don't back

「おはよ」
「おはよう。今日は早いのね」

 リビングに入ったら、お母さんが朝食の用意をしていた。今日は卵焼きとお味噌汁か。

「だって、今日から部活あるから楽しみで」
「一年生の時と変わらないじゃない」
「変わるの!」

 お母さんにとっては、一年も二年も変わらないんだろうけど、私にとっては大違い。一年生が入ってくるし、つまり私は先輩で。もしかしたら、重要な仕事ももらえるかもしれない。

 いや、パートリーダーは三年生で決まりだから無理でも、発声練習のピアノとか、あとは、ソロとか……さすがに無謀か。

 ソロは三年生って決まってはいない。でも、先生の前で一人ずつ歌って、一番上手い人がやることになっている。だから、基本的には三年生。でも、三年生が断ることもあるし、純粋に二年生が選ばれることだってある。目標は高くいきたい。

「今日の給食何かな~」
「朝ご飯食べながら給食のこと考えてるの?」
「だって、歌うのは体力がいるんだよ」
「そうだね」

 お母さんは笑ってるけど、本当に分かってるのかな。

 合唱部は運動部じゃないけど、筋トレだってするし、腹式呼吸で歌うのは見た目よりずっと大変。給食だけじゃ足りないくらいだよ。

「いってきます」
「いってらっしゃい」

 元気よく外に出る。空は快晴、私の心みたい。これは良いことありそう。

 学校までは徒歩十分。いつもより腕を大きく振って歩く。これも歌うための良い準備運動になる。

 小学校では合唱団に入っていて、三年間ソプラノを頑張った。六年生ではコンクールの課題曲のピアノを担当した。ピアノの子が忙しくて一曲しかできなくて急遽ピンチヒッターでやったんだけど、あの時は緊張したなぁ。

 正門に着くというところで、見知った背中を発見した。

「真奈美~」

 呼ぶと、真奈美が振り返った。ショートボブが可愛い真奈美は笑顔で手を振り返してくれた。

「咲菜、おはよ」
「おはよ。相変わらず早いね」
「咲菜は早いの珍しいね」
「早く起きたから」

 真奈美にからかわれる。いつもは遅刻ぎりぎりだから仕方ないか。お母さんも早く行きなさいってせかさないから、ついつい。

「部活一緒に行こうね」
「うん。帰りの会終わったら廊下で待ってる」

 私は一組で真奈美は二組。二年でクラスは分かれちゃったけど、五組まであって隣だったのは不幸中の幸いだ。どうせ、部活で会えるし。

 真奈美とは合唱団の頃からの付き合いだからだいぶ長い。私がソプラノで真奈美がアルト、パート内の順位で気まずくなることもない。

 ここは違うけど、合唱団の頃は並び順自体がパート内順位だった。小学生相手にシビアなことしていたなぁ、先生。でも、きっとそれも狙いがあったのだろう。お昼休みも練習していたから、かなり活発な部活だったと思う。なんで学校の活動なのに、合唱部じゃなくて合唱団だったのは未だに謎だ。

「小学校の時みたいにお昼もやりたい」
「先生付いてないと駄目だから仕方ないよ」
「だよねぇ」

 せっかく音楽室には立派なグランドピアノがあるというのに、部活の時間まで待たなければいけない。早く放課後になってほしい。

「じゃあね」
「また」

 一組の教室前で別れる。仕方ない。中学生の本分、勉強を頑張ろう。

 クラスメイトたちと他愛ない会話をしていると、朝の会が始まって、一時間目になった。

 はっきり言って、勉強は退屈だ。自分から勉強することは楽しいのに、こうして学校へ来て決まった時間、決まった科目を勉強することは何故こんなにも窮屈なのだろう。

 好きな音楽ですら、授業ともなると眠気が襲ってくる。この現象、名前とかありそう。

 だって、歌を歌う授業は想像の五倍は少なくて、音楽鑑賞ばかりなんだもん。

「いただきます」

 やっとやっと給食の時間になった。もうお腹ぺこぺこ。七時に食べてから十二時過ぎまで食べられないの何かのバグだと思う。育ち盛りなのに我慢ばっかりしなきゃいけないの辛すぎる。

 十分も経たずに食べ終えて、おかわりの列に並んだ。周りは運動部男子ばかりなのは全く気にしない。気にして、午後お腹鳴らしている方が恥ずかしい。だって、これが終わったら十八時まで何も食べられないんだもん。並んでいる女子は私を含めて二人だけ。みんなよく平気だなぁ。我慢しているのか、本当に夜まで足りるのか。もし足りるならコツを教えてほしい。

 五時間目、六時間目を耐えて、ようやく放課後になった。真奈美と一緒に部室へ向かう。部室は音楽室横の準備室。かなり狭いので、部員二十人が集まったらかなり窮屈だ。いや、三月で先輩が卒業したから二、三年生で十五人くらいか。でもまだ狭い。

 室温も明らかに上がるから夏は辛い。エアコン付いてないんだよね、音楽準備室。他の準備室は違うのかな。

 部室に入ると、すでに何人かいた。二年の教室は微妙に離れているから仕方がない。

「おつかれさまです」

 中の人に声をかけてバッグを置く。楽譜を取り出し、音楽室に続くドアを開けた。

 準備室にもアップライトピアノがあるけど、音楽室にあるグランドピアノがやっぱり好き。

 ぽーん。

 ラの音を人差し指で弾く。このアナログで、澄んだ音。電子ではなかなか出せない音が私の体に染み込んだ。

「あー」

 合唱を始めたばかりの四年生の頃は、ファルセットを綺麗に出すことも難しかった。綺麗に出そうと思えば思う程、声は硬くなっていった。柔らかい音を出せるようになったのはいつだっただろう。そんなことすら忘れてしまった。

 手元には今練習している曲の楽譜がある。夏のコンクールの課題曲だ。つい先日テレビでも放送された。録画したので家でも練習している。

 自由曲はまだ決まっていない。いつも通りなら、そっちはソプラノのソロがあるはず。今年は誰がやるのかな。いちおうソプラノは全員候補者になるから、自由曲が決定したらソロの練習もしておこう。

「発声、私もやる。そしたらハモりの練習しよ」
「うん」
「三度でいい?」
「うん」

 簡単に発生をしてから、お互いにミとソの音を出す。それからはお互いがつられないよう、片方が出した音の三度離れた音を出して練習を続けた。