2022年8月18日(木) 午後7時40分/裕也の部屋
——カチッ。
ドアノブが、ゆっくりと回る音がした。
「……っ!」
裕也の喉が、ひゅっと縮まる。
部屋の中の空気が、ひどく冷たい。
さっきまでの異変とは、比べものにならないほどの恐怖が全身を包み込む。
ドアの向こうに"何か"がいる。
——ギィ……。
ゆっくりと、わずかにドアが開く。
隙間はほんの数センチ。
しかし、その暗闇の向こう側から、じっとこちらを覗いている気配がした。
(見ちゃダメだ……)
直感でそう思う。
けれど、逆に意識してしまい、目を逸らせない。
そして、その瞬間——
「キッキ……」
かすれたような、異様な声が耳に届いた。
——まるで、「こっちを見ろ……」と囁かれたような気がした。
裕也の全身が、硬直する。
(違う……そう言ったわけじゃない……)
けれど、確かに"見ろ"と命じられた気がする。
視線を逸らしたいのに、身体が動かない。
開いた隙間の向こう、暗闇の奥で、何かが息を潜めている。
裕也は、ゆっくりとスマホを持ち上げた。
そして、恐る恐る画面を覗く。
そこには——
ドアの隙間から、真っ赤な目がこちらを覗いているのが映っていた。
「——っ!!」
裕也は反射的にスマホを伏せた。
だが、ドアの隙間はさらに広がっていく。
ギ……ギギ……。
もう、何かが入り込もうとしている。
裕也は呼吸を止め、必死に目を閉じた。
まぶたの裏が熱い。
(……消えろ……)
(消えてくれ……!!)
しかし、気配はどんどん近づいてくる。
「キッ……キッキ……」
それは、もうすぐ耳元だった。
(やめろ……!!)
全身の毛穴が開くほどの悪寒。
その時——
バンッ!!
「裕也!!」
突然、ドアが勢いよく開いた。
「——え?」
裕也はびくっと肩を震わせ、反射的に目を開ける。
目の前には、夏美が立っていた。
「……なつ、み……?」
「どうしたの!? すごい顔してる……!」
夏美は心配そうに裕也の顔を覗き込む。
裕也は、全身が汗でびっしょりだった。
「お前……どうして……」
「さっきから電話してたのに出ないし……なんか嫌な感じがしたから……」
「……電話?」
裕也は、スマホを手に取る。
しかし、画面には——
《着信履歴なし》
「……え?」
夏美は唖然としながら、もう一度スマホを確認する。
「嘘……何度もかけたのに……」
裕也は、呆然とスマホの画面を見つめた。
電話は、かかっていない。
——いや、"つなげてもらえなかった"のか?
さっきまで、ここにいた"何か"が邪魔したのか?
裕也は、強張った喉を動かしながら、夏美を見た。
「……夏美、俺……今、"何か"が……」
そう言いかけた瞬間、スマホが突然振動した。
《着信:タケシ》
「——っ!!」
裕也は、画面を握りつぶしそうなほど力を込める。
タケシは、もういない。
なのに、今、タケシの名前で電話がかかってきている。
「……出る?」
夏美が、そっと聞いた。
裕也の指が、通話ボタンの上で震える。
押すべきか。
押したら、何が起こるのか。
答えは、わかっていた。
だが——
(……もう、逃げられない……)
裕也は、恐る恐る通話ボタンを押した。
次の瞬間、スピーカーからかすれた声が響く。
「——メ……を……」
声は、タケシのものだった。
「タケシ!? どこにいるんだ!!」
裕也が叫ぶ。
だが、ノイズが混じり、音声は途切れる。
「……目……を……」
「目? 何だよ、目を……何だって言ってんだよ!!」
裕也が必死に問いかけた、その時——
《通話が終了しました》
通話が、突然切れた。
「……タケシ?」
スマホの画面を見つめる裕也。
その画面に——
一瞬、"何か"の影が映り込んだ。
裕也は、スマホを床に落とした。
「……ヤバイな、これ……」
彼は初めて、心の底から震えた。
——この呪いは、もう俺たちだけの話じゃない。
そして、夏美もまた、裕也の顔を見て確信した。
"呪いを止める方法を見つけなければならない"と。

