推しは王子様だけど、恋したのは隣の君でした

「『桜影』のライブ、かっこよかったね」

 凜花は思わず隣の青年に話しかけていた。人見知りしがちな彼女にとって、初対面の男子に声をかけるのは珍しいことだった。それほどまでにライブの興奮が冷めやらず、誰かとこの感動を共有したかったのだ。

「うんうん、最高だった!『桜影』が戻ってきてくれて、本当にうれしいよ。王子様も健在だったしな」

 人懐っこい笑顔で話す青年に、凜花の緊張も自然とほどけていく。

「桜陽女子高の子?俺は創星学園の三年、東城朝陽。軽音部でギターとボーカルやってる」

 相変わらず爽やかな笑顔を浮かべる彼に、凜花もつられるように自己紹介した。

「私は、桜陽女子高三年の篠原凜花」

 自分でも驚くほど自然に言葉が出てきた。朝陽の雰囲気があまりに自然で、何でも話せるような気がしてしまう。

「やっぱり真琴はすげーな。あの存在感、俺もあんなオーラをまといたいよ」

「真琴先輩は、私たちの憧れなの。でも……」

「でも?」

「先輩には、素敵な彼氏がいるんです」

「そっか、それはファンとしては複雑な心境だろうな。でも、応援してるんだよね?」

 朝陽の言葉に、凜花は一瞬言葉を失った。

 ――応援してる。そう、応援しているはずなのに。

 彼自身は、真琴に彼氏がいることにショックを受けてはいないようだ。でも、気持は理解してくれた。

「良ければ、俺たちのバンドも見に来ない?」

「えっ?」

「案内送るから、連絡先教えて」

 男子と連絡先を交換するのは初めてだったが、不思議と抵抗感はなかった。朝陽の笑顔があまりにも自然で、誘いを断る理由が見つからなかった。

 間もなく次のバンドの演奏が始まる。
 夕方。凜花はベッドに腰かけ、いつものようにライブ動画巡りをしようとスマホを開いた。

 すると、朝陽からのメッセージが目に飛び込んできた。

「今週の土曜日、ライブハウス『Brown Sugar』で俺たち『ステラノーツ』がライブやるよ。良かったら来て。もちろん招待するよ」

 ――本当に、ライブに誘ってくれた……でも招待って。

「行くよ。でも、招待なんてしなくていいよ。ちゃんとステラノーツ枠でチケット買うから」

 そう返信した。自分が他校のバンドのライブに行くことになるなんて思ってもみなかった。でも、朝陽がどんなライブをするのか、楽しみにしている自分がいた。

   ◇◇

 その週の土曜日、凜花はライブハウス『Brown Sugar』にいた。

 『Brown Sugar』は、『Beat Cellar』の三分の一ほどの広さしかない、小さなライブハウスだ。壁には過去のライブポスターが貼られ、温かみのあるアットホームな雰囲気が漂っている。

 ステージには「ステラノーツ」のメンバーが立っていた。朝陽のほかに、リードギター、ベース、ドラム、キーボードの五人編成。キーボードだけが女の子で、メンバーは皆、おそろいのシャツを着ている。

 やがて、ライブが始まった。

 朝陽はステージの中心に立ち、ギターを弾きながら歌い出す。中性的な透明感のある高い声。ハードな曲はなく、「桜影」のロック色の強い楽曲とは異なり、誰にでも親しみやすいポップなサウンドだ。

「朝陽!」

 曲が終わるたびに、客席の女の子たちから歓声が上がる。その人気ぶりに、凜花は少し驚いた。

 ――真琴みたいになりたいって、全然方向性が違うようだけど……。でも、こういうのもいいかも。

 演奏を終えた朝陽がステージを降り、凜花の姿を見つけて駆け寄ってくる。

「来てくれたんだね」

「楽しかった。話すときの声と全然違って驚いた」

 朝陽が嬉しそうに笑う。その瞬間、周囲から視線を感じた。耳を澄ますと、ひそひそとした声が聞こえてくる。

「あの子誰?」
「うちの学校の子じゃないよね?」
「なんか、朝陽と仲良さそうじゃない?」

 胸がざわつく。

「また来てくれると嬉しいな」朝陽が言う。

「うん……また聴きたい」

 視線が気になったが、何とか会話を続け、凜花は『Brown Sugar』を後にした。

「来月の『桜影』ライブ行くよね」

 凜花がスマホを開くと、朝陽からのメッセージが届いていた。

「行くよ」

 すぐに返信しようとしたが、少し指が止まる。今回は、桜陽女子高の「桜影」ファン仲間――小寺遥香、岡崎未侑、山本麻里亜と一緒だ。朝陽は“真琴推し”仲間とはいえ、男子高校生である。彼女たちがどう思うかが気にかかる。

「今回は、学校の友達と一緒なの」

 しばらくして、朝陽から返事が来た。

「俺、邪魔かな?」

 ――察しがいい。

 申し訳ない気もするし、朝陽に会いたい気持ちもある。でも、遥香たちがどう思うか……。

 返信に悩んでいると、再びメッセージが届いた。

「こっちもバンドメンバー誘って行く。あいつらも『桜影』に興味あるみたいだし、それならいい?」

「……それならいい?」

 どういうことだろう。戸惑いながらも聞き返す。

「俺が一人で行くより、俺たちに注目が集まらないんじゃないかって」

 ――そうかなあ。そんなことない気がするけど……。

 ここまで言われて断るのも悪いと思い、覚悟を決めて返信した。

「わかった。一緒に『桜影』ライブで盛り上がろう」

   ◇◇

 ライブ当日、「Beat Cellar」の前で待ち合わせた凜花たちとステラノーツのメンバー。

「はじめまして、東城朝陽です」

 朝陽が爽やかに挨拶すると、遥香が驚いたように目を丸くした。

「わっ、本物の男子高校生!」

「遥香、そんなの当たり前でしょ……」

 未侑が苦笑し、麻里亜は興味深そうに朝陽を観察している。その横では、リードギターの北村翔とキーボードの松田野々花が談笑しながら、ベースの本川晃、ドラムの猪瀬淳司と合流していた。

 最初こそぎこちなかったが、ライブが始まると全員が「桜影」の音楽に夢中になった。真琴のドラムが響くたびに、朝陽と凜花は顔を見合わせ、自然と拳を突き上げる。

 ライブが終わり、外に出た。ステラノーツのメンバーと別れた直後、麻里亜が早速聞いてきた。

「やっぱり『桜影』最高! ところで、凜花。なんで東城君と知り合いなの?」

「『桜影』の復活ライブで、一緒に真琴先輩を応援して。彼も本物の“真琴推し”だったから」

「ふ~ん。凜花って人見知りするタイプかと思ってたけど、やるじゃん」

 未侑が言う。

 ――何か言われると覚悟はしていたけど。

 たった三人の友人に詮索されるだけでも息苦しく感じるのに、桜陽の“有名人”だった真琴先輩は、もっとだったに違いない。ファンとしてただ楽しく応援していたつもりだった。でも、真琴先輩にとってはどうだったのだろう。いつも視線を浴び、詮索され続けて……。

 そう思うと、申し訳ない気持ちになった。

「そのおかげで、ウチらも男子とライブで盛り上がれて楽しかったし。で、朝陽くんも美形だけど、リードギターの彼もかっこよくない?」

 遥香が話を切り替えた。

「えっ、北村くん?」

 未侑が驚くと、麻里亜が得意げに言った。

「ダメよ、彼、キーボードの松田さんとできてるっぽかったよ」

「よく見てるよねー。麻里亜こそ気になってるじゃん」と遥香。

 ――助かった。

 友人たちの関心が朝陽からそれたことに、凜花は密かに安堵した。もしかして……朝陽、この展開を予想してた?

 まさかね。
 凜花が自室に戻り、スマホを開くと朝陽からのメッセージが届いていた。

「7月最初の土曜日、ステラノーツのライブがあるよ。今度こそ招待させて」

 ――招待なんて、気をつかわなくても……。

 「桜影」と「ステラノーツ」、二つのライブに行くことになる。その負担を朝陽が気にしてくれているのだと気づき、胸が温かくなった。なんて、自然に気配りのできる人なのだろう。

「ありがとう」

 せっかくの心遣いだ。今回は素直に招待を受けることにした。

   ◇◇

 ライブ当日。凜花が受付で「篠原凜花です。ステラノーツからの招待で」と告げると、スタッフが名簿を確認し、「どうぞ」と入れてくれた。

 ライブハウスには何度も足を運んでいるが、招待で入るのは初めての経験だった。少しそわそわしながらも、ステージの前へと向かう。

 「ステラノーツ」のステージが始まる。

 彼らの音楽は、明るくポップで観客を自然と楽しませる。会場には創星学園の生徒が多いのだろう。曲が終わるたびに「朝陽!」「翔!」「野々花!」とメンバーの名前が飛び交う。

 特に朝陽への声援はひときわ大きい。黄色い声が飛び交い、その人気ぶりに改めて驚かされる。

 ライブが終わり、すべてのバンドの演奏が終了した。

 凜花は余韻を噛みしめながら出口へ向かおうとしたが、その途中で「ステラノーツ」のメンバーが集まっているのを見つけた。

 朝陽がこちらに歩み寄る。

「これから打ち上げに行くんだけど、凜花も来る?」

 ――打ち上げって、バンドメンバーだけでやるものじゃ……?

 不意の誘いに、凜花は思わず固まってしまう。

「いいじゃん。せっかくだし」

 キーボードの野々花が明るく笑う。

「怖くないって」

 ドラムの淳司が言う。その言葉に、凜花は思わず眉をひそめる。

 ――別に怖いなんて思ってないけど?

 大柄な淳司は、自分が怖がられていると思っているのだろうか。

 その勘違いがなんだか可笑しくて、凜花は思わず笑顔になった。
 凜花とステラノーツのメンバーは、カジュアルなファミレスにいた。

「お疲れ」

 朝陽が言い、バンドのメンバーがそれぞれ自分の飲み物を軽く持ち上げる。

「今日も、みんな楽しんでくれたようでよかったね」

 野々花が満足そうに言う。

「ところで、前から話してる今後の方向性なんだけど」

 朝陽が切り出す。

「バラードとか、もっとエモい曲も取り入れるかどうかって話だろ」

 翔がテーブルに肘をつきながら応じる。

「ポップで明るいのがこのバンドの個性だし、みんなもそれを期待してるところあるからなあ」

 淳司が大きく腕を組みながら言う。

「でも、ライブのバリエーション増やすのもアリじゃない?」

 野々花が軽く翔を見ながら言うと、翔は「ま、それも考えどころか」と頷く。

 ――朝陽がこのバンドをまとめてるんだね……。

 凜花は、バンドメンバーの会話を聞きながら、朝陽がみんなから自然と信頼されていることを実感する。

「俺たちの演奏、凜花も楽しんでくれた?」

 かやの外になっていた凜花を気にかけるように、朝陽が笑顔で話を振ってきた。

 ――正直言って、超高校級バンド「桜影」と比べると、高校生らしいバンドだ。でも、それはそれでいい。

「楽しかったよ。力を抜いて聴ける、親しみやすいサウンドだった」

「さすが凜花さん、耳が肥えてるね」

 晃がぼそっと言う。

 ――あれ? 私、何かまずいこと言った?

「凜花も楽しんでくれたようでよかった」

 朝陽が明るく言う。その言葉に、凜花はほっとする。

 ――朝陽、フォローしてくれてる?

   ◇◇

 ファミレスを出た帰り道。

 夜風が少し涼しく感じる。並んで歩く朝陽が、ふと前を見つめながら口を開いた。

「なんか、ちゃんと話したいな」

「えっ?」

 ――これって、デートの誘い?

 心臓が軽く跳ねるのを感じながら、凜花は朝陽の横顔を見た。

「いや、こうしてライブのあとに話すの、楽しいなって思ってさ」

 朝陽は、いつもの軽い口調で言う。でも、その横顔はどこか真剣に見えた。

「夏休みも、どこかで会えたらいいな」

「え……?」

「そういえばさ、浴衣とか似合いそうだけど」

 不意にそんなことを言われ、凜花は一瞬思考が止まる。

「……浴衣?」

「うん、夏祭りとか行ったりするのかなって」

 さらっと言われたのに、なぜか胸がざわつく。まるで「一緒に行こう」と言われているようで、どう返事をすればいいのか迷う。

「そんなに行ったことないけど……」

「じゃあ、一緒に行く?」

 朝陽の口調は軽い。でも、ふざけているわけでもなさそうだった。

「……考えておく」

 そう答えるのがやっとだった。

 朝陽は「お、いいね」と笑い、歩き出す。

 ――これって、誘われてるんだよね?
 桜陽女子高は、夏休みに入った。

 七月も終わる夕方、凜花はベッドの上にうつ伏せになり、スマホでバンド動画を再生していた。

 すると、画面上に通知が表示される。朝陽からのメッセージだった。

「明日から上埜公園の夏祭り始まるよ。一緒に行く?」

 ――本当に誘ってきた。どうしよう。

 スマホを握る手が、少し汗ばむ。

 どう返信しようか迷っていると、再びメッセージが届く。

「三日目は、特設ステージの夕方の部に『ドラゴンフライ』が出演するから見に行こう」

 ――「ドラゴンフライ」。去年の夏フェスに出ていたバンドだ。

 それなら、純粋にライブを楽しみに行けばいい。そう自分に言い聞かせながら、指を動かす。

「ありがとう」

 すぐに朝陽から返事が来た。

「じゃあ、8月3日、15時に公園の南口で」

 メッセージのやり取りを終えた後も、スマホの画面を見つめたまま動けなかった。

 ――これって、普通の誘い? それとも……。

 夏祭り当日、凜花は、待ち合わせ場所へ向かった。

 公園には、浴衣を着た女の子がたくさんいる。凜花は、薄い黄色のブラウスにカーキー色のスカショーパン。華やかな色とりどりの浴衣姿に囲まれると、自分だけが浮いているような気がして、少し落ち着かなくなる。

 待ち合わせ場所に着くと、すぐに朝陽が見つけて手を振った。

「やっぱり夏祭りはすごい人だな」

 そう言って笑う朝陽の視線が、一瞬凜花の服装をとらえた気がした。

「実は、浴衣で来るの期待してたんだけどね」

 冗談めかした口調。でも、その言葉に、凜花の胸がわずかに騒ぐ。

「……だったら、先に言ってよ」

 少し拗ねたように返すと、朝陽は「まあまあ、次の機会があればね」と軽く笑った。

 そして、人混みの中を歩きながら、ふとつぶやく。

「でもさ、やっぱり浴衣っていいよな。凜花も似合いそうだよね」

 ――また、言われた。

 その言葉が、心の奥でゆっくりと響いていくのを感じながら、凜花は朝陽の横顔をちらりと見た。
 
   ◇◇

 凜花と朝陽は、屋台でコーラとポップコーンを買い、夏祭りの飾りつけや大道芸を楽しみながら、夕方の部の開始を待っていた。

 「夕方の部は17:00スタートだよ。そろそろ行かないと、いい場所なくなる」

 朝陽がそう言うなり、自然に凜花の手を引いた。

 「えっ……」

 驚いて声を上げかけたが、反応する暇もなく、気づけば特設ステージ前まで連れてこられていた。

 すでに多くの観客が集まっている。

 「ここがいい」

 朝陽が言い、二人は並んで立つ。

 ステージでは最初にご当地アイドルのパフォーマンスが行われ、会場は和やかな雰囲気に包まれる。

 そして、いよいよ『ドラゴンフライ』のステージが始まった。

 演奏が始まると、一気に空気が変わる。

 疾走感のあるギターリフ、熱のこもったボーカル、力強いドラム。

 ――さすが夏フェス出場バンド。

 凜花も朝陽も、音楽に身を委ね、自然と体を揺らす。

 やがて、朝陽が拳を上げるのにつられるように、凜花も手を掲げた。

 二人は、夏の夜の熱気の中、ライブを堪能した。

 一週間にわたって行われた夏祭りが終わった翌日、凜花は、小寺遥香・岡崎未侑・山本麻里亜とカフェで話をしていた。

「上埜公園の夏祭り、終わっちゃったね」

 未侑がちょっと寂しそうに言う。

「今年の夏祭り、『ドラゴンフライ』来てたよね?」

「見た見た! さすが夏フェスに出てたバンドだよね」

 麻里亜が興奮気味に話すと、ふと凜花の方を見た。

「そういえば、あの創星学園の子……」

「東城君ね」

 遥香がすかさず補足する。

「そう。凜花、東城君と『ドラゴンフライ』見に来てなかった? 後ろからだったし、声かけなかったけど」

 ――見られてたか。あとからバレるのもまずいよね。

「『ドラゴンフライ』出るから見に行こうって」

 凜花がなるべくあっさりと答える。

「仲いいねえ」

 遥香がにやりと笑う。

「で、麻里亜は一人で行ったの? ウチらと一緒じゃなかったけど」

「誰かと一緒だったから声かけなかったとか?」

「……」

「図星ね。まあいいわ」

 遥香がからかうように言うと、麻里亜はむっとした顔でコーヒーをすする。

「ところで、今年の夏フェス行く?」

 遥香が3人を見渡して聞いた。

「今年は『桜影』出ないみたいね。私は見送ろうと思う」

 未侑が少し残念そうに言う。

「そうね。私も今年はやめとく」

 麻里亜も同意する。

「夏休みのイベントは、あとは江尾川市の花火大会くらいだね」

 ――花火大会か……。

 ぼんやりと呟くように考えながら、凜花の頭の中には、夏祭りでの朝陽の言葉がよみがえっていた。

 ――「でもさ、やっぱり浴衣っていいよな。凜花も似合いそうだよね」

 そのとき、ポケットの中のスマホが震えた。

 画面を開くと、朝陽からのメッセージが届いていた。

「来週の花火大会、一緒に行かない?」

 ――えっ……。

 思わず息をのむ凜花を見て、遥香がニヤリと笑う。

「なになに? もしかして、お誘い?」

 花火大会の日、凜花は朝からそわそわしていた。

「友達と花火大会に行くから、浴衣出してくれない?」

「あら。浴衣を着て行くなんて、久しぶりじゃないの」

 母はタンスの奥から、保管用の紙に包まれたままの浴衣を取り出し、そっと手渡してくれた。

 包み紙を外し、浴衣を広げる。鮮やかな藍色に、小さな花模様があしらわれている。

 ――浴衣を着るのは、中学生のとき、家族で花火大会に行った以来だ。

 スマホを開き、浴衣の着付けを説明する動画を再生する。

「私、なんでこんな面倒なことしてるんだろう……」

 ぼやきつつも、帯を締める手に力が入る。

   ◇◇

 待ち合わせの場所は、駅の改札口。

 浴衣姿の女の子たちが次々と改札を通り抜けていく。その中に紛れて、凜花は朝陽を探した。

 すると、向こうから手を振る姿が見えた。

「お、浴衣着てきてくれたんだ」

 朝陽が笑顔で近づいてくる。

「朝陽が、浴衣、浴衣って言うから」

 どこか拗ねたように答えると、朝陽は「似合ってるよ」とさらっと言った。

 その一言に、なぜか胸の奥が少しだけ熱くなる。

 電車に乗り、花火会場の最寄り駅で降りると、改札の向こうにはすでに多くの人が列を作っていた。

 人波に流されるように、二人は花火会場へと向かう。

   ◇◇

 夜空に、最初の花火が打ち上がった。

 ヒューという笛のような音が響き、鮮やかな光が弾ける。

 ドンッと短い爆発音。その余韻とともに、煌めく火の粉がゆっくりと夜空へ溶けていく。

 次々と小さめの花火が連続で打ち上げられた後、一瞬の静寂が訪れた。

 その瞬間を捉えて、凜花はそっと口を開いた。

「ねえ、どうして私を誘ってくれるの?」

 隣に立つ朝陽が、少し驚いたように視線を向ける。

「……初めて会ったとき、真琴に彼氏がいるって話してくれたよね。そのときの君、失恋した女の子みたいだった」

 再び花火が打ち上がり、空いっぱいに大輪の光が咲く。

「つらいのは分かるけど、乗り越えなきゃって思ったんだ。同じ“真琴推し”としてね」

 花火の音にかき消されそうになりながらも、凜花は朝陽の言葉をしっかりと受け止めていた。

 ふと、朝陽の顔を見上げる。

 夜空を彩る赤や緑の光が、その横顔を静かに照らしていた。
 夏休みが終わり、再び学校生活が始まった。

 二学期が始まり、一週間ほどたったある日、凜花は遥香とカフェテリアでランチをしていた。

 そのとき、テーブルの上に置いていたスマホが震えた。

 手に取り、画面を開くと、朝陽からのメッセージが届いている。

「学園祭で『ステラノーツ』が演奏するよ。見に来てくれる?」

「東城君から?」

 ――夏祭りの件も花火大会に誘われたこともバレてるし、今更、隠すこともない。

「うん。学園祭で東城君たちのバンドが演奏するから来ないかって。遥香も行く?」

「やめとく。邪魔しちゃいけないから」

「どういう意味よ」

「ふふっ、なんでも」

 遥香が意味ありげに笑う。

「行くよ。楽しみにしてる」

 凜花は返信を打った。

   ◇◇

 十月最初の土曜日、創星学園の学園祭。

 校門をくぐると、受付で記名をし、プログラムを受け取る。

 ――「ステラノーツ」は体育館で十三時から。

 早速、体育館へと向かった。

   ◇◇

 体育館の前には、すでに入場待ちの列ができていた。並びながら開場を待つ。

 やがて中に入ると、舞台の前にはパイプ椅子が並べられ、すでに多くの観客が座っていた。

 凜花は三列目の真ん中付近に腰を下ろし、演奏開始を待つ。

 ふと視線を感じ、周囲を見ると、何人かの女子生徒が肘をつつきあいながらこちらを見ていた。

 ――気のせい……じゃないよね。

 少し居心地の悪さを覚えたが、気にしないように前を向いた。

 ほどなくして「ステラノーツ」のメンバーがステージに上がり、演奏を開始する。

 彼ららしい、明るくポップなサウンドが体育館に響き渡る。

   ◇◇

「ステラノーツ」の演奏が終わり、会場が拍手と歓声に包まれる。

 その直後、一人の女子生徒が凜花の方へと歩み寄ってきた。後ろからもう一人が追いかけてくる。

「あなたね。私たちの朝陽をたぶらかしたのは」

 強い視線が凜花に向けられる。

「やめなさいよ。みっともない」

 追いかけてきた女子が制止する。

 ――私も、こんなことしてたんだ。

 胸の奥がチクリと痛む。怖いとか憎いとかの感情は、不思議と湧いてこなかった。

 最初の女子生徒は、もう一人に腕を引かれ、その場を離れていく。

 彼女の肩が、わずかに震えているように見えた。