「一夜を共に過ごしたことに対してだ」
紗理奈の身の内に衝撃が走った。
(まさかの、かなりモテそうに見えるんだけど、遊んだりしない硬派で純情系なの!?)
かなり古風な考え方をする男性だったようだ。
「そのう、責任を取るのは、特に私のことが好きになったからというわけではないですよね?」
「それは……」
近江の歯切れがあまりよろしくない。
つまるところ、紗理奈に好意を抱いたわけではなく、真面目ゆえに出てくる発言なのだろう。
「特に何か淫らな行為をしたとか、そういうわけでもないですし、あまり気になされないでください」
紗理奈が両手を左右に振って断りを入れていたら、どちらの手も近江の両手に捕まれてしまった。
「ひゃっ……!」
「しかし、俺は君の初めてを奪った責任を取りたい!」
「初めてって、いや、確かに初めては初めてでしたけど……!」
紗理奈にはこれまで彼氏が出来たことがなかったので、男性の住むマンションに泊まったのは確かに初体験だった。
(貴方の言動の方が周囲に誤解を生みそうなんですが!? エリート警視正様、SNSで拡散されたら大変なことになってしまいませんかね?)
妙な心配の方が頭を過ってくる。
近江は今現在、警察官の制服を着ていない。
きっと大丈夫だろうと、紗理奈は心の中で言い聞かせた。
「君の器量で男と噂が立ってしまっては、これから先、誰とも結婚が出来ないかもしれない。その場合、俺はずっと今日のことを後悔し続けるだろう」
「確かに器量はよくないですけど、ちょっと失礼じゃないですか!?」
「そうは言うが、責任を取らないなど、男の恥だ。俺は自分自身に恥じる生き方はしたくない」
「そんなの近江さんの都合じゃないですか? 自己中心的な男性は苦手です」
一見すると無表情な近江だが、少しだけ眉が下がった。
𠮟られた子犬のような雰囲気を醸し出してくるのは、犬が好きだからこそ止めてほしい。
(そもそもこの人は警察なんだから! 美青年の哀愁漂う表情に騙されてはダメ!)
近江が口を開く。
「今のは君の気持ちを考えていなかった。どうだろうか? やはり俺と一緒に暮らすのは嫌だろうか?」
相手が必死に説得してくるものだから、困惑してしまう。
物静かで寡黙な印象の強い男性だったと思うのに……かなりの美青年に頬を朱に染めながら迫られると……
(年上の男性なのに少々可愛いと思ってしまった)
ドキドキして落ち着かなくなってしまう。
「ええっと、そもそもですが、一夜を共にした結果、一緒に暮らすことになるのは、論理が飛躍していると思うんですけども? 恋人や夫婦でも何でもないのに一緒に住むのは……」
紗理奈まで頬が赤らんで口ごもってしまった。
「だったら、俺と結婚しよう」
「ええっ……!?」
近江から放たれた衝撃的な発言の数々に、紗理奈は絶句してしまう。
「俺も女性をマンションに泊めたのは初めてだったんだ。だから、俺の責任も取ると思って……って何を言っているんだろうな、俺は」
近江が落ち込んでしまった。耳を垂らして悲しむ犬のようだ。
「ええっと、近江さんと一緒に一夜を共にした責任を私が取らないといけないということでしょうか?」
近江がキリリとした表情のまま告げてくる。
「いや、今のは言葉の綾だ、忘れてほしい」
「はあ……?」
「おかしな犯人に狙われている君のことを守るためにも都合が良いし、夫婦ならばマンションで一緒に暮らしてもおかしくはない。良い案だと思ったんだが……」
「護衛も兼ねた保護のようなもので一緒に住もうということですか?」
「ああ、そうだ。警察官が君の周囲をうろうろしていたら怪しいだろう? けれども、例えば、俺と結婚しているとかなら違和感はないと思ったんだが……」
紗理奈はピンときたため、人差し指を立てながら思い付きを口にした。
「なるほど! 期間限定の恋人や夫婦になって護衛するとか、ドラマや小説でよくある、そういうやつですか!」
すると、近江が前のめりになって勢いよく喰いついてきた。
「それだ!」
「ひゃあっ……!」
近江はといえば、紗理奈の両手をしっかり握りつつ、元の冷静沈着な雰囲気へと戻りながら、話を展開していく。
「君の言う通り、期間限定とはいえ夫婦や恋人同士になれば、君への責任を果たすことができるし、一緒に住んでもおかしくないだろう」
綺麗な顔が目の前まで迫ってきて、紗理奈の動揺は激しい。
(自分からおかしな提案をしてしまったような……?)
とはいえ、後悔先に立たずである。
「ですが、本当に私と一緒に暮らして大丈夫なんでしょうか? 実は恋人や奥様がいたりしないんですか?」
「俺は独身だから問題ない。そもそも恋人や妻がいたならば、君に交際を申し込んだりはしない」
「それは確かにそうですよね……だけど、初めて暮らす女性が私で本当に良いんですか? もっと綺麗な女性が良いなとか?」
「俺はあまり女性の美醜に興味がない」
それはそれで可愛くないと言われているようで、ちょっとだけ傷ついてしまう。
(うう、仕方ないけれど……)
まあ化粧をしたらそこそこ可愛いと思ってはいるが、準日本人的な凡庸な顔立ちだと思う。
紗理奈は気を取り直して問いかける。
「料理もそんなに上手じゃないですし」
「料理は俺が出来るから問題ない」
「掃除もそんなにできませんし」
「掃除は俺が好きだから構わない。そもそも最近は高性能の機械がある」
「洗濯と干すのはまあまあ好きですけど、畳むのは好きじゃありませんし」
「衣類が痛まないのが気にならないなら洗濯乾燥機がある。それに、俺は洗濯物を畳むのは好きだから、問題はない」
ことごとく論破されてしまった。
(男性だけど、家事が得意なのね、この人)
ひと昔前は女性の必須スキルだったが、今時は男性も家事は当然できるようだ。
どうにも相手が引いてはくれない。
とにかく相手を説得しようと、紗理奈は切り札を出す。
「男性と付き合ったことないし、おかしな真似をしないか心配ですし」
「奇遇だな。俺も誰とも付き合ったことがないから安心してほしい」
近江は無表情のままだが必死だ。
(ええっと、こんなに美青年なのに交際経験がないの……?)
それはそれで問題がある人物なのではないかと少々不安になってきた。
とはいえ、自分もないので、他人のことはあまりとやかくは言えない。
「それじゃあ! 私は仕事が好きなんです! 新聞記者に誇りを持っているんです! 仕事ばかりして家事をおろそかにします!」
「現代社会では男女共働きが当たり前だ。妻に家事全てを担ってもらいたいとは欠片も思っていない。そもそも夫婦のハードルが高いのならば恋人同士ならどうだ? すぐすぐ夫婦になるわけではない。どうだろう? 君を狙う犯人が捕まるまでの間だけでも? 他に何か支障はあるか?」
「……っ」
全てうまいこと論破されてしまった。
それにしたって、自意識過剰かもしれないけれど、通りの皆が自分たちの成り行きを見守っている気がする。新聞を読んだフリをしている私服警官と思しき男性も、チラチラこちらを覗いてきている。
こうなったら覚悟を決めるしかない。
紗理奈は顔を真っ赤にしながら返した。
「でしたら、恋人になって一緒に暮らしてください! お兄ちゃんの事件の犯人が捕まるまでの間で良ければですが!」
自棄になっての発言だったが、近江はこくりと頷いてきた。
「それは良い提案だ、そちらで頼む」
紗理奈は内心投げやりだった。
「だったら、しばらくの間、どうぞ恋人になってください」
しばらく相手からの返事はない。
恐る恐る見上げる。
近江がふっと口元を綻ばせた。
「よろしく頼む、堂本紗理奈」
ずっと不愛想だった近江が、頬を朱に染めながら笑う姿は、美青年なことも相まって破壊力がすごかった。
「……はい、どうぞよろしくお願いします」
かくして、紗理奈の護衛を兼ねた、近江との期間限定の恋人生活が始まったのだった。
近江と紗理奈の期間限定の男女交際がはじまって一週間近くが経った。
紗理奈を狙う犯人が捕まるまでの期間、セキュリティが万全な近江のマンションで暮らそうという話になったのだが、近江の仕事がなかなか落ち着かない。そのため、しばらくの間、紗理奈は自宅マンションで過ごすことになった。
勤めている真心新聞社の後藤局長からは、『話はついている。新聞社のビルに何かあっても困るし、しばらく出社はするな。外出は君の判断で勝手にしろ。身の安全を守りながら、適当に』と言われた。
恋人のフリは犯人が捕まるまでの期間限定だ。そのため、近江のマンションで暮らす間も、紗理奈はこのマンションを手放すつもりはなかった。
とりあえず最低限の荷物を段ボールに詰め込んで、いつでも引っ越せる準備はできている。
あとは近江の連絡待ちだ。
準備万端なため、ここ数日の間は、紗理奈は引きこもってPCとにらめっこの毎日が続いていた。
「ふう、在宅勤務だと、仕事とプライベートの区別がつきづらいわね」
椅子の上で、紗理奈は背伸びをした。
そもそも身体を張っての取材が好きな性分だ。
最初は在宅ワークだなんてラッキーぐらいに思っていたが、閉じ込められている感じがして、あまり好きじゃないことに気付いてしまった。
ちょっとコンビニにと思って外出しても、見張りの警察がうろついているのも、自由がない感じがする理由の一つかもしれない。
「それにしたって、近江さんから連絡がこないな」
学生時代、男女交際というものに対して憧れがあった。
毎日の頻回なメールやSMSメッセージでのやりとり、好きな写真や動画を共有し合って、眠る前には電話でおやすみと言い合ったり、お出かけの予定を立てたり……
だがしかし、そんなのは夢のまた夢だったのだ。
「警察って想像以上に忙しいのね」
紗理奈も新聞記者として警察の跡をついていって、記事になるネタを追うことがあった。二十四時間稼働している印象はもちろんあったが、誰かにSMSメッセージを送る余裕さえないとは思ってもいなかった。
「記者の私たちも忙しいけれど、それ以上みたいね。って、そもそも期間限定なんだから、一緒に過ごしている間だけ恋人らしく活動できれば良いんだから、頻繁に連絡なんて来るわけないけど」
それにしたって、近江とのやりとりは皆無に等しかった。
彼の仕事が忙しすぎるのか、SNSメッセージのタイミングも合わず、残念な感じになっていた。
普通の男女交際だったら、このまま自然消滅してしまうんじゃというぐらい連絡が取れない。
「なんだかなあ」
そもそも「恋人のフリ」でしかないのだから、気にしなくて良いのだが、心の奥底ではドラマや小説のような展開を期待していたのだろうか。
とはいえ、性格的にくよくよするのは合わない。
「ジムに行って身体でも鍛えようかな」
二十四時間身体を鍛えることができるジムに入会している。せっかくだから身体を動かして元気を取り戻そう。
紗理奈は、ベッドから立ち上がると、ジムのためのトレーニングウェアをバッグに詰め込みはじめた。
その時。
リン♪
スマホから鈴のような通知音が聞こえた。
画面を見ると……
「近江さんからだ!」
思いがけず連絡が来たので気持ちがはしゃいでしまった。
画面を覗く。
『本日は署で晩酌。明日は非番。予定はどうだろう?』
端的な文章で事務的な報告のようでもあるが、正直これまで連絡皆無な状況だったので嬉しい。
わくわくしながらスマホをタップする。
「『明日は何もありません』」
すると、すぐに返事がきた。
「『だったら、明日、引っ越しの手伝いにくる』」
笑顔の女の子のスタンプも一緒に送る。
また返事があった。
『了解した。明日九時までにマンションへと戻る』
即座にタップする。
「『よろしくお願いします』」
すると、すぐにまた返事があった。
「ええっと、『管轄で婦女暴行の事件が最近増えている。外出は控えた方が良い』か」
ジムに向かおうかと思ったが、近江からの忠告を受けて、止めることにした。
一応、外出時には近江の部下たちの見張りがあるのだが、事件があるのなら、そちらに気を配ってもらった方が良いだろう。
「『分かりました』っと」
すぐに既読がついたけれど、それから返事が戻ってくることはなかった。
少しだけ盛り上がっていたので、返事がなくなってしまって少々寂しさを感じたが、今までで一番の盛り上がりを見せたと言えよう。
「なんだか、恋人同士っぽい感じだったな」
今度またジムに向かうだろうから、準備していたバッグの荷物はそのままにして、クローゼットの中に仕舞った。
くすみピンクのサテン生地のルームウェアへと着替えると、ベッドに向かって跳びはねる。
「明日は引っ越しか」
近江のマンションへと引っ越す場面を想像すると、まるで子どもの頃の遠足前みたいに胸が弾んだ。
ぬいぐるみを抱きかかえると、ベッドの端から端までゴロゴロと寝転がった。
「楽しみだな」
今夜ははしゃいで眠れないかもしれない。
そんなことを思いながら、部屋の電気を消灯したのだった。
翌日。
ピンポン。
ピンポンピンポンピンポン。
「んむ……?」
マンションのブザーが何度か届く。
カーテンの隙間から差し込む光がやけに眩しい。
(あれ? 確か今日は……)
その時。
ドンドンドンドン。
玄関の扉を叩く音が室内にまで届いた。
「ひゃあっ!」
驚いて飛び起きてしまう。
「堂本紗理奈! 無事か!? 倒れてはいないだろうな!?」
くぐもって聞こえる男性の声には聞き覚えがあった。
そこで紗理奈は完全に目を覚ます。
「そうだ、今日は引っ越しの日!」
時計を見れば、約束の九時から二分程過ぎてしまっていた。
一気に血の気が引いていく。
(まずい! 完全にやらかしてしまった!)
慌てて掛け布団を跳ねのけると、裸足のまま床に飛び降りて、ドタバタと玄関へと向かう。
ものすごい勢いで玄関扉を開いた。
「ごめんなさい、近江さん!」
飛び出すと、無表情のままの近江が、近所の禿げ頭のおじいさんに絡まれていた。
「こら! 好からぬ輩め! 今から警察を呼んでやるからな!」
近江が黒いスーツの赤いネクタイを直しながら、無表情のまま返答する。
「俺が警察だ」
「警察がそんな堂々と警察だと公言するわけないだろう!」
遠くでは主婦が数名ひそひそと話し込んでいる。
紗理奈は慌てて近江とおじいさんの間に入る。
「すみません! 私が悪いんです! おじいさん、御厚意ありがとうございました! 皆様もごめんなさい!」
紗理奈は慌てて頭を下げると、近江をマンションの中へと連れ込んで、玄関の扉を勢いよく閉めたのだった。
「近江さん、ごめんなさい、寝坊してしまいました!」
紗理奈が謝るが、近江がどこか遠くを見ながら、ぶつぶつと呟いていた。
「すまない、自分自身が警察だというのに、迷惑行為に及んでしまったようだ」
「私のせいです! こちらこそ心配をかけてしまって本当にごめんなさい!」
「……いいや、それに関してはあまり気にしなくて良い。本当に悪かった」
近江はかなり反省した様子の表情を浮かべていた。
(それにしたって……近江さん、冷静沈着な印象があるけれど……)
紗理奈の安否を確認する様子を思い出すに、かなり切迫している印象があった。
「先ほどは冷静さを欠いていた。過去が過って、どうしてもな」
「過去、ですか?」
「ああ、いや、こちらの話だ。あまり気にしないでほしい」
時折、こういう煙に巻くような発言がある。とはいえ、近江自身が個人的に触れられたくない内容だったり、警察組織内の機密事項に関する内容かもしれない。
紗理奈としても気にはなったが、あまり詮索しないことにする。
「ところで、堂本紗理奈は朝が弱い性質なのだろうか?」
近江に真剣な表情を向けられてしまい、紗理奈の心臓がドキンと大きく跳ねた。
「ええっとですね」
冷や汗が流れ落ちていく。
紗理奈は朝起きるのがとても苦手だ。
学生時代なんかは、兄が起こしてくれていたからどうにかなっていたようなものだ。
けれども、兄がいなくなってしまって、目覚まし時計を三個準備して、なんとか仕事に迎えているといった調子である。
(うう、誤魔化したいけれど……)
近江とは、これから一緒に暮らす予定だ。こんなところで見栄を張って嘘を吐いたとしても、ゆくゆくはバレてしまう。今の内に真実を告げておいた方が良いだろう。
紗理奈が考えあぐねていると、近江が先に口を開いた。
「俺もあまり寝起きがよくないタイプでな」
「ですが、今日は時間バッチリでしたよね?」
「ああ、それはな。今日、君と約束をしていると話したら、部下の一人が朝まで起きておけと言って、朝方まで飲みに付き合わされたんだ」
「え?」
紗理奈は目を真ん丸に見開いた。
「すごく心配性な部下でな。『近江警視正は、見た目も良いし、仕事もできるし、武道にも長けているし、どうしてだか婦警たちには大人気だが、何分感情に乏しいし、人との関わりが苦手だから、心配だ』とよく話してくる」
近江は自分自身が容姿端麗で頭脳明晰であることを否定はしていないようだった。さらに言えば、人間関係構築に問題ありげな発言を部下からされているようだが、近江本人はあまり気に留めていないようだった。
(感情の機微に乏しいというか……)
どちらかと言えば正直な部類の男性だし、紗理奈個人としては、見ていて面白くはある。
「部下の方と仲が良いんですね」
なんとなく後輩たちから慕われている印象がある。
紗理奈が告げると、近江が淡々と返事をした。
「職場の人間に対して、仲が良いかどうかはあまり気にしていなかったが、そうかもしれないな」
「そんな気がします」
「そうか。だが、元々同期たちからよく飲みに誘われていたんだが、この職位に就いてからは飲みに誘われなくなったんだ」
「それはまあ、上司がいると飲みづらいからでは?」
紗理奈は近江の話に前のめりになった。
「それもそうなんだが。昔は、女性達と飲み会をするからと無理やり連れて行かれることが多かったんだがな……」
なぜかそこで近江が言い淀んだ。紗理奈の新聞記者としての血が騒ぎはじめる。
「もしかして、『お前を連れて行くと女性が集まるが、女性達はお前のところにばかり行くから、ムカつく』とかなんとか言われてしまったとか?」
彼女が喜々として問いかけると、彼が「ん?」と反応した。
「君は、俺の張り込みでもしていたのだろうか?」
どうやら紗理奈の勘は当たったようだ。
「いいえ、特には。近江さん、すごくカッコイイので、もしかしてと思いまして」
「そうか。まあ、そういう経緯で、女性達が一緒の飲み会に誘われても、俺の方から断わるようにしていたんだが、昨日は強引に誘われてしまってな」
つまるところ、昨晩の近江は、いわゆる合コンに誘われていたのだろう。
(だとしたら、昨日も合コン?)
紗理奈の胸がなんとなくざわついた。おそるおそる尋ねてみる。
「そう言われれば、近江さんは飲み会に昨晩行っていたんですよね?」
「そうだな。他部署の同期たちに突然呼ばれたんだ」
紗理奈は固唾を飲んで見守った。
「最近、交際相手が出来たと話して、女性達も参加しているような飲み会には行きたくないと断っていたんだが、どうしてだかしつこく誘われてな」
「交際相手? ええっと、近江さんに交際相手が出来たんなら、さすがに私と一緒に暮らすのは良くないんじゃ?」
「何を言っている? 交際相手とは、君のことだ」
「え!?」
紗理奈は衝撃を受けた。
「警察の皆さんは、犯人が捕まるまでの間の保護対象だって、だから一応恋人の体裁をとっているんだって御存知なんじゃないんですか?」
「敵を欺くならまず味方からというのは鉄板だろう? 俺たちが期間限定の恋人同士であることは、俺たちしか知らない機密事項だ」
「そうだったんですね」
「そもそも俺としては期間限定のつもりは……」
紗理奈は近江の呟きは無視した。
「最近出来た恋人のことを知りたいと言われてしまったんだ。どうやら、さしで飲みたかったらしい。君のことを根掘り葉掘り聞いて来られたが、そもそも詳細は知らないし、下手に喋っていないので安心してほしい」
近江は誠実な人物のようで、彼女がいるのに合コンに積極的に向かうタイプではないようだ。
それにしても……
かなりモテるタイプの男性のようだが、どうして三十近くまで誰とも交際して来なかったのだろう。
女性はどちらかと言えば、選り取り見取りな印象の方が強い。
ますます謎が深まっていく。
すると、近江がじっと紗理奈の顔を凝視してきていた。
この世の者とは思えないほどの美形に、そんなにじっと見られると、紗理奈も戸惑ってしまう。
「ええっと?」
「何か考え事をしているようだったが、何かおかしなことがあったら教えてほしい。何を悩んでいたのだろうか?」
紗理奈が何かに悩んでいると思ったようだ。
「それはですね、ちょっと考えていまして……そのう、今日、私は寝坊しちゃったじゃないですか?」
「確かにそうだな」
「だから、一緒に暮らし始めたら、二人して寝坊しそうで心配ですね、なんて……」
すると、近江がふいっと顔を背けた。
(やっぱり二人して寝坊するのは嫌だった?)
紗理奈が戸惑っていると、近江がポツリと呟いた。
「君が一緒に暮らすのに前向きで良かった」
こちらから覗く近江の肌は真っ赤で、かなり恥ずかしがっていることに気付いてしまった。年上男性のそんな姿を見ていると、紗理奈まで恥ずかしくなってきてしまう。
無表情な近江の可愛い姿を目の当たりにしてしまい、紗理奈の胸がきゅんと疼いた。
(相手が美形だからって、現金よ、紗理奈)
紗理奈が掌をヒラヒラさせて、火照った頬を覚ますことにする。
すると……
「あとは一つだけ頼みがある」
近江の声がなんとなくか細い。
「どうしましたか?」
だがしかし、なかなか返事がない。
紗理奈が業を煮やしかけていると……
「良ければ、着替えてもらえないだろうか?」
突然、近江から着替えを促されて面食らってしまう。
さっさと引っ越しに取り掛かりたいということだろうか?
それにしたって、どうしてだか近江がこちらを振り向いてくれない。
「近江さん?」
「パジャマの、胸元」
そこから、近江の声はどんどん小さくなっていく。
胸元と言われたので、紗理奈は自身の胸元を覗く。
「……っ!」
パジャマの胸元がはだけたままだったことに気付いてしまう。
羞恥に耐えられず、紗理奈は声にならない声を上げたのだった。