悪女だってヒロインになりたいんです。

腕にしがみついている美亜に名前を呼ばれ、意味ありげに微笑まれた。


「高校でも、よろしくね?」


いつもニコニコと天使のような笑顔を浮かべている美亜が、私にだけ見せる裏の顔がある。

その顔をするということは、あの(・・)サインだ。


「きゃ…っ」


腕を掴まれていた美亜の手をバシッと振り払うと、美亜は大袈裟にその場に倒れ込んだ。


「気安く腕組まないでくれる?仲がいいと思われたら困るから」

「…ごめんね、茉莉花」


ザワザワとそれを見ていた周りが騒ぎ始める。


「何あれ…。七瀬茉莉花の本性ってあんな感じだったの?」

「ひどい、美亜ちゃんかわいそう…」

「いくらなんでもあれはいじめじゃね?」


そう、これでいいの。
「大丈夫?ひざ怪我してるけど」

「え!あれって、二年の王子様って有名な向坂柊弥(こうさかとうや)先輩!?」

「その隣は(なつめ)くんじゃない!?ほら、一年に入ってきた超イケメンって噂されてた柊弥先輩の弟!」

「イケメン兄弟にまで気にかけてもらえるなんて、やっぱり美亜ちゃんすごい…」


親にも周りからも特別愛され、王子様(ヒーロー)も寄ってくる。

美亜は生まれた時から決まっているこの世界のヒロインだ。


だけどヒロインに邪魔をしてくる悪女はつきもの。

物語の重要な嫌われ役。それが、私だ。
「転んだ…わけではなさそうだね」


先輩は私をちらりと一瞥すると、美亜に向かって手を差し出していた。


「お姉ちゃんを不快な思いにさせてしまった私が悪いんです…。ごめんね、茉莉花」


ここで心を痛めてはダメ。それに美亜だってこれは演技、なんだから。

王子様に助けられている美亜を置いて去ろうとすると、ガシッと腕を掴まれた。


「おい」

「…え?」


焦げ茶色のセンター分けである雰囲気が柔らかそうな先輩とは違い、黒髪のさらさらな少し長めの前髪から覗く鋭い瞳をした男の子は戸惑ってしまうくらい冷たく私を見つめていた。

ここで去ることでとりあえず私の仕事は終わるというのに、わざわざ引き止めてくるなんて何事だ。


「わざと転ばせたなら、謝れよ」

「…は?」


黒髪男子はチラリと美亜に視線を向けていた。

…ああ、そういうこと。この人も、美亜のためにこんなことを言っているんだ。
「何も知らない部外者が、口を挟まないでよ」


掴まれていた腕を振り解き、負けじと男の子を睨み返す。


何も知らないくせに。

みんな勝手なんだよ。

この外見でちやほやと寄ってきたかと思えば、ちょっとした演技で簡単に騙されて離れていくのだから。


中学生になって、親の関心が美亜にしか向いていない頃、学校だけが私の居場所だった。

それなりに仲の良い友達もいて、家では私を見てくれる人がいなくても学校ではみんながちゃんと私を見てくれるから嬉しかった。

だけど、美亜はそんな些細な幸せすらも私には与えてくれなかった。

元から美亜は同年代の子どもと話すことが苦手な人見知りで、友達と呼べる友達はいなかったと思う。

それなのに私は友達に囲まれていることが気に入らなかったのか、自分をわざといじめてくるように頼んできた。

美亜のために悪女になってくれと、そう頼んできたのだ。


本当の美亜は天使でもなんでもない。

これ以上家で過ごしにくくなりたくないなら言うことを聞けと脅してくるような、そんな悪魔だ。

もちろん私に拒否権なんてない。

一人で生きていく力もないのだから、美亜に逆らうことなんてとてもじゃないけどできなかった。
乗り気ではなかったけど、本当の友達ならきっと気づいてくれると私はそう信じていた。

幸いにも私とよく一緒にいてくれた友達は一人ではなく複数であったし、クラスメイトみんなから好かれている自信はないけどそれでも嫌われていることは絶対にないと思っていたから。

だから、ちょっとした演技と美亜のありもしない私に関する悪口を聞いたところで、みんなが呆気なく離れていくだなんて考えもしなかった。

悪女となった私に残ったのは、それでもまだ誰かを信じていたいと思う気持ちだけだった。


「おまえみたいな悪女、誰も好きにならねぇよ」


男の子に投げ捨てられるようにして言葉を吐かれ、ハッと我に返る。


「棗、失礼だろ」

「なんだよ?じゃあ兄貴はさっきのを見ても、こいつを好きになれる未来があると思ったか?俺は無理だな。同じ人間とは思えない」


先輩は何も言い返せずに口をつぐんでいた。

大丈夫。最初からこんな私を助けてくれる人が現れるなんてもう期待していないから。


どんなに築いた時間や関係があっても、他人の些細な言葉や嘘で簡単にも崩れるほど人間は脆いから。

悪女になる道を選んだ私に、誰かに好かれる未来なんて存在しないんだ。


「…私だって、誰も好きにならない。一人でいた方がずっとマシ」
今度こそ背を向けて立ち去る。


この世界に好きな人間は一人もいないけど、この男の子のことは大嫌いだ。

そう思った。



…どうしてこうなったんだ。

隣の席から私に向かって鋭い視線を向けてくる男の子に、気づかないフリをしながら前だけを向く。


名前順に座っていたはずなのに、仲を深めるきっかけになればと担任が謎の気を利かせてきたせいで席替えをすることになり、そして運悪く同じクラスになったこの男の子と運悪く隣の席になってしまったのだ。

今日は悪いことばかり起きている気がする。

いいことと言えば美亜とクラスが離れたことくらいだけど、きっと離れたクラスでも私の悪評を好きなだけ流すだろうしあまり意味はない。


「それじゃあさっきもみんなの前でしたと思うけど、改めて隣の人と自己紹介をし合ってお互いの深いところまで知ってみよーう!」


担任の掛け声でみんながそれぞれ自己紹介をし合っている中、私たちの間には地獄の空気が流れていた。

お互い何も発さずにただ睨み合っているだけ。

まあ仲良くする気もないし、このまま時間が終わるまで待って…。


「おーい、そこの二人。ちゃんと会話してー?緊張するのもわかるけどさー」
ふと巡回をしていた先生に目をつけられ、注意される。

…仕方ない、とりあえず名前くらいは名乗って自己紹介をやってる風に装っておくか。


「…七瀬茉莉花」

「はい?」


口を開く前に男の子にフルネームで名前を呼ばれた。


「俺はおまえが嫌いだ」

「…は?」

「たとえ家族に対してであってもいじめをするようなやつはこの世で一番嫌い。だからおまえのことも嫌いだ」


思わずぽかーんと間抜けな顔で男の子を見つめてしまう。


「…私だって、あんたのこと嫌いだよ。お互い様だね」


会って早々人に向かって“嫌い”だなんて言ってくる人、こっちだって嫌いだ。

それに言われなくても私だって、こんな自分が一番大嫌いなんだから…。
向坂棗。高一。

基本的にクールで誰にでも冷たく、あまり人と群れない一匹狼といった印象。

特に告白をしてくる女子には容赦なくきっぱりと断ることから冷酷王子と呼ばれている。


向坂柊弥。高二。

頭良し、運動神経良し、顔も性格も完璧な砂糖王子。

男女問わずの人気者だが特定の彼女はおらず、あまりにも完璧すぎて周りも鑑賞する方がいいとのこと。


悪女という噂がすっかり広まってから人と関わることが全くなくなった今、周りの会話を盗み聞くことが日課となっていた。

そのため、向坂兄弟についてもよく知ることができた。


「棗くん、宿題のノートなんだけど…」

「…あ?そこにあるだろ。勝手に取っていけよ」


ぎろりと睨まれたクラスメイトの女子は慌てたように去っていった。


棗は常に機嫌が悪いオーラを放っていて、思ったことも率直に口にするタイプだ。

初めは顔はいい棗と仲良くなろうと女子たちが群がってきていたけど、氷のように冷たい棗の反応に女子たちは直接話すのを諦めたようだった。


「はあ…」
移動教室のため渡り廊下を一人で歩きながら、大きなため息をつく。

美亜のせいで入学してから二週間が経ったが、もうすでに生活がしずらい。

ただ歩いているだけでも注目されてひそひそとあからさまに噂されるのはされてて気分が悪い。

中学の延長だとしても、いまだにこの感覚は慣れない。


「…ん?」


ふと、小さな鳴き声のようなものが聞こえた気がして辺りを見渡す。

すると、窓の下の中庭の木に乗っているネコと目が合い、ネコはもう一度弱々しく鳴いた。

どうやらあそこから降りれなくなってしまったようだ。


昔からネコは好きであったため、いても経ってもいられなくなりもうすぐ予鈴が鳴るにも関わらず中庭に向かう。


「わあ…どうやってそんなところまで登ったの?」


ネコは木の上から返事をするかのように「にゃあー」と鳴いた。

少し太っている体とおでこにあるばつ印の傷がなんとも愛らしく、細い目がきりっとしている番長のようなネコだった。


「おいで」