「来てたんだね」
テラスが図書館の生物学コーナーで研究に必要な資料を探していると、声をかけられた。
「アンセム、こんにちは」
声の主はアンセムだ。
「こんにちは」
笑顔で挨拶を交わす2人。
「ずいぶんたくさん持ってるなぁ」
アンセムはテラスの脇に挟まった4冊の本を見て、思わず感想を漏らした。
「う~ん、実はもっといるんだ。手提げでも持ってくれば良かった」
「新しい課題でもあるのか?」
「うん。今回はチームを組んで、新薬の研究するんだ。自分の担当分野を調べるためなんだけど、こんなに必要とは…」
「チームって昨日中央の食堂にいたメンバーがそうか?」
「そうそう」
「その本、オレが持つよ」
アンセムは見かねて申し出た。
「え?大丈夫だよ」
「まだいるんだろう?オレは急ぎじゃないから、部屋まで運ぶよ」
「そう?」
テラスはしばらく考えた。思った以上に細かく分かれていて、あと何冊必要になるかわからない。
「じゃぁ、お願いしようかな」
「喜んで」
「あ、でも無理なお礼を迫られても困るからいい」
テラスは慌てて撤回した。
「しないよ」
アンセムは苦笑する。
「ホント?」
「本当」
「う~ん、じゃぁやっぱりお願いします。正直助かる」
そしてテラスはにっこり笑った。
「とりあえず、今持ってる本持つよ。両手が空いてた方が、探しやすいだろう?」
「うん、ありがと」
テラスは本をアンセムに渡し、再び本を探し始めた。
アンセムは本を抱えながら、テラスの邪魔にならないよう静かに待つ。
約30分後、テラスは合わせて9冊の本を選んだ。
「うん。これでひとまず大丈夫かな。本当にありがとう。アンセム」
「どういたしまして」
「ところで、今何時かな?」
「3時5分だよ」
アンセムは腕時計を見て答えた。
「うそ!」
「何か約束でもあるのか?」
「そうじゃなくって、そんなに時間経ってたの?
ゴメンね。長時間付き合わせて。夢中になってたよ…」
テラスは小さくなって謝った。
「大丈夫だよ」
テラスのためなら、いくら時間を使っても構わない。
「それくらいなら自分で持っていけるよ。ずっと持たせちゃってごめんなさい」
テラスはアンセムから本を受け取ろうとした。
「大丈夫だって。さぁ、行こう」
アンセムは笑った。その笑顔を見て、テラスはなぜだか胸がきゅっとなった。
「アンセムって、優しいね」
「ああ、テラスにはね」
サラっと言われ、テラスは一瞬言葉に窮した。
「ううん、みんなに優しいと思う」
「それは、テラスがオレのことを知らないだけだよ」
自分は決して誰にでも優しい男ではない。アンセムには自覚がある。
「…そうだね。私、アンセムのこと、未だに良くわかっていないんだと思う」
テラスは呟くように言った。
「どうした?」
急に元気がなくなったテラスに気付くアンセム。
「アンセム、他の人を好きになった方が幸せなんじゃないかな」
「え?」
テラスのいきなりな発言に、アンセムは驚いた。
続きを待ったが、テラスは黙ってしまう。
「どういう意味かな?」
アンセムは穏やかに促した。
テラスの表情から苦悩が読み取れる。
「私、アンセムのこと好きにならないかもしれないよ?」
「うん」
「やっぱりわからないから」
「うん」
「1ヶ月経っても答えは見つからないし、この先もきっと、わからないかもしれない」
「うん」
「だから、アンセムはもっと別の人と一緒になった方がいいと思う」
「うん?」
テラスの言葉に口を挟まないように聞いていたが、さすがに頷けない。
「迷惑ってことかな?」
「違うよ。迷惑かけてるのは私だよ」
「そんなことないよ」
迷惑だと思ったことは一度もない。仮に迷惑かけられても、テラスのためなら喜んで関わりたい。
「だって、いつまでも待たせてばかりだし」
テラスは俯いた。
アンセムがため息をつく。
やっぱり決断できない自分がいけないとテラスは思った。
「オレはいくらでも待つよ」
テラスは顔を上げてアンセムを見た。
「待つのは最初から覚悟の上だよ。答えを急がずゆっくり考えてほしい。
焦りがないと言えば嘘になるけど、テラスのペースに合わせられるように頑張るから、そんなこと言わないでほしい」
アンセムの瞳はどこまでも優しい。
「だって、それじゃあんまりじゃないかな」
テラスは無駄に待たせてアンセムの時間を消費したくない。
「大丈夫だよ」
しかし、アンセムは柔らかく笑った。
「オレ、今嬉しいよ。テラスがオレのことを想って言ってくれてるから。それだけでも充分だ。
テラスはテラスのペースで、ゆっくり考えればいいよ。オレはいくらでも待てるから」
そして愛し気にテラスを見つめるアンセム。
(なんだろう、この気持ち…)
テラスは心の中がじんわりと温かくなるのを感じた。
決して押し付けではないアンセムの控えめな好意を嬉しく感じた。
テラスがアンセムを見ると、ん?って感じで優しく目で応じてくれる。
「少しはオレに甘えてほしいな」
アンセムにそう言われると、テラスは甘えてもいいかもしれないと思えてくる。
なにか伝えたいのに言葉が見つからず、アンセムを見上げ続けるテラス。
そんないつもと違うテラスを前に、アンセムは試してみたくなった。
「触れても、いいかな?」
「は!?」
いきなりの申し出に、テラスは動揺した。
「嫌ならすぐに止めるから」
「ふ、触れるって???」
それには答えず、アンセムはゆっくりとテラスに近づいた。
「え?ええ!?」
半ばパニックなテラスだが、拒否の意志は見られない。
さらに近づくアンセム。テラスは逃げない。
アンセムは左腕だけで9冊の本を持ち、右手でテラスをそっと抱き寄せた。
テラスはガチガチになりつつ、抵抗も逃げることもしない。
アンセムの右手は優しくテラスの肩を抱き、テラスの顔がアンセムの胸にうずまる。
(うわー!)
どうしたら良いのかわからず、直立不動のままアンセムの胸に収まり続けるテラス。
アンセムの体温を感じた。アンセムもテラスの体温を感じて高揚する。
本を投げ出しテラスを抱き締めたい衝動を、理性で必死に抑えた。
そして、2人は少しの間そのままでいた。
胸がドキドキした。ドキドキしすぎて心臓が痛くなりそうだった。
(いつまでこうしてればいいんだろう)
ピクリとも動けずにいたが…。
「あれ?」
思わず声が出た。
「どうした?」
アンセムが少し体を離してテラスを見る。
「アンセムも、すっごい心臓早くない?」
「そりゃそうだよ」
アンセムはふっと笑う。
「好きな女の子が自分の胸の中にいれば、動悸も激しくなるよ」
そう言われて、テラスは急に恥ずかしくなった。パッとアンセムから離れる。
「おっと」
その衝撃で本を落としそうになるアンセム。寸前で堪えた。
「あ、ごめん…」
「いいよ」
「私持つよ」
「大丈夫だよ」
「でも、私が借りる本だし」
「じゃぁ、はい」
そしてアンセムは持っている本のうち3冊をテラスに渡した。
何か言いたげだったテラスだが、結局何も言わずに本を受け取る。
「そろそろラブシーンは終わったか?」
突然の声に驚いて、その方を向くテラスとアンセム。
「シン!」
そう、シンがひょっこりと顔を出した。
「なんだ、あんたらやっぱりできてんじゃん」
不機嫌そうにシンが言う。
「できてないできてない」
プルプルと首を振るテラス。
「どっちでもいーけど」
そう言ってシンは2人の横を通り過ぎ、生物学の書物を見始めた。
「テラス、行こう」
アンセムが優しく促す。見られたところでビクとも動じない。
テラスは落ち着かないが、なるべく気にしないように努めた。
-----------------------
アンセムとテラスが仲良く並んで歩いてくる姿を認め、カイは思わず笑顔になった。
遠くから見る2人の雰囲気はとても良い。
「カイさん、これお願いします」
カウンターまで来て、テラスが本を差し出した。
その横にアンセムも持っていた本を置く。
「これは、全部テラスでいいんだな」
ざっとタイトルを見ただけで判別するカイ。
「はい」
「随分多いな~。厄介な課題でもでたか?」
「今度、新薬のグループ研究をするんです」
「そうか、難儀なことだな」
他愛のない会話をしながらも、カイの手はキビキビと動く。
「で、アンセムは荷物持ちか。テラスもなかなか人使いが荒いな」
カイはテラスをからかった。
「人聞き悪いこと言わないでください」
ムッとするテラス。
こうやって、言った事にすぐ反応するのが面白い。
「オレが志願しました」
そんなテラスを見て笑いながらアンセムが言った。
「そうか。テラス、送り狼に気を付けた方がいいぞ」
「オクリオオカミ?」
テラスは意味がわからない。
「カイさん、それ死語ですよ」
アンセムは突っ込みを入れた。
「オクリオオカミって何?」
「親切な顔して送り届けた先でそのまま相手を食べてしまう、こわ~い狼のことだ」
「は?」
「カイさん、オレを何だと思ってるんですか…」
「はっはっは!ほら、できたぞ」
カイは手続きを済ませ、9冊まとめてアンセムに渡した。
「あ、私持つ」
「いいからアンセムに持たせとけ。両手が塞がってた方が安全だぞ」
「どうして?」
「………」
本を全部持つことに異論はないがまるで猛獣のような言われ様には、大いに異論を唱えたいアンセム。
いつものことなので黙殺し、何も言わずに背を向け出入り口へ向かった。
「あ、待って。それじゃ、カイさん、失礼します」
ペコリとテラスは頭を下げ、慌ててアンセムの後を追った。
「ねぇ、私も持つよ」
追いついたアンセムにテラスは言った。
「大丈夫だよ」
「でも…」
「じゃぁ、これだけ」
そしてアンセムは2冊差し出した。
テラスは素直に2冊だけ受け取る。これ以上言っても、渡してくれないことはわかっていた。
「さっきのオクリオオカミって何?」
テラスはもう一度質問した。カイの説明は良くわからない。
「知らなくても不便のない単語だよ」
「でも気になるから知りたい」
割としつこいテラスなのである。
アンセムは気が進まない。
しばらく考えてから返答した。
「じゃぁ、実践で教えようか?」
テラスの耳元で囁く。
「うひゃぁっ!」
くすぐったさと唐突な行動に驚いて飛び退くテラス。
「だから、そういうの止めてよ!」
「あはは。面白いから、つい」
アンセムは笑いながらどんどん歩く。
「ついって何だー!」
怒りながらも小走りで追いつくテラス。
「で、教えてくれないの?」
「だから実践で」
「実践って?」
「送り狼の『送り』の部分はいまやってるから、残りの『狼』を、テラスの部屋で実践してあげるよ」
何となく嫌な予感がするテラスは断ることにした。
「やっぱりいい…」
「それは残念だな」
そんなことを話している内に、テラスたちの寮の入り口に着いた。
「さて、オレは少し時間をつぶしてから行くから、テラスは先に部屋で待っててくれないか?10分くらい時間開けてから行くよ」
2人で歩いている姿を見られて面倒事が起こらないように、アンセムの気遣いである。
「今日は一緒でいいよ。だって重いでしょう?」
「大したことないよ」
「う~ん、でもやっぱり悪いから、ここからは一人で運ぶ。最初からそのつもりだったし。ここから近いし」
「そうか、せっかく送り狼になろうと思っていたのに、残念だな」
「…後で他の人に意味を聞いてみよう」
「じゃぁ、今日はここで」
「うん」
アンセムは本をテラスに渡そうとして、ふと動きを止めた。
「ん?」
アンセムを見上げるテラス。
「テラス、今日は本当に嬉しかったよ」
「え?何が?」
「テラスが逃げずにいてくれたこと」
「あ…うん…」
どう対応していいかわからず、テラスは言葉を濁した。
「少しは可能性ありって思っていいのかな?」
ドキン。
そう言われて、テラスの心臓は大きく跳ねた。
アンセムは真剣な目をしている。
テラスはこの場から逃げ出したい気持ちになった。
今でも、アンセムの感情が篭った眼差しが苦手だ。
「わかんない」
思わず言っていた。
「そうか」
「ごめんね」
「いいんだ」
そして穏やかに笑みを浮かべる。
テラスは、この穏やかなアンセムが好きだった。
だから、言葉を続けた。
「わからないけど、今、アンセムに代わる人はいないと思う。
好きとか、そういう感情なのかわからないけど、アンセムが優しく側にいてくれるとホッとするよ。そういう人、他にいないから」
アンセムは無言だ。
「あ、あれ?今変なこと言った?」
「いや…」
アンセムは感動していた。あのテラスから、こんな言葉が聞けようとは。
「ありがとう、テラス」
「ええ?お礼を言うのは私でしょう?本重かったのに、ありがとう」
「テラスのためならいつでも」
アンセムはテラスに本を渡した。
「本当に助かっちゃった。ありがとう!」
テラスは寮に入って行った。
見えなくなるまで見送ったあと、アンセムは思わずガッツポーズを取るのだった。
テラスが図書館の生物学コーナーで研究に必要な資料を探していると、声をかけられた。
「アンセム、こんにちは」
声の主はアンセムだ。
「こんにちは」
笑顔で挨拶を交わす2人。
「ずいぶんたくさん持ってるなぁ」
アンセムはテラスの脇に挟まった4冊の本を見て、思わず感想を漏らした。
「う~ん、実はもっといるんだ。手提げでも持ってくれば良かった」
「新しい課題でもあるのか?」
「うん。今回はチームを組んで、新薬の研究するんだ。自分の担当分野を調べるためなんだけど、こんなに必要とは…」
「チームって昨日中央の食堂にいたメンバーがそうか?」
「そうそう」
「その本、オレが持つよ」
アンセムは見かねて申し出た。
「え?大丈夫だよ」
「まだいるんだろう?オレは急ぎじゃないから、部屋まで運ぶよ」
「そう?」
テラスはしばらく考えた。思った以上に細かく分かれていて、あと何冊必要になるかわからない。
「じゃぁ、お願いしようかな」
「喜んで」
「あ、でも無理なお礼を迫られても困るからいい」
テラスは慌てて撤回した。
「しないよ」
アンセムは苦笑する。
「ホント?」
「本当」
「う~ん、じゃぁやっぱりお願いします。正直助かる」
そしてテラスはにっこり笑った。
「とりあえず、今持ってる本持つよ。両手が空いてた方が、探しやすいだろう?」
「うん、ありがと」
テラスは本をアンセムに渡し、再び本を探し始めた。
アンセムは本を抱えながら、テラスの邪魔にならないよう静かに待つ。
約30分後、テラスは合わせて9冊の本を選んだ。
「うん。これでひとまず大丈夫かな。本当にありがとう。アンセム」
「どういたしまして」
「ところで、今何時かな?」
「3時5分だよ」
アンセムは腕時計を見て答えた。
「うそ!」
「何か約束でもあるのか?」
「そうじゃなくって、そんなに時間経ってたの?
ゴメンね。長時間付き合わせて。夢中になってたよ…」
テラスは小さくなって謝った。
「大丈夫だよ」
テラスのためなら、いくら時間を使っても構わない。
「それくらいなら自分で持っていけるよ。ずっと持たせちゃってごめんなさい」
テラスはアンセムから本を受け取ろうとした。
「大丈夫だって。さぁ、行こう」
アンセムは笑った。その笑顔を見て、テラスはなぜだか胸がきゅっとなった。
「アンセムって、優しいね」
「ああ、テラスにはね」
サラっと言われ、テラスは一瞬言葉に窮した。
「ううん、みんなに優しいと思う」
「それは、テラスがオレのことを知らないだけだよ」
自分は決して誰にでも優しい男ではない。アンセムには自覚がある。
「…そうだね。私、アンセムのこと、未だに良くわかっていないんだと思う」
テラスは呟くように言った。
「どうした?」
急に元気がなくなったテラスに気付くアンセム。
「アンセム、他の人を好きになった方が幸せなんじゃないかな」
「え?」
テラスのいきなりな発言に、アンセムは驚いた。
続きを待ったが、テラスは黙ってしまう。
「どういう意味かな?」
アンセムは穏やかに促した。
テラスの表情から苦悩が読み取れる。
「私、アンセムのこと好きにならないかもしれないよ?」
「うん」
「やっぱりわからないから」
「うん」
「1ヶ月経っても答えは見つからないし、この先もきっと、わからないかもしれない」
「うん」
「だから、アンセムはもっと別の人と一緒になった方がいいと思う」
「うん?」
テラスの言葉に口を挟まないように聞いていたが、さすがに頷けない。
「迷惑ってことかな?」
「違うよ。迷惑かけてるのは私だよ」
「そんなことないよ」
迷惑だと思ったことは一度もない。仮に迷惑かけられても、テラスのためなら喜んで関わりたい。
「だって、いつまでも待たせてばかりだし」
テラスは俯いた。
アンセムがため息をつく。
やっぱり決断できない自分がいけないとテラスは思った。
「オレはいくらでも待つよ」
テラスは顔を上げてアンセムを見た。
「待つのは最初から覚悟の上だよ。答えを急がずゆっくり考えてほしい。
焦りがないと言えば嘘になるけど、テラスのペースに合わせられるように頑張るから、そんなこと言わないでほしい」
アンセムの瞳はどこまでも優しい。
「だって、それじゃあんまりじゃないかな」
テラスは無駄に待たせてアンセムの時間を消費したくない。
「大丈夫だよ」
しかし、アンセムは柔らかく笑った。
「オレ、今嬉しいよ。テラスがオレのことを想って言ってくれてるから。それだけでも充分だ。
テラスはテラスのペースで、ゆっくり考えればいいよ。オレはいくらでも待てるから」
そして愛し気にテラスを見つめるアンセム。
(なんだろう、この気持ち…)
テラスは心の中がじんわりと温かくなるのを感じた。
決して押し付けではないアンセムの控えめな好意を嬉しく感じた。
テラスがアンセムを見ると、ん?って感じで優しく目で応じてくれる。
「少しはオレに甘えてほしいな」
アンセムにそう言われると、テラスは甘えてもいいかもしれないと思えてくる。
なにか伝えたいのに言葉が見つからず、アンセムを見上げ続けるテラス。
そんないつもと違うテラスを前に、アンセムは試してみたくなった。
「触れても、いいかな?」
「は!?」
いきなりの申し出に、テラスは動揺した。
「嫌ならすぐに止めるから」
「ふ、触れるって???」
それには答えず、アンセムはゆっくりとテラスに近づいた。
「え?ええ!?」
半ばパニックなテラスだが、拒否の意志は見られない。
さらに近づくアンセム。テラスは逃げない。
アンセムは左腕だけで9冊の本を持ち、右手でテラスをそっと抱き寄せた。
テラスはガチガチになりつつ、抵抗も逃げることもしない。
アンセムの右手は優しくテラスの肩を抱き、テラスの顔がアンセムの胸にうずまる。
(うわー!)
どうしたら良いのかわからず、直立不動のままアンセムの胸に収まり続けるテラス。
アンセムの体温を感じた。アンセムもテラスの体温を感じて高揚する。
本を投げ出しテラスを抱き締めたい衝動を、理性で必死に抑えた。
そして、2人は少しの間そのままでいた。
胸がドキドキした。ドキドキしすぎて心臓が痛くなりそうだった。
(いつまでこうしてればいいんだろう)
ピクリとも動けずにいたが…。
「あれ?」
思わず声が出た。
「どうした?」
アンセムが少し体を離してテラスを見る。
「アンセムも、すっごい心臓早くない?」
「そりゃそうだよ」
アンセムはふっと笑う。
「好きな女の子が自分の胸の中にいれば、動悸も激しくなるよ」
そう言われて、テラスは急に恥ずかしくなった。パッとアンセムから離れる。
「おっと」
その衝撃で本を落としそうになるアンセム。寸前で堪えた。
「あ、ごめん…」
「いいよ」
「私持つよ」
「大丈夫だよ」
「でも、私が借りる本だし」
「じゃぁ、はい」
そしてアンセムは持っている本のうち3冊をテラスに渡した。
何か言いたげだったテラスだが、結局何も言わずに本を受け取る。
「そろそろラブシーンは終わったか?」
突然の声に驚いて、その方を向くテラスとアンセム。
「シン!」
そう、シンがひょっこりと顔を出した。
「なんだ、あんたらやっぱりできてんじゃん」
不機嫌そうにシンが言う。
「できてないできてない」
プルプルと首を振るテラス。
「どっちでもいーけど」
そう言ってシンは2人の横を通り過ぎ、生物学の書物を見始めた。
「テラス、行こう」
アンセムが優しく促す。見られたところでビクとも動じない。
テラスは落ち着かないが、なるべく気にしないように努めた。
-----------------------
アンセムとテラスが仲良く並んで歩いてくる姿を認め、カイは思わず笑顔になった。
遠くから見る2人の雰囲気はとても良い。
「カイさん、これお願いします」
カウンターまで来て、テラスが本を差し出した。
その横にアンセムも持っていた本を置く。
「これは、全部テラスでいいんだな」
ざっとタイトルを見ただけで判別するカイ。
「はい」
「随分多いな~。厄介な課題でもでたか?」
「今度、新薬のグループ研究をするんです」
「そうか、難儀なことだな」
他愛のない会話をしながらも、カイの手はキビキビと動く。
「で、アンセムは荷物持ちか。テラスもなかなか人使いが荒いな」
カイはテラスをからかった。
「人聞き悪いこと言わないでください」
ムッとするテラス。
こうやって、言った事にすぐ反応するのが面白い。
「オレが志願しました」
そんなテラスを見て笑いながらアンセムが言った。
「そうか。テラス、送り狼に気を付けた方がいいぞ」
「オクリオオカミ?」
テラスは意味がわからない。
「カイさん、それ死語ですよ」
アンセムは突っ込みを入れた。
「オクリオオカミって何?」
「親切な顔して送り届けた先でそのまま相手を食べてしまう、こわ~い狼のことだ」
「は?」
「カイさん、オレを何だと思ってるんですか…」
「はっはっは!ほら、できたぞ」
カイは手続きを済ませ、9冊まとめてアンセムに渡した。
「あ、私持つ」
「いいからアンセムに持たせとけ。両手が塞がってた方が安全だぞ」
「どうして?」
「………」
本を全部持つことに異論はないがまるで猛獣のような言われ様には、大いに異論を唱えたいアンセム。
いつものことなので黙殺し、何も言わずに背を向け出入り口へ向かった。
「あ、待って。それじゃ、カイさん、失礼します」
ペコリとテラスは頭を下げ、慌ててアンセムの後を追った。
「ねぇ、私も持つよ」
追いついたアンセムにテラスは言った。
「大丈夫だよ」
「でも…」
「じゃぁ、これだけ」
そしてアンセムは2冊差し出した。
テラスは素直に2冊だけ受け取る。これ以上言っても、渡してくれないことはわかっていた。
「さっきのオクリオオカミって何?」
テラスはもう一度質問した。カイの説明は良くわからない。
「知らなくても不便のない単語だよ」
「でも気になるから知りたい」
割としつこいテラスなのである。
アンセムは気が進まない。
しばらく考えてから返答した。
「じゃぁ、実践で教えようか?」
テラスの耳元で囁く。
「うひゃぁっ!」
くすぐったさと唐突な行動に驚いて飛び退くテラス。
「だから、そういうの止めてよ!」
「あはは。面白いから、つい」
アンセムは笑いながらどんどん歩く。
「ついって何だー!」
怒りながらも小走りで追いつくテラス。
「で、教えてくれないの?」
「だから実践で」
「実践って?」
「送り狼の『送り』の部分はいまやってるから、残りの『狼』を、テラスの部屋で実践してあげるよ」
何となく嫌な予感がするテラスは断ることにした。
「やっぱりいい…」
「それは残念だな」
そんなことを話している内に、テラスたちの寮の入り口に着いた。
「さて、オレは少し時間をつぶしてから行くから、テラスは先に部屋で待っててくれないか?10分くらい時間開けてから行くよ」
2人で歩いている姿を見られて面倒事が起こらないように、アンセムの気遣いである。
「今日は一緒でいいよ。だって重いでしょう?」
「大したことないよ」
「う~ん、でもやっぱり悪いから、ここからは一人で運ぶ。最初からそのつもりだったし。ここから近いし」
「そうか、せっかく送り狼になろうと思っていたのに、残念だな」
「…後で他の人に意味を聞いてみよう」
「じゃぁ、今日はここで」
「うん」
アンセムは本をテラスに渡そうとして、ふと動きを止めた。
「ん?」
アンセムを見上げるテラス。
「テラス、今日は本当に嬉しかったよ」
「え?何が?」
「テラスが逃げずにいてくれたこと」
「あ…うん…」
どう対応していいかわからず、テラスは言葉を濁した。
「少しは可能性ありって思っていいのかな?」
ドキン。
そう言われて、テラスの心臓は大きく跳ねた。
アンセムは真剣な目をしている。
テラスはこの場から逃げ出したい気持ちになった。
今でも、アンセムの感情が篭った眼差しが苦手だ。
「わかんない」
思わず言っていた。
「そうか」
「ごめんね」
「いいんだ」
そして穏やかに笑みを浮かべる。
テラスは、この穏やかなアンセムが好きだった。
だから、言葉を続けた。
「わからないけど、今、アンセムに代わる人はいないと思う。
好きとか、そういう感情なのかわからないけど、アンセムが優しく側にいてくれるとホッとするよ。そういう人、他にいないから」
アンセムは無言だ。
「あ、あれ?今変なこと言った?」
「いや…」
アンセムは感動していた。あのテラスから、こんな言葉が聞けようとは。
「ありがとう、テラス」
「ええ?お礼を言うのは私でしょう?本重かったのに、ありがとう」
「テラスのためならいつでも」
アンセムはテラスに本を渡した。
「本当に助かっちゃった。ありがとう!」
テラスは寮に入って行った。
見えなくなるまで見送ったあと、アンセムは思わずガッツポーズを取るのだった。



