都内の外れの、そびえ立つ立派なビルの中。

 その3階では今まさに収録が行われていて、しばらくしてからマネージャーさんの声がかかった。

「お疲れ様です、朔望(さくみ)さん。今日の歌もすっごく素敵でしたよ!」

「えへへ、ありがとうございます雲井(くもい)さんっ。」

「特にサビ前の息を吸うところとか、個人的にすごく気に入ってて……! 呼吸音も歌の一部っていうか、もうさいっこうでした!!」

 キラキラした瞳で嬉しい事を言ってくれる私のマネージャーさんこと、雲井さん。

 相変わらず勢いがある雲井さんに、私は水を飲みながら何度もお礼を伝えた。

「そう言ってもらえて嬉しいです。でも、今回の曲はアカペラなのでちょっと声上ずっちゃったんですよね……。」

「え!? そんなの全然思わなかったですよ!?」

 私が伸びをしながら言うと、雲居さんは分かりやすく目を丸くしながら驚いた。

 雲井さんは気が付かなったかもしれないけど、実は歌い出し少し高くなっちゃったんだよね……。撮り直しさせてもらったけど、別のところでも上ずっちゃったし。

 最終的に納得のいく歌が録れたから良かったものの、これからは収録する前の発声をもっとしなきゃなぁ……。

 そう思いながら、今回収録に携わってくれた人たちみんなにお礼を伝えに行く。

「監督、今日もありがとうございました。おかげでいい歌が録れました。」

「はっはっはっ、それは何よりだ。俺も朔望らしい歌が撮れて大満足だ!」

 そ、それは良かった……! 監督からそう言ってもらえるなんて、練習頑張ってて良かったぁ……。

 ほっと胸を撫で下ろしながら、大きく豪快に笑っている監督をちらっと見上げる。

 監督……三鼓(みつづみ)監督は、何度も私の収録に立ち会ってくれているベテランの監督だ。

 上手くいった時はこうやって褒めてくれるし、ダメだった時は一緒に対策を考えてくれる。

 もちろん収録中の指摘も正確で、監督のおかげでいい歌が録れたと言っても過言じゃない。

 もう3年も見てくれているんだから、本当に監督には感謝だ。

 そうして二人で何気ない会話に花を咲かせていたら、背後からスタジオ控室の扉が開く音が聞こえた。

 あっ、もしかして……。

「朔望、迎えに来たぞ。」

朝理(ともり)君!」

 何となく予想がついて振り返ると、そこにはやっぱりという人が立っていた。

 光が当たると赤色に見える茶髪と夜明けを連想させる切れ長な瑠璃色の瞳がトレードマークの彼は、三鼓監督の息子である三鼓朝理君。

 ちょっとぶっきらぼうな喋り方だけど、さりげない気遣いができる人だって私は知っている。

 雲井さんは朝理君のことがあんまり得意じゃなさそうだけど……あはは。

 朝理君が来てくれたって事はそろそろ帰る時間だから、監督に会釈してから急いで帰宅準備をする。

 ロッカーに置いていたカーディガンを羽織り、忘れ物がないか確認してから朝理君のところまで駆け寄る。

「それじゃあ今日の20時にプレミア公開するからな、朔望。気を付けて帰れよ。」

「はいっ、よろしくお願いします!」

「朝理、ちゃんと朔望を安全に送ってやれよ。」

「言われなくても分かってる。」

 からかうように朝理君に言った監督に、朝理君はそっぽを向いたまま返事をする。

 このやりとりは、収録終わりに必ず聞くやりとり。

 というのも、このスタジオが立っている周りは人通りが少なく人目にあまりつかないから、大体朝理君が駅まで送ってくれるんだ。

 監督曰く、私に何かあったらいけないからという理由らしい。

 最初こそは朝理君に悪くて断っていたけど、監督の押しに負けて送ってもらうようになった。

 でもいつからか朝理君と話すのが楽しくなっていて、密かな楽しみになっているんだ。

 監督と雲井さんに挨拶をしてからスタジオを出ると、なんだか雨が降りそうな空が目に入った。

 今日は折り畳み傘忘れちゃってるから、降ってきちゃったら困るなぁ……。

 頭の隅でそんな事を考えながら、お昼だと言うのに薄暗い道を歩く。

 しばらく歩いていると、不意に朝理君が話を振ってくれた。

「……そういえば、またオリ曲ミリオン行ってたよな。おめでと。」

「ありがとう朝理君っ。そうなんだよね~、朝起きたら行っててびっくりしちゃったよ。」

「それだけお前が頑張ってるって事だろ。でも、無理はすんなよな……舞雛(まひな)。」

「うん、気を付けるねっ!」

 私の呼び方を忘れずに変えてくれて心配もしてくれる朝理君は、やっぱり優しい。

 ……さっきまで呼ばれていた“朔望”というのは、私のネットでの活動名。由来は朔望(さくぼう)と呼ばれている新月と満月の別名で、本名もハワイ語で月を表しているから月繋がりで名付けたんだ。

 そんな私の本名は歌代(うたしろ)舞雛。普段は公立の中学校に通っている普通の中学2年生で、つい三日前に14歳になったばかり。

 4年前の誕生日からネットで顔出しなしの歌い手として活動をしていて、今ではクリエイター事務所のFlash Create(フラッシュ クリエイト)に所属している。

 ちなみに朝理君は、動画制作や歌の魅力を引き出す為の編集者さんであるMix師として、いろんなアーティストさんのお手伝いをしている。

 私のいくつかのオリジナル曲や歌ってみたも朝理君が編集してくれていて、それらは全てミリオンを達成しているんだ。

 だけど、私も朝理君もまだ中学生。大きな活動はなかなかできないし、事務所に迷惑かけられない。

 ……それでも、私には夢がある。朔望として、ワンマンライブをする事だ。

 いつ実現できるかはまだ分からないし、できるって保証もない。でも、やるのが今の私の夢。

 その為にたくさん歌って結果を残して、私を好きでいてくれるリスナーのみんなと最高の景色を見たい……と思っている。

 まぁ朝理君の言ってくれたみたいに、無理しないようにはしなきゃだけど……。

「……って、えっ、雨!?」

 なんて考えこんでいたその時、ポタポタッと雨が降り出した。

 今はまだ小雨だけど、どうしよう……。

 暗い空を見ながら頭を働かせていると、隣で朝理君が何やらごそごそしだして。

「舞雛、入って。」

「えっ!? わっ、ありがとう朝理君~っ!」

 そして出てきたのは、朝理君が持ってきていたらしい大きめの折り畳み傘。

 その傘を開いた瞬間降る勢いが強くなった雨の下、お言葉に甘えて一緒に入れてもらう。

「ごめんね、今日傘持ってくるの忘れちゃって……。」

「別に。天気予報で降るとか言ってなかったし、俺も正直降るとか思ってなかったし。」

「もしかして朝理君、千里眼とかあったりする?」

「そんなんない。」

 表情をピクリとも変えず、淡々と返事をする朝理君に頬が緩む。

 本当に朝理君って笑わないよなぁ、いつも無表情だし笑ったところも見てみたいのに。

 けど、3年一緒にいて見た事がないんだから、見れる確率は正直低いだろうなぁ。

 ちょこちょこ朝理君を見ながらそう考えていると、それに気付いた朝理君が不思議そうにこっちを見た。

「どうしたんだよ。」

「ううん、ちょっと考え事してて。どうしたら朝理君って笑ってくれるのかな~って。」

「……何だよそれ。」

 ぽつりと呟いた朝理君は、ふいっと私から目線を外す。

 ……でも、これが朝理君のいつもだ。いつも朝理君は不愛想にそっぽを向いてしまう。

 まぁそれももう慣れっこで、いつもの事だと思って気にはしない。

 私もそれ以上は何も言わず、ぼーっと隣の河川敷の水圧に圧倒されながら朝理君と駅に向かう。

「……相変わらず、気付かねぇのな。」

 ――だから、朝理君が頬を染めていた事なんて私は知る由もなかった。



 電車を乗り継ぎ無事家へと帰ると、ふー……と短い息が自然と洩れた。

 やっぱりアカペラって曲がない分難しいな……歌の上手さが顕著に出るし、一発で音を取れるようにしないと。

 あっ、そういえば今日最初声もあんまり出てなかったかも。現場にいる皆さんを困らせるわけにはいかないし、控室で喉をちゃんとあっためといたほうがよさそう。

 うーんうーんと他にもあれこれ考えながら、リビングにあるソファに寝っ転がる。

 私しかいない家は閑散としていて、他に誰かいるような気配はない。……いたらそれはそれで怖いけどっ。

 ……お父さんとお母さんは、出張が多い人なんだ。

 家に帰ってこれるのは1年に一回あるかどうかで、普段はこの広い家に一人きり。

 でも、生活費や教育費諸々はお父さんたちが振り込みをしているから、困った事は一度もない。

 ない、けど……お父さんたちがいないのは、寂しい。

 今度会えるのはいつになるって言ってたっけ……? 来年の夏休みは、帰ってこれるのかな……。

 考えてもしょうがないって分かっている事なのに、ぐるぐる同じ事を考えて止まらない。

 一人で生活できていると言ったって、まだ中学生。そりゃ寂しいと思っちゃうよ。

 ――ピコンッ

 そんな沈んでいる私の頭の中に割って入ってきたのは、動画投稿サイトの通知だった。

 通知を設定しているアカウントは、自身のアカウントと事務所のアカウントと、もう一つ。

 まだ夕方だから今日のプレミア公開じゃない……なら、“あの人”が投稿したんだ!

 すぐに予測がついてアプリを開くと、おすすめ動画の一番上にそれはあった。

 わっ、今日の動画もサムネかっこいい……!

 シンプルながらも目を惹かれるサムネを指で押して、動画を横画面にする。

「っ……わ。」

 瞬間、脳を揺らすような重い音が私の頭に切り込んできた。

 あまりにインパクトのある導入に呆けてしまっていると、徐々にアップテンポな曲調に変わっていく。

 そのタイミングで無機質な歌が入ってきて、つい手で口元を押さえた。

 きょ、今日の新曲も良すぎる……!! さすが大人気ボカロP……次元が違う。

 このボカロPはミメイさんと言って、今や大注目の現役ボカロPさんだ。

 ミメイPは私と同じような時期から活動を開始していて、実は同じ事務所でもあったりする。

 でも、直接会った事はなくてラジオで声を聞いたくらい。ちなみに今でも、たまにラジオアーカイブは聴いている。

 最初期からミメイPを応援している身からすると、登録者100万人目前になって嬉しい!という気持ちと、これ以上見つかってほしくない!という気持ちがせめぎあっている。

 凄いな、ミメイPは。

 こうして同期とも言える存在の人の活躍を間近で見ていると、私も頑張らなきゃって思わせてくれる。

 ……よし、今日の配信の準備しちゃおう!

 そう思い立って勢いよくソファから降り、走り気味で二階にあるパソコン部屋に向かう。

 そこで機材の準備を整えながらも、私はずっとミメイPの新曲を流していた。

 いつか、本当にいつかでいいから……ミメイPと話してみたいな。
 


 その翌日の朝は、切っていたと思っていたはずの大量の通知で目が覚めた。

「……もう50万再生って、じ、自分のことなのにちょっと恐怖かも……。」

 眠い目をこすりつつ確認した昨日投稿されたアカペラ動画は60万再生行きそうで、その動画を同時視聴した配信は1500ほどコメントが書かれている。

 私のオリジナル曲の中でも多方面に人気のある楽曲のアカペラだから、伸びは良いはずだって見込んでいたけど……ここまでとは思ってなかった。

 引きつる口角を直す前にとりあえず通知を切り、パッと学校へ行く準備をする。

 公立だけど可愛い形をしたセーラー服に腕を通し、セーラーなのにネクタイを結ぶ。

 髪はそれっぽくなればいいからテキトーにブラッシングして、荷物を持って降りながら身支度を済ませる。……ブラッシングちょっぴり面倒だから、やっぱり髪切ろうかな。

 そして家を出る前にオーブントースターで焼いていたクロワッサンを食べながら、戸締まり確認して家を出た。

「行ってきまーす!」



 昨日スタジオに行った要領で通勤ラッシュの電車を乗り継ぎ、30分かけて学校に到着する。

 腕時計を確認しながら人気のない教室へと向かい、「いつもより早く着いたな……。」とぽろっと呟く。

 もちろん教室にも誰もいなくて、正真正銘一番乗りだった。

 だけど、早く着いたからって何にもやれる事ないんだよね……学期末テストの勉強でもしようかなぁ。

 友達がいない私にはこういう時お喋りをして時間を潰す、なんて考えはサラサラなく一人悲しく自分の席に座った。

 家だけじゃなく、学校にも気軽に話せる人がいないっていうのはちょっと辛い。

『まひなの声、なんか変な声!』

 ……でも、あんな悲しい思いをするくらいなら一人のほうが断然いい、よね。

 あんまり考えないようにしていた昔の言葉がフラッシュバックして、問題を解く手に力がこもる。

 それから15分は黙々と問題集を解いていたけど、クラスメイトが登校してくるにつれ何とも言えない肩身の狭い気持ちに苛まれ始めた。

 というのも――……。

「ねぇねぇ! 昨日の朔望の動画見た!?」

「見た見たっ! よく有志の音抜き動画は見た事あったけど本家がアカペラ投稿してたのは熱かった! しかも相変わらず声が良いっっ……!」

「なぁ、朔望のアカペラもう70万行きそうだぞ。やばくね?」

「それな! 朔望のチャンネル登録者ももうすぐ160万行くし、ホントに歌い手界1の天才歌姫だよなぁ。」

「朔望のオリ曲とかタイアップ曲って外れないよな? いつかワンマンライブしてくんねぇかな〜。」

 ……あまりにも、気まずい。

 朝のHRが始まる10分前、至る所から“朔望”という名前を耳にしてはその度に心臓がキュッとなる。

 うぅっ、分かっていた事だけどこうして聞いてると照れくさいような何と言うか……。

 朔望という存在は、自分で言うのもなんだけど歌い手界隈ではとても強大な存在になってしまっている。

 ネットニュースでその名前を見ない日はないし、現実世界でもこうして人気は高いわけで。

 私自身としての感覚は、意図的に持て囃されようと思ったわけじゃないから複雑なところ。

 ……でも、嬉しいや。

 私の特徴的なこの声は、ネットで埋もれずにみんなが褒めてくれる。好きだと、唯一無二の声だと言ってくれる人もいる。

 歌い手として活動し始めた理由の一つにこの声があるから、こうやって称賛の言葉を聞くだけで自分の声が誇らしくなる。

 私に朔望という存在は、なくてはならないんだ。

 もしなくなってしまったら……だなんて、考えたくない。

「はーい、HR始めるのでみんな席についてくださーい。」

 思わず暗い考えに片足を突っ込もうとした時、先生の声掛けでハッと現実に引き戻された。

 いけない、せっかく軌道に乗ってるのにこんな事考えちゃうなんて。

 雲井さんにも監督にも他にも色んな人に支えてもらってるんだから、もしかしてなんて考えるべきじゃない。

 そう切り替えて頬杖をついたまま、先生から言われるお知らせを右から左へと流す。

 今日は特に変わった事はなさそうだな……そのほうが私的には助かるけどっ。

 なんてぼんやり思っていると、HRが終わる直前先生が「さて。」と話題を変えた。

「先週にお知らせしたのでみんな覚えてるとは思いますが、今日からこのクラスに新しい仲間が加わります。」

 そんな言葉にクラスメイトは各々一斉に期待するけど、私はすっかり忘れていた。

 そっか……確か言ってたなぁ、そんな事。

 活動の事ばかり考えている私に“転校生が来る”というビッグイベントは、さして特別視するものじゃない。

 だからそのまま頬杖をついたままでいると、不意に教室の扉が開かれた。

 あ、転校生って男の子なんだ……。

 扉から姿を見せ教卓の隣に立った転校生は、長い前髪が特徴的な……一言で言うと、少し暗い雰囲気の子だった。

 その子に対してのクラスメイトの反応は、あんまり……と思っている様子。

 確かに、気持ちは分からないでもない。私の転校生のイメージは女の子なら可愛い子で、男の子からイケメンという少女漫画脳だから、クラスメイトもそうなら期待値は高かったんだと思う。
 
 そんな微妙な空気の中、先生がにこやかに彼のことを説明し始める。

「彼は音瀬霧夜(おとせきりや)君。お母さんの仕事の都合でこっちに来てまだ日が浅いらしいから、みんな音瀬君に色々教えてあげてくださいね。それじゃあ席は……あっ、歌代さーん!」

「へっ!? は、はいっ!」

「音瀬君、歌代さんのお隣になるから今日の放課後とかに学校案内してほしいんだけど、大丈夫そうかな?」

 唐突に声をかけられたと思えば、まさかの学校案内を頼まれてしまった。

 えっと、どうしよう……。

 今日は放課後は特に何も無いから断る理由はない。だけど、私に学校案内なんて務まるのだろうか。

 あれやこれやと色んな考えが浮かぶけど、最終的には静かに頷いてしまい。

「わ、かりました……。」

「ありがとう歌代さんっ!」

 うっ、先生の笑顔が眩しい……っ。

 キラキラ輝く笑顔の先生にお礼を言われ苦笑いを浮かべていると、音瀬君が私の隣の席に座ったのが分かった。

「え、っと……音瀬君、よ、よろしくね?」

「……、よろしく。」

 音瀬君はあまり喋るほうではないのか、短くそう返すと窓の外を見つめ始めてしまった。

 な、仲良くなれるのかなこれ……。

 早速不安の種が蒔かれてしまい、その後も会話をする事はあんまりなかった。本当に、必要最低限だけ。

 でも、何故か引っかかっている事があった。

 ……音瀬君の声、どこかで聞いた事ある気がする。



 そして、時が過ぎるのは早いもので、もう放課後になってしまった。

 それぞれが帰宅準備や部活に行く中、私と音瀬君は校舎を散歩していたんだけど。

「こ、ここが理科室だよっ。ちょっと分かりにくいところにあるけど、みんなについていけばすぐ着くから心配しないで!」

「分かった。」

「……お、音瀬君は趣味とか、あるの?」

「あんまり。人に言える趣味とかないし。」

「そ、そっか……。」

 か、会話が続かない……。

 せっかくのお隣さんだし少しは仲良くなりたいけど、これじゃあ先は長そうだ。

 私もボキャブラリーが少ないほうだし、学校で誰かと喋るなんて少ないから何を話題に出せば良いのやら分からない。

 結局大した話もできずに大体の校舎案内が終わり、何となく気まずい空気の中。

「わ、分からない事とかあったら遠慮なく言ってね。多分大体の事は答えられると思う、から。」

 ついに教室まで戻ってきて解散しか道がなくなってしまい、たどたどしく言う。

 でも音瀬君はやっぱりというか「ありがと。」と呟いただけで、それ以上の会話はない。

 だから、もう帰ったほうがいいと思ってそれを音瀬君に伝えようとした瞬間。

「ねぇ、歌代さん。」

「ど、どうしたの?」

 夕暮れの教室の中、スクールバッグを持ったままの音瀬君に呼び止められた。

 まさか音瀬君から声をかけられると思ってなくて、分かりやすく動揺してしまう。

 だけどそんな反応を気にしていない様子の音瀬君は、私をじっと見据えてから……ゆっくりと口を開いた。

「……歌代さんは、歌い手の朔望って知ってる?」

「へ!?」

「いや、知らないならいいんだけど……ちょっと気になっただけだから。」

「えっと……名前くらい、なら?」

 苦し紛れすぎる。思っていたよりも絞り出したような声になってしまって、音瀬君と目を合わせないように視線を少し下げてみる。

 だって仕方がない。この流れで朔望の話を持ち出されるとか考えてなかったんだもん……!

 これだけ過剰に反応してしまえば怪しまれるんじゃないか……そうヒヤヒヤしていたけど、音瀬君は涼しい表情のまま言葉を続けた。

「分かった。……ちなみになんだけど、朔望の歌で一番好きなのってある?」

「す、好きなの……? し、静寂(しじま)ラビリンスとか、かな。」

 自分の持ち歌は全部好きだ。だから何が好きかと問われれば、全部と言いたくなる。

 でもそれじゃあガチオタクだと思われてボロが出そうだったから、曲調が好きなドラマのタイアップ曲を挙げた。

 私の返答に音瀬君は表情こそ変えないけど、ふっと口元を緩めた……気がした。

「ありがとう。俺もその曲、好き。」

「っ、そ、そっか……それなら良かった、です……。」

 って、『それなら良かったです』じゃない……!

 さっきから微妙に変な返しをしている気がして、このままだと本当に口を滑らせてしまいそうだ。
 
 直感でそう思った私は乱暴にスクールバッグを持って、脱兎のごとく教室から飛び出した。

「えっと、じゃあ音瀬君っ、また明日……っ!」

 ……私が走り去った教室で、音瀬君は一つため息を吐く。

 そしてこう言っていたようだけど、私には知る由もない。

「……まさか、こんな近くにいるなんて。」



「はい、じゃあこの時間で文化祭での合唱団のメンバーを決定、行けたらクラス内展示の内容決定までしたいと思います。」

 それから数日後、私のクラス内では文化祭の話し合いを行っていた。

 私が通っている中学校では11月の中旬に文化祭があり、毎年クラス内での催し物と15人ほど人を集めてクラス対抗合唱コンクールが行われる。

 どうやら合唱コンのほうを先に決めなくちゃいけないらしく、学級委員長が合唱コンの簡易的な説明をしていた。

 合唱コンかぁ……興味はあるけど、立候補まではしたくないかな。

 歌声で朔望だとバレるかもしれない、という理由はもちろんある。身バレなんてしたら事務所にも迷惑がかかっちゃうし。

 でも、もう一つやりたくないと思う理由がある。

 ……合唱コンは、好きじゃない。

 この特徴的な声はネットに生かしておくだけでいい。現実では極力歌いたくない。

『喋ってる時は普通なのに、舞雛ちゃんの声って歌うと変だよね。』

「……、はぁ。」

 トラウマは、相手に悪意がなければないほど思い出しやすい気がする。

 脳裏によぎった昔の言葉を払拭するように頭を左右に振って、短く吐き出した。

「もう一人かぁ……じゃあ、歌代さんとかよくない?」

 ん? 今、名前呼ばれたような……?

 そう気付いて下げていた視線を上げると、こっちに一人のクラスメイトが歩いてきて。

「ねぇ歌代さん、合唱コン一緒に出ようよ!」

「……え?」

「だって、あたし知ってるんだもん。歌代さんが歌めっちゃ上手いの!」

「で、でもっ、私は――」

「お願いだよ歌代さん! あと一人、一人埋まればいいんだもん! ね、どうっ?」

 ど、どうって言われてもっ……。

 今、私に強く念押ししてきているのは圧倒的陽の存在の琴吹(ことぶき)さん。

 琴吹さんとは小6の時同じクラスだったきりで、関わりはないはず……なのに。

 この通り!と言わんばかりの彼女に、少しずつ断る気力が削がれていく音がする。

 いや、でも断らないと……! 身バレの危機があるんだよ私!

「あ、あの、琴吹さん。私、合唱とかあんまり――」

「歌代さんがいてくれたら百人力なの! 歌代さん高音綺麗だし、声がいいから絶対優勝できると思う!」

「うっ……え、っと……」

「あたし、歌代さんの声好きだから! だからお願いします!」

 目の前で勢いよく両手を合わせられ、思わず目を瞠ってしまう。

 そんな琴吹さんの交渉に周りもざわざわこっちに注目してきて、ますますNOと言えなくなる。

 ……いや、断るんだ! 断るんだよ、歌代舞雛!

「そ、れじゃあ……やります。」

「ほんとっ? やったーっ、ありがとう歌代さん!」

 私の両手を握ってブンブン振る琴吹さんは、嬉しそうにスキップしながら黒板に名前を書きに行った。

 はっきり“歌代”と書かれた黒板をぼーっと見ながら、とんでもない事を了承してしまった……!と焦らずにはいられない。

 すっかり琴吹さんの口車に乗せられていたのに気付いて、自分の意思の弱さに頭を抱えたくなる。

 これでもし朔望とバレたら洒落にならない……! どうすれば……!

 頭の中で断ろうと意思を固めても、「やっぱり無理です」とは到底言えなかった。

 こ、これからどうしよう……。

 そうやってひぇぇっと震えていると、学級委員長がある事を嘆いていたのが聞こえた。

「あの、この中でピアノ弾ける人本当にいないですか? このままだと他クラスにお願いしなくちゃなので、いれば立候補してほしいんですが……」

 藁にも縋るような声で呼びかけている学級委員長に反応する人は、いない。

 この感じは本当にピアノ弾ける人がいないのかも……こういう時ってどうなるんだろう。

 委員長と先生が困り果てているのを見て、自分の懸念点が早速頭から抜け落ちる。

 私……は、ピアノはちょっとしか弾けないからなぁ……。

 幼い頃両親から教わっていたからもしかしたら多少弾けるかもしれないけど、もう7年前くらいの事だから自信はない。

 弾けたら歌わずに済んだのに……!と悔やんでがっくりと項垂れて、心当たりがないか私でも考えてみる。

 ……だけど、その必要はなかった。

「誰もいないんだったら、俺伴奏します。」

 ちょっぴりざわざわし始めていた教室内に、凛とした一つの声が聞こえる。

 その声の主はお隣から、つまり音瀬君だった。

「音瀬君、ピアノ弾けるんですか?」

「楽譜があれば大体は弾けるので問題ないです。」

「す、すごいね……! それじゃあ、伴奏は音瀬君にお願いしようかな。みんなもそれでいいですか?」

 それに異議を唱える人はおらず、そのまま音瀬君が伴奏者になった。

 音瀬君、ピアノ弾けるんだ……立候補も臆する事なくしてて、かっこいいな……。

 そう思って音瀬君をちらっと見ると、音瀬君もこっちを見ていたようでバチッと視線が交わる。

 前髪で目元はよく見えないけど、隙間から覗いていた瞳はブルームーンのように澄んだ水色をしていて。

 目が合っている事に恥ずかしくなった私は、つい勢いよく顔を背けてしまった。



「……うーん、音瀬君の声ってなんかミメイPに似てるような気がするなぁ。」

 その翌日、私はイヤホンで大好きなミメイPのラジオアーカイブを聞きながら登校していた。

 イヤホンから流れてくるミメイPの声は大人びてて、世間一般ではイケメンボイスと言われる甘い声をしている。

 だけど歌う時は青年のような優しくも芯のある声色になって、本当に同一人物なのかと怪しくなるほど。

 この声が、音瀬君に似ているようでならない。

 一瞬そんな非現実な事を考えたけど、私はすぐに首を振った。

 ……いやいや、そんな事ないよね。流石に少女漫画脳すぎるか。

 世の中似てる声の人なんかたくさんいるだろうし、音瀬君もきっと似てるだけなはずだ。

 しかもミメイPって噂では20代だーとも言われているらしいし、真相は分からないけど中学生ではないと思う。あったとしても高校生くらいじゃないかって私は思っているし。

「……そろそろイヤホン外さなきゃ。」

 目前に校舎が見えて、名残惜しいけど動画を停止させてイヤホンを外す。先生に見つかったら没収されちゃうし。

 そして完璧に仕舞った事を確認してから、昇降口で靴を履き替える。

 今日も早く来てしまったみたいで、人気は一切と言っていいほどない。

 また教室で勉強でもするかなぁ……なんて、呟きながら教室に上がろうとした。

 ……瞬間、心地良い音色が私の鼓膜を揺らした。

 どこから?と一瞬思ったけど、誰かがピアノを弾いているらしく音楽室から音色が紡がれている事に気付く。

 この時期に音楽室からピアノの音が聞こえてるって事は、誰かが合唱コンの伴奏練習をしてるのかな。

 そう思いながら誰が弾いているのか気になった私は、吸い込まれるように静かに音楽室に近付いた。

 弾いている人は相当上手いらしく、激しく鍵盤を弾いているのにも関わらず綺麗に奏であげている。

 こんなにピアノが上手い人っていたっけ? 今まで聞いた事がないし、一層気になってきちゃった。

 ふふっと頬を緩めて楽しみながら音楽室の前に来て、恐る恐る中の様子を伺おうとする。

「…………、え。」

 だけど、できなかった。

 音楽室の中からは、相変わらず激しくも綺麗な音色が奏でられている。

 でも、合唱コンの曲じゃない。ダークな曲調をベースにした気高いフレーズが、とめどなく脳を揺らしてくる。

 ……私は、この感覚を知っている。

 この、頭に反響して感情が高ぶるような……高潔さが垣間見える、曲調。

 知らないはずなのに知っている、けど先は全然読めない……音楽を。

 ……――ガラッ

「っ……!」

 思わず、扉を開けていた。

 ピアノに座っている人物は驚いて奏でるのをやめ、焦ったようにこっちを見ている。

 そこにいたのは、前髪を流して目元がはっきりと分かる……――音瀬君がいた。

 ブルームーンのような瞳が大きく見開かれ、私と同じように呆気にとられている。

 そんな中、私は宙に浮いたようにふわふわしたような気持ちに苛まれながら、息を吐いた。

「もしかして、ミメイP……?」

 二次元じゃないんだから、少女漫画じゃないんだから。

 自分に言い聞かせながらも、私にはそうだとしか思えなかった。

 震えた言葉で尋ねた私に音瀬君は「違っ……」と否定しかけたけど、次の瞬間にはあっさり認めた。

「……よく分かったね、歌代さん。今まで一度もバレた事なんてなかったのに。」

「だって、ミメイPの曲調だけど、知らない曲だったから……もしかしてって、思って……」

「……すごいね。」

 取り繕う気はないのか、諦めたように目を細めて薄く微笑む音瀬君。

 そんな彼は私をじっと見つめたまま、ふっと気が抜けたように……。

「さすが天才と謳われている歌姫、朔望だね。こんなあっさり見破られるなんて、思ってなかったな。」

 だと、ナチュラルに口にした。

 その言葉に私は分かりやすく思考停止し、ハッとした時にはあからさまに焦ってしまった。

「な、ななな、何で知って……っ!?」

「分かるよ。俺、ずっと君のファンなんだから。毎日朔望の声聴いてるからすぐに勘づいたよ。」

「いやいや、それにしてもだよ……! ど、どど、どうしようっ……! 雲井さんと監督に怒られる!?」

 転校生が好きなボカロPであった事、流れるように正体がバレてしまった事が衝撃的すぎて、上手く頭が回らない。

 これからの事を考えて文字通り頭を抱えてへたり込むと、音瀬君は混乱状態の私に近寄ってきてしゃがんでから。

「ごめんね歌代さん、別に困らせたいわけじゃないんだ。バラすつもりもないし、歌代さんが朔望だって事は生涯をかけて黙っておくって約束できるよ。」

「ほ、本当っ?」

「もちろん。好きなアーティストを危険に遭わせるような事はファンとしてしたくないし、歌代さんだって俺がミメイだと秘密を握ってる。だから、お互いの為にも二人だけの秘密にしておこう。」

「あ、当たり前だよ……! 私も言わないからねっ!」

「……ありがとう、歌代さん。」

 そう言ってはにかんだ音瀬君に、教室での無愛想な面影は一切ない。

 目元が隠れていたからこれまでは分からなかったけど、音瀬君は相当なイケメンさんだ。

 表現が難しいけど、口を閉じていたらクール系イケメンで、喋ると少しあどけなさが残る感じ。

 パーツひとつひとつが綺麗でしっかり二重で、唇も薄くてアイドルにいそうな顔をしている。

 失礼かもと思いながらまじまじと顔面を見ていると、その時音瀬くんが突然うっとりとした瞳孔を宿した。

「でも、こんな近くに大好きで大好きで仕方ない朔望がいるなんて。転校するの最初は嫌だったけど、転校してきてよかったな。」

「お、音瀬君?」

「ふふ、朔望に認知してもらってるなんてもう死んでもいいかも。ねぇ、朔望は俺の作った曲でどれが好き?」

「へ?  うーん……汐音(しおね)スミ歌唱のワールドリザレクションは、結構好きだよ。」

「ワーリザは俺も好き。あれ調教も上手くいって自分でもすごい気に入ってるんだ。それを朔望に好きって言ってもらえるだなんて、本当に死ぬほど嬉しい。もちろん朔望も好きだし、四六時中朔望の音楽を聴いていたいくらいなんだけど。朔望、生まれてきてくれてありがとう。」

「ちょ、ちょっとストップだよ音瀬君……!」

 か、完全にミメイPの素が出てる……!

 ミメイPは素になると、今みたいに甘いとろけそうな声で話をする傾向にある。

 ただでさえイケメンなのに言葉でも褒めちぎられるとなると、こっちの心臓がいくつあっても足りない。

 無我夢中で音瀬君を止めると、言う事は聞いてくれるのか従順なワンちゃんのように大人しくなった。

 だけど、何を話せばいいのか……。

 音瀬君の暴走を止めたのはいいけど、ここからどう話を広げればいいのか途方に暮れる。

 そんな私の心情を察したのか、音瀬君は声のトーンを少し落として真剣に私を見つめてきた。

「朔望……いや、歌代さん。」

「……は、はい。」

「俺と、ユニットを組んで音楽を作る気はない?」

 音瀬君と、音楽を……?

 どういう意味なのかと疑問に感じて首を傾げると、音瀬君は少し目を伏せてから分かりやすく説明してくれた。

「ここで出会ったのも何かの縁。俺は昔から朔望の歌が好きで、歌代さんもミメイの作る音楽を好きでいてくれている。お互いにリスペクトがある者同士で世界一の音楽を、俺は朔望と作りたい。」

「……音瀬、くん。」

「返事は急がない。歌代さんが嫌だって思うなら断ってくれて構わないし、少しでも興味を持ってくれたのなら乗ってほしい。」

 音瀬君は、本気だ。本気の目をしている。

 本気で私と、朔望と音楽を作りたいって思ってくれているんだ。

 それは問い正さなくても自然と分かって、ミメイPの楽曲を聴いた時のように頭に衝撃が走った。

 ……ユニット、か。

 今時歌い手グループやユニットは珍しくないし、むしろ溢れ返っていると知っている。

 でも、私個人が判断して簡単に了承していい話でもない。例え事務所が同じで多少は融通が利くとしても、雲井さんには話を通さなきゃいけない。

「……少しだけ、考えさせて。」

 だから今の私はそう言うのが精一杯で、音瀬君も無理は言わなかった。

「ありがとう。」

 代わりに柔らかな表情でお礼を言われ、床に座り込んでいる私を立たせてくれる。

 けどその時、音瀬君はいたずらっぽい笑みを浮かべながらサラッと私に言った。

「それに、好きな人に無理強いなんてしたくないし。」

「なっ……!」

 そんな、告白みたいな……っ!

 もしや音瀬君はかなりのプレイボーイなんじゃないか、と私の中に憶測が生まれる。

 私、これからどうすればいいんだろう……。

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