悪女だってヒロインになりたいんです。

「…なんでだよ。どう考えたって、俺の勝手な八つ当たりだろ…?棗が謝る必要なんて、何一つないのに…」


そうだよ。最低だと罵ってくれた方がずっとマシなのに。

どうしておまえはそうやって全部自分が悪いと俺を庇うんだよ…。


「今のは、中学の話な」

「え…」


突然棗に頰をグーでぶん殴られ、無様に吹き飛ぶ。


「え、は…?」


じんじんと痛む頰をおさえながら、わけがわからなくて棗を見上げる。


「茉莉花に手を出そうとしたこと、冗談でも許さねぇ。一発殴らせろ」

「は…?いや、もう殴ってんじゃん…」


目がチカチカして気絶するかと思った。

ていうか、いきなりすぎて殴られたと理解するのにも時間がかかった。


「じゃあおまえも遠慮なく、俺を殴れ」
「え」


殴れと言ってきたくせに、胸ぐらを掴んできた棗は目をギラギラとさせていてもう一度殴られるのでないかとぞっとする。


「言っただろ?俺に何かをするのは構わないって。早く殴れ。俺が憎いんだろ?ずっと復讐がしたいと思ってたんだろ?」


挑発をするかのように顔を近づけて来た棗に、ぎりっと唇を噛み締めて棗目掛けて拳を振り上げる。

初めて人を殴った感触は、気持ちが悪くて拳が痛くて実に最悪だった。

だけど、ずっと胸につっかえていた黒いモヤが晴れるようなそんな気がした。


「そうだよ。おまえは最初から、こうすればよかったんだよ」


殴られたというのになぜか嬉しそうに笑っている棗に、「は?」と思わず間抜けな声が出た。


「気に入らないなら気が済むまで殴れ。悪口とか他人を巻き込むとかダセェことすんなよ。おまえは優しいから、復讐しようとしたってどうせ中途半端なことしかできないんだから。それなら真っ向からかかってこい」


眩しく笑いながら、棗が手を差し出してきた。


…ああ、そうだった。

棗はぶっきらぼうで不器用だけど、いつだって真っ直ぐなやつだった。

眩しくて憧れで、自慢の親友だった。
「…ごめん。あの時信じなくて。棗一人のせいにして。最低なこと言って。七瀬さんに怖い思いさせて。たった一言謝るのがこんなにも遅くなって、ごめん」


重ねた手を棗にぐいっと強く引っ張られて立ち上がる。


「いいよ。昔も今も、俺にとっておまえはずっと親友だから。こんくらい広い心で許してやる」

「何を上から目線に…。無自覚に人に優しいところ直さないと、七瀬さんに愛想つかれても知らないからね」

「まじか。それは困る…」


本気で悩んでいる様子の棗にふっと小さく笑いがこぼれる。

俺の知ってる棗はこんなに一人の女の子を想って表情をコロコロ変えるやつなんかじゃなかった。

むしろ恋愛をどこかバカにしていたやつだったのに。

七瀬さんと出会って、変わったんだな。


「…ムカつく」

「は?なんでだよ」


不思議そうにしている棗をとんっと軽く小突く。


「早く別れろ、ばーか」

「は、はあ!?死んでも別れねぇよ!」


ムカつくけど、この世界で一番おまえの幸せを願っているのは、親友の俺なんだからな。

そんなこと、棗には絶対言わないけど。
「はー女子の体育着姿って至福だよなぁ〜」


ネットを挟んだ向こう側でバレーをしている女子を鼻の下を伸ばしながら眺める俺に、周りの男子たちは軽く引いている。

どうせおまえらだって頭の中では同じことを考えているくせに、なんだよその目は。

特におまえ!


「おい、棗!なんだよその目は!」

「いや…相変わらずキモ…気持ち悪いなって」

「おーい!全然言葉変えられてねぇから!」


鋭くツッコミをする俺に棗は呆れたように視線を向けてくる。


「そんなキモい目で茉莉花のこと見るなよ。汚れるだろ」

「え、なになになに?もしかして棗くん、茉莉花ちゃんラブなんですかー!?恋愛として好きなんですかー!?」

「は?そうだけど」

「照れんなって…え?」


思っていた反応(無言で鋭く睨まれるor黙れと頭を鷲掴みにされる)ではなくて、あっさりと気持ちを認める棗に思わず拍子抜けする。


「え?す、好きなの?」
「ああ。付き合ってるし」

「付き合ってる!?なにそれ、俺聞いてないけど!?俺たち親友じゃなかったの!?」


棗がなんとなく茉莉花ちゃんに対してだけ特別扱いをしているような気はしていたけど、単に話しやすい異性として捉えているだけだと思っていたのに。

まさか知らない間に付き合っていたとは。


「別におまえとは親友じゃないけど」


さも当然かのように否定をしてきた棗に、ガーンと大袈裟に傷つくフリをする。


「え、嘘だろ…?」

「嘘じゃねぇよ。ただの友達だろ」


友達という響きに思わずときめいてしまう。

今まで棗は俺のことを友達としてすら認めてくれていなかったのに、自分から友達だと言ってくれた。

それだけでも大きな進歩だ。


「まあ親友への道のりもあと少しってことか」

「なにわけわかんねぇこと言ってんだよ」


わっと女子コートの方から歓声が上がり、思わずそちらを向くと和佳ちゃんが綺麗なスパイクを決めているところだった。
「和佳、すごい!バレーすごく上手」

「まあ一応中学の時はバレー部だったからさ」

「え、そうなの?あれ、でも今は帰宅部だよね?」

「そこまでうまかったわけじゃないし、高校のガチな雰囲気とか無理でやってないんだよね」


茉莉花ちゃんに笑顔でなんでもないように答えている和佳ちゃんから目が離せなかった。

きっと誰もあの笑顔の裏で和佳ちゃんが苦しんでいることを知らない。


「おまえって、わかりやすいよな」

「…え?なんのこと?」

「最初は女子全員が好きなただの変態バカだと思ってたけど、おまえはいつも一人の女子しか見てねぇよなってこと」

「は?なんだよそれ。俺は純情だっていうのに」


ただ、中学の時からある女の子の後ろ姿がずっと忘れられないってだけ。

誰もいない体育館で、涙を流しながらひたすらスパイク練習をしている眩しい背中を。



「あれ、和佳ちゃん?まだ残ってたの?」


この前のテストで赤点を取ってしまった俺は補習で居残りをさせられていて、教室に戻る頃には最終下刻時間ギリギリだった。

にも関わらず、窓側の席でぼーと外を眺めている見知った後ろ姿に不思議に思いながらも声をかける。
「あ…槙野。さっきまで委員会があって、今から帰ろうとしてたとこ」

「あそういうこと…ん?指、怪我したの?」


パッと立ち上がった和佳ちゃんは鞄に教科書を詰め込んでいて、その手に包帯が巻かれていることに気づく。


「…ああ、これは体育の時に突き指しちゃって。久しぶりのバレーだったから、つい力んじゃったみたい」

「相変わらず、強烈なスパイクだったもんなー」


和佳ちゃんの頬がぴくりと引きつり、浮かべていた笑顔がすっと消えた。


「…あんなの、全然すごくなんてないよ」


和佳ちゃんはうちの中学で女子バレー部キャプテンとして少し有名な存在だった。

うちの中学はそこそこの強豪校だったにも関わらず、一年の頃からスタメン入りだった和佳ちゃんは年々強さを増していて周りからの期待も大きかった。

しかし、三年生最後の大会では、あと一歩で全国大会というところで二点差で相手校に負けてしまい道は閉ざされてしまった。

噂で聞いたところ、最後の和佳ちゃんのスパイクが相手のブロックで完璧に塞がれたそうだ。

バレー部みんなは“仕方がない”“ここまで来れただけすごいことだ”と吹っ切っていて、和佳ちゃんもそんな部員たちに笑顔で励ましていたと後から聞いた。


バレー部の最後の大会の日、俺は先生との三者面談があった日で学校に来ていて終わったのは夕方ごろで、一応受験生だしもうすぐ定期テストもあるため図書室でも寄って勉強して帰るかと体育館前を通った時のことだった。

部活はテスト一週間前で禁止されているから誰もいないはずの体育館で、ボールが打ち付けられる音がかすかに聞こえてきた。
気になって少し開けられていた扉の隙間から中を覗くと、自分で上げたボールを高く飛んでスパイクを決めている和佳ちゃんがいた。

その後ろ姿は眩しくて、強くて、さすが噂通りのかっこいいキャプテンの後ろ姿だと惚れ惚れした。

しかし、ふとボールを拾っている和佳ちゃんの横顔が見えてその顔は涙でぐしゃぐしゃになっていることに気づいた。

そこで俺は和佳ちゃんが誰よりも一番罪悪感を感じていて、誰よりも一番悔しい気持ちを抱え、バレーが苦しいくらいすごく好きだと思っていることを知った。

少なくとも裏でこっそり泣きながら、負けた後でも打つことをやめられない和佳ちゃんは根からのバレー馬鹿なんだ。


「なんで高校ではバレー続けなかったの?」

「…別に、高校でも続けたいと思ってたほどバレーが好きなわけじゃないし。腕だって痛くなるし突き指だって何度もするし、いいことなんて一つもなかったからね。やめたいと思うのが自然でしょ?」


嘘をつく時ほど、和佳ちゃんはよく笑う人だ。


「よくわかんないけどさ、今日のスパイク打ってる時の後ろ姿、あの頃となんにも変わってなかったよ。今も大好きなくせに、強がっちゃって」

「は、はあ!?なによえらそうに!てか、あの頃っていつのこと?何も知らないくせに、槙野が私のこと知ったように言わないでよね!」

「知ってるよ」


最終下刻時間を知らせるチャイムが鳴り響き、和佳ちゃんに背を向けて歩き出しながらにっと笑いかける。


「友達だからな。知ってるよ」


和佳ちゃんは「はあ?」とわけがわからないと言った様子で怪訝そうに首を傾げていた。


今はまだ、俺だけの秘密にしておこう。

いつか君の本当の気持ちを話してくれるようになるその時まで、今はまだ“友達”のままで隣にいたいから。
「泣いた顔しか知らなかったけど、笑った方が可愛いじゃん」

「え?」

「いや、なんでもない…」


この日、俺は一人の小さなヒロインに恋に落ちた。


「病室まで送ってくれてありがとう。さっきより全然良くなった」

「本当に先生呼ばなくて平気か?」

「うん。よくあることだし、寝たら治るから」


ベッドに横たわりながら弱々しく笑顔を見せる少女に心配の気持ちが勝ったけど、早く休ませてあげようと病室を出て行こうと背を向ける。


「ねえ、待って。君が来てくれて本当に助かった。君はヒーローみたいだね」


呼び止められて振り返ると、少女は泣きつかれたせいか言いたいことだけ言うと、すぐにスウスウと寝息を立てて寝てしまった。

自由でマイペースな少女に近寄り、そっと頭を撫でてあげる。

もう、この子を一人で泣かせたくないと、そう強く思った。



「…め。棗!」