手を伸ばせば、きっと。


プロローグ









君はまるで、春陽のように



温かく寄り添い



麗しいほどの光を照らす









雪解け、桜舞う季節に
君と出逢ったんだ—————。










君がくれたものを、思い出してみよう










自分でも不思議だった。



人懐っこい笑顔も、無邪気な声も、君は持っていないのに。
どうして君に、“彼”の面影が見えてしまうんだろう。









君と初めて会ったのは、心も見えている世界も灰色だった日々の中。


“彼”との思い出溢れる、河原の桜並木。
冷たく乾いた風が、ぽっかりと空いてしまった心を吹き抜ける。
まだ積もった雪が溶けきっておらず、寒さを増させる。
蕾をつけ始めた桜の木々がそれを開くのは、きっと、もう少し先のこと。




—————どうして、隣にいないのだろう。




ふと浮かんだ疑問が、じわじわと心を侵食するように広がっていく。


ここの景色は変わらないのに、どうして“彼”は私の隣にいないのだろうか。


当たり前だったはずなのに。
その当たり前は、一瞬で脆く儚く、散った。


泣きたかった。でも、泣けなかった。
泣けるほど、現実を受け入れることができていなかったから。




“彼”がいなくなってから、広がる灰色の世界。
色をまったく宿さないこの世界。
それはこれから変わることはあるのだろうか。


会いたい。
もう一度だけでもいいから、会いたい。




—————それは、叶わぬ願い。




もう一度会えたら、離れぬようぎゅっと抱きしめるのに。




そっと目を瞑ったそのとき、温かく優しな春風が頬を撫でた。
瞼を上げ、もう一度閉じ、再び開けるとそこには—————“彼”がいた。
………ような気がした。


目が合ったその人は、『えっと…』と不器用に目を逸らした。



……違った。
何も、似てない。


でも、どうしてだろう。


少し悪い目つきも、明るい茶色に染められた頭も、何一つ似ている要素がないのに“彼”を感じてしまった。




『…なん、ですか?』

『え、いや……綺麗だなって』

『え?』

『あ、桜!桜だから!ナンパとかじゃねーからな!』

『いやまだ咲いてませんけど…』




君に“彼”の面影を感じた理由がわかったのは、もう少し後のことだった。







君は、転校生だった。


君と出会った1週間後の春休み明け、私のクラスに先生と入ってきたから、驚いた。


空席だった私の隣に座るや否や、ぎこちなく手を差し出された。





『昨日は、急に悪かった』

『ううん』

『俺、佐野(さの) 涼太(りょうた)。よろしく』

『私は、(たちばな) 梨花(りんか)

『...綺麗な名前だな。.......って、口説いてるわけじゃねーぞ!? 率直な感想だから!』

『ふふ、わかってる』





勝手に自分で言ったことに焦り、耳をちょっぴり赤くさせて勝手に弁解する君に、思わず頬が緩んでいた。


ヤンキー風な強面の君の裏表のない性格に、人見知りに加え過去を抱える私でも、心を許すのに時間はかからなかった。







君に救われたのは、柔らかな春陽が温かく照る日だった。



君と出会った日同様、河原の桜並木で桜の木々を見上げていたとき、『橘、』と声を掛けられた。


『またナンパ?』と冗談を言えるくらいには仲良くなれた。
『ちげーよ!』と必死に否定する君としばらく戯れたあと、河原に寝転がってポツリと呟いた。





『ここ、"元彼"との思い出の場所なの』と。

『死別っていう、1番悲しい別れ方だったんだけどね』と、笑って付け足した。




どうして出会って間もない君にこんなことを打ち明けたのだろう。
明確な理由はわからなかったが、君の人柄がそうさせたのは間違いない。


いつまでも過去を引きづって、女々しいと思われるかもしれない。
気を遣って言葉を選ぶようになるかもしれない。
それなりの覚悟を持って君の返答を待っていたら。




『無理して笑わなくていいよ』と、優しい答え。
それを聞き、堰が切れたように想いが溢れてくる。




『とっても大事な人だったの。幼馴染みでもあり、恋人でもあり…』




隣にいることが当たり前だった。
想像もしていなかった。
彼が私の傍からいなくなることを。




『私だけ生きていていいのかな…』




辛い。苦しい。
だけどその痛みが麻痺してしまうほど、生きている心地がしない。
いっそ彼のところに行く勇気があれば。
こんな思いをしないで済むのだろうか。


いきなりこんなことを告白して涼太を困らせているのはわかっている。
だけど知り合って間もない涼太だからこそ、言えることがあった。


私の周りの人は、私に気を遣う。
当然だ。


幼馴染みであり恋人であった大事な人を亡くしているのだから。
私も、そういう状況の人がいれば同じように気を遣うだろう。


だけどそのこちらの表情を伺う目、考えて選んだであろう言葉。
すべてが私にとって煩わしかった。






『…ありがとな』




予想外の涼太の言葉に思わず顔を上げた。




『生きててくれて、こうして俺と出会ってくれて、ありがとう』




続けて涼太は言った。




『俺は大切な人を失ったことはない。だから想像することしかないできない。でも想像しただけですげー、もう…辛いんだよ。
だからこうして生きてくれてるだけで嬉しんだよ。だってそうじゃなきゃ、俺たち出会えてなかったんだよ』





初めての言葉だった。
押し付けがましい周囲の言葉とはまるで違った。


君に"彼"の面影を感じた理由がわかった。


麗しいほどの温かさや優しさがあるからだ。
見た目は何一つ似ていないのに、心の温かさや優しさが滲み出ているところ、そっくり。





『頑張らなくていい。乗り越えなくていい。橘のペースで、橘の思うように生きて行っていいんだよ』

『でも、世間はそれを許してくれないかもしれない』

『なんか言ってくる奴がいたら、俺が殴る』

『ふふ、いいよ殴らなくて』





真顔で物騒なことを言う涼太に思わず口角が緩んだ。





目を瞑って、こぼれ落ちる涙の熱さを感じた。



────『梨花っ!』
私の名を呼ぶ無邪気な声も。


────『俺、すっげー梨花のこと好きだなぁ』
私に向ける眩しい笑顔も。



大切な大切な思い出は蓋をしなくても、仕舞わなくてもいいんだ。
彼の存在を大切に抱えて生きていこう。
そう思えて、心が少し軽くなった。


目を開けると、澄み渡った青空を背景に、春風に乱れたように美しく舞う桜の花びら。
色付いた世界はこんなにも美しいのかと感じ、その日見た景色は私の心に強く刻まれた。



その日以来、次第に悲しみや苦しみは薄れ、本当に少しずつだけど綺麗に過去を振り返ることができた。


憎かった雪解け、桜舞う季節も、向き合えるようになった。