そうだ。
私には担当編集者が付いている。
どうだ、明石 秀人!
あんたが想像するよりも、もっとずっと、私はデビューに近いんだよ!!
大谷 真昼と私を見て、明石 秀人は笑顔を見せた。
そして、
「へぇ〜、すごいね?」
と、言った。
抑揚のない声で。
バカにされた。
そう思ったら、私の頭の中で何かがブチンと切れた気がした。
「帰ってよ!」
大声で、私は明石 秀人に怒鳴る。
「あんたに何がわかるっていうのよ!! どうせ、コマすら割ったことがないくせに!!」
明石 秀人は怒鳴る私をじっと見て、ため息を吐いた。
それから、開いたままのリュックのチャックを閉めて、
「……帰るよ。渡さなくちゃいけないものは渡したし」
と、立ち上がった。
「学校、来れるなら来なよ」
「はぁっ!? あんたに指図される覚えなんかないし!!」
「指図なんかしてない。……マジで会話にならないな」
こんなに腹が立ったのは、初めてかもしれない。
気づけば、机の上にあったものを手当たり次第、玄関に向かう明石 秀人に投げつけていた。
ノートや、漫画原稿、物差し、シャーペン……、とにかく腹が立って、衝動が抑えられない。
「だ、ダメです!! 明石くんに怪我させちゃう!」
止めに入ってきた大谷 真昼にも、
「あんた、どっちの味方なの!?」
と、怒鳴ってしまう。
「どっちの味方でも、ない!!」
大谷 真昼が、大声で答えた。
普段、いじめっこの馬場さんに何をされても黙ってオドオドしていた、あの大谷 真昼が。
大声を出して、私を睨んでいる。
(あ……)
やり過ぎた。
そう思った。
頭に血がのぼって、後先考えずに行動してしまった。
ふと、明石 秀人を見る。
手のひらを切っているみたいだった。
私が投げたものから、自分を守るために、手のひらで防いだんだと思う。
うっすら、血が出ていた。
「あ……、あの、私……」
と、今度は私がオドオドした。
明石 秀人の足元には、様々な物が落ちていて。
その中に逆さまになったペン立てと、ハサミを見つけて。
ゾッとした。
「帰るわ、マジで」
と、呟いた明石 秀人は静かに靴を履いて、玄関を出て行った。
玄関付近に散乱した漫画原稿を集めた大谷 真昼は、
「私も、か、帰ります」
と、明石 秀人を追いかけるように出て行った。
自分のやらかした事の大きさに、心臓がバクバクとうるさくなって、その時は気づかなかったんだ。
まさか。
大谷 真昼が。
私の漫画原稿を、持ち去っていたなんて。
消えていた。
漫画原稿だけが。
ペンも、物差しも、消しゴムも、ノートやハサミも部屋に散乱していたけれど。
片付けたら、元の位置に戻ったのに。
漫画原稿だけが、ない。
(怒りに任せて、投げつけるなんてことしたからだ)
以前に投稿した原稿だった。
編集部からも批評付きで返却されたもの。
でも、だからといって。
(大切なものなのに)
投げたりするべきじゃなかった。
大事に、ちゃんと保管しておくべきだった。
考えられるのは、大谷 真昼だった。
床に散らばった漫画原稿を集めていたところを見ていたし。
私のファンだと言って、目を輝かせていた。
(盗まれた?)
冬原 ちづかの原稿が、欲しかったのかもしれない。
心臓がドギマギしてくる。
漫画原稿を盗まれたなんて、ショックだった。
私の全部をかけて創作したものだから。
大切に生み出したものだから。
大谷 真昼に会わなくちゃ。
会って、原稿を取り返したい。
明日は、土曜日だから学校は休みだけど。
(大谷 真昼の家をつきとめて、取り返しに行かなくちゃ。……でも、どうやって?)
お母さんが仕事から帰ってきて。
夕食の支度をしてくれていた。
台所から振り返って、
「千冬、今日って誰か来たの?」
と、何気なく聞いてくる。
内心不安と焦りでそれどころじゃなかったけれど、大谷 真昼の家をどうやって調べるのか見当もつかないし。
とりあえず、お母さんに、
「えっ、なんで?」
と、返事を返した。
「だって、なんか、あんたの机の上が片付いてるし」
「……かた、片付けただけだもん」
「ん? そうなの?」
お母さんが納得のいかない顔をしたけれど、それ以上のことは聞いてこなかった。
その時。
ピンポーン……。
誰かがやって来た。
「はぁーい」
と、お母さんが玄関のドアを開ける。
「あの、塚原 千冬さんに用事があるんですけれど、今、ご在宅ですか?」
と、男の子の声がした。
その声に聞き覚えがあった。
(明石 秀人だ……!)
今更何だろう?
(さっき怪我した文句でも言いに来たのかな……)
不安な気持ちで、玄関へ向かう。
顔を出すと、明石 秀人だけではなく、大谷 真昼もいた。
「えっ?」
と、戸惑っていると、
「これ、か、か、返しに来ました」
と、大谷 真昼が私の漫画原稿の束を差し出してきた。
「!」
「あ、あの、勝手にごめんなさい」
漫画原稿を無言で受け取ると、お母さんが明るい声で、
「寒いから、中に入ってもらったら?」
と、言ったけれど、
「あ、あの、大丈夫です。でも、ち、近くに公園があったんですけど、そこで少し話して来てもいいですか?」
と、大谷 真昼が尋ねた。
(え、嫌なんですけど)
警戒心が働いて、眉間にシワが寄る。
でもお母さんはそんなことはお構いなしで、私にコートを持たせて、
「いいよ、いいよ。行っておいで」
と、私の背中を押した。
児童公園には徒歩5分程で着く。
その間、私達は誰も話したりしなかった。
手に持っている漫画原稿を見下ろし、
(戻ってきて良かった)
と、心から安心していると、
「べ、ベンチに座りますか?」
なんて、大谷 真昼のオドオドした声。
私がベンチの端に座ると、明石 秀人も私と反対側の端に座った。
両端が埋まったベンチを見て、大谷 真昼はまだオドオドしつつ、
「じ、じゃあ、真ん中失礼します……」
と、そっとベンチに座る。
「なんで」
と、私は大谷 真昼に尋ねる。
「なんで、私の漫画原稿を持ち去ったの?」
「あ、あの、ごめんなさい」
「いや、なんでって理由が聞きたいんだよね」
どうせ冬原 ちづかの生原稿に興奮して、出来心で持って帰ったってオチでしょ?
まぁ、わからなくもないけどさ。
「……オレに見せるためだよ」
と、明石 秀人が口を開いた。
「えっ?」
予想外の答えに、私は、
「何、どういうこと?」
と、大谷 真昼に再び質問をした。
「わ、私……、冬原 ちづかさんがあんなふうに言われて悔しくて」
「……」
「それで漫画原稿を見たら、明石くんだってすごいって、お、思ってくれんじゃないかって、咄嗟に思って……」
(ふぅーん……)
「勝手に持ち出したりなんかして、お、驚きましたよね? 本当にごめんなさい」
大谷 真昼の背中が丸まって、肩も下がっている。
声にも元気がなかった。
「反省しているなら、いいよ」
と、私は呟いた。
「すみません」と、大谷 真昼が言い終わらない内に、
「だから、何でそんなに上から目線で話すんだよ」
と、明石 秀人がうんざりした声を出す。
「大谷さんも、原稿を勝手に持ち出すのはいけないことだけど、別にそこまで謝らなくても良いんじゃない?」
(は?)
明石 秀人の言い方に、私はまたムカっ腹が立ってくる。
(私が悪いみたいな言い方するじゃん)
ムカムカするけど、
「大谷さんに見せてもらったんでしょう? 私の原稿」
と、明石 秀人に話を振る。
「どうだったの?」
なんて、わざわざ聞いてみる。
だって、気になるもん。
褒められることはわかっている。
でも、あんなことがあった手前、素直に言えないだろうから、わざわざこっちから聞き出してあげる。
明石 秀人は、大谷 真昼を挟んで私を見つめ、
「……感想とか聞きたいんだ?」
と、言った。
「聞きたいっていうか、まぁ、普通に気になるじゃん。どうだったのかなって」
「言っていいの?」
なぜか大谷 真昼に尋ねる明石 秀人。
自分の話なのに、のけものにされている気分になり、ムカムカした心がトゲトゲしてくる。
「何よ、言いなさいよ」
私の言葉に、明石 秀人は「じゃあ、遠慮なく」と前置きして、
「ちっとも面白くなかった」
と、言い放った。
え?
面白くなかった?