。なんでしょうか。ウィリアム様」

「……お前なら自分ではどうしようもなく、手に負えないないと思う難事に直面したならどうする。どう対処する?」

「あら。何かの謎かけですか?」

 何かお気に入りの本のことで、自分とは違う別の意見でも聞きたいのかと思った。

 顔を上げて見えたウィリアムの顔が、思ったより真剣だったので、私はドキッとしてしまった。

 いえいえ。

 ウィリアムの顔がやたらと良いことは、初対面の時からわかっていることだけれど、視覚的に不意打ちをされると、心臓に悪いわ……。

「いや、なんとなく……気になっただけだ。もし、お前ならばどうするのかと」

 ウィリアムはすこぶる頭の良い子なので、何か疑問があれば、すぐに誰かを頼るということを出来るらしい。

 教育係を何度も経験していた私にはわかる。これが『自分にはなんでも出来る』と思っている能力の高い優秀な子ほど、これがなかなか出来ないものなのだ。それまでの成功経験がプライドを高くし、誰かからの助言を得ての成功を遠ざけてしまう。

 もし、自分は能力が低いと自認がある子ならば、素直に『出来ないから教えて欲しい』と聞くことが出来る。素直な性格ならば年長者の助言を信じ、やってみようとなるので伸びも早い。

 だから、生まれ持った能力が高い低いというのも一長一短で、それぞれに長所短所はあるものなのだ。

「そうですね……難事に挑むならば、私はまず、美味しい物食べて寝ます」

「……はぁ?」

 ウィリアムはにっこり笑って答えた私に、非常に驚いているようだ。

 けれど、これは現代社会に生きた私の経験則に基づくもので、非常に難しい問題に何度も突き当たった事があり、それを乗り越えるために試行錯誤して独自で生み出した結論だ。

 私とは違う人が何をどうするかという相性もあるので、これはウィリアムが当て嵌まるかは、彼が実践してみなければわからない。

 けれど、私にとってはこれが、迷い迷って辿り着いた自分の正解だった。

「ええ。何事も気分が大事ですよ。ウィリアム様。鼻歌歌いながらの楽しい山登りと、辛い悲しいしんどいとうなだれながらの山登りならば、顔を上げて目に見えるものが多く楽しめる方が、効率が良いに決まっています」

「それはその通りだ。だが、どうしても……気分が上がらない時はどうする」

 ウィリアムは難しい表情をしていた。

「私ならば、自分の好きなことに没頭する時間を作ります。もし、何ひとつ好きなことがないなら、それを探す時間を作っても良いかと」

 ウィリアムは読書をすることが好きらしく、いつも本を読んでいるけれど、この離宮から出ることが出来ず、単に経験が少ないだけで、もっともっと楽しめる趣味があるかもしれない。

 やむを得ない理由でこの離宮に閉じ込められていただけで、彼は普通の男の子なのだから。

「まあ、言いたい事は、わかる気はする。難事だとしても、それを楽しめば良いのだな」

 ウィリアムは自分とは違う考えを持つ私の言葉に引っ掛かりを覚えながらも、その先を望んでいた。

 話は結論まで聞くこと、そして、鵜呑みにするではなく疑問を覚えること。これも大事なのだ。

 話途中ならば、結論が全く違っていたとなる可能性もあるし、私の正解が彼の正解にそのまま当て嵌まるとは、限らないのだから。

 そういった意味でも、ウィリアムは本当に教えがいのある生徒だと言える。

「はい。すべてを楽観視することは、とても危険です。ですが、暗い気持ちでいたならば新しい方法があったとしても、挑戦する気持ちがなくなり、失敗の確率がより高まってしまいます。ですので、私はまず初めに、美味しいものを食べてゆっくりと休み、自分をご機嫌な状態にします」

「なるほどな……モニカの言いたいことは、ここで納得出来た。それで、ご機嫌になれば、次はどうする?」

「計画を立てます。まずはゴール設定を決めて、そこに至るまでの工程(タスク)の細分化。そこからは、時間の調整です。期限に間に合わないならば、逆算し極力重要性の低い工程を省く作業も要りますね。どうしても必要な工程以外は、ここで取捨選択する必要があります」

「もし……俺が何も妥協したくない場合は、どうする」

「それが依頼されたものならば、依頼人の意向が一番に大事です。私ならば希望は伝えますが、無理なものならば、期限内でベストを尽くします」

 報酬を貰うならは依頼人の意向に従うべきだと私は思うけれど、もしそれが自分の評価に繋がるので妥協したくない人は妥協しなければ良い。

 どんな選択肢だって最終的に選ぶのは、自分なのだから。

「そうか……勉強になった。ありがとう」

 ウィリアムは放心したように言い、彼の知りたいことを答えられたらしい私は肩を竦めて時計を見ると立ち上がり、辞去の挨拶のためにカーテシーをした。

 そして、オブライエン一家と交わした約束の一週間後、私たちは、また王都の地下街へと向かっていた。

 ウィリアムには前回のようなことがあってはいけないので、残っていて欲しいと伝えていても『絶対に行く』と言い張るので、私が根負けしてしまった。

 それに、今回は……彼らが脅しの意味でナイフを投げるような事態には、ならないだろうと思うし。

 今日こそは、冷静な話し合いになるはずよ。

「……いよいよだな。彼らはどう言って来るだろうか……?」

 いつものように地下街に入り込み、扉を閉めた時、私がどう思うか気になっていたらしいウィリアムは言った。

 最近、私も少々手習いに行っていて、彼と過ごす時間が少なかったのだ。

「おそらくですが、オブライエン一家は、暗殺者としての仕事はしていないと思います」

「……どうしてそう思う?」

 これまでの流れの中で、私は推理していた。

「私たちが日々オブライエン一家のアジトへ通い詰めていた時も、一言だとしても、何らかの答えが返って来ていましたね。つまり、彼らはその間、誰かがアジトに居たということです。それに、最近オブライエン一家が仕事をしたという話も聞きませんし……」

 有名な暗殺一家であるオブライエン一家が動けば、それなりに噂になる。

 けれど、そういえば、彼らの名前を聞くことはこのところなかった。

「確かに、返事は返って来ていた。ずっと留守ではなかったな。それに、仕事をしているような、忙しない様子でもなかった……」

 ウィリアムは歩きながら、うんうんと頷き納得していた。

「ええ。ですから、私たちに関する噂を知って、過去は勘違いだったと思ってくれていれば、あるいは……」

 悪役令嬢モニカ・ラザルスは不遇にあるだけの婚約者、ウィリアムを徹底的に虐めるという性格の悪さだったので、彼女の仕出かした悪事があれだけという訳ではない。

 未来の王太子妃という立場を使ってやりたい放題していた時期があったようだ……出来れば、汚名を返上したい。

 だって、それって、私のことなのよ。

 そして、湿っぽい地下道を辿り私たちは、オブライエン一家が住まうとされる観音開きの扉の前に立った。

「お約束をしていた……モニカ・ラザルスです。いらっしゃいますでしょうか」

 金属の良い音を立ててコンコンと扉を叩けば、両開きの扉はあっけないほどにスッと開いた。

 そこに居たのは、驚くほどにどこでも居そうな普通な夫婦らしい中年の男女。そして、背の高い若い男性が二人。それに、可愛らしい女の子だった。

 あら。あの男性……もしかして。

「確認した。性格の悪い伯爵令嬢モニカ・ラザルスはこのところすっかり改心し、エレイン殿下とも協力して王太子ウィリアム殿下側に付いたとか……依頼内容を聞こう」

 モニカは、性格……とても悪かったわね。

 けれど、そこまで噂になってしまうほどだったのね。悪役令嬢なのだから仕方ないと思いつつ、自分のことだから口元が引き攣ってしまうわ。

 実は国民たちは生まれる順番の問題で、幽閉されてしまうという王太子ウィリアムを可哀想に思って居た人たちが多かった。

 だからこそ、小説の中でもウィリアムとキャンディスは、必要な助力を得やすかったと言える。

「ええ。今回の依頼内容としては、護衛をお願いしたいのです。こちらの王太子ウィリアム様、それに、姉上であるエレイン様です……お二人には、暗殺の危険があります」

 無言の間があり、どうするべきかと悩んでいるようだった。

 王族の暗殺への護衛など、関わりたくもないと思って居るのかもしれない。

「……我らに、護衛の真似事をしろと?」

「あのね。私たちの稼業を、知らないわけではないだろうね?」

 やはり、代々暗殺を稼業にしていたと言うプライドがそうさせるのか、護衛の仕事に対し、あまり良く思ってはいないらしい。

 さて……ここからの説得は、どうしようかしら。話は聞いてくれそうなのだけれど……。

 全員無言になり、緊迫した空気に包まれた、その時。

――――『くううう』という可愛らしい音が、その場に鳴り響いた。

「もうやだ……おなか、すいた。パンケーキたべたい」

 うるうると目に涙を溜めたツインテールの可愛らしい女の子がそうこぼして、夫婦ははああっと大きなため息をついた。

「キッテン。悪かった……いいや、今日も問題のない依頼ならば、受けようと思っていたのに……」

「そうだよ。あんた。食うに困るなんて、本末転倒だ。もう仕事を選ぶのは、止めよう……」

 えっと……どういう事なのかしら。

 さっぱり訳がわからないのだけど?

 私は隣に居るウィリアムと目配せをしながら、どうするべきかと戸惑った。

「そうだよ。仕事を選びすぎて金に困る暗殺者なんて、俺らくらいだよ。王族の護衛、良いじゃん。それに、生まれる順番を間違えて、幽閉されて可哀想だと噂の王太子様の味方になれるなら、俺はその方が良いと思う」

「フランツ……」

 わ。

 若い男二人、その片方……やっぱり、小説の中ではウィリアムの片腕として活躍する、フランツだったんだ!