〇前回の続きから
陽暁「……僕は、歌音ともう関わらない方がいいのかもしれない」
何を言われたのかと呆然とする歌音はなにも言えずに立ち尽くす。
そんな様子をみて、陽暁はうつむいて口を開いた。
陽暁「僕と関わったから、ノンちゃんは心に傷を負うことになったんだ」
歌音「……どういう、こと?」
歌音がしぼりだした声はかすれていていた。
口の中がカラカラになり、張り付いて気持ち悪い。
陽暁「さっきのやつ……渡辺だったっけ。あいつが昔ノンちゃんにひどいことをしたのは知っている。それがノンちゃんが『好き』な気持ちを作曲できなくなった原因だろう?」
歌音「……知ってたんだ」
歌音は中学で『好き』を詰め込んで作曲したものを渡辺に笑われて以来、作曲で『好き』を表現することを恐れるようになっていた。
だからこそ基本に忠実に作曲するようになり、アレンジなどが苦手になったのだ。
陽暁「自分の気持ちに蓋をするのは苦しいことだって、僕も知っている。中学でのことがなければ、君はそんな思いをしなくて済んだはずなのに」
陽暁は悔しそうに拳を握りしめた。
歌音「でもそれは陽くんのせいじゃ―― 陽暁「僕のせいなんだ」」
歌音「――え?」
陽暁のせいじゃない。そう言おうと思った歌音だったが、その前に言葉をかぶせられる。
陽暁「……あいつがノンちゃんを目の敵にしだしたのは、僕が彼女の告白を断ったからなんだ」
陽暁はまるで罪を自白するかのような顔で口を開いた。
陽暁「あいつが君に手を出した後、どうしても許せなくて問い詰めた。そしたら僕が思い通りにならなかったから、代わりに君を傷つけたと言っていたよ。……ごめんね。君にだけは迷惑を掛けないように気を付けていたのに……結局巻き込んでしまった」
歌音「……」
拳を震わせる陽暁を見た歌音は胸を痛めた。
歌音(みりあちゃんの言っていた通りだったんだ)
前に「陽暁のそばにいると目の敵にされる」と言われたのを思い出す。
周りに人が集まれば、陽暁の望まないことをしでかす人間も出てくる。
そうなったときに狙われるのは傍にいる人間なのだと。
歌音(……でも)
歌音「陽くんは悪くないよ」
これだけは自信をもって言える。
歌音「嫌がらせをしたのは渡辺さんだし、陽くんは悪くない。確かに心無いことを言われて傷ついたけど、傷つけてきたのは渡辺さんで、陽くんじゃない。陽くんのせいで傷ついただなんて思わないよ」
歌音はにかっと笑ってみせた。
だって陽暁が危害を加えてきたわけではないから。
危害を加えた当人を怨めど、陽暁を怨むなんて筋違いもいいところだろう。
そう伝えるけれど陽暁の顔は晴れなかった。
不安になり、したから覗き込む。
歌音「……陽くんは私を嫌いになった?」
陽暁「まさかっ!」
そう言うとようやく顔が上がる。
歌音は陽暁の目をじっと見つめ、泣きそうになりながらほほえんだ。
歌音「なら、関わらない方がいいなんて言わないで。私は陽くんと一緒にいたい」
陽暁「っ」
手を取り見上げると、腕の中に閉じ込められる。
その体は震えていた。
陽暁「分かっていたんだ。君のことを思うのなら離れる方がいいってことは。関わってはいけないってことは。……でも、できなかった。君を諦めてあげられなかった。どうしても僕は君のそばにいたいと思ってしまう」
陽暁「ごめんね歌音……こんな僕を許してほしい」
陽暁はきっと、ずっと悩んでいたのだ。
自分のせいで大切な人を傷つけてしまったことに。
そして今後も同じようなことが起きてしまうかもしれないことに。
頭では理解していても、どうしても離れることができない自分に。
傷つけてしまうかもしれないけれど、一緒にいてほしいと叫ぶ心に。
抱きしめる腕が。震える声が。歌音を見る眼差しが。
陽暁のすべてがそう告げている。
歌音「――私も同じ気持ちだよ」
歌音だって、彼女がいると分かってからも諦めることができなかった。
好きでいちゃだめだと分かっていても、好きという気持ちを抑えきれなかった。
どうしても、傍にいたいんだ。
そう伝わってほしい。
だから歌音は背伸びをして陽暁の唇を奪った。
触れるだけのキス。
けれど気持ちは伝わったのだろう。
陽暁は離れようとする歌音の頭を押さえ、身体に回した手に力を込める。
歌音「っ!」
陽暁「……」
少しの距離も離れたくないと、むさぼられていく歌音。
なれないことで息が上がったとき、ようやくわずかに離された。
歌音「っ、はあ」
陽暁「……」
コツンと額がくっつく。
陽暁「いいんだね? 僕には君が思っているような余裕はない。……君に触れたら、どんどん欲深くなってしまう。ずっと君に触れていたいし、少しも離れたくない。一度この腕に抱き留めてしまえば、離してあげられなくなるんだよ」
怯えているような苦しそうな顔だった。見る方の胸が締め付けられるような……。
歌音(――どうして)
許しを請うんだろう。
どうしてそんなに悩んでまで、そんなにそばにいたいと言ってくれるのか。
歌音にはいまだにわからなかった。
だからだろう。気が付いたら口にしていた。
歌音「……陽くんは、どうして私のことをそんなに好きだと言ってくれるの?」
自分には陽暁の横に並べるような実力も、隣に立てるほど美人もない。
どこにでもいるような一般的な女の子でしかない自分を、どうして陽暁のような人が許しを請うてまで傍にいたいと言ってくれるのか。
陽暁「君に救われたから」
陽暁は迷うことなく口にした。
抱きしめる腕に力がこもる。
陽暁「僕はね、歌音がいなければきっと僕ではなくなってしまっていたと思うんだ」
陽暁「君はもう覚えていないかもしれないけれど――」



