左手の指輪がゆるくなったことに気がついた。

半年ぶりに、
高校の同級生たちとカフェでお茶をした。
いつも誰かが来られない、と言うことが増えたな、と思いながら。

青空が澄み白梅が開いた3月の渋谷は訪れるたびに他人行儀で、
友人たちの話題は、つい先日までは手のかかる小さな子供たちのこと、義理の親とパートナーへの不満、上司の愚痴だったのが、
今日は病気の話ばかりだ。ぎっくり腰になった。最近よくからだがほてるんだけど更年期が近いのかも。誰々ちゃん子宮に筋腫見つかったみたい。

ときめきはもうドラマの中にしかない。夢さえも見られない、テラス席。
みんな声が大きくなったな、と思う。
わたしは、と言えば、

鬱屈した気持ちをカフェラテのカップに沈めながら、
「うんうん、そうだよねー」「わかるー」「実は私も」を繰り返している。
何かを口に出せば「えっ、だってアンタはさー、良いじゃん」って定型文が返ってくる。ちょっと疲れた。
何が「良いじゃん」なのかまるでわからない。
わたしだって、愚痴を言いたいこと、あるのに。

高校の時に決めつけられたキャラクター。
澄んだ空をななめに斬っていった黒い鳥。
春。
疲れるのに、同級生に会うのがやめられないのは、ちょっとでも気晴らししたいのと、
心の中のどこかに、まだ、高校生のわたしがいるのかもしれない。
若くて、幼くて、みずみずしくて、
夢と絶望を行ったりきたりしていたわたしが。

冷めていくカフェラテの表面に映る自分を否定したい自分が。
憂鬱になる。枯れていく。冬が終わるたびに。むなしくなる。
同級生に会うたびに。
指輪がゆるくなったこと。

パートナーは気づかない。
カフェラテに砂糖を入れなくなったことも。

春の陽が真上から降り注いでいたのが、足の速い夕暮れ。有名な絵画みたいにポツンと金色の吹き溜まりが空に浮かんでいる。ずいぶんと気温が下がった。
夕食の買い物をして、家に帰ってごはんのしたくをして、洗濯物をとりこんでたたんで、会社から持ち帰った仕事をして、
なんて考えながら雑踏の坂を足早に降りる。

ふと、
雑踏がほどけるように、
わたしの目の前に、ひとりの人物があらわれた。
(え)
そこにいるはずのない人物だった。
いや、
いてもおかしくはないけれど。おかしくはないけれど -

夕暮れの金色が黒髪をつやめかせる。長い前髪が長いまつ毛にメイクのような影を落とす。
長身で細身の。

「やぁ」

まるで昨日会ったばかりのような調子で、あなたはわたしにそうあいさつした。
「や、やぁ」
(どうして)
あなた、

高校生のままじゃない -

音が止まる。クッキーとキャンディとマシュマロの宣伝に満ちた街の色が止まる。何も聞こえなくなる。あなたの声だけが聞こえる。

- 将来、何になりたい?
- えっと、大学行って、就職して……
- ちがうちがう。
将来「なりたいもの」だよ。

(そばにいたかった)
不思議と、
高校を出たあとのあなたのことは、誰も語らなかった。暗黙の了解のように。
あなたのまわりでは、誰もが明るく笑っていたのに。
(わたしも)。
いたのに。

「か、変わらないんだね」
戸惑いがそのまま言葉になった。
「変わったよ」
(どこが)
声も、姿も、話し方も、
ちょっとななめにひとを見るところも。

「わ、わたしは変わったよね」
「変わったって言ってほしいの?」
「!!」

「変わったよ」
あなたは、何でもないように笑った。
「変わったように見えないかもしんないけど、変わった」
「ど、どこが」

「老いたよ」

無情な現実を突きつけられた気がした。
「ど、どこが」
あなたは、
そっと自分の左胸をおさえた。

「びょ、病気?」
「疲れたんだ」
「!?」
あなたは、左胸をおさえたまま、坂道の途中のわたしを見上げた。

「確実に、心が老いたよ。
流行を追う気力もなくなって、身なりを構わなくなって、家にいると寝てばかり」
(だけど、
見た目は、高校生のまま - )
大きく変わったのは、
高校の時には絶対に言わなかったであろうネガティブな言葉が、目の前の人物から発せられている。
「って言ったら、きみは喜ぶ?」

キツネにつままれた気分になった。
「冗談やめてよ。心臓に悪い」
「ごめんごめん」
よく覚えてる。この、ひとを食ったような語り口。
わたしが怒ると、いつもそうやっていたずらっぽく笑ってごまかした、
ずるいやつ。

ひとの気持ちを知りながら。

「今、何してるの?」
「きみと会ってる」
「そう言う意味じゃないよ。仕事は?」
「知りたい?」
あぁ、またこいつのペース。
気がつくじゃない。あんまり知りたくないって。
(思い出を美化したいから)

「きみは?」
「知りたい?」
「当ててみせるよ。
相変わらず、なんにも言えないんでしょ?」
「!!」

どこまでも澄んだ目が、わたしを見ている。
責めるでもなく、あざけるわけでもなく、ただ、事実を言っただけ。
そう言うのがいちばん傷つくの、わかっててやっている、
ずるいやつ。

「察して」なんて夢物語だよ。
でも、まだ、わたしは、夢を見たいみたい。
あなたのそばで見ていた夢を。
(そばにいたい)