仕事の出来る悪役令嬢、薄幸王子様を幸せにアップグレードしておきました。

 ……ウィリアムは自分が役立たずの王太子とされて、ジョセフ王子が王位につくように、周囲が動いていたことを知っている。

 そんな彼にこれを言わせてしまうなんて愚かなことをしてしまったと、そう思ったからだ。

「……私にも、貴方の代わりは利きません。お願いですから、怪我だけはしないでください」

 ウィリアムを幸せにするために、私はこうして必死に頑張っているのに、本人が不幸に向かわないで欲しい。

「ああ。わかった」

 私の言葉にウィリアムは苦笑いして頷き、急ぎ城へと戻ることにした。


◇◆◇


「……おい。大丈夫か?」

「はい? なんでしょう? なにかありました?」

 私たちはウィリアムの離宮へと戻り、城外に出るからと変装を解いて、王太子と貴族令嬢に戻っていた。

 ようやく寛げる……そんな時に、ウィリアムが私に大丈夫かと聞いてきたのだ。

「いや、モニカ。さっき姉上から叱られていただろう。俺の怪我のことで」

 離宮に囚われている王太子ウィリアムの怪我を、誰の目からも完璧に隠すことは出来ない。

 そして、ようやく外へ出ることを許されたウィリアムの監督責任はエレイン様にあり、私は婚約者としてそんな彼の動きを監視する役割を担っている。

 帰城した私たちはエレイン様に遠出した時にウィリアムは、私を庇って傷を負ってしまったと報告していたのだ。

「あら……ウィリアム様。確かにエレイン様より叱責を受けましたが、あれは落ち込むようなものではありません」

「は? どういうことだ?」

 ウィリアムはエレインから厳しい叱責を受けた私が、平然としているのが不可解らしい。

「あれは、双方の立場上、必要なやりとりだったのです。エレイン様とて私を庇いウィリアム様が怪我をしたことは把握してらっしゃいます。心から私が悪いと、思っている訳ではありません。ですが、あの方の立場上、王太子たる弟王子の身体に傷を付けてしまい、私を叱らない訳にはいかずに……あの方は、ああいったお叱りを」

「まあ……そうだろうが、俺ならばあのように姉上に叱られれば、落ち込んでしまうだろう。そう思ったからな」

 ひと目も他にあったので、私へのエレインの口調は厳しいものがあった。それをただ見ていたウィリアムは、私が落ち込んでしまうと確信を持って思ってしまうほどに。

「そうですね。ウィリアム様とエレイン様は血縁ですので、それは仕方ないことかと……私は王の臣下の娘で、エレイン様の取り巻きの令嬢です……これまでに、ウィリアム様には何度も何度も伝えていますので……重々、ご存じだとは思いますけれど」

 モニカ・ラザルスがエレインの取り巻きの一人ということは、誰もが認めることだろう。

 エレインは弟の様子を探るために傍に置いていたのだけど、彼女の真意を知る者は居ない。

「お前は本当に、おかしな奴だな……まるで、自らの過去を他人事のように言う」

 ……ええ。あの頃のモニカ・ラザルスは、私ではない私ですもの。

 なんて事を、ウィリアムに言う必要もないのだけれど……。

「……ええ。ですからつまり、エレイン様と私は例えるならば上司と部下のような関係性なので、私が失敗したならば、あの方からのああいったお叱りは仕方ないと割り切れます」

「そうだな」

「職務上の失敗には振り返りや、これからの対策案は必要ですが、精神的な落ち込みなどは不必要です。私は確かにウィリアム様が怪我をする事態の想定を事前に怠りましたし、エレイン様はそれを指摘する必要がありました。ですが、私がこれを二度と繰り返さなければ、エレイン様はそれで良いのです」

「……確かに、そうだな。俺もそう思う。精神的に落ち込んでも、何にもならない。単なる時間の無駄で、その先を考えた方が有意義だ。モニカの言う通りだ」

 そう言ってウィリアムは、考え込むように腕を組んだ……とは言っても、私だって会社員時代、失敗してしまえば、よく落ち込んだものだ。

 経験値のない段階で、失敗をしない人は居ない。

 誰もが最初は初心者なのだから、頼もしい実績のある経験者となるためには、何度か手痛い失敗を経験する必要がある。

 そして、落ち込んで泣いていても、この事態の改善点が見つかる訳でもないと自分で気づく。

 それは私だって何度も何度も繰り返すごとに、得心していった事なのだ。

 ウィリアムがいくらチート級ヒーローだとしても、経験値を上げるには、まだまだ時間が足りないといったところかしら。

 完全に考え込んでしまっている様子のウィリアムを見て、私は肩を竦めて、温かいお茶を出すことにした。

「……なぁ。モニカ」

 お茶を出し終わった私が自分のカップに口を付けようとした時、ウィリアムがいきなり名前を呼んだ。

「はい。なんでしょうか。ウィリアム様」

「……お前なら自分ではどうしようもなく、手に負えないないと思う難事に直面したならどうする。どう対処する?」

「あら。何かの謎かけですか?」

 何かお気に入りの本のことで、自分とは違う別の意見でも聞きたいのかと思った。

 顔を上げて見えたウィリアムの顔が、思ったより真剣だったので、私はドキッとしてしまった。

 いえいえ。

 ウィリアムの顔がやたらと良いことは、初対面の時からわかっていることだけれど、視覚的に不意打ちをされると、心臓に悪いわ……。

「いや、なんとなく……気になっただけだ。もし、お前ならばどうするのかと」

 ウィリアムはすこぶる頭の良い子なので、何か疑問があれば、すぐに誰かを頼るということを出来るらしい。

 教育係を何度も経験していた私にはわかる。これが『自分にはなんでも出来る』と思っている能力の高い優秀な子ほど、これがなかなか出来ないものなのだ。それまでの成功経験がプライドを高くし、誰かからの助言を得ての成功を遠ざけてしまう。

 もし、自分は能力が低いと自認がある子ならば、素直に『出来ないから教えて欲しい』と聞くことが出来る。素直な性格ならば年長者の助言を信じ、やってみようとなるので伸びも早い。

 だから、生まれ持った能力が高い低いというのも一長一短で、それぞれに長所短所はあるものなのだ。

「そうですね……難事に挑むならば、私はまず、美味しい物食べて寝ます」

「……はぁ?」

 ウィリアムはにっこり笑って答えた私に、非常に驚いているようだ。

 けれど、これは現代社会に生きた私の経験則に基づくもので、非常に難しい問題に何度も突き当たった事があり、それを乗り越えるために試行錯誤して独自で生み出した結論だ。

 私とは違う人が何をどうするかという相性もあるので、これはウィリアムが当て嵌まるかは、彼が実践してみなければわからない。

 けれど、私にとってはこれが、迷い迷って辿り着いた自分の正解だった。

「ええ。何事も気分が大事ですよ。ウィリアム様。鼻歌歌いながらの楽しい山登りと、辛い悲しいしんどいとうなだれながらの山登りならば、顔を上げて目に見えるものが多く楽しめる方が、効率が良いに決まっています」

「それはその通りだ。だが、どうしても……気分が上がらない時はどうする」

 ウィリアムは難しい表情をしていた。

「私ならば、自分の好きなことに没頭する時間を作ります。もし、何ひとつ好きなことがないなら、それを探す時間を作っても良いかと」

 ウィリアムは読書をすることが好きらしく、いつも本を読んでいるけれど、この離宮から出ることが出来ず、単に経験が少ないだけで、もっともっと楽しめる趣味があるかもしれない。

 やむを得ない理由でこの離宮に閉じ込められていただけで、彼は普通の男の子なのだから。

「まあ、言いたい事は、わかる気はする。難事だとしても、それを楽しめば良いのだな」

 ウィリアムは自分とは違う考えを持つ私の言葉に引っ掛かりを覚えながらも、その先を望んでいた。

 話は結論まで聞くこと、そして、鵜呑みにするではなく疑問を覚えること。これも大事なのだ。

 話途中ならば、結論が全く違っていたとなる可能性もあるし、私の正解が彼の正解にそのまま当て嵌まるとは、限らないのだから。

 そういった意味でも、ウィリアムは本当に教えがいのある生徒だと言える。

「はい。すべてを楽観視することは、とても危険です。ですが、暗い気持ちでいたならば新しい方法があったとしても、挑戦する気持ちがなくなり、失敗の確率がより高まってしまいます。ですので、私はまず初めに、美味しいものを食べてゆっくりと休み、自分をご機嫌な状態にします」

「なるほどな……モニカの言いたいことは、ここで納得出来た。それで、ご機嫌になれば、次はどうする?」

「計画を立てます。まずはゴール設定を決めて、そこに至るまでの工程(タスク)の細分化。そこからは、時間の調整です。期限に間に合わないならば、逆算し極力重要性の低い工程を省く作業も要りますね。どうしても必要な工程以外は、ここで取捨選択する必要があります」

「もし……俺が何も妥協したくない場合は、どうする」

「それが依頼されたものならば、依頼人の意向が一番に大事です。私ならば希望は伝えますが、無理なものならば、期限内でベストを尽くします」

 報酬を貰うならは依頼人の意向に従うべきだと私は思うけれど、もしそれが自分の評価に繋がるので妥協したくない人は妥協しなければ良い。

 どんな選択肢だって最終的に選ぶのは、自分なのだから。

「そうか……勉強になった。ありがとう」

 ウィリアムは放心したように言い、彼の知りたいことを答えられたらしい私は肩を竦めて時計を見ると立ち上がり、辞去の挨拶のためにカーテシーをした。