don't back

 また翌日、ピンチが訪れた。

「……喉、痛いかも」

 朝起きて、私の顔は真っ青だったに違いない。熱も鼻詰まりも無い、関節も痛くない。ということは多分、歌い過ぎたんだ。練習をした後、家でも普段歌わない方法を試したりしたから。

 無理をしていたんだ。

 どうしよう。あと五日後にはオーディションなのに。私の涙腺はすでに決壊寸前だった。

 マスクをして、リビングに下りる。今日が土曜日なのが唯一の救いだった。学校は無い。部活も無い。だから、明日まで喉を休ませて月曜日までに絶対治す。

 もし、月曜日も痛かったら、部活を休まないといけない。自己管理がなってないって、その時点でオーディションから外されるかもしれない。それだけは嫌だ。

──今日、練習できないや。

 一日でも声を出さないでいたら、下手になってしまいそう。それがたまらなく怖い。

「どうしたの。風邪?」

 ソファに座ってテレビを観ていたお父さんが立ち上がった。私は首を振って、スマートフォンに「歌い過ぎて喉が痛い」と書いて見せた。お父さんがほっとした顔をする。

「そうか、そうか。なら、すぐ治る」

 お父さんは私の頭を一度撫でてソファに逆戻りした。たいしたことないって顔をしている。

 実際、たいしたことない。ちょっと喉が痛いくらいなら、平気で話すしマスクもしないかもしれない。

 でも、今の私は別なのだ。絶対、絶対にすぐ治さなくちゃ。

 ダイニングチェアに座ったら、お母さんがサンドイッチとお水を持ってきてくれた。ぺこりと会釈だけして、お礼を示す。手を合わせて朝食を食べ始めた。

 うん、美味しい。でも、サンドイッチが喉を通るたび、小さな痛みが走る。うう、許されるなら、少しの刺激も与えたくないから食べずにいたい。でも、食べなかったから、今度は風邪まで引いてしまうかもしれない。私は我慢して完食した。

 キッチンでお母さんにのど飴をもらうと、すぐに部屋に引っ込んだ。さっそく飴を舐める。これは少しお高いものなので、通常ののど飴よりは効く気がする。

 引き出しに常備してある喉スプレーも取り出した。これはかなり美味しくないけど仕方がない。

 飴を舐め終わってスプレーをする。やっぱり不味い。

 歌えないし話せないからすることがなくて、変な顔をしながら机に向かった。仕方がなく勉強を始める。もともとテスト前だから勉強しないといけないしね。全然楽しくないけど。

「ん、んん」

 喉が痒くて喉に力を入れる。この一回の刺激でも駄目かもしれない。我慢しなくちゃ。

 出かける気力も無くてひたすら勉強をしてみたら、いつの間にかお昼になっていた。予想外に勉強が捗っちゃった。それと反比例して、気分は悪い。

 この一日を棒に振って、周りに差をつけられたらどうしよう。すごく下手になっていたら。

 私は首を振る。

 ううん、たった一日でそこまで落ちるわけがない。落ちるとするなら、技術じゃなくて私の気持ちだ。気持ちを保てれば、明日には同じように歌える。まだオーディションまで数日あるんだ。

 黙々と昼食を食べる私にお父さんがどこか出かけるか聞いてきた。家族と外出したら何か話してしまいそうなので断った。多分、私が元気ないから気を遣ってくれたんだ。お父さん、優しいから。

 午後、さすがに勉強をずっと続ける気にもなれなくてお昼寝をすることにした。しっかりベッドに入って本格的に。

「おやすみ、ムムちゃん」

 ムムちゃんをお守りに、私は眠りについた。