2022年9月17日(土) 午前10時42分/電車内
私は、窓の外を流れる景色をぼんやりと眺めていた。
——また、あの村へ行く。
東京を出発し、電車を乗り継ぎ、安高村へ向かう道中だった。
向かいの席では、裕也がスマホを握りしめている。
「……まだアップされてないよな」
彼は何度も動画の管理ページを確認していた。
「大丈夫、圏外になったらアップされることもないから」
「それでも不安なんだよ……」
裕也は疲れた表情でため息をついた。
「……最近、また夢に出るんだ」
「夢?」
「……社の中に、巫女がいるんだよ」
私は息を呑んだ。
「……巫女?」
裕也は頷き、視線を窓の外へ向けた。
「……目隠しをして、ずっと念仏を唱えてるんだ。最初はじっとしてるんだけど……」
「でも?」
「……俺の方に、顔を向けようとする」
ゾクリと、背筋が凍った。
「その瞬間——"キッキッキッ"って鳴き声が響いて、目が覚めるんだ」
「……」
私たちは、言葉を失ったまま、電車に揺られ続けた。
2022年9月17日(土) 午後1時20分/安高村・祖父の家
「おう、夏美か! 裕也も、ひと月ぶりだな」
祖父は変わらず元気そうだった。
「おじいちゃん、突然来てごめんね」
「いいんだよ。タケシのことが気になるんだろ?」
私は頷いた。
「……タケシのことで、何か変わったことは?」
「いやぁ……あの子はしっかりしてるから、そのうち帰ってくるさ」
祖父は深く気にしていないようだった。
(本当に……何もおかしいと思ってないんだ)
裕也と私は、目を合わせる。
「村の人たちも変わりない?」
「うん? いつも通りさ。来週は秋祭りの準備で忙しいみたいだよ」
「秋祭り……?」
初めて聞いた。
「うちの村には、夏の祭りと、秋の収穫祭があるんだよ」
「……秋祭りにも、あの社は関係あるの?」
「いや、秋祭りは関係ないな。夏の祭りだけだ」
そう言って、祖父は笑った。
(やっぱり……村の人たちは、何も気づいてないんだ)
私たちがあの社を覗いてしまったことも、動画が拡散されていることも。
「……ちょっと、村を見てくるね」
「おう、あんまり遅くなるなよ」
私は裕也と目配せし、家を出た。
2022年9月17日(土) 午後3時15分/社の前
「……本当にある」
木々の間を抜けた先に、あの社は以前と同じように存在していた。
(もし……社が消えていたらどうしようと思ったけど、ちゃんとあった)
「良し! ここで終わらせてやる」
私は、拳を握りしめた。
「たぶん、巫女の役割を再現すれば、狒々は社に戻ると思うんだ」
「夏美が目隠しをして念仏を唱えるんだよな」
私は頷いた。
「でも……社の中で動画を再生するってのが、やっぱり怖いな……」
裕也が不安そうに呟く。
「動画を再生しないと、狒々は戻らない。でも、再生した瞬間、こっちに来る可能性がある」
「……その時は、絶対に目を開けない」
「……わかった」
裕也は、大きく息を吐いた。
「明日の夜、ここで決行する」
2022年9月17日(土) 午後8時30分/祖父の家・作戦会議
私たちは、作戦をより細かく詰めた。
・裕也は社の外で見張り役(異変が起きたら夏美をすぐに逃がす)
・夏美は社の中で目隠しをし、念仏を唱える
・社の中で動画を再生し、狒々を呼び戻す
・狒々が社の中に固定されたら、動画を削除する
「これがうまくいけば、動画も消えるはず」
「……うまくいけば、な」
裕也は苦笑した。
2022年9月18日(日) 午前2時50分/祖父の家
私は眠れずにいた。
(……明日、うまくいくのかな)
もし、狒々を社に戻せなかったら?
もし、私たちが狙われたら?
不安ばかりが募る。
その時——
「キッ……キッキッ……」
どこか遠くで、小さな鳴き声が聞こえた気がした。
私は、ガバッと布団から飛び起きる。
「……今の……」
辺りを見回すが、誰もいない。
(気のせい……?)
だが、その夜——裕也はまた夢を見ていた。
夢の中の社。
目隠しをした巫女が、ゆっくりと顔を上げる。
裕也の方に——"顔を向けようとする"。
その瞬間——
「キッキッキッ……」
狒々の鳴き声が響き渡り、裕也は飛び起きた。
「っ……!」
息が荒い。
部屋の中は静かだった。
しかし——裕也の背筋に、じっとりと冷たい汗が流れた。
(……誰かが、見てる……?)
闇の中、確かに"何かの視線"を感じていた——。

