生まれた時から、左の脇腹に大きなほくろがあった。
それは成長とともに徐々に大きくなっていき、10歳を過ぎたある日、世話をしていた侍女から「何かの模様のようですね」と言われたことを覚えている。
毒草であるリコスチナの蔓が上部の空いたサークル状に描かれ、その中央には魔法の杖に絡みついた禍々しい大蛇が二つに裂けた細い舌を出し、こちらを睨んでいる。
その模様がはっきりとしたのは、15の誕生日を過ぎた頃からだった。
よく晴れた天気のよい日、王宮の庭で招待した友人たちとピクニックをしていた時のことだった。
花を摘んでいる最中に突然倒れた私は三日三晩高熱にうなされ、国中の医師たちがどれほど手を尽くしても一向に回復の兆しがみられなかったという。
私を苦しめた熱と痛みの原因は、その「ほくろ」だった。
赤黒く浮かび上がった手の平ほどの大きさの紋章は、この時の熱で輪郭をはっきりとさせ、私の体にくっきりと浮き上がる。
「陛下。ウィンフレッドさまの熱の原因は、病などではありません。魔法の力でございます。それもとても古い時代にかけられた、強い呪いのせいでございます」
そう進言した医師の言葉をきっかけに、父である国王は、我がラドゥーヌ王家に伝わる伝承を思い出した。
「呪いだと? なぜそのようなことが! まさか祖父の代から伝わる伝承が、現実のものになるとは……!」
ラドゥーヌ王家には、100年伝わる伝承がある。
私の曾祖父にあたる15代国王は、森で出会った美しい娘ヘザーと恋に落ち、彼女を正妃として迎え入れた。
だがその時の宮廷付き占い師であった魔法使いグレグ・ルドスキーもまた、彼女に恋をした。
王と王妃の恋仲を邪魔し続ける彼に、怒った王は壮絶な戦いの末、グレグを国外へ追い払うことに成功する。
しかしその去り際、魔法使いグレグは王家に呪いをかけた。
『ヘザーの血を引く娘がラドゥーヌ王家から生まれたら、16の誕生日の日にお前の代わりにもらい受ける』と。
呪いを恐れた王は、国内外からありとあらゆる魔法使いを呼び寄せ、王妃ヘザーに守りの加護をつけさせた。
彼女の血縁からは、決して女児の生まれることのないよう、男児しか授からない加護を付けた。
その教えは長く受け継がれ、次の16代国王も17代国王も、正妃として迎え入れた女性に同じ加護を与えた。
結婚式で行われるその儀式は、いつしかラドゥーヌ王家の伝統となっていく。
だが18代国王の正妃として嫁いだ、私の母は違った。
そんな古い慣習など所詮迷信だと、男の子だけでなく女の子も欲しいと望んだ。
そうでなければ結婚しないとまで言い切った母に、父はその条件を受け入れ、二人はようやく結ばれた。
そのため父王は、結婚式で母に受けさせる祝福の魔法のうち、時代遅れと見なされた男児しか生まれない加護をあえて与えない選択をした。
そうしてようやく、3代にわたって途絶えていた王女として、長兄、次兄に続き、第三子として私が誕生する。
無事生まれた久々の王女に、グレグの呪いなど誰もが忘れ、沢山の人々が多くの祝福を与えた。
そして15歳の時、呪いの証である紋章が現れる。
大魔法使いグレグの呪いは強力だった。
100年の時を経てもなお効力の切れることなく発動されたそれは、並みの魔法師の力では全く解くことが出来なかった。
生まれた時に与えられた多くの祝福のおかげで、私は誕生後すぐにグレグに見つかりさらわれることなく、無事王宮に居られたのだと知らされる。
「本当にこの紋章は、グレグの呪いなの?」
私はひいお祖父さま譲りの赤い琥珀色の巻き髪を、うんざりと撫でた。
お茶の準備をしていた魔法使いのドットは、真剣な表情を一切崩すことなく答える。
「ウィンフレッドさま。残念ながら、間違いございません」
ドットは現国王に仕える、宮廷魔法庁の長官だ。
見た目は23歳くらいに見えるが、彼の実際の年齢を知る人はいない。
白銀のサラサラとした長い髪に、冷たく光るブルーグレーの瞳。
父の代から新しく王宮入りした魔法使いで、魔法の腕前と忠誠心は確かだった。
私が生まれた時に、加護を付けてくれた魔法使いの一人でもある。
それ以来ずっと、彼は私の教育係であり世話係であり、何でも相談できる臣下として接していた。
「あなたさまの体に浮かび上がった紋章は、魔法を扱う者なら誰もが知る恐ろしい大魔法使い、グレグ・ルドスキーの紋章です。その刻印を持つ者は、彼の所有物であるという証」
彼は床まで引きずる真っ白な法衣をふわりとなびかせ、席についた。
テーブルに置かれた湯気の立つティーカップに、私は髪と同じ色をした赤い琥珀色の目を伏せる。
「ウィンフレッドさまの体に浮かび上がった魔法の刻印が、我々の与えた加護の力を打ち破りくっきりと現れた以上、グレグもまたあなたの存在に気づいたことでしょう」
それを知った父と母の愛は重かった。
グレグの呪いを恐れた父王は、16の誕生日を過ぎるまで、私をこの城の最奥にある高い塔のてっぺんに閉じ込める決定を下す。
おかげで私は、こうしてこの狭い塔の上で退屈な毎日を送っている。
「16の誕生日まで、まだ半年もあるのよ。それまで私を、ここに閉じ込めておくつもりなのかしら」
お父さまとお母さまに泣きつかれ、二人の兄たちにまで懇願されたからこそ、こうして閉じ籠もることに了承した。
了承はしたんだけど……。
「あー! もう退屈! 退屈過ぎて我慢できなーい!」
たった2日でもう飽きた。
狭い部屋にたったひとりぼっち。
話し相手もいなければ、どこかに出掛けることも出来ない。
「紋章がはっきりと現れた以上、いつグレグが現れるか分かりません。ウィンフレッドさまがこの歳まで無事にいられたのは、我々の加護があってこそなのですよ」
「そんなことは、もう散々言われたので分かってます!」
フン。だからって何よ。
ドットだって他の魔法師たちだって、どれだけ頑張ってもこの紋章を取り除くことが出来なかったくせに。
塔のてっぺんの狭い一室といっても、丸い形をした部屋の壁の半分は運び込まれた本で埋め尽くされ、床には真っ赤なふかふかの絨毯が敷かれている。
ベッドは使い慣れた天蓋付きのベッドを運んでもらったし、お茶をしたり編み物や刺繍、読書をするのに十分な大きさの丸テーブルと肘掛けが二つと、ソファーも用意されていた。
石造りの壁にはタペストリーや絵画が飾られ、火をおこす暖炉もある。
本棚の横にはお菓子や飲み物、お腹が空いた時のパンも常に常備されていた。
「ですがウィンフレッドさま。これもみな、あなたのことを心配してのことなのです」
「もちろんそれは分かってるけど、退屈なものは退屈なの!」
紋章によって発熱していた体温が下がり調子が戻ったとたん、完全にここに閉じ込められてしまった。
「15代国王とヘザーさまを巡る戦いの話は、物語にも描かれるほどすさまじいものでした。城下にも、その記憶をまだ残すものもございます」
「ドットは実際にその戦いを見たの?」
「いえ。私は見ておりませんが、話はよく伝え聞いております」
彼は淹れたての紅茶にミルクを注ぐと、静かにスプーンでかき混ぜた。
15代国王として王位につく前、王子の地位にあったユースタスさまと、森に住む木こりの娘であったヘザーさまは運命的に出会い、恋に落ちた。
初めは使用人として城に入ったヘザーさまに、同じように恋をしたのがグレグだった。
グレグはヘザーさまを我が物にしようと、王子の目を盗んで彼女をさらい、森の奥へ隠してしまう。
愛する人を奪われ怒ったユースタス王子は、グレグの居場所を見つけ出し、兵を引き連れ戦いを挑んだ。
三日三晩続いた剣と魔法の戦いは、城の周囲にあった森を全て焼き尽くしたという。
「グレグは狡猾かつ残忍。目的のためなら手段を選ばない男です。彼の元に連れて行かれれば、たとえウィンフレッドさまといえども、命の保証はありません」
「私のことは、ドットや国の騎士たちが守ってくれるんじゃないの?」
「もちろんです。今も城全体だけでなく、この塔には特別強力な結界を張り巡らせ、兵士や魔法師たちによる厳重な警戒をさせております。絶対に姫さまを、グレグに奪われるようなことはさせません」
そうね。ドットだけではなく、彼らにも私のせいで迷惑をかけているのは分かってる。
我が儘を言ってはいけない。
多くの人が心配してくれている。
「……。ありがとう。心から感謝しています。皆にもよろしく伝えておいてね」
私だって、正体不明の恐ろしい魔法使いのところへ連れて行かれたくなんかない。
少なくとも、100年も前から生きている大魔法使いだ。
16にもならない私なんて、おもちゃのネズミくらいのようなものだろう。
会った瞬間、踏み潰されてしまうかもしれない。
魔法の火で、あぶり殺されてしまうかも。
怖くなって少しだけ大人しくなった私に、ドットは白い肌に微かな笑みを浮かべた。
「もっと本を持ってこさせましょう。刺繍や編み物だけでなく、絵や何か楽器のようなものを練習なさるのもよいかもしれません」
「そうね。退屈しのぎには丁度いいかも」
「いずれ自由になれる日がやって参ります。それまで共に戦いましょう。誕生日が最悪の一日になるだなんて、誰にとってもあってはならないことです」
面談代わりのお茶を終えたドットが、他の仕事に戻るため狭い塔の部屋を出る。
唯一の出入り口を塞ぐ重い木の扉が開かれた。
屈強な男性兵士が二人がかりでようやく開くことの出来るような扉だ。
自ら望んでここに居るとはいえ、気持ちはずっしりと重くなる。
こんなにも長い間たった一人きりでいるなんて、今まで一度もなかった。
閉められた扉の向こうで、かんぬきのかけられる音が聞こえる。
誰も居なくなった薄暗い部屋で、ランプの明かりを消した。
たった一つの窓の外では、すでに太陽も隠れている。
真っ暗になった部屋で盛大にため息をつくと、ベッドの上へ飛び込んだ。
紋章が浮き上がる直前まで、あれだけ毎日楽しく過ごしていた日々が嘘のよう。
沢山のお友達に囲まれピクニックへ行ったり、お茶会をしたり。
乗馬や流行の演劇を見に行く約束もしていた。
街で開かれる、初夏を彩るパンタニウムの花祭りも、もうすぐなのに。
我慢しなくちゃと分かっていても、一人になった夜の部屋では、涙があふれて止まらない。
川遊びに行きたい。ボートに乗りたい。生まれたばかりの子馬は、もう私のことを忘れてしまったかも。
ドット以外の人は危険があるからと、誰もこの部屋に会いに来てくれない。
話も出来ない。助けてと叫びたくても、叫ぶことすら許されない。
めそめそと一人泣いて過ごす夜を、あとどれくらい過ごせばいいの?
誕生日まであと半年って本気?
どうしてグレグは、私にこんな紋章なんて付けたんだろう。
なんで私?
こんなの、全然私のせいじゃないじゃない。
ただ生まれてきただけで、何にも悪いことなんてしていない。
なのにどうして……。
星も見えない真っ暗な夜の窓を、コツコツと叩く音が聞こえた。
「誰?」
何かが窓の外でうごめいている。
足音を忍ばせ明かりもつけずにそっと近寄ると、一羽の大きなカラスと目があった。
彼はもう一度、くちばしでコツコツと窓を叩く。
「どうやってここまで入って来たの?」
ドットから、決してよそ者をこの部屋に招き入れるなと言われている。
だけど、カラスが相手だ。
この国一番の魔法使いがかけた結界なのだから、敵意あるものなら全て排除されているはず。
この窓から見下ろす庭に、小鳥も虫も木の葉も飛んでいた。
それらは全て害のないものだから、入ってこられたのよね。
そうじゃなきゃ、すり抜けられないもの。
だけど……。
カラスは大きな黒い目でこちらを見つめながら、しきりにカクカクと左右に首をかしげている。
「ふふ。いいわ。入れてあげる。私もずっと一人ほっちで、寂しかったの」
掛けがねをカチリと外す。
わずかに開いた窓から、カラスはサッと中に滑りこんだ。
部屋を素早くぐるりと一周したかと思うと、中央でふわりと体を浮かせる。
そのままテーブルの上に、バサリと着地した。
鋭い爪が木の板に当たって、カチカチと音をたてている。
「ちょっと待ってね。いま明かりを付けるから」
テーブルに置かれたろうそくに慌てて明かりを灯す。
カラスはせわしなく首を傾けぴょんぴょん跳びはねながら、部屋の様子をうかがっていた。
「どうしてここまで来たの? 怪我してる? 何かに襲われた?」
もっとよく見たいけど、このカラスは普通のカラスより一回り大きい気がする。
近くで見るとわりと大きな鳥の部類だ。
突然襲われたらと思うと、自分で引き入れておきながら、大胆な計画にかなり緊張している。
「何か食べる? お菓子なら沢山余っているの」
カラスから目を離さないようにしながら、ゆっくりと部屋を移動する。
もし危険な動きをしたら、すぐに壁にかけられた非常用のベルを鳴らすつもり。
扉の外で番をする兵士たちが、駆けつけてくる。
「あなたは何が好き? 種入りのクッキーなんてどうかしら」
バスケットにかけられた布巾を取り払う。
今日の昼に焼き上がったものを、さきほどドットが運んできたものだ。
色とりどりのクッキーやメレンゲ、スコーンなどの焼き菓子が、びっしりと並べられている。
「ジャム入りのものもあるみたい。あなたはどっちが好き?」
アーモンドと野いちごのジャムが入ったクッキーを一枚ずつ小皿に並べ、そっとカラスに近づける。
コトリと置いた皿をしばらく不思議そうに眺めていたが、カラスは種入りのクッキーを気に入ったようだ。
何度かくちばしでつついて確かめたそれをパクリと咥えると、そのまま丸呑みにしようとしている。
くちばしに対して大きすぎるそれと格闘するカラスの気がこちらからそれた瞬間、私はガバリとそこへ飛びかかった。
「捕まえた!」
「ギィヤァッー!」
大きなカラスは叫び声をあげ、腕の中で翼をばたつかせ大暴れしている。
だけど、こんな程度じゃ負けない!
「バカね! 私がそんな簡単に騙されると思ったの? あなたグレグでしょ! 野性のカラスならふらふらとこんな夜中に、塔のてっぺんに来るワケないもの!」
「分かった、分かった! 分かったから離せ!」
しっかり掴んだ腕の中で、カラスはまだ暴れている。
「離すもんですか! 衛兵! 衛兵! いますぐ扉を開けなさい!」
「待て!」
ボンッ! と音がしたかと思うと、目の前に真っ白い煙がもくもくと上がる。
カラスの姿は跡形もなく消え去り、そこに現れたのは、金髪のおかっぱ頭に鮮やかな蒼い目をした、12、3歳くらいのまだ幼さの残る少年だった。
「俺はグレグじゃない。グレグの使いだ!」
「グレグの使い? どういうこと?」
少年は茶色い皮のブーツにズボンを履き、白いシャツの上に蒼い目と同じ色をした蒼のベストを身につけていた。
それは金の刺繍で縁取られ、まるでどこかで見たことのある王子さまのよう……。
「だ、だから、俺はグレグさまに、ウィンフレッドがどんな王女なのか見てこいと言われ、ここまで寄こされたんだ!」
「ウィンフレッドさま!」
不意に、背後で重い木の扉をドンドン叩く音が聞こえる。
部屋の騒ぎに気づいた衛兵が、門の外で声を荒げた。
「どうかされましたか? 入ってもよろしいか!」
そう聞いておきながらも、扉はもうギギギと音を立て開き始めている。
私は慌てて開きかけているその隙間に飛び込むと、少年の姿が彼らから見えないよう隠した。
「あ! ご、ごめんなさい。窓を開けたら大きな羽虫が飛び込んできちゃって。そ、それで、ちょっとびっくりしちゃっただけだから」
「そうなのですか? それは申し訳ございませんでした。ですがいちおう、部屋を改めさせていただきますね」
兵士は扉を押し開けると、そこから中へ入ることなく周囲を見渡した。
カラスに化けていた少年の姿は、いつの間にか見えなくなっている。
「本当に、大丈夫なのですね」
「え、えぇ。また何かあったら、すぐに呼ぶわ」
「かしこまりました」
彼は生まれつきであろう勇ましい顔に、グッと眉をよせしかめ面をして気合いを見せる。
兵士はギロリと部屋をもうひと睨みしてから、ようやく扉を閉めた。
完全に扉が閉まった後で、ほっと胸をなで下ろす。
ランプの明かりを掲げ、薄暗い部屋で消えてしまった男の子の姿を探した。
「ねぇ。捕まえたりしないから、もう一度出てきて。お願い。あなたと話がしたいの。名前を教えて」
赤い絨毯の向こうには石造りの壁が広がり、置かれたテーブルとソファーには、本当に誰の姿も見えなかった。
「全く。とんだお転婆姫だな」
少年の声が聞こえた。
彼は開け放された窓枠に腰掛け、今にもそこから飛び降りて逃げ出してしまいそうな雰囲気だ。
「待って。逃げないで。もう捕まえたりしないから」
私より幼いような、まだあどけない顔をした背の低い少年は、用心深くこちらをうかがっている。
「もしまたヘンな動きしたら、俺はこのまま飛び降りて、二度とここへはやって来ないからな!」
「あなたがいたいのなら、ずっとそこにいてもいいわよ。もう絶対ヘンなことしない」
窓へ一歩近づいた私に、彼はビクリと全身を震わせる。
「だからそこから動くな! これ以上近づいたら、俺は本当に飛び去るぞ!」
「分かった。分かったわよ。もうここから動かない」
すっかり彼を怖がらせてしまった。
私はあえて彼に背を向けると、ゆっくりとソファーに腰を下ろす。
「これだけ離れていれば、問題ないでしょう?」
「……。ま、まぁ、それなら悪くないだろう」
少年はようやく、落ち着いて話をする気になったようだ。
もぞもぞと体を動かすと、石造りの窓枠に座り直す。
「あなたの名前は? 名前はなんていうの?」
「カイル。カイルだ」
サラサラとした真っ直ぐな肩までの髪が、金色に光る水面のように夜風にふわりと揺れた。
真っ白な肌に目の覚めるような蒼い目は、本当にどこかの物語に出てくる少年王のよう。
「カイルが、グレグの使いっていうのは、本当なの?」
「あぁ、本当だ。呪いを受けたウィンフレッドが、どんな姫なのか様子を見てこいと言われて、やってきた」
彼はこちらを警戒しながらも、赤い琥珀色の髪と目をした私を、まっすぐにじっと見ている。
「あなたもグレグに捕まっているの?」
「は? どういうことだ」
「使いって、あなたもどこかの国でグレグにさらわれて、カラスにされちゃったとか?」
「え? ちょっと話が見えない。どういうこと?」
「だから、カイルも私のようにグレグに魔法をかけられて、逃げられないまま使われてるとか?」
彼は一瞬、きょとんとした顔を見せたかと思ったとたん、お腹を抱えて笑い始めた。
「あはははは! 誰がそんなヘマするかよ。俺は奴に直接頼み込んで弟子にしてもらったんだ。なにせグレグさまは、世界一の魔法使いだからな」
彼はその美しい顔に、ニヤリと得意気な笑みを浮かべる。
「弟子をとったの? あのグレグが? それでカイルは、彼と一緒にいるってこと?」
「あぁ、そうだ」
カイルは上機嫌で、フンと鼻を鳴らした。
グレグの呪いのことを知ってから、その大魔法使いについて書かれたありとあらゆる書物をかき集め、徹底的に調べあげた。
遙か昔から生きていて、いまいくつなのか誰も知らないこと。
あらゆる魔法に長けていて、変幻自在に姿かたちを変え、どこへでも自由に飛んで行けること。
人嫌いで、権力や支配に興味がなく、常にどこかに身を隠し、誰も彼の居場所を知らない等々……。
「グレグはいま、どこにいるの?」
「フッ。そんなこと、教えられるワケないだろう」
「弟子がいるだなんて、聞いたことなかったわ」
「そうだろうな。俺だってまだ、そうと認められてはないんだから」
「ちょっと待って。じゃあカイルが、勝手に弟子を名乗ってるってこと?」
「それは違う。そうじゃない」
彼の身分を疑い始めた私に、カイルは一生懸命次の言葉を探していた。
「そ、そうじゃなくて……。その、なんて言うか、弟子として認めてもらうための初仕事が、お前の偵察だったってこと」
「それなら、もう失敗してるじゃない」
「失敗ではない! これからお前のことを探って報告すれば、仕事をしたことになるだろう」
「それじゃあ、私に何のメリットもないわ」
「お前のメリットってなんだよ」
「呪いを解いてもらうこと」
私はソファーに腰掛けたまま、グレグの使いだという窓枠に腰掛けた幼い少年を見上げた。
「グレグに伝えて。あなたの元へは行かない。ここに残って、父も母も兄たちも、この城にいるみんなのことも守る。どうしても私が欲しいのなら、直接顔を見せなさいって」
「お前なんかが、グレグに敵うわけないだろう」
「呪いを解くための条件を出せって言ってるのよ。問題解決のためには、交渉が必要でしょ」
「言いたいことはそれだけか?」
私はもう一度、彼の蒼い目をしっかりと見据えた。
「私はグレグのものにはならない。ラドゥーヌ王家にかけられた呪いを解くための、条件を教えて」
「分かった。ではお前の言葉を、そのまま伝えておこう」
彼は座っていた窓枠を掴むと、そのままそこに立ち上がり背を向けた。
「じゃあな、姫さま。またいつか会えるといいな」
パッと大きなカラスに姿を変えると、彼は滑るように夜の闇の中へ飛び去ってゆく。
慌てて駆け寄った窓から身を乗り出すと、私はありったけの声で叫んだ。
「カイル! さっきの返事、ちゃんと持ってきなさいよ! 『またね』じゃなくて、ここで待ってるから! じゃないと絶対、許さないんだからね!」
カラスは空高く舞い上がると、夜空に大きな円を描く。
彼はそのまま、明かりの消えた街の向こうへゆっくりと飛び去っていった。
朝になり、食事を運んできたドットと共にテーブルにつく。
いつもなら簡単な健康観察を済ましてすぐ退出してしまうのに、今朝はそうはいかないらしい。
ドットは昨夜門番を勤めた兵士からさっそく報告を受けていたらしく、私はパンとスープを食べながら詳細な説明を求められていた。
「本当よ。夜中に外の空気が吸いたくて、窓を開けたら大きな蛾が入ってきてびっくりしただけなの。すぐに追い払ったから、大丈夫だって言ったのよ」
「本当にそれだけだったのですか?」
「ここには、ちゃんと結界が張られているのでしょう?」
「もちろんです。それが破られたような気配はありません」
「だったら問題ないんじゃない?」
ドットはこの国一番の魔法使いで、宮廷に仕える魔法庁の長官だ。
そのドットが張った結界をすり抜けて来られたということは、やはり人畜無害な魔法使いだったのだろう。
グレグの使いだと言っていた。
この塔や城の中にも、ドット以外の魔法使いは沢山いるし、私の部屋の門番として、彼らが当番にあたることもある。
「ドットより弱くて簡単に倒せる魔法使いなら、結界をすりぬけられる?」
「魔力が弱く敵意がないのなら、その可能性はあります」
「だったらやっぱり、こちらに害はないってことね」
彼は何かを諦めたようにため息をつくと、卵を食べるために持っていたナイフとフォークを皿の上に置いた。
「それでも、わずかな変化や気になることがあれば、必ず私にご報告ください。すぐにです。少しでも遅れてしまえば、あなたをここに閉じ込めてまで、守ろうとしている意味がありません」
「もちろんよ。すぐに相談するわ」
カイルのことは……。もう少し、黙っておこう。
ドットを刺激して、カイルを怖がらせたくない。
それにもう一度彼がここに現れて、グレグからの返答を伝えてくれないことには、交渉の中身を相談することも出来ない。
「あのね、ドット……」
「はい。なんでございましょう、ウィンフレッドさま」
私は生まれつきくるくると巻く、赤い琥珀色をした髪をそっと撫でた。
この髪も髪と同じ色をした目も、肖像画で見るひいお爺さま、15代国王ユースタスさまにそっくりだと、いつも思っていた。
ひいお祖父さまは直接、グレグと剣を交わしたことのある人。
「ドットは、グレグがどんな人か知っているの?」
「もちろん直接会ったことはありませんが、彼の仕業だと噂される話は、あちこちに残っています」
「本当に悪くて酷い魔法使いだったのよね」
「そうです。彼を甘くみてはいけません」
カイルは大丈夫なのだろうか。
そんな恐ろしい魔法使いに弟子入りなんかして。
あどけない表情をしながら、凛とした仕草の彼を思い浮かべる。
グレグからいいように扱われていなければいいんだけど……。
「ウィンフレッドさま」
ドットの透き通るような淡いブルーグレーの目が、私の気持ちを推し量るかのようにじっとのぞき込む。
「必ず、お知らせくださいね。お約束でございます」
「わ、分かってるわよ。そんな睨まなくても、分かってるって……」
そうは言ったものの、ドットの目は確実に怒っている。
どうやら彼を誤魔化すことは、私には難しいらしい。
「あのね、ドット」
「はい。なんでしょうかウィンフレッドさま」
彼は目を閉じ、すました顔で食事を続ける。
「実は少し、お願いがあって……」
「なるほど。それではウィンフレッドさま。こういうのはいかがでしょうか……」
私はドットと相談して、いくつか必要と思われるモノを用意してもらった。
彼は何も言わず、その準備を整えてくれる。
そうして待っていたのに、その日の夜になっても、カイルは塔に現れなかった。
私は閉じ込められた狭い部屋で、一人本を読んで過ごす。
ドットと立てた作戦は、すっかり頭に入っていた。
それに飽きたらぐるぐる部屋の中を歩き回りながら歌を歌って、彼が来るのを待つ。
刺繍をしても絵を描いていても、外へ出られなければ何も楽しくない。
一人で閉じこもっているのは、それが重要なことだと分かっていても、とても気持ちが苦しい。