仕事の出来る悪役令嬢、薄幸王子様を幸せにアップグレードしておきました。

 前世大手商社の会社員だった私は、世話好きだからと、上司からよく新入社員の指導役に抜擢された。

 私自身も、その役目を好んでいた。

 何故かというと、まっさらな新人に対し仕事を教えてあげられることに喜びを感じていたし、四人姉弟の一番上に産まれていたから、何も知らない子の世話を焼くことに抵抗などは特になかった。

 幼い弟や妹のお守りをして、親や周囲にえらいね出来る姉だねと褒められて嬉しかったあの頃に、私の性格の根本部分は形成されてしまったのかもしれない。

 そんなこんなで、忙しくもやりがいのある日々は仕事に忙殺されて、女性初の役職付きの仕事にも慣れた。仕事命で突き進み、気がつけば長い間彼氏と言える存在もおらず、三十路を過ぎておひとりさま。

 仕事中は心も充実して居るけれど、恋愛に憧れを持つ独身主義でもない私は、新入社員の頃から住み続けていた可もなく不可も無いワンルームで、ふとした瞬間に言葉に出来ないほどの孤独を感じていた。

 けれど、今更慣れない恋愛になんて踏み出せず、一人きりの生活は変わらぬまま。

 そんな折りに、新人教育を担当した後輩から勧められて恋愛小説を借りた。

 本を読み出してから、はっと気がつけば、二桁の巻数の本編全巻に番外編まで自分で購入して、壮大な物語の世界観にどっぷりとハマっていた。

 『君と見る夕焼け』の概要は、王道の恋愛小説だ。

 天真爛漫ヒロインキャンディスと出会う王子様ウィリアムは、幼い頃からの不遇の立場にあり相次ぐ不幸で、お決まりのコースとも言える人間不信。

 物語開始時、完全に心を閉ざしてしまっているウィリアムは、偶然自分の前に現れた明るく天真爛漫なキャンディスに対し冷たく当たる。

 けど、彼女はめげずに何度も何度も体当たりして、ついには彼の心を覆う氷を溶かしてしまうのだ。

 そんな二人が知り合い愛を育むまでの過程に込められた、女主人公からの男主人公への強い愛。

 捨て身の献身とも言える彼女の愛に、私はひどく心打たれた。

 長い長い物語、何個もある思い入れのあるシーンを数ページ読めば、それだけで涙してしまうほどにファンになり何度も読み返した。

 そして、私はいつもの会社帰りの、とある平日の夜。

 『君と見る夕焼け』を読んで幸せに浸りながら、いつの間にか眠りについた……はずだった。


◇◆◇


 とりあえず、落ち着いて自分の現状把握しましょう。

 ……そうよ。それが今一番に、私がやらなければいけないことだから。

 ベッドで横になり温かなお布団に包まれて、仰向けで本を開き、大好きな小説の世界にどっぷり入り込んでいたはずの私は、きらびやかなドレスを身に纏い、ハイライトなんて見えない真っ黒な目をした男の子と見つめ合っていた。

 もちろん。未だかつて会ったこともない初対面。一体、彼は誰なの……?

 こちらを睨んでいる男の子の歳の頃は、十七ほどだろうか。麗しい容姿と王子様然としている貴族服は、良く似合っていて、目の保養と言えるほどに素晴らしい。

 だけど、どう考えても長い間櫛を通していない癖のある黒髪は、あまりにも不自然過ぎる。ところどころ毛玉が出来ているようだった。

 ……誰かに用意されていた服は、どうにかして自分で着られても、髪の毛の毛玉の処理方法までは自分んでは出来なかったのかもしれない。

 私はふと視線を落とし何気なく胸元に目をやると、そこには真っ直ぐで艶やかな銀色の髪。彼とは真逆に、艶があり美しく手入れされていた。

「おい。なんだよ。いきなり黙って……何か言えよ」

 洗練された美貌を持つ少年は、まるで毛を逆立てた猫のように、目の前に居る私を威嚇しているようだった。

 猫が前脚を突っ張ってシャーって言ってるあの感じ、わかってもらえるかしら。その姿は可愛いけれど、この子は怒っているのね、というあの感じ。

「……ウィリアム様」

 ウィリアムの希望に応じて私は彼の名前を呼んだ時に、まるで閃くようにして、この身体にある記憶を思い出し、自分が誰であるかを理解した。

 ……え。嘘でしょう。よりにもよって、私。今、悪役令嬢モニカなのだわ。

 目の前で私を威嚇して睨み付けているのは『君と見る夕焼け』の男主人公、ウィリアム・ベッドフォード。

 そして、私は彼の婚約者の悪役令嬢、モニカ・ラザレス。王位を受け継ぐはずの王太子でありながら、身分が低い母から生まれ父親である国王に愛されていないという悪条件に産まれ、不遇な立場にある彼を虐め抜く張本人だ。

 悪役令嬢であるモニカにも、一応はウィリアムを虐める理由は存在する。

 彼女はウィリアムの腹違いの姉、エレイン姫の取り巻きだった。だから、モニカはウィリアムを虐めることこそが、エレインの目的だと自分勝手に勘違いしていた。

 王には現王妃との間にも、第二王子ジョセフが居るのだけど、シュレジエン王国の継承権順位は、産まれて来た順番だと定められている。

 王太子ウィリアムは、身分の低い側妃との間に生まれた……いいえ。生まれてしまった望まれぬ王太子だったのだ。

 実はウィリアムが生まれる少し前に、彼の姉エレイン姫が正妃の子として生まれた。もし、エレイン姫が男の子であったならば、彼の人生はもっと楽で平坦なものになっていたはずだ。

 けれど……現実にIFは存在しない。現に、ウィリアムは王太子だ。

 側妃だったウィリアムの母は、身分が低く気の強い性格でもなかった。周囲からにじりよるような重圧に耐えられなくなり、早々に亡くなり、息子ウィリアムはただ一人だ。

 幼い頃から、たった一人で戦っている。

 広い王宮の中で権力者である父王と王妃に、邪険にされながらも孤独に生きて来た。

 こんな状況にあれば、たとえ誰だとしても心を完全に閉ざしてしまっても、仕方のない状況にある。

 これまでに彼自身が選んだことなど、何ひとつとしてないというのに。

「……なんだ。急に様付けなどと。どうせお前とて、親同士が勝手に決めた婚約者だから、嫌々ながらもここへ来ているくせに」

 整った顔を歪めて、ウィリアムは言った。

 それはこの身体の持ち主モニカが、ウィリアムへと言っていたことだった。

 『本当はこんなところ来たくないのに、婚約者としての義務で仕方なく』と、そう何度も何度も数えきれないほどに言った。

 不快感を全面に押し出されて、悪役令嬢モニカが嫌われていることを、ひしひしと感じた……それもそうだ。

 モニカは会うたびに使用人にだって『王太子だというのに、どうせ即位は出来ない』と、馬鹿にされている彼のことを蔑んだり揶揄ったり、ろくに話もしていないのにウィリアムの人格すら否定するばかり。

 そんな婚約者モニカが、唯一彼と話すことの出来る人物だ。なんなら、彼を救うヒロインキャンディスが現れたとしても、ウィリアムを庇う彼女をも一緒に虐める役目。

 今の私は彼にこうして嫌われてしまうのも、無理もない話なのだ。

 悪役令嬢の……役割にふさわしく、ただそこに産まれて来ただけの可哀想な王子様を、不幸にして。