求職令嬢は恋愛禁止な竜騎士団に、子竜守メイドとして採用されました。

 そして、私はこれからとんでもなく大きな責任を、何も悪くない団長に負わせてしまうことになる。

「ウェンディ……」

 団長は掛ける言葉がないと思ったのか、名前を呼んでからも何も言わなかった。

 お父様から取り残されて……アレイスター竜騎士団で働かせてもらって、本当に有り難かったし、彼には感謝しかない。それなのに、こんなにも大きな迷惑を掛けてしまうなんて。

 涙がこぼれそうになったけど、必死で押しとどめた。泣きたいのは、私ではなくて、閉じ籠もってしまったアスカロンなんだから……。

 ……そういえば……あの子は繭の中で眠れているのかしら。最近、昼寝する時は私の歌声を聞いてよく眠ってくれていた。

 不意にその事を思い出し、私は目を閉じて子守歌を口ずさんだ。

 それは、この事態をどうにかしようとした訳ではなくて、繭の中で私と同じような泣きたい気持ちになっているのであれば、少しでも安心して眠って欲しくて……。

 アスカロンはこれをしたくてこうなってしまった訳ではない。私も、もちろんそうだ。それなら……。

「……ウェンディ」

 子守歌を歌っていたら、ずっと無言だった団長の声が聞こえて、私はパッと目を開けた。

 その時に私の視界に目に入ったのは、黒い子竜の可愛い顔だ。

「えっ……」

 繭の中に居るはずの、アスカロンだった。

 アスカロンだったけれど、あまりにもいきなり過ぎる展開に、何が起こったのか頭が追いつかずに言葉をなくしてしまった。

「キュ……」

 大きな黒い瞳は、涙がこぼれんばかりで、潤んでいて……私と同じように。

「ああ。ウェンディが子守歌を歌い出してから、繭から出て来たんだ。怪我をさせてしまった君が怒っていないか、とても心配している。早く抱きしめてやってくれ」

 その時の団長は、とても優しい表情をしていた。

「あなたを怒ったりする訳がないわ!」

 私はこの時まで、泣くのをずっと我慢していた。一番に泣きたいと思っていたのは、アスカロンだろうから。

 柔らかくてまるまるとした身体を抱きしめて、私は声をあげて泣いてしまった。良かった。アスカロンが助かって……お世話になっている団長を、どうしようもなく困らせなくて済んで。

 アスカロンは泣いている私の頬を、懸命に舐めてくれた。これまでずっと、怒らせたのではないかと不安で怖かったのだと思う。ようやく安心したのか、ぽろりと大きな涙をこぼしていた。

 私がアスカロンを抱きしめて泣いていると、団長は私の頭を撫でてくれていた。感情が昂ぶりすぎて、とても女の子らしい可愛い泣き方とは言えず、みっともない泣き方だったので、心配してくれたようだった。

「あれ? ……アスカロン。出て来たんだ? 良かったねー」

 その時、セオドアののんびりとした声がして私たちは扉の方向を向いた。彼は両腕に魔導具らしい道具を、何個か抱えていた。

「ああ。ありがとう。見ての通り、持って来て貰ったそれらは、もう不要だ」

 どうやらセオドアはアスカロンが咄嗟に作り出した結界を破れそうな魔導具を探し、団長はここでそれを試していたらしい。

「え。何々……なんだか、二人、あやしくない?」

 団長が私の頭を撫でていたところを目撃してしまったせいか、セオドアは目を細め疑わしげな表情になってしまっていた。

「おい。勘ぐるのはやめろ……恋愛関係になど、なるわけがない」

「だよねー……いや、それはそうだよね……他でもない、ユーシスがね。まさかね」

 きっぱりと言い切った団長に、セオドアは眉を寄せたまま何度か頷いていた。

 私は二人のやりとりを聞いて、ほんの少しだけ複雑な思いにはなった。けど、アスカロンをぎゅっと抱きしめて思い直した。

 ここは恋愛禁止という厳格な規則のある竜騎士団なのだから、団長の言葉は何も間違えていない。

 そうよね……私だって恋愛なんかよりも、生活していくための仕事の方が大事なんだから……。
「ねー。ウェンディ。アレイスター竜騎士団辞めて、僕の恋人になってよ」

 私が何本か建物と建物の間に吊されている白いロープに、今日洗濯当番の新人竜騎士に洗って貰った洗濯物を干していると、セオドアが白いシーツの間から顔を出して言った。

「急に……何を言い出すんですか……」

 私はいきなり現れた彼に驚くと共に、呆れてしまった。

 アレイスター竜騎士団に雇って貰う時に、彼には口添えをして貰ったことには感謝しているけれど、時が経つにつれ無一文になった貴族令嬢が、どこまでやれるかを楽しむためにそうした事には気がついていた。

 おそらく……セオドアは、私が気がついていることに、気がついてはいないけれど。

「恋愛禁止という時代錯誤な規則だって、規則は規則だから、守らねばならない。ましてや、僕は副団長だからね。隠れてどうこうという訳にもいかない。ウェンディが僕と付き合うためには、君にここを辞めて貰う以外ないんだ」

 真面目な表情で言われてしまっても、彼のことを好きでもない私は、そんなことを望んでいない。

「……セオドア。私のことは逞しくて、好きではないんでしょう?」

 この前、食堂で会った時に、彼はそう言っていたはずだ。それに私とセオドアはお互いに好きという訳では、絶対にないのだから、恋愛禁止の規則には何も違反していない。

 だから、竜騎士団を辞める必要なんて、何もないはずだ。

「えー……だって、ウェンディ。僕はようやく気がついたんだよ。そういうすぐに良いと言わない、予想外の事を言って来る女の子が好きだったみたい。君って僕の予想外のことしかしないんだよね。だから、一緒に居て楽しい」

 にこにこ微笑んで私の事が好きだと言われたけれど、理由も理由だから、全く嬉しくないし複雑な思いだわ。けれど、セオドアは私が喜んでいると思っていそう。

 ジリオラさんが再三に渡って、セオドアのことを『残念な男』と評している理由がわかる気がする。外見は団長と同じく良いのに……本当に残念。

「……お断りします。どうか、私以外の方を選んでください」

 私は洗濯物を干し終わると、空になった籠を持って、彼から逃げるように移動することにした。

 私とジリオラさんが子竜守の仕事で忙しい間は、洗濯物については新人騎士が干して取り入れまでをやってくれていた。

 けれど、最近は子竜たちの食事の回数も三回になって量も減り、晴れた日中には担当の竜騎士が羽根を動かす事に慣れた子竜たちを、近くの草原に連れて行って飛行練習させていた。

 だから、これまでは寝藁を交換するのもその場に居る子竜たちを少しずつ移動させての作業になっていたけれど、今は子竜たちが外出して居ない時間があるから一気に掃除することが出来ていた。

 アレイスター竜騎士団で働き始めて、約二ヶ月間。子竜守が最も忙しい時期を乗り越えて、私にもようやく、ゆっくり出来る時間が与えられていた。

「えー! どうしてー! だって、君の暮らしの面倒はすべてみるし、すぐに婚約しても良いよ。ウェンディは貴族だからね。僕の本命の女の子になるんだよ」

 切々と語るセオドアったら、本当に残念な人……だって、私が本命だということは、他が居るということよね。これを言われて、頷く女性が居ると思っているの?

 少なくとも、私はそうではないわ。

「絶対に……嫌です」

「えー……どうして。こんなにも良い話は他にはないよ」

 私は籠を持って歩いていたんだけど、建物を曲がってすぐに、目の前に美々しい黒竜が見えて驚いた。

「えっ……?」

 一瞬、それは団長のルクレツィアかと思った……けれど、違う。彼女よりも雄々しく、気持ち大きな身体で、私が見た事のない神竜だった。

「……ああ。あれは、ジルベルト殿下のウォルフガングだ……ユーシスがさ。別に黙ってりゃ良いのに、わざわざあの時の報告をあげたから、直接文句を言いに来たんだと思う」

「あ……ルクレツィアと番のウォルフガングは、ジルベルト殿下の竜だったんですね」

 ディルクージュ王国には三人の王子が居て、ジルベルト殿下は第二王子だ。彼も優秀な竜騎士であるとは聞いているけれど、彼も神竜の乗り手だったのね。

「そうそう。けど、ジルベルト殿下は、ユーシスの事が大嫌いでさー。事ある毎に目の敵にされて。色々と大変なんだよ。あいつも」

 私はこの前に聞いた、ジリオラさんと団長の会話を思い出していた。

 団長はウォルフガングの竜騎士にとてもライバル視されていて、だから、ジリオラさんは双方の竜が番になれば、事ある毎に会わないといけないから悲劇だと……。

「あの、ジルベルト殿下はどうして、団長のことを目の敵にするんでしょう?」

「……単純にユーシスが自分より、竜力が強いからだと思うよ。次の国王になられるシャルル殿下の次に、ユーシスは竜力が高いからね。だから、これっていわゆる暗黙の了解なんだよ。そうでなくては、絶対におかしいよねって、そういう話」

「暗黙の了解? って……どういう事ですか?」

 セオドアは不思議に思って質問した私に意味ありげな視線を向けて、人差し指を唇に当てた。

 これから言うことを……内緒にしろということ?

「だからさ。ユーシスはどう考えても、とても濃い直系王族の血を引いている誰だかの、落とし胤って事。一応はカートライト侯爵家の養子だと言うことにはなっているけど、持っている強い竜力は隠せないからねー……しかも、国王からもアレイスター竜騎士団を任されるほどに重用され、よりにもよって神竜ルクレツィアに選ばれたから、ジルベルト殿下の嫉妬心に火を点けたんだよ」

「……それは、あの」

 私は言葉の先を、どう言えば良いか迷った。だって、どれも全部、団長が悪い訳ではないのに……。