私の提案を聞いて、ウィリアムは変な表情になっていた。
彼の生い立ちを知れば、世間知らずは仕方ないことなのだけれど、依頼料を払って雇うと言っているのに客側であるこちらがへりくだる必要があるのかと、いまだ腑に落ちないのかもしれない。
「話を聞きたくないという拒否状態に、敢えて話を聞いて貰おうというのです。私たちも相応の何かを用意する必要がありますし……それに、私には少しだけ確認したいことがありまして……」
「ああ。わかった……余計なことはもう言わない。モニカの作戦が上手くいくように、俺も協力するようにする」
私が苦笑してそう言えば、ウィリアムは少し考えるような間を取り、眉を顰めながらも言った。
まあ……本当にウィリアムは、優秀な王子様だわ。
ついこの前まで世間と隔絶された生活を送っていたというのに、少ない情報量だけでも自分の中で咀嚼して学習して、ここで私に何故それをするのかと質問するよりも、彼らの対応を見た方が早いと思ったのね。
けれど、少々……成長速度が速すぎて、怖い気もする。
だって、こんなにも短期間でこれだけ伸びるのだから、ウィリアムがどんな風に成長するのか、私には想像もつかないもの。
そういえば、ウィリアムはどんな逆境不遇にあっても、キャンディスさえ居てくれればそれで良いと言い切ってしまうようなヒーローだった……もし、キャンディスが悪い人間だったなら、彼はどうなっていたんだろう。
いいえ。そんなことあり得ないのだから……考えるだけ、無駄だったわ。
ウィリアムの傍には、この先もずっと私が付いているのだから、この先も彼は絶対に大丈夫よ。
◇◆◇
「……失礼します。私はモニカ・ラザルスです。オブライエン一家にどうしても依頼したい事があり、訪問しました」
ここまでは訪問の手土産として菓子箱を持参していたのだけれど、今回はわかりやすく高級な代物。人里離れた高山に住むという珍味、コモンシカの高級肉を贈り物とすることにした。
「こちらに、コモンシカの肉を置いておきます。もし、よろしかったら、ご家族でお楽しみください……それでは」
私は言いたいことはこれでもう終えたとばかりに、身を翻しその場を去ろうとした。その時、ヒュッと風を切る音がして、私は温かな何かに包まれた。
「っ……ウィリアム!」
狙われた私を庇ったらしいウィリアムの腕には、一筋の傷。地面を見れば、小さなナイフが突き刺さっている。
「おい。何をする」
ウィリアムの怒りが籠った声……まさか、オブライエン一家が今まで開かれなかった扉を開けてくれたというの!?
「……お前。モニカ・ラザルスだろう。噂は聞いている。婚約者である王太子ウィリアム様を、虐げ酷く虐めているとか。そのような者の依頼は、絶対に受けない」
初めて空いた扉の中には、黒い影があり顔は見えない……出て来たのは、若い男性のようだ。
「それは、誤解だ。俺がその、王太子ウィリアムだ」
庇ってくれたウィリアムはあろうことか、変装用に被っていたフードを取り、暗殺一家の一人と対峙していた。
彼の高貴な育ちの良さは、どうしても隠しきれない。王の血統を引く人物であると、ひと目見ればわかってしまう。
「ウィリアム様……!」
思わぬ事態に彼の名前を不用意に口にした私は、しまったと口を押さえた。そして、この私の焦った動きさえも王太子ウィリアムが、彼であることを示していた。
……しまった。
王太子本人がこのような地下街に暗殺者に依頼に来ていることなど、絶対に知られてはいけないのに。
しかも、私が元々行いの悪過ぎた悪役令嬢だったから、婚約者を虐げている話を聞かれてオブライエン一家にこれまで話もしてもらえずに断られていたんだわ!
よく考えたら誰だって、そんな評判の悪い人間からの依頼なんて、絶対に受けたくないわよね。
……悪役令嬢に生まれ変わっていたのに、これまでにあまり生活に支障が無かったから、そんなことも全く思いつきもしなかったわ。
「では……モニカ・ラザルスについての悪い噂は、あくまで噂であると?」
扉は開かれていても、顔が陰になったまま見えないオブライエン一家の一人は、慎重に聞き返した。
……いえ。
モニカの悪行については、噂ではなくその通りなのだけれど、中身が変わってしまっているから、私ではないとも言えるし。
……複雑だわ。ここで彼らを真実を話すことは、絶対に出来ないもの。
「ああ。その通りだ。王城での噂を知るならば、これも知っているだろう。俺たち二人は熱烈に愛し合っている婚約者同士なんだ。何故、彼女にナイフを向けた? その回答次第では、俺にも考えがある」
ウィリアムは真剣な表情でそう言ったので、私は緊迫した場面にも関わらず、彼の凜とした格好良さに見惚れてしまっていた。
そうだった……ウィリアムは、最初からなんでも生まれ持ったチート級ヒーロー。
さっき私を庇う時の動きだって、まるで訓練された戦闘員のように、しなやかで素早かった。
これは、ウィリアムの存在自体が、そもそも格好良いもの。こうした場面で彼に見惚れてしまうのも、無理はないと思うわ。
「……それは知らない。しかし、確かに先ほど聞いた情報は、俺たちは知らなかった。真偽を調べさせてもらう。一週間後に、また来い」
彼はそう言い放ち、両開きの扉はまた、隙間なくきっちりと閉められた。
オブライエン一家がそう判断したのならば、私たちはここで用はない。
怪我をしているウィリアムの腕に素早くハンカチを巻くと、私は彼に頷き腕を取って歩き出した。
――――私たち一行は無言のままで、地下街へ出入り口へと向かった。
そして、夕暮れの赤い光が広がる空を見て、ほっと息をついた。
ああ。良かった。
思わぬ展開ではあったけれど、一週間後に再び訪問すれば、オブライエン一家の助力は得られるかもしれない。
「……とりあえず、会ってもらえることになったな。話も聞いてくれるだろう」
私と同じことを考えていただろうウィリアムもなんだか、にっこり笑って満足そうにしている。
「あの、ウィリアム様。怪我は大丈夫ですか?」
王太子の彼が怪我をするなど、本来絶対にあってはならないことなのだけれど、既にそうなってしまったのなら仕方ない。
今まで無反応に近かったから、脅しでナイフを投げられるなどと、想定出来なかった私の考えが甘かったのだかわ。
「ああ。気にするな。かすり傷だ。もっとも、これは脅しのつもりだったんだろう。この時間が過ぎても何もなければ、薬や毒なども塗られていない」
ウィリアムはとりあえずで結んだ私のハンカチに滲む血を見て、そう言った。
そして、私はさっき起こった事の重大さに、不覚にもこの時に自覚したのだ。
……王太子ウィリアムに、もしもの事があれば、ここに居る全員処刑。ラザルス伯爵家は断絶ね。
そうならなくて、神に感謝だわ。
「ありがとうございます。ですが……こんなこと、もう二度と、しないでくださいね」
「……どうしてだ。自分の婚約者を、守らない男など居ない」
ウィリアムは当然のことをしただけだろうと、不思議そうに私に言った。
それはそうかもしれないけれど、一貴族令嬢の命と王太子の命ならば、どちらを優先すべきか、冷静に見極めればすぐにわかることだ。
いくら虐げられていようが王太子ウィリアムの背中には、あまりにも多くのものが背負われているのだから。
「ですが、ウィリアム様は王太子なのです。代わりの利かない存在なのですよ」
「いや……それは、そうでもないだろう」
彼の次に継承権の高い弟のジョセフ王子のことを考えたのか、ウィリアムは苦笑していた。
そして、私も何も言えなくなった。
……ウィリアムは自分が役立たずの王太子とされて、ジョセフ王子が王位につくように、周囲が動いていたことを知っている。
そんな彼にこれを言わせてしまうなんて愚かなことをしてしまったと、そう思ったからだ。
「……私にも、貴方の代わりは利きません。お願いですから、怪我だけはしないでください」
ウィリアムを幸せにするために、私はこうして必死に頑張っているのに、本人が不幸に向かわないで欲しい。
「ああ。わかった」
私の言葉にウィリアムは苦笑いして頷き、急ぎ城へと戻ることにした。
◇◆◇
「……おい。大丈夫か?」
「はい? なんでしょう? なにかありました?」
私たちはウィリアムの離宮へと戻り、城外に出るからと変装を解いて、王太子と貴族令嬢に戻っていた。
ようやく寛げる……そんな時に、ウィリアムが私に大丈夫かと聞いてきたのだ。
「いや、モニカ。さっき姉上から叱られていただろう。俺の怪我のことで」
離宮に囚われている王太子ウィリアムの怪我を、誰の目からも完璧に隠すことは出来ない。
そして、ようやく外へ出ることを許されたウィリアムの監督責任はエレイン様にあり、私は婚約者としてそんな彼の動きを監視する役割を担っている。
帰城した私たちはエレイン様に遠出した時にウィリアムは、私を庇って傷を負ってしまったと報告していたのだ。
「あら……ウィリアム様。確かにエレイン様より叱責を受けましたが、あれは落ち込むようなものではありません」
「は? どういうことだ?」
ウィリアムはエレインから厳しい叱責を受けた私が、平然としているのが不可解らしい。
「あれは、双方の立場上、必要なやりとりだったのです。エレイン様とて私を庇いウィリアム様が怪我をしたことは把握してらっしゃいます。心から私が悪いと、思っている訳ではありません。ですが、あの方の立場上、王太子たる弟王子の身体に傷を付けてしまい、私を叱らない訳にはいかずに……あの方は、ああいったお叱りを」
「まあ……そうだろうが、俺ならばあのように姉上に叱られれば、落ち込んでしまうだろう。そう思ったからな」