そのたびに自分のお小遣いで買い替えているようだから、保人ももう手出しさせまいと必死だった。

「それも、やめて! お願いだから!」
保人が駆け寄ってこようとしたとき、その首根っこを貴斗が掴んで止めた。

貴斗はまるで母猫に加えられた子猫みたいにおとなしくなる。
「もちろん返してあげるよ。だけど自分で取れたらね?」

私はそういうとフェンスによじ登り、真下へと教科書を落とした。
フェンスの向こう側にある狭い通路、パラペットと呼ばれる場所にうまく落下した。

だけど強い風がふけばすぐに落ちて行きそうな場所だ。
「はい。取りに行っていいよ?」

私の言葉を合図にして貴斗が保人の手を離す。
保人はフラフラとフェンスに近づいていき、泣きそうな顔をこちらへ向けた。

「早くしないと落ちちゃうかもよ?」
パラペットの上の教科書は今絶妙なバランスを保っている。

いつ落ちても不思議じゃなかった。
保人がゴクリと唾を飲み込む音が聞こえてきた。

そして右足をフェンスに引っ掛ける。
ゆっくりゆっくり、でも確実に上へと登っていく。
日奈子がクスクスと笑いながらその様子を動画に収めている。

「今度はスカートでも履かせて登らせてみようか」
瑞穂の提案に笑いが漏れる。

そのとき保人がフェンスの一番上まで登りきっていた。
あとは下りて教科書を取り、戻ってくるだけだ。

でもそのときだった。
突然強風がふいてきて教科書がバラバラとめくれた。

そのままバランスを崩してグラウンドへと落下していく。

「あはは! 残念だったなぁ、せっかくそこまで登ったのにな!」
貴斗がこらえきれずにお腹をかかえて大声で笑う。
それにつられて私たちも笑い始めた。

保人はフェンスにまたがった状態で青ざめて動くことができなくなっている。

今回はグラウンドに落ちただけだから、拾いに行けばまた使うことができる。

「もういいから、下りて来いよ」
ひとしきり笑った貴斗が保人にそう声をかけたときだった。

今までで一番強い風がふいた。
立っていても少し体を持っていかれるくらいの強風だ。

「……っ」
咄嗟に両腕で顔を隠してきつく目を閉じた。
ホコリを吸い込んでしまわないように呼吸も止める。
「びっくりしたね」
強風はすぐに止んで日奈子がほっとした声をもらす。

腕をどかして目を開けた時、すぐに異変に気がついた。
フェンスにまたがっていたはずの安人がいなくなっているのだ。

「おい……」
貴斗がすぐに気がついてフェンスに駆け寄り、フラウンドを見下ろした。

次の瞬間青ざめて、その場にしゃがみこんでしまった。
嫌な予感がする……。

一歩フェンスに近づいてときだった。
「フェンスに近づくな!」

と、貴斗が怒鳴り、私はビクリと体を震わせて立ち止まった。
「すぐに人が来る。鍵を置いて逃げるぞ!」

その言葉の意味を理解するより先に体が動いていた。
貴斗が鍵を取り出して制服の袖てふいている間に出入り口へと走る。

大きくドアを開いて校舎へ入ると階段を駆け下りた。
3階の一番近くの女子トイレに駆け込むと幸いそこには誰もいなかった。

私に続いて瑞穂と日奈子も逃げてきた。
「貴斗は?」

「鍵を捨てて追いかけてきてたから大丈夫だと思う」
日奈子が息切れしながらそう説明したとき、足音が近づいてきて隣の男子トイレのドアの開閉音が聞こえてきた。

そしてすぐに貴斗から《セーフ》とメッセージが届いてホッと胸をなでおろす。

3人で呼吸を整えている間に廊下が騒がしくなり、先生や生徒が激しく行き来している気配があった。

逃げるならこの喧騒に紛れたほうがいい。
「行こう」
私は瑞穂と日奈子を連れてトイレから出たのだった。
最悪だった。
まさか保人もバカが本当に屋上から落ちるなんて思っていなかった。

「大丈夫か?」
C組の教室でギリギリと歯噛みしていると貴斗が心配して声をかけてきてくれた。

「大丈夫だよ。私たちはなにもしてないんだから」
ムスッとしてそう答えると、貴斗は苦笑いを浮かべた。

「そうだよな。学校内では保人が自殺したって噂になってるしな」
声を小さくして言う貴斗に私も頷いた。

保人が盗撮していたことはほとんどの生徒が知っていて、そして孤立していた。

保人はまさしく自業自得で死んだのだ。

「鍵は?」
「指紋を拭き取ってから屋上に捨ててきた。でもみんな保人が勝手に持ち出したと思ってるよ」

それでうまく片付けられればいいけれど、本当に警察の捜査が始まったりしたら指紋が拭き取られていることに疑問を抱くに決まっている。

鍵は頼めば生徒でも持ち出すことができるのだから、余計なことをする必要はなかったのに。
と、内心歯噛みする。
「あいつが書いてた小説読んだ?」

「読んだ読んだ! 飛び降り自殺したヤツの話だろ? あれが遺書だったってみんな思ってるよな」

そんな会話が聞こえてきて視線を向けると、サッカー部の二人組が興奮気味に会話しているのが見えた。

「あのときノートを落として正解みたいだね」
そっと声をかけてきたのは日奈子だった。

日奈子は昨日からずっと顔色が悪くて、今日は休むんじゃないかと思ったけれど登校してきていた。

瑞穂も、もちろん来ている。
みんな昨日の出来事が気になって当然だった。
「そうだね。あの時読んだんだろうね」

グランドで練習していたサッカー部や陸上部の生徒たちが興味本位で保人の小説を読んだことは、今朝になって知ったことだった。

しかもそれが遺書に近い内容だったというのは、まさしく天からの助けだった。

「このまま自殺で片付けられる。大丈夫だって」
貴斗はもう一度そういい、白い歯をのぞかせて笑ったのだった。
☆☆☆

安人の葬儀なんて少しも興味がなかったけれど、クラスメートはできるだけ参加してほしいという担任からの要望で私たち4人も参列することになってしまった。

本当は断ることもできたけれど、万が一イジメを疑われた場合の保身にするためだからと貴斗に説得されたのだ。

「なんだ、少ないじゃん」

保人の葬儀は家で執り行われることになったと聞いていたけれど、来ている人は身内ばかりで学校の友人らしき人はひとりもいなかった。

考えればそれも最もな話で、保人はそれだけ周りから嫌われていたということだった。

担任もなんとなくそう感じたから、クラスメートたちに参列することを進めたのかもしれない。

「愛花、ちょっと」
焼香が終わって邪魔にならない場所へ移動しようとしたとき、瑞穂に手招きされた。

廊下へ出てついていくと、玄関先に日奈子と貴斗の姿があった。
みんなもう焼香は済ませてある。
「ちょっと保人の部屋を覗いてみないか?」

そういい出したのは貴斗だった。
私は驚いて目を見開く。

「なに言ってんの?」
人が少ないと言っても葬儀は葬儀だ。

何十人もいる中でそんなことをしていたら、すぐバレるに決まっている。
「万が一、保人がイジメの証拠を残してたらどうする?」

「なにそれ、どういう意味?」
「俺たちがしたことや俺たちの名前を残してないとは限らねぇだろ」

そう言われて急に背筋が寒くなった。

自殺する気がなくても、嫌なことをされたときにそれを残しておくタイプだったかもしれないというのだ。

その可能性については全然考えていなかった。
「探すとしたら今日しかない」
「でも、絶対バレるよ」
「それなら日奈子が外で見張りをしてればいい」

瑞穂に言われて日奈子がビクリと肩を震わせた。
「保人の部屋の入口で待機して、誰か来たらノックして知らせるの。それくらいできるでしょう?」

日奈子はもうただ頷くだけだ。
すでに涙が浮かんできているから、手伝うとかそういうのは無理そうだ。

「わかった。でも保人の部屋ってどこ?」
聞くと貴斗が階段へと視線を向けた。

「さっきちょっと上がって確認してみた。2階の一番奥の部屋にプレートがかかってたから、そこで間違いない」

そこまでわかっているなら、後はさっさと行動するべきだった。

私たちは目をみかわせて頷きあい、不自然にならないよう階段を上がり始めたのだった。