「あら。なにかしら? ウィリアム。これからは、モニカと一緒ならば外出しても良いのだから、いつでも遊びにいらっしゃい……本当に都合の良いことに、貴方の婚約者は私に近しい貴族令嬢だから」
エレインはモニカは自分の取り巻きなのだから、いつ自分の近くに来てもおかしくないと言いたいようだ。
それに、私同伴での外出のみ許されている弟も、共に来ていてもおかしくないだろうと。
「はい。前々から気になっていたのです。姉上はいつ輿入れをしてもおかしくない年齢です。縁談だって降るようにあるでしょう。けれど、未だに婚約者も決めようとしない……もしかしたら、それは僕を守るためだったのではないですか」
真摯な眼差しを彼女に向けたウィリアムは、成人年齢を過ぎた王女エレインに婚約者が居ないことを、ずっと気にしていたようだ。
そして、エレインはふうと息をついた。
「……貴方には、嘘をつきたくないわ。ウィリアム。私の大事な弟だから。けれど、別に気にする必要もないわ。私がしたくてしたことだから……さ。二人とも、そろそろ行きなさい。私はこの後、予定があるの」
明確な肯定もしなかったけれど、ウィリアムの質問に否定もしなかったエレインは、明るく微笑んで私たちに退室を促した。
彼女も王女で、遊んで暮らしている訳でもなく、それなりに公務がある。
……だから、別に部屋を追い出された訳ではないと、わかっている……けれど。
「だから……お前が泣くなよ」
「……っごめんなさい……」
呆れたように言ったウィリアムは、パリッと糊の利いた、白いハンカチを差し出した。
ああ……泣きたいのは彼の方だろうに、私が代わりに泣いてしまった。
なんて優しいの……エレイン。彼女は本当に、不遇の弟のことを、ずっと心配してくれていた姉だった。
結局、私たちは姉エレインと会ってから、すぐに離宮へと戻ることにした。
ウィリアムにとっては公的な予定のない、本当に久しぶりな自由な外出時間だったのだけれど、私が二度ほど号泣してしまうという事態があったせいか、彼自身が疲れたから帰ろうと言い出して帰ることにしたのだ。
ウィリアムが、言い出した……というより『言ってくれた』が、正しいのかもしれない。
ウィリアムは知能指数が高くて、洞察力に長けている。それに、その人に気が付かせぬように優しさを発揮するのも、優秀な姉エレインに良く似ていた。
ことさらに自分の行為をアピールすることなく、人を真に思うウィリアムの優しさも彼女譲りのようだ。
「まあ、姉上の件は、これで一安心だな……暗殺されるかもしれないと思って居れば、あの人なら並大抵の方法では暗殺されまい」
「そうですね……ご本人にこうして知らせることが出来るとは、私も思っておりませんでした」
ソファに深く腰掛けていたウィリアムは私の淹れた紅茶を飲んで、ほっと安心したように頭に手を置いて天を仰いでいた。
エレインがキャンディスとウィリアムを苦しめている黒幕だと、物語序盤では思われてしまっていたのは、取り巻きである悪役令嬢モニカを操ってウィリアムを虐めているように周囲から見えていたせいだ。
主役二人を勘違いさせるに十分な理由が、そこには揃いすぎていた。
それに、エレインだって母ともう一人の弟のことを考えれば、表向きウィリアムを庇うことが出来なかった。彼女が考えなしに庇ってしまえばウィリアムを良く思わない母の意向で弟の処遇が、より悪くなってしまう可能性だってあった。
誤解されていると知りながら、エレインは嫌な気持ちを抱えたまま、じりじりと我慢するしかなかったに違いない。
邪魔者エレインを殺し内輪で争うこととなる王族から王位を簒奪しようと動くダスレイン大臣が、そこからも暗躍し王家同士を争わせ、一応は継承権を持つ公爵である自分が王になるつもりだ。
……そんな彼が、少々上手く行かないからと、エレイン暗殺を簡単に諦めるだろうか。
「……エレイン様自身がダスレイン大臣に警戒し、そして、彼女がより身辺の警護を固めれば安心……ではあるのですが、私にはひとつだけ……懸念点があります。ウィリアム様」
「何。懸念点があるだと……?」
ウィリアムは私の言葉を聞いて、不思議そうに首を傾げていた。
「ええ。シュレジエン王国には、王家をも暗殺することが出来る、有名な暗殺一家が居ます」
「ああ……そういえば……俺も、この前に、本で読んだな。なんでも、世界でも有名な暗殺一家だとか」
暗殺者ファミリーオブライエン一家。
代々暗殺を生業とする彼らは法外な金品を要求されるけれど、その道では名を知られた優秀な暗殺者ファミリー。
生ける伝説になってしまうほどの、非常に優秀な暗殺者なのだ。
この時点で起こる……エレイン暗殺には、オブライエン一家は使われていないはず。
けれど、警戒心を強くした彼女に業を煮やした、ダスレイン大臣がオブライエン一家にエレイン暗殺を頼まないとは言い切れない。
それに……小説を読み未来を知る私は、知っているのだ。
ダスレイン大臣はオブライエン一家を雇って、物語中盤には頼もしい味方を増やし着々と力を付けてきた王太子ウィリアムを暗殺しようと企てる。
キャンディスとウィリアムは何人かの味方を失いつつも、オブライエン一家を撃退することになるのだけど、それでもあまりに犠牲が多すぎた……とても、悲しい出来事だったのだ。
いえ。私がそれも防いでしまうのだけれど。
「ええ。私たちから話を聞いたエレイン様は、おそらく暗殺を防ぐために、警護を増やされると思います。ですが、オブライエン一家を雇われたら、それを防ぐことは困難でしょう」
「ああ……それはそうだろうが、オブライエン一家は非常に気難しくて、依頼人を選ぶとは聞いているが」
ウィリアムは私はダスレイン大臣がオブライエン一家を雇うことが出来るという前提で話しているのが、理解することが出来ないらしい。
……しかし、私はここではないIFストーリーの中で、ダスレイン大臣が、生半可な条件では動かぬ彼らを担ぎ出せたことを知っている。
「ウィリアム様。ダスレイン大臣は、非常に狡猾で弱い振りも出来ますし、人心掌握術に長けています。難しいからと、彼が出来ないと決めつける訳にはいきません」
「それは……確かに、モニカの言う通りだ……では、俺たちが先んじて彼らを雇えば良いのではないか? そうなれば、ダスレイン大臣は彼らを雇えまい。雇い主の敵になるのだからな。利益相反というやつだ」
私はウィリアムの言葉を聞いて、思わずポカンとした。
暗殺一家を自分が雇うなんて考えたこともなかったけれど、ウィリアムの言う通り、彼らがこちらを先に雇ってしまえば、雇われることはないだろう。
けれど……。
「……ですが、あの……ダスレイン大臣を暗殺してしまうと……その、あまり良くないかと」
ダスレイン大臣は公爵位にあり、大きな権力を振るうことの出来る大臣なのだ。
そんな彼を、暗殺した……暗殺してしまった過去が何かのきっかけで露見してしまえば、いずれ王になるだろうウィリアムが失脚するほどの大きなマイナス要因になってしまう。
「いやいや……暗殺一家だとて、暗殺だけを請け負っている訳ではあるまい。俺たちの警護を頼めば良いのだ。厳重に警備された王族を暗殺するよりも、彼らには楽な依頼になるのではないか?」
「……え? あ。エレイン様や私たちの警護を、オブライエン一家が……? それが出来れば、絶対に頼もしいと思います……けど……」
ウィリアムは私などには到底思いつかないような素晴らしい案を、こうして提案してくれた。流石、出来すぎてしまうヒーローだわ。
……そうよ。
敵の味方になるはずの強敵を、先にこちら側に引き込んでおけば……?
もし、オブライエン一家が味方になってくれるのならば、彼らほど心強い味方はいないと言っても過言ではないわよ……。
「だが、相手は暗殺者だぞ。並大抵の報酬では、納得はすまい」
「ええ。その通りだと思いますわ……多額の金品か、それとも、何か他の価値があるものか……」
ここで私は完全にオブライエン一家を味方に付ける方向性で考えていたのだけど、提案したウィリアム自身は考え込んだ様子で腕を組んでいた。
「何を要求されるかわからないから、危険かもしれない。やはり、これは考え直そうか」
先ほどまでとは真逆の意見を出したウィリアムに、カチンとなった私は半目で問いかけた。
「……ウィリアム様。一度提案して、それを断られたからと言って、貴方はすぐに、自分の考えを諦めてしまうのですか?」
「は……?」
現代社会で長年社畜生活を営んでいた私の気持ちは、仕事依頼を実際に試してもいないのに、事前の危機回避をしておこうというウィリアムの日和った言葉を聞いて、火がついてしまった。
……それは、私が大嫌いなことだったからだ。
「良いですか。ウィリアム様。難しい案だとしても、自分や先方とって、それが良いと思えれば、何度も通って提案し誠意を示すんです。事前に両者が納得が出来ている事案ならば、互いにとって利益のある良い仕事になるはずなんです」
「え? お。おう……」
急に早口でまくし立て始めた私に、ウィリアムは目を見開き、驚いているようだ。
ああ。いけない……妙なスイッチが入ってしまったかもしれない。
けれど、私に言わせると交渉を要する仕事で、一番に大事にしなければならないのは熱意と誠意だ。
それがない彼の話を聞いて、私が十何年も色恋沙汰なんて遠く社畜としての人生を捧げた仕事人としての血が騒いでしまった。
コスト面での折り合いは必ず付けてから仕事を始めるべきだとは思うけれど、一番最初の訪問もなしに『どうせうちでは仕事を受けてもらえないだろう』と、思っていればその通りになる。
そんなネガティブな気持ちで持ち込まれても、誰も仕事なんて受けてくれないと思う。