2022年9月18日(日) 午後11時50分/社の中
「キッ……キッキッ……」
社の奥から響く狒々の声は、先ほどまでの獰猛なものからおとなしい感じへと変化していった。
(……何かが変わった?)
私は目隠しをしたまま、石台の上で念仏を唱え続ける。
「……○○○○……○○○○……」
先ほどまで社の空気を満たしていた異様な圧力が、ゆっくりと消えていくのを感じた。
「……夏美」
裕也の小さな声が聞こえる。
「狒々……動いてねぇ」
私は目隠しをしているため見えないが、肌で感じる気配が変わっていた。
まるで、社の中の"乱れた流れ"が、元の形に戻っていくように——。
(……狒々は、まだここにいる。でも、もう暴れてはいない……)
(やっぱり、"この状態"が、本来の形だったんだ……)
私はゆっくりと息を吐き、念仏を唱え続けた。
2022年9月18日(日) 午後11時52分/社の静寂
「……やっぱり、夏美が"巫女の役割"を果たしたことで、狒々は社に留まるようになったんじゃないか?」
裕也が慎重に言葉を選びながら言う。
「……ん」
私は目隠しのまま小さく頷いた。
(本来、毎年の祭りで巫女が供物を捧げ、念仏を唱えていたのは、狒々を"社の中に留めるため"だったんだ……)
(でも、今年はその儀式が乱れた。だから狒々は社の外に出て、動画の中に囚われてしまった……)
(なら……動画を消せば、狒々は本来の場所に戻れる?)
私はそっと念仏を唱える声のトーンを落とした。
その瞬間——
「キ……」
狒々が小さく鳴く。
(……駄目だ、まだ終わってない)
私は再び念仏を唱え直した。
すると、狒々は再び静かになった。
——念仏が、狒々の存在を社の中に固定している。
この状態でなら動画も消せるのかも……
2022年9月18日(日) 午後11時54分/削除
「よし、動画の削除をやってみよう……今なら、消せるかも知れない」
裕也がつぶやき、ポケットからスマホを取り出す音が聞こえた。
「……まだ、動画は残ってる」
「管理画面が開けた……『本当に消しますか』だと? そんなもん、消すに決まってんだろ」
裕也が画面をタップしたような音がした。裕也が低く呟いた。
「……消えろ」
裕也が息を呑んだ。そして——
「ようやく、消せたよ……」
2022年9月18日(日) 午後11時55分/終焉
裕也の声が社内に広がっていくかのように——
社の中の空気が、ふっと軽くなった。
「……夏美、もういいぞ」
裕也の言葉を聞き、私は念仏を止めた。
——シン……とした静寂。
恐る恐る目隠しを外し、ゆっくりと周囲を見渡す。
(……狒々は……?)
社の奥——そこには、もう"何も"いなかった。
「……終わったの?」
私は、石台の上でゆっくりと手を握り締めた。
「ああ……そのようだ」
裕也が、安心したような表情で、ゆっくりと息を吐く。
社の中は、あの日、祭りの夜に見た光景とまったく同じようになっていた。
まるで、"何も変わっていなかった"かのように——。

