フェスの熱気が少し落ち着いた頃、学校が始まった。
カフェテリアに入ると、すぐに後輩たちの話し声が耳に入る。
「ねえねえ、フェス見た!? 桜影、めちゃくちゃかっこよくなかった!?」
「真琴先輩、ちょっと心配してたけど、王子様も健在だったし、むしろさらにかっこよくなってた……!」
「やっぱり真琴先輩がNo.1だよね!!」
学校のあちこちで、フェスの話題が上がっている。真琴は自然と笑みを浮かべた。
ふと、遼の言葉が蘇る。
——「もっと楽しめよ。"王子様" なら、ファンを夢中にさせるくらいの勢いでな」
もう、"王子様"に縛られているわけじゃない。
"演じなきゃ" じゃなくて、今は"楽しんで王子様をやれる"。
それに——。
あのライブで、桜影の"王子様"が変わってしまうのでは、という不安は払しょくできたようだ。
一部の生徒はまだ動揺しているかもしれない。それでも、真琴は大多数は"変わらない"自分を受け入れているという感触を得ていた。
◇◇
昼休みが始まる頃、部室に向かっていた真琴は、部室から整備を終えて部室から出てきた遼を見かけた。
軽音部の機材メンテナンスのため、辻村先生が知り合いの「詳しい人」に手伝いを頼んでいると聞いていたが、それがまさか、遼だったとは……。
真琴と遼は、気づけば校門の外まで一緒に歩いてきていた。
「……で、どうだったの? 機材の調子は」
「悪くない。ただ、長く使うなら手入れがもう少し必要だな」
「ふーん、そっか。……まさか、先生が遼に頼むとは思わなかったよ」
「マスター経由で話が来た」
遼が肩をすくめる。
「まぁ、お前の学校なんじゃないかって、なんとなく察したけど」
「察したなら、前もって言ってくれよ」
真琴は呆れたように言いながらも、どこか心地よかった。
学校の外で会うことはあっても、こうして"こっちの世界"に遼がいるのは、なんか不思議だ。
ふと、そんなことを思っていた、そのとき——。
「——真琴先輩!!」
鋭い声が、背後から響いた。
……やべ。
真琴が振り向くと、そこには篠原凜花を先頭にした数名の後輩女子たちが立っていた。
「何してるんですか、こんなところで……!」
「それに、この人……!」
「真琴先輩、お願いです! 私たちのところに戻ってきてください!」
真琴は小さくため息をついた。
「戻るって……私はどこにも行ってないだろ?」
「違うんです! 私たちの王子様として……ずっといてほしいんです!」
「男の影響で変わるなんて……そんなの、嫌です!!」
——まるで言い聞かせるように、後輩たちは一斉に口々に言った。
……面倒なことになったな。
真琴は少しだけ目を伏せる。
ここで何を言っても、彼女たちの思いは簡単には変わらない。
遼は隣で腕を組み、静かに様子を見ていた。
だが、後輩たちの言葉がさらにヒートアップし始めると、彼はゆっくりと口を開いた。
「……フェスは見たろ?」
後輩たちは、一瞬戸惑ったように顔を見合わせる。
「君たちの ‘王子様’ は、最高だったろ」
その言葉に、凜花をはじめとする後輩たちは、ぎゅっと唇を噛む。
確かに、フェスの真琴は圧倒的だった。
今まで以上に堂々と王子様を演じ、観客を魅了していた。
「だったら、それでいいじゃないか」
遼は、それだけ言って肩をすくめた。
真琴は、ゆっくりと後輩たちに向き直った。
「私は、これからもステージでは ‘王子様’ でいるよ」
その言葉に、後輩たちの顔が明るくなる。
——が、その次の言葉で、彼女たちは息をのんだ。
「でも、ステージを降りたら、私は ‘普通の女子高生’ に戻る」
静かながらも、はっきりとした声。
後輩たちは、その言葉の意味を理解し、動揺する。
「えっ……?」
「そんな……」
凜花が、不安げに真琴を見つめる。
「私が ‘桜影の王子様’ であることは変わらない。でも、それは ‘ステージの上’ だけ」
真琴は、少し笑った。
「だから ‘私生活’ にまで、王子様であることを求められても、応えられないんだ」
後輩たちは、言葉を失ったまま、視線を落とす。
遼は、真琴の強い意志を感じ取り、それ以上は何も言わない。
「……そう、ですか」
凜花が、小さな声で呟く。
「……真琴先輩が、そう決めたなら……」
ほかの後輩たちも、次々にうなずき、静かにその場を離れていく。
真琴は、彼女たちの背中を見送りながら、ふっと息を吐いた。
静かになった校門前。
「……ふぅ」
真琴は、ため息をつきながら、スティックを回す。
「……ありがとな」
「俺は何もしてない」
「いや、してる。ずっと……支えてくれてる」
ふっと笑いながら、真琴は遼の顔を見上げた。
そして、ぽつりと言う。
「だから、私も遼のことが、好き……」
遼が短く息をのむ。
しかし、驚いたのは一瞬だけ。
「そりゃ、よかった」
そう言いながら、遼は真琴の肩をそっと抱いた。
真琴は、一瞬、戸惑いの表情を見せた。
けれど、その腕の温かさに包まれた瞬間、ふっと力が抜け、遼に寄りかかった。
……私は、この人にずっと支えられていたんだ。
そっと目を閉じ、遼の腕の中に身を預ける。
王子様の真琴も、素の真琴も、もうどちらでもいい。
そのどちらも、ちゃんと"私"だから。
遼もそれを分かってくれている。
だから——。これで、いいんだ。
Beat Cellarの奥の席。
真琴はコーラを一口飲み、ふと視線を上げた。
「……卒業したら、どうするつもり?」
向かいに座る遼は、グラスを傾けながら、少しだけ目を細める。
「俺?」
「そう。建築の道に進むのは分かってるけど……具体的には?」
「大学院に進むつもりだよ。今の研究をもっと掘り下げたいし、いずれは独立も考えてる」
「そっか」
真琴は少しうなずいた。
「それで、真琴は?」
「……」
答えに詰まる。
「卒業しても、バンドは続けたいって思ってる」
「そうか」
「でも、まだメンバーには話してない」
「どうして?」
「……多分、誰も言い出しにくいんだと思う」
バンドのメンバーは、普段から何でも話せる関係だ。
それでも、“卒業後どうするか” という話題だけは、誰も口にしてこなかった。
「……まだ、結論が出てないから、怖いんだよな」
「怖い?」
「もし、みんなが『進学に専念するからバンドは辞める』って言ったら?」
「……なるほど」
遼は静かにうなずいた。
「真琴は、メンバーがそれぞれの道を選ぶことを尊重してる。でも、本音は、バンドを続けたくて仕方ないってことか」
「……まぁ、そういうこと」
真琴は苦笑しながら、グラスを持ち上げる。
「話した方がいいんだろうな、早めに」
「そうだな」
遼はグラスを置き、静かに微笑んだ。
「でも、真琴だけが悩んでるわけじゃないと思うぞ」
「え?」
「メンバーだって、同じこと考えてるはずだ」
その言葉に、真琴は少し考え込んだ。
……みんなも、同じこと考えてる?そうかもしれない。
けど、それを確かめるのが、まだ怖かった。
◇◇
そのとき、店の入り口でカウベルが鳴った。
「お?」
マスターがカウンターの向こうから声をかける。
「樹里ちゃん、今日はどうした?」
「んー、ちょっと愚痴りに来た」
「親がさ、大学行けってうるさいんよ」
「へぇ……」
マスターはグラスを拭きながら、軽く肩をすくめる。
「でも、そんなこと俺に相談されても何も言えないぞ」
「だから、相談じゃないよ。愚痴りに来たっていったっしょ」
樹里はぼやきながら、カウンターに腰掛ける。
……樹里も進路で悩んでるんだ。
真琴はグラスを持ち上げながら、樹里の言葉に耳を傾ける。
そして——。
「そういや、真琴君、来てるよ。奥の席で遼と話してる」
……マスター!! 余計なこと言わなくても……!
真琴が思ったときには、もう遅かった。
樹里が振り返り、こっちに向かって歩いてくる。
◇◇
「おー、なんだ、お前らデート?」
樹里はニヤリと笑いながら、テーブルに手をついた。
真琴は、これまでなら「違う」と即座に否定していたが、それも無粋だと思い、今日は少しだけ肩をすくめてみせた。
「そう思うなら、そうなんじゃない?」
「ふーん。否定しないんだ。そんで、何話してたん?」
「……バンドのこれからこと」
「バンド?」
「卒業しても、続けたいって思ってる。でも、みんながどう考えてるか分からないから、まだ話せてなかったって話」
樹里は腕を組みながら、少し考え込んだ後、口を開いた。
「まあ、ウチは続ける気だけどな」
「え?」
「でも、ウチの親は大学行けってうるさいしなー。正直、どうすっかは決めかねてる。音楽で食っていけたら、それが一番。でも、そんな甘い世界じゃねぇしな」
「……そうだな」
「でも、ひとつ言えるのは、簡単にやめる気はないってこと」
「……」
「つーか、マコっちゃんが続けたいって言うなら、ウチらもちゃんと考えるっしょ」
真琴は、樹里の言葉に小さく笑った。
……遼の言った通りだった。
「じゃあ、そろそろみんなで話すか」
「お、決心ついた?」
「まぁな」
「よし、じゃあ詩音と早紀にも伝えとく!」
そう言って、樹里はスマホを取り出し、グループチャットを開く。
真琴は、隣でグラスを傾ける遼を見て、そっと礼を言った。
……ありがとう、遼。
遼は軽く微笑みながら、グラスを軽く持ち上げた。
練習が終わり、バンドメンバーは部室で軽く談笑していた。
「そういやさー」
ギターをケースにしまいながら、樹里 が何気なく話を切り出した。
「この前、Beat Cellar 行ったら、真琴と遼がデートしててさぁ」
「……は?」
詩音が興味津々で顔を上げる。
「マスターも ‘真琴が最近よく来てる’ って言ってたし、こりゃもうガチで付き合ってるなーって」
ニヤリとしながら話す樹里に、詩音は期待を込めた目を向けたが——
「……別に驚くことじゃないでしょ?」
早紀 が冷静に返した。
「え?」
樹里は少し拍子抜けして、真琴を見た。
「いや、お前らも、もっとこう ‘えー!? いつから!?’ みたいな反応ないん?」
「いや、むしろ ‘ようやく’ って感じだよね?」
詩音が言う。
樹里はしばらく黙った後、斜め上に視線を投げた。
「確かに、今さら感あるか……。」
「でしょ?」
詩音がニコリと笑う。
「でもまあ、良かったじゃん、マコっちゃん。公認カップルってことで。」
真琴は少し照れくさそうにしながらも、特に否定はしない。
「で、チャット投げた話題だけどさ——」
「卒業まであと半年くらいだけど、みんな進路どうするん?」
「早紀は受験でしょ?」
詩音が早紀を見て言うと、彼女は静かにうなずいた。
「ええ。今までも両立してきたけど、本格的に勉強に集中するから、しばらくバンドは抜けるつもり」
「でも、受験終わったら戻るってことでいいんよね?」
樹里が確認すると、早紀は迷いなく「もちろん」と返す。
「私にとっても ‘桜影’ は大事だから」
「そっか」
真琴は少し安心する。
「じゃあ、詩音は?」
「ウチはこのまま音楽続けるよ! 音楽ボランティア続けながら、オーディションも受ける!」
「やっぱそうなるよなー。」
樹里は笑う。
「そんで、マコっちゃんは?」
真琴は一瞬、言葉を探したが、しっかりと答えた。
「音楽系の専門学校に進んで、バンドも続ける」
「ほほう?」
詩音が笑う。
「真琴、音楽でプロ目指す気になった?」
「……それはまだ分かんない。でも、やれるだけやりたい」
「そっか。まあ、真琴らしいな」
「んで、樹里は?」
「ウチ? うーん、大学には行くかなー。でも、バンド辞める気はない」
「じゃあ、みんな ‘桜影’ は続けるってことで決定ね!まあ、受験期間は一旦活動休止ってことになるけどね。」
詩音の言葉に、全員がうなずいた。
「進路はバラバラになっても、練習とかライブは調整できるでしょ?」
早紀が言うと、樹里も「確かに」とうなずく。
「バンドって、いつか ‘終わり’ が来るもんだって思ってたけど……」
真琴は、ふとつぶやく。
「続けられるなら、やれるだけやってみたい。」
「うん!」
詩音が笑顔で頷いた。
「だって ‘桜影’ はまだ終わらないからね!」
早紀が力強く言うと、全員が視線を交し合った。
放課後、真琴、樹里、詩音、早紀 の4人は久しぶりに Beat Cellar へ足を運んだ。
「マスター、ちょっといい?」
カウンターの向こうでボトルを並べていたマスターが向き直って、4人を見てニヤリと笑った。
「おう、桜影勢じゃねぇか。今日は何の用?」
「……ちょっと、挨拶に来たんだ」
真琴が言うと、マスターは「お?」と興味深そうに眉を上げる。
「挨拶?」
「うん。高校生活もあと半年くらいだし……次のライブが終わったら、受験のために少し活動を休止しようと思って」
「そっか」
マスターは軽くうなずいた。
「それで、一旦区切りになるから、今のうちにちゃんとお礼を言っておきたくて」
「ふーん」
マスターは、4人を見回した。
「ま、しばらくライブできなくなるってのは寂しい話だが……でも、お前らが真面目に進路考えてるなら、それも仕方ねぇな」
「うん」
「で?」
マスターは腕を組み、ニヤリと笑った。
「次のライブは、トリを任せようと思ってたが、それだけじゃつまらないな」
「それだけじゃつまらない、って?」
詩音が首をかしげると、マスターはカウンター越しに4人を見回した。
「お前ら、フェスで成功して、今やトップクラスの高校生バンドだ。だったら、‘桜影の夜’ をやらねぇか?」
「…… ‘桜影の夜’?」
「そうだ。お前らがメインの ‘卒業記念ライブ’ だよ。」
「マジで?」
樹里が思わず声を上げる。
「マジだよ」
マスターは満足そうにうなずく。
「完全なワンマンってわけにはいかないが、倍の枠を用意する。他のバンドも入れるが、桜影がメインだ」
「……」
真琴は一瞬、言葉を失った。
「そんなこと、してくれるの?」
「当然だろ」
マスターはグラスを手に取り、軽く振った。
「お前ら、Beat Cellarの ‘顔’ みてぇな存在になってんだからな」
「……そっか」
真琴はマスターの言葉を噛み締めるようにうなずいた。
Beat Cellarは、真琴たちが初めて本格的なライブをした場所。
ここで何度も演奏し、成長してきた。
そんな場所で、「高校最後の特別ライブ」 をやれるなんて——。
「……やろう」
「さて、‘桜影の夜’ のセットリストだけどさ」
樹里がギターを爪弾きながら切り出す。
「フェスと同じ感じでロックで固めるか、それとも……?」
「ううん」
真琴は首を振る。
「フェスの勢いはそのままに、今の桜影を全部詰め込むライブ にしたい」
「ってことは?」
詩音がワクワクした目で身を乗り出す。
「…… ‘詩音ステージ’ 、やっちゃう?!」
「最後だから、ちょっと驚かしたろ」
樹里がニッと笑う。
「ただのロックバンドで終わっちゃ面白くないだろ?」
「うん!」
詩音が笑顔でうなずく。
「それなら、演歌とアイドル歌謡、両方やりたい!」
「入りはアイドル歌謡の方がいいわね。で、演歌の後、どう繋ぐ?」
早紀が分析的な視点で尋ねると、詩音が「もちろん!」と笑う。
「‘泣きのギター’ に持ってくんだよ!」
「おー、なるほど」
樹里がニヤリと笑う。
「演歌の感情乗っけたまま、ウチが ‘泣き’ で爆発させるわけね?」
「うん!」
詩音が頷く。
「そこから一気にアップテンポのロックナンバーで盛り上げて……ラストのアンコールは?」
「……フェスでやった、真琴のドラムソロのやつしかないだろ」
樹里が言うと、詩音が勢いよく手を叩いた。
「それしかないっしょ!」
「じゃあ、決まりだね」
真琴がホワイトボードにセットリストをまとめる。
① ロック(桜影らしさ全開のスタート)
② 詩音ステージ(アイドル歌謡→演歌)
③ パワーアップした樹里の泣きのギター
④ アップテンポのロックナンバーで最高潮へ
⑤ アンコールはフェスで大好評だったドラムソロ入りのロック!
「よし、これで最高の ‘桜影の夜’ になるね!」
詩音がピースを見せると、みんなが笑顔で頷いた。
「……でも、さ」
不意に樹里が呟いた。
「これじゃ、早紀の見せ場なくね?」
「いいのよ」
早紀は静かに微笑んだ。
「私は ‘縁の下の力持ち’ が存在意義だから」
「でも——」
「分かる人には、ちゃんと分かるわ」
そう言って、ベースを手にする。
「……そっか」
樹里は少し考えてから、ニヤリと笑った。
「ま、確かに ‘桜影’ は早紀がいねぇと成り立たねぇしな」
「そういうこと」
早紀がクスッと笑うと、詩音も笑顔になった。
「よーし! じゃあ、最高の卒業ライブにしよう!」
「うん!」
真琴が力強く頷く。
4人は拳を合わせ、高校最後のライブに向けて全力を尽くすことを誓った。
ライブハウス Beat Cellar は、これまでにないほどの熱気に包まれていた。
満員の観客が桜影の登場を待ち、ざわめきと期待感が渦を巻いている。
暗転したステージ。
次の瞬間、静寂を切り裂くようにドラムが一発、力強く鳴り響いた。
ダン!
真琴がスティックを高く掲げ、ライトが一斉に照らされる。
ギターの樹里が、ドラムに合わせて強烈なリフを刻む。
ベースの早紀がリズムを支え、詩音のカウントが入る。
「行くぞ、お前ら——!」
“桜影の夜”、開幕。
最初のロックナンバーが鳴り響くと、観客が一気に熱狂する。リズムに乗り、ステージ前方に押し寄せるファンたち。
真琴は、迷いなく王子様キャラを演じていた。ステージ上では、これが自分の役割。
私が、みんなを夢中にさせる——。
一音一音に、バンドの歴史を刻み込むように演奏する。
詩音の力強い歌声、樹里のエネルギッシュなギター、早紀の安定したベース、
そして、自分のリズムがバンドを支える。
最初の3曲が終わり、観客の歓声が鳴り響いた。
真琴は、マイクを手に取り、MCに入る。
「今日は来てくれてありがとう!」
王子様スマイル。
「高校最後のライブ、最高に楽しんでいこうぜ!」
客席から「真琴様ー!」と歓声が飛ぶ。
その反応に微笑みながら、次のセクションへと進む。
「さて、ここからはちょっと雰囲気を変えるぜ?」
樹里がギターをかき鳴らしながら、観客を煽る。
「桜影の ‘もう一つの顔’ を見せてやるよ」
詩音が、ステージ中央に立つ。観客の期待が高まる中、軽快なイントロが流れた。
「行くよー!」
詩音が指をくるくる回しながら、アイドルスマイルを炸裂させる。
弾けるような笑顔、キュートな振り付け、キラキラと輝くステージ。
さっきまでのロックバンドのメンバーとは思えない——!
観客の驚きの声が漏れる。
特に男子のファンたちは、目を輝かせながらリズムに乗っている。
「はいっ! みんなも一緒にー!」
手拍子が起こり、会場が一体となる。
詩音のアイドル歌謡は、観客を完全に巻き込んでいた。
曲が終わると同時に、ステージが暗転。再びライトがステージを照らすと、着物を着た詩音が立っている。
先ほどのはじけるような笑顔は消え、落ち着いた微笑みをたたえている。
ギターがイントロを奏でる。
詩音が、深く息を吸い込んだ。
そして——。
先ほどとは全く違うその歌声に、会場が一瞬で飲み込まれた。
観客が驚きの表情を浮かべ、しんと静まり返る。
真琴も、何度も聴いてきたはずの詩音の演歌に、背筋が震えた。
……すごい。
深く響く歌声、情感たっぷりのビブラート、そして大げさすぎない抑揚。
プロの演歌歌手が歌っているのかと錯覚するほどの完成度だった。
観客がじっと聴き入る中、詩音が視線を上げる。
その瞳には、涙が光っていた。
最後のフレーズが響き渡り、静寂が訪れる。
次の瞬間——。
「すげぇ……!」
誰かの呟きが聞こえた。
そして、会場中が割れんばかりの拍手に包まれる。
静まり返る会場。
詩音がステージ中央で余韻をかみしめる中、樹里が静かにギターを弾き始めた。
優しく、でも、どこか切なく、まるで歌手がバラードを歌うかのように情感を込める。
そして、最後には力強く……。
樹里が最後の音を鳴らすと、会場が静寂に包まれる。
静寂の中、一瞬の間を置いて——
「うおおおおおおおお!!!」
歓声が一気に爆発した。
「ここから、もう一回、ぶち上げていくぞ!!」
真琴が叫ぶと、樹里がギターを炸裂させる。
最高潮のテンションで、アップテンポのロックナンバーへ。
泣きのギターの余韻を振り払うように、会場の熱気が再燃する。
桜影の音楽が、観客と一体になった瞬間だった。
ラストの曲が終わった瞬間、会場が一瞬の静寂に包まれた。
その直後——。
「桜影!!!」
誰かが叫ぶと、それに続くように、割れんばかりの拍手と歓声が巻き起こる。
「アンコール!!!」
「真琴先輩ー!!!」
無数の声が会場を満たし、アンコールを要求する拍手が続く。
樹里がニヤリと笑い、「アンコール行くぞ」とギターのストラップを掛け直す。
早紀が軽くベースを鳴らしながら、静かに頷く。
詩音が「よーし!」とマイクを手に取り、観客を煽る。
「行くよ! 最後の最後まで、ぶち上がっていこう!!!」
「おおおおおおお!!!」
歓声が爆発した。
イントロが鳴る。
観客が一斉に跳び上がるように盛り上がり、桜影は高校最後の曲に突入した。
真琴のスティックがリズムを刻み、樹里のギターが唸りを上げ、早紀の低音が地を這い、詩音の歌声が天井を突き抜ける。
全員が、この一瞬のために全力を注いでいた。
……これが、高校最後のステージ。
曲の終盤——。
真琴は一度、深く息を吸った。
バンドが一斉に音を止めた。
真琴はスティックを大きく振り上げ、ドラムソロが始まる。
バスドラムが響き、スネアが炸裂する。軽快なハイハットワーク、力強いフィルイン。
観客の歓声がさらに高まり、誰もが目を奪われている。
私は——このバンドのドラマーなんだ!
体の芯から湧き上がるエネルギーを、スティックに込める。
心臓の鼓動とリズムが重なり、会場の熱気がドラムの音に乗って広がっていく。
やがて、スネアの炸裂する一発で、全ての音が止まった。
会場が一瞬、静寂に包まれる。
その後——。
「桜影!!!」
爆発するような歓声。
名前を叫ぶ声、拍手、興奮に満ちた叫び。真琴は、スティックを握りしめたまま、仲間たちを見た。
樹里も、詩音も、早紀も、満面の笑みを浮かべていた。
真琴は、ステージ上で肩をたたきあう3人を見て「最高だったな」とつぶやいた。ライブが終わり、Beat Cellarのフロアには興奮冷めやらぬ熱気が残っていた。
◇◇
観客たちが名残惜しそうに帰っていく中、桜影のメンバー4人は、そのまま打ち上げに残ることにした。
カウンター席に腰を下ろすと、マスターがグラスを拭きながら苦笑する。
「お前ら……いやぁ、今日は本当にやられたよ。まさかあそこまでのライブになるとはな」
「ふふん、でしょ?」樹里が得意げに腕を組む。
「アイドルから演歌、泣きのギター、そしてロックのぶち上げ……こんなバンド、他にいないって」
「私たちにしかできないライブをしようと思ってたから」真琴が微笑む。
「まさにそれだったな。」マスターが感慨深げに頷く。
詩音は「マスターのリアクションが一番嬉しいかも!」と無邪気に笑い、早紀も「確かに、今日のライブは特別だったわね」と静かに言った。
遼は、カウンターの少し奥に座って、無言でグラスの水を揺らしていた。
真琴はその隣に座る。
「マスター、真琴にコーラを」遼が注文する。
マスターがグラスにコーラを注ぎ、真琴の前に置いた。
「ありがと」
「ライブの余韻に浸るのもいいが……卒業後は、どうするんだ?」
「……戻ってくるよ」
真琴は迷いなく答えた。
Beat Cellarの空気、バンドメンバー、そして隣にいる遼——ここに戻ってこない理由はなかった。
「……そうか。楽しみにしてる」
遼はそれだけを言って、水を一口飲んだ。
Beat Cellarでの「桜影の夜」から、一か月が経った。
秋もすっかり深まり、日中は暖かくても、日が暮れると冷え込むようになっていた。
高校最後のライブを終えたことで、バンドの活動も一旦区切りを迎えた。
早紀と樹里は、それぞれの進路に向けて勉強に取り組み始め、以前のように部室で顔を合わせる機会もめっきり減っていた。
だけど——今、一緒にいる時間が増えているのは、バンドメンバーではなく遼だった。
◇◇
午後の柔らかな日差しの中、真琴と遼はゆっくりと歩いていた。街の銀杏並木はすっかり黄色く染まり、風が吹くたびに葉が舞い落ちる。
「もうすぐ冬かぁ……」
ふと真琴が呟くと、遼がポケットに手を突っ込んだまま、ちらりと横目で見た。
「……寒くなるな」
「なにそれ。天気予報みたいな反応」
「事実だろ?」
「まぁね。でも、銀杏の葉が落ちるのって、ちょっと寂しいよな」
「また春になれば、新しい葉が出る」
真琴は遼のその言葉に、ふっと笑った。
相変わらず、無駄な感傷には浸らないタイプだ。
真琴が遼の顔を見上げると、ふいに遼が手を伸ばした。
真琴の髪にひらりと落ちた銀杏の葉を、そっと摘む。
「ほら、ついてる」
「……」
いつものように、さらっとした仕草。
「……お前、時々ドキッとするようなことするよな」
「どんな?」
「……それは言わない」
頬が熱くなるのを誤魔化すように、真琴は視線を逸らした。
遼はその様子を見ても、特に何も言わず、ただ静かに微笑んでいた。
銀杏の葉を踏みしめる音を聞きながら、歩いていく。
「なぁ、遼」
「ん?」
「……これからも、こうやって、一緒に歩けるのかな」
ふと口をついて出た言葉に、自分で驚く。まるで未来を確かめるような台詞だ。
「お前が ‘一緒にいたい’ って思ってるなら、そうなるだろ」
何の迷いもなく、遼はそう言った。
「うん、そうだな」
真琴は、ゆっくりと遼の腕に自分の手を伸ばし、そっと腕を組んだ。
遼は特に驚くこともなく、そのまま歩き続けた。
秋の終わり、銀杏の道を、二人はゆっくりと並んで進んでいく。
◇◇
カフェの窓際の席。
レジカウンターには、鮮やかに色づいたポインセチアが飾られ、クリスマスがもう近いことを感じさせていた。
真琴はテーブルにミルクティーのカップを置き、目の前のモンブランをスプーンですくう。
遼は、ブラックコーヒーを静かに口に運びながら、いつものように落ち着いた表情で座っている。
真琴はモンブランを一口食べ、
「遼ってさ、大学院に行って研究を続けるって言ってたけど、どんな研究してるの?」
と何気なく尋ねる。
「建築音響設計。コンサートホール、多目的ホール、ライブハウスの設計とか、そういうのを研究してる」
「へぇ、ライブハウスも?」
「観客に最高の音楽空間を提供するのはもちろんだけど、ライブハウスの場合は、周辺の環境を考慮した遮音計画も重要になる。音や振動が外に漏れすぎたら、トラブルにもなりかねない」
「……なんか、難しそう」
「まぁ、簡単ではないな」
遼はそう言って、カップを持ち上げ、ブラックコーヒーを一口飲んだ。
「でも、ライブハウスっていいよな」
ふと、遼が小さく呟く。
「演奏する側と聴く側が一番近くて、音楽の熱量をダイレクトに感じられる場所だ」
「……確かに」
真琴はスプーンを止め、思わず遼の顔を見た。
彼がそんなふうにライブハウスを語るのを聞くのは、初めてだった。
遼にとっては、あくまで“設計する対象”でしかないと思ったけれど、今の言葉には、それ以上の何かが込められている気がした。
「いつか、お前のために、最高のスタジオを設計してやるよ」
遼がふっと笑って言う。
「……なにそれ」
真琴も、思わず吹き出す。
「期待してる」
そう言いながら、スプーンを持ち直すが、内心では、その言葉が嬉しくて仕方なかった。
何気ない一言。
でも、それはただの冗談じゃなくて——
……こいつ、本当にやりかねないな、とも思えた。
ふと、遼が窓の外へと視線を向ける。
つられて真琴も外を見ると、街は夕陽に包まれ始めていた。
緑や橙色の光がガラスに反射し、店内の温かな雰囲気と溶け合う。
「……もうすぐクリスマスだな」
遼が小さく呟く。
「……そうだね」
カップを持ち上げながら、真琴はなんとなく相槌を打つ。
特に意識していたわけじゃない。クリスマスなんて、これまでバンドの練習やライブで忙しくて、あまり気にしたことがなかったから。
そんなことを考えていた矢先——
「お前、何か欲しいものあるか?」
「え?」
遼が、こんなことを聞くなんて意外だった。
「特に欲しいものなんかないよ」
真琴は素直に答えながら、少しだけ考えた。
物として欲しいものは、本当に思い浮かばない。
でも、せっかくのクリスマス——。
「……あ、でも、クリスマスのイルミネーションなんか見てみたいかな」
「イルミネーション?」
「うん。ずっとバンドの練習してたから、ちゃんと見たことなくて」
自分でも少し意外だった。別に、イルミネーションにそこまでの憧れがあるわけじゃない。
けれど、ふと口をついて出た言葉に、心のどこかが少し弾むのを感じた。
「ふーん」
遼は興味なさげにコーヒーを飲みながら、それ以上何も言わなかった。
あれ……スルー?
真琴は、少しだけ肩透かしを食らったような気分になりながら、
モンブランの残りをスプーンですくった。
カフェを出る頃には、すっかり夕闇が街を包み込んでいた。
夜風が肌をかすめ、真琴は思わずコートの襟を立てる。
「寒くなってきたね」
「……冬だからな」
「当たり前のこと言わないでよ」
冗談めかして言うと、遼は少しだけ笑った。
「……イブ、空けとけよ」
「え?」
「クリスマスイブ。夜、予定入れるな」
「……まさか」
「まさか、何だよ」
「いや、だって、遼、イルミネーションに興味ないでしょ?」
「俺が見たいかは関係ない。お前が ‘見たい’ って言ったから」
何でもないように言う遼の横顔を、真琴は思わず見つめた。
こいつ、こういうところ……ずるい。
無理に誘うわけでもなく、さらっと約束を入れてくる。
でも、真琴が言ったことは、ちゃんと覚えている。
「……わかった。空けとく」
冷たい夜風の中、さっき飲んだミルクティーよりも、ずっと心が温かくなっていた。
クリスマスイブの夕方、2人は高層ビルの展望フロアにいた。
ガラス張りの窓の向こうには、高層ビル群と港が広がっている。
「せっかくだから、クリスマスイブだけの特別なイルミネーションがいいだろ」
遼の言葉に、真琴は外の景色に目を向けた。
陽が落ち始め、オフィスビルの窓がぽつぽつと光を灯し始める。
やがて、辺りが暗くなるとともに、ビルというビルがライトアップし、街全体が輝き出した。
ビルがまるで光のオブジェのように立ち並び、道路沿いのライトアップされた並木と相まって、幻想的な光景を生み出している。
「すごい……」
真琴は思わず、ため息混じりに呟いた。
まるで、光の絨毯が、足元から遠くの港まで広がっているようだ。
「……イルミネーションって、こんなに綺麗なんだ」
真琴が素直に言うと、遼は得意げに微笑んだ。
「気に入ってもらえてよかった」
「うん」
真琴も、つられて微笑む。
「……この景色も、建築の視点で見るとまた面白いんだ」
ふいに、遼がガラス越しに広がる光景を指さした。
「ほら、あの高層ビル群。照明のパターンがビルごとに違うの、気づいたか?」
「え?」
「単に ‘光らせてる’ わけじゃない。建物の用途によって ‘見せる’ ための光と ‘働く’ ための光がある」
遼の言葉に、真琴は改めて街を見渡した。
確かに、オフィスビルの窓は等間隔に光っているのに対し、ホテルや商業施設はデザイン的にライトアップされている。
「ライブもそうだろ?」
「え?」
「ステージでも照明が演出をするように、建築も ‘光の演出’ を計算してる。普段の都市の夜景だって、設計された ‘イルミネーション’ なんだよ」
「……遼って、やっぱりすごいよな」
何気なく呟いた言葉に、遼は少し目を細めた。
「……こんなに綺麗な景色を見たのって、初めてだよ」
真琴は、窓の向こうの光に見惚れながら、ぽつりと呟いた。
イルミネーションそのものが美しいのはもちろん。でも、それだけじゃない。
隣に遼がいるから、この景色は特別に見えるのかもしれない。
……そんなこと、口に出せるわけないけど。
ふと気づくと、2人の距離が自然と近くなっていた。
肩が、かすかに触れ合う。
真琴は、そっと遼に寄りかかった。
遼も、それを拒むことなく、静かに肩を抱く。
窓の外には、まばゆい光の海。
でも、それよりも——。
寄り添った遼の温もりの方が、ずっと心地よく感じた。
桜影の夜から4か月が経ち、冬の寒さが一層厳しくなる頃——
バンドメンバー全員の進路が決まった。
部室はエアコンが効いていて温かいが、窓の外にはちらほらと雪が舞っている。
練習ではなく、今日は「今後のこと」を話すために集まった。
「それで、早紀は?」
真琴が早紀に目を向けると、彼女はいつもの冷静な表情で答えた。
「第一志望に決まったわ。これからは、学業とバンドの両立ね」
「両立って……そんなに忙しくなるのか?」
樹里が腕を組みながら尋ねると、早紀は淡々と答える。
「まあ、それなりにね。でも、音楽は私の中で ‘好きなこと’ だから、やめるつもりはないわ」
「さすが、優等生やな」
樹里がニヤリと笑う。
「樹里は?」
「ウチ? まあ、大学には行くけど……正直、興味あるのは音楽だけやしなぁ」
「軽音サークルとか入るの?」
詩音が興味津々に聞くと、樹里は「いや、絶対入らん」と即答した。
「そんなんより、桜影の活動の方が楽しいやろ」
「だよね! 私もそう思ってた!」
詩音が嬉しそうに手を叩く。
「卒業しても、バンドやるんでしょ? じゃあ、問題なし!」
「うん。桜影は ‘ここで終わり’ じゃない」
真琴はそう言いながら、部室のギターやドラムセットを見渡す。
この部屋での活動はもうすぐ終わるけれど——
それは「終わり」じゃなくて「新しい始まり」。
「じゃあ、大学が違っても、バンドは続けるってことでいいんやな?」
樹里がみんなを見渡す。
「もちろん!」
詩音が真っ先に答え、早紀も小さく頷く。
「当然でしょ」
そして、真琴も改めて——
「うん、続ける」
そうはっきりと言った。
メンバーそれぞれ、進む道は違う。
でも、音楽で繋がっていることは変わらない。
桜影は、これからも続いていく。
◇◇
冬の冷たい風が吹き抜ける夕方。
桜影のメンバー4人は、Beat Cellarの扉を開けた。
「おー、来たな!」
カウンターの向こうからマスターが手を振る。
見慣れたライブハウスの空間。
ここで何度も何度も演奏をしてきた。
「今日はどうした?」
「お世話になったお礼と……報告をしに」
真琴が答えると、マスターは少し驚いたように眉を上げた。
カウンターに並んで座り、それぞれの進路を報告する。
「そうか。……で、バンドは?」
マスターの問いかけに、真琴は迷わず答えた。
「続けます」
すると、詩音が勢いよく言葉を重ねる。
「もちろん! だって、バンドやめるなんて考えたことないし!」
「そやな。ウチも、大学行くけど音楽は最優先や」
樹里も当たり前のように言う。
「私も、学業とのバランスは取るつもりだけど……やめるつもりはないわ」
早紀の言葉に、マスターはニッと笑った。
「ははっ、いいねぇ。お前ららしいや」
そして、ウイスキーグラスを磨きながら、ふとカウンター越しに真琴を見つめる。
「真琴、お前はどうだ?」
Beat Cellarは、真琴にとって特別な場所だった。
この場所で演奏することで、自分が何をしたいのか、何を大切にしたいのかが見えてきた。
「……私は、ここで得たものを大事にしたい」
「ほう?」
「専門学校で音楽を続ける。プロになれるかは分からないけど、やれるところまでやるつもり。私にとって、音楽は、 ‘私自身’ だから。」
マスターは少し驚いた顔をした後、満足げに微笑む。
「なるほどな。そりゃ、最高の答えだ」
すると——カウンターの奥の席から、静かに会話を聞いていた遼が口を開いた。
「……お前の音楽が ‘お前自身’ なら、迷う必要ないな」
「遼……」
「卒業しても、Beat Cellarの ‘桜影’ は消えない。いつでも帰ってこいよ」
遼はグラスを軽く持ち上げて、真琴に視線を向ける。
その仕草に、真琴の胸が熱くなった。
この場所には、いつだって帰ってこられる。
そう思うと、不安はもうなかった。
「まあ、大学生になったら、今まで以上に自由にやれるやろ」
樹里が肩をすくめると、詩音が「そうだよね! もっといろんなライブやりたい!」とウキウキしている。
「……いいか、お前ら」
ふと、マスターが少し真剣な表情になった。
「どこに行こうが、何をしようが、 ‘音楽を楽しむ’ ことを忘れんなよ」
その言葉に、4人は静かに頷いた。
「また、戻ってくるよ」
真琴がそう言うと、マスターは満足げに笑った。
「待ってるぜ、桜影」
その言葉に、4人は静かに頷いた。