●翌日、空子の部屋(午前八時前)
ゴールデンウィーク突入。
部屋のベッドで眠る空子はまだ夢の中。
しかし思考は昨日の続きを引きずっていて、現実と夢の狭間を彷徨っていた。
空子(嫉妬をきっかけに、幼なじみの琥珀に恋をしていると知った)
(琥珀に触れられたり、視線が合うとドキドキが止まらなくなる)
(その琥珀も私を好きで、琥珀の彼女になれるのも私だけらしい)
(私が、琥珀の彼女……??)
(ダメだ、全く想像できない……)
ふと目を覚ました空子。寝た気がしなくて疲れが残る。
寝返りをすると、そこには琥珀が爽やかな笑顔で頬杖しながら空子を見つめていた。
琥珀「おはよ」
空子「っっ⁉︎」
空子は飛び起きて、クッションを投げる寸前の体勢を取った。
琥珀「うわ待て待て! 投げるな!」
一方の琥珀は、空子を宥めながら部屋にいた経緯を説明する。
琥珀「香苗さんに空子を起こしてくるよう頼まれたんだよ」
空子「……お母さん……」
琥珀「もう仕事に行ったぞ」
空子は顔を歪ませて母を恨んだ。
昨夜はいろんなことを考えていてあまり眠れず、ようやく就寝したのは明け方だった。
いつもの時間に起床できなかった空子が、悔しそうに琥珀を見る。
空子「……部屋には勝手に入らないで」
琥珀「今更だろ。どうした急に、恥ずかしくなった?」
空子「っ!」
琥珀「二人きりだもんな〜」
琥珀に煽られ、カッと顔が熱くなった。
いつもなら感情を乱すことなく言葉を返せるのに、琥珀を意識して以降はいちいちは反応してしまう。
その慣れない心の動きに、空子が押しつぶされそうになっていた。
空子(ううう〜!)
ベッドの上で三角座りをし、膝に顔を埋める空子。
さすがの琥珀もやりすぎたと思い、心配そうに声をかける。
琥珀「そ、空子?」
空子「……なんで」
琥珀「え」
空子「なんで、昨日の今日で普段通りにいられるのよ……」
互いの想いが通い合ったら、恥ずかしさや照れくささがあってもおかしくない。
なのに琥珀はいつもと変わらない。
それがなんだか悔しく、いつも通りにできない自分には情けなさを感じた空子。
すると、琥珀がそっと空子の頭を撫でる。
琥珀「ばかだな〜、俺が何年この時を待ち侘びたと思ってんだよ」
空子「……っ!」
琥珀「だから、昨日自分の気持ちに気づいたばかりの空子は、ゆっくり慣れればいいから」
琥珀の優しい言葉に、空子の心が温かくなる。
空子(琥珀、何年も前から私のこと好きなの……?)
その一途さに心打たれた空子がゆっくり視線を上げると、琥珀が普段よりもかっこよく見えた。
上目遣いでじっと見つめてくる空子に、琥珀の心が疼きはじめる。
琥珀「……ん? キス待ち?」
空子「なっ⁉︎ 違うよ!」
琥珀「していいなら今すぐするけど」
空子「だ、だめに決まってるでしょ!」
琥珀にクッションを押し付けてベッドを降りる空子。
クッションとキスを交わす羽目になった琥珀は、律儀すぎる自分を反省した。
琥珀(……不意打ちで奪っちゃえばよかったか?)
クローゼットを開けた空子が、着替えの服を選びながら今日の予定を再確認する。
空子(今日は真衣さんのお見舞いに行く日)
(病院の面会時間は十時からだから)
(洗濯した着替えを持って、あと途中でお花も買って……)
考えているうちに琥珀の存在を忘れてしまった空子が、ルームウェアを脱ごうとした。
空子「っ⁉︎」
慌てて振り返ると、ニヤニヤして待機する琥珀がこちらを見ていた。
空子「……着替えるから、一階で待ってて」
琥珀「俺に構わず着替えていいよ」
空子「できるわけないでしょ」
琥珀「ちぇ、彼氏の特権だと思ったけどダメか」
空子「彼っ……ずっとダメだし」
空子の中では、幼なじみの琥珀に恋をしたという感覚止まり。
琥珀は残念そうにため息をついて、部屋を出ていこうとした。
ただ、一つだけ言い忘れていたと振り返る。
琥珀「空子はゆっくり慣れればいいって言ったけど」
空子「え?」
琥珀「俺は空子への愛を包み隠さずガンガン伝えるから、よろしく」
意地悪な笑みを浮かべた琥珀は、そう言い残してドアを閉めた。
空子(あ、あい……ガンガン……)
どの程度なのか想像もできない空子が顔を赤くする。
ひとまず着替えながら、自分なりに今後について考えはじめた。
空子(まだ彼氏とか彼女とか、そういう段階に気持ちが追いついてない……)
(確かに、琥珀と私は両想い……)
(だけど学校では今まで通り無視してほしいし、もちろん両想いだってことも秘密にしてほしいのに)
琥珀と想いが通じていることは嬉しいけれど、どこか不思議な感覚。
そして不安要素は今まで以上に大きくなる。
空子(凪のような生活が壊される危険度も増してしまった……)
展開が早すぎて複雑な心境を抱える空子は、早速見えない壁にぶち当たっていた。
●キッチン
朝食のフレンチトーストを作っていた琥珀が、キッチンに立つ。
皿に盛り付けた時、朝の支度を終えた空子がリビングに姿を現す。春らしい花柄ワンピースを着ていた。
琥珀(……俺の空子が世界一可愛い件について)
真顔の琥珀だが、内心は感動しすぎて空子を愛でる発言をする。
そうとは知らず、空子がキッチンを覗いた。
空子「……良い匂い」
琥珀「フレンチトースト作った。食べるだろ?」
空子「うん、美味しそう……。琥珀のフレンチトースト初めて食べる」
いつもの柔らかい笑みで応えてくれた空子に、琥珀は幸福感で満たされる。
互いに向かい合ってダイニングチェアに座り、両手を合わせた。
空子「いただきます」
琥珀「いただきます」
フレンチトーストを食べやすいようにナイフで切りながら、空子がふと思った。
空子(こうしていると本当に今までの関係と変わらない)
(昨日の出来事って、必要だったのかな……)
(私の中だけで琥珀を好きだと気づけていたら、もう少し先の未来について一人で考える余地はあったのに)
なんてぐるぐる考えていると、突然琥珀に呼ばれた。
琥珀「空子」
空子「え――むふ⁉︎」
琥珀が一口サイズに切ったフレンチトーストが、空子の口元に運ばれた。
無意識にパクリと頬張った空子に、琥珀は満足げに笑う。
琥珀「今の恋人っぽくね?」
空子「⁉︎」
口をもぐもぐしながら、恥じらう空子。
ただ、琥珀は今までにないほどに嬉しそうで、それが両想いだとわかったおかげだとしたら――。
空子(琥珀にとっては、良いことだったのかな……)
(こんな甘く微笑む琥珀は初めて見るし。私のことも、いつも以上に甘やかしている)
(琥珀が喜んでくれるなら私も嬉しい。きっと、必要なことだったんだね……)
琥珀の笑顔を見つめていると、空子の悩みが少し軽くなった。
●真衣が入院している病院、病室(午前中)
病院まではバスで三十分。
琥珀は母の着替えが入った荷物を持ち、空子はバスを降りた先の花屋で買った花束を持っている。
真衣「琥珀、空子ちゃん! いらっしゃい」
空子「真衣さん、こんにちは」
病室を訪れると琥珀の母、真衣が元気そうな笑顔で出迎えてくれた。
その姿に空子も琥珀も一安心する。
真衣「空子ちゃんごめんね、お見舞いまで琥珀に付き合わされて」
琥珀「ちげーよ、空子が一緒に行きたいって」
真衣「え、そうなの? せっかくの連休なのにありがとう〜!」
真衣が嬉しそうに微笑む。
空子(ふふ、やっぱり笑った時の目元が琥珀に似てる)「真衣さんは私にとっても“お母さん”ですから」
真衣「やだー空子ちゃん! おばさん嬉しくて泣いちゃう〜」
空子が真衣と仲良く会話する。その光景がさらに琥珀の想いを増長させた。
●病院前、幹線道路沿い(正午前)
楽しい時間はあっという間で、長居をしないように病院を出た二人。
幹線道路沿いのバス停目指して並んで歩く。
空子「真衣さん、元気そうでよかった」
琥珀「ああ、薬が効いて腰の腫瘍も小さくなってるから、手術がしやすくなるらしい」
琥珀の説明を聞いて心底安堵した表情をする空子。
琥珀はこのまま帰宅したくないなという欲が出てきた。
●バス停前
バス停に差し掛かる手前で、琥珀がある提案をする。
琥珀「……空子、このままランチ食べに行かね?」
空子「え?」
琥珀「ランチデートしたい」
ウキウキ気分が顔から滲み出ている琥珀。しかし空子はつい周囲を警戒してしまう。
バス一本で向かえる病院までは、それほど警戒しなかった。
けれど、ここは街中。二人きりで歩いているところを同じ高校に通う生徒に目撃されたら――そんな不安がよぎった。
バス停を通り過ぎようとする琥珀を、空子が呼び止める。
空子「い、家で食べよ? 私何か作るから」
そう言って無人のバス停に並び時刻表を確認する空子。
ランチデートを拒否されることは予想範囲内だった琥珀は、すぐに諦めて引き返し空子の後ろに並んだ。
琥珀「……家ってのも、逆に人目がないから色々期待しちゃうな」
空子「は⁉︎ な、何考えて――」
琥珀「べっつにー」
何か企むような琥珀の笑みに、空子が身の危険を感じる。
お互いに好き同士なら、多少のスキンシップは当たり前かもしれない。
しかし、空子は自分の中で気持ちが追いついていなければ、琥珀の思いを受け入れる準備もできていない。
空子「あのね、琥珀……」
琥珀「ん?」
空子「私、まだ自信ない。琥珀のことは好きだけど、その、今の生活が変わっていくのは、まだ不安で……」
俯きながら胸の内を吐露する空子。琥珀にはその意味がすぐに理解できた。
空子「だから、学校では今まで通り――」
琥珀「わかってる。今まで通り空子を無視するし、幼なじみの関係も秘密のまま――だろ?」
空子の一番の理解者である琥珀は、学校での変わりない生活を保証すると話してくれた。
ほっとする空子だが、一つ疑問が湧く。
以前琥珀に言われた『いつまで空子を無視しないといけないの?』というセリフ。
空子「でも、この前はその件を気にしてたのに……」
琥珀「あれは……空子の気持ちがわからなかったから」
空子「私の、気持ち?」
きょとんとする空子。琥珀はその頬をぷにっと優しくつまんで微笑んだ。
琥珀「俺を好きだと自覚したなら、そのままよそ見せずに俺だけ見てろよ」
空子「っ……へ?」
琥珀「それが、空子を今まで通り無視する絶対条件だからな」
そう言って手を離した琥珀。空子との関係を今まで通り秘密にするし、願い通り無視だってすると約束した。
琥珀(空子の好意が俺に向いているとわかっていれば、他の男と話していようと不安になることはない)
(いや、腹は立つけど、めちゃくちゃ嫉妬するけど!)
一人心の中で葛藤する琥珀と、琥珀の話を聞いて安堵する空子。
何か温かいものを胸の奥に感じて、琥珀に触れたくなった。
すると空子は腕を目一杯伸ばして、仕返しするように琥珀の頬をぷにっとつまんでみせる。
琥珀「っ⁉︎」
空子「琥珀って、意外と独占欲強めなんだね」
初めての行為に驚く琥珀。空子は楽しそうに微笑んだ。その時、乗車予定のバスが見えてきた。
空子「あ、バスきたよ」
パッと手を離した空子が、バスが停車するのを待つ。しかし琥珀は、頬に帯びた熱を冷ますのに必死だった。
琥珀(……意外でもなんでもねーよ)
(俺は昔から空子一筋で、独占したいってずっと思ってた)
空子が気づいていないだけで、琥珀の想いはずっと変わっていない。
停車したバスに空子が乗り込み、ほんのり頬が赤い琥珀があとに続いた。
そんな二人を見かけてしまった人物がいる。
涼音「……琥珀と、なんで青宮空子……?」
琥珀と同じクラスの涼音が、空子たちとは反対側の歩道で立ち止まっていた。
手には花束を持ち、これから病院に向かおうとしているところだった。



