don't back

 突然の登場に私は心底驚いた。言われてみれば、入口に男子生徒が一人立っていた。それどころじゃなくて目に入っていなかった。

 見学ってことは、入部希望ってことだよね。入ってくれるとかなり心強い。男声パートは下を支える役割があるから、人数は多い方が良い。

「一年の道園です。今日は見学で来ました。よろしくお願いします」

 ぺこりと頭を下げる姿は初々しく、小学生と言われても信じるくらいだった。声も幼くて、まだ声変わりが始まっていないようだった。つまり、それは──。

「じゃあ、道園さんはとりあえずソプラノの横に座ってもらおうかな。ソプラノにも男子の一年生がいるから」

「はい」

 やっぱり!

 先生、今は彼に近づかない方が……とはとても言えず、家原先輩と目を合わせつつも、先生の提案を止めることはできなかった。

 そそくさと椅子を出して席に戻る。私の席は笠野さんの右横。田尻君は右端にいる。つまり、自動的に道園君は田尻君の隣になるわけで。

 お願い、何も起きないで!

「では、発声練習から始めます。道園さんもよかったら参加してね」

「はい」

 素直に立ち上がる道園君は横の彼とは違って素直そう。笑顔が可愛いです。うう、その笑顔を失う前に部活が終わりますように。部活が早く終わってほしいなんて初めて思ったよ。

 ピアノに合わせて声を出す。心配だったけど、左からも声が聞こえてきた。田尻君はどうかな、目だけ右に動かして視界の端に彼を映す。なんとなく、彼も右を向いているようだった。

 田尻君の右って道園君なんだけど。見学なのに横の子に見られるってプレッシャーだと思うからすぐに止めてほしい。

「喉仏下げて」
「えっと、喉仏を?」

 発声の合間、小声で田尻君がそんな声かけをした。

 待って、アドバイスは合っているけど、知識無しだろう初心者にコツがいることをいきなり言ったら混乱するだけだから。

「いったん座って、課題曲の楽譜を出してください」

 みんなが取り出すのを眺める道園君に、先生が呼びの楽譜を渡した。ほっとした表情にこちらも息を吐く。

 仮入期間と違い、一人だけのイレギュラーなので、いつも通りの練習内容で進んだ。道園君は初めての曲に戸惑いながらも、練習の様子を真剣に見学していた。

 田尻君もいつも通り。何か疑問があれば手を挙げてぐいぐい質問する。物怖じしないというところでは評価できる。でも、やはり話し合いの最中にいきなり違う話題を出すので、話が中断してしまったり、言い方がきついところがある。

 もっと人の立場になって考えられると、ぐっと成長するんだけどな。

「今日はこのくらいで。みんな、お疲れ様」

 いつもより五分程早く部活が終わった。今日は田尻君関連でいろいろ疲れてしまった。

「道園君、どうだった?」

 恐る恐る道園君のそばに行って尋ねてみる。

「勉強になりました」

 そう言って、彼は控えめに笑った。

 楽譜を先生に返して、道園君が先に帰る。男声パートの人が一人、後を追った。もしかしたら知り合いなのかもしれない。

「田尻君、部活前のことだけど、人それぞれ努力していることがあるから、自分の物差しで指摘しないように気を付けてね」

「え、あ、はい」

 道園君のことまで言うのは不機嫌にさせるだけだから、笠野さんのことを優しめに注意してみる。田尻君はそれを気にも留めないようなあっさりした返事で返した。