夜8時、2階にある自分の部屋で
「……え、うそでしょ?!」
パジャマ姿でベッドに横たわっているわたしは、パニックになりながら体をおこす。
ドライアイからの見間ちがいかも。
ライブDVDを見すぎだし。
病気を疑った目をシパシパシパ。
瞳を潤ませ、もう一度スマホを見た。
やっぱり書いてある。
信じられない。
だってあのノエル君がだよ。
女子中高生に大人気
男子4人組アイドルグループ
【アズリズ】のセンター様がだよ。
わたしと同じ中学に転入してくるなんて!
ベッドの枕元の棚に立ててあるペンライトを掴んだのは無意識だった。
興奮がおさえきれずにベッドの上に立ち、電源をオン。
ペンライトを真っ赤に光らせ
「キャァー、ムリムリ!」
ライト大振りで飛び跳ねずにはいられない。
この慌てふためきっぷりでバレていると思うけど、ちゃんと白状するね。
わたしは沼瀬陽葵。
中学2年生。
アズリズのノエル君が大好きです。
ステージで歌っている時のノエル君って、わたしと同じ中2とは思えないほど大人っぽいんだ。
色白で細身で背が高くて。
カールのついたゆるふわ髪は、おっとり優しいノエル君の性格を表しているみたいに柔らかくて。
『僕は世界中の人を笑顔にできるサンタクロースになりたいな。でもクリスマスだけじゃイヤ。1年じゅうみんなを幸せにしたい。フフフ、欲張りでごめんね』
音楽番組のパフォーマンスのあと、テレビカメラに向かって微笑んだノエル君が本当に尊くて、わたしはノエル君沼で溺れ続けている。
ノエル君に出会って、わたしの毎日がハッピーになった。
学校から帰ってお芝居の練習を終えたら、ライブDVDを見ながらペンライトを振るでしょ。
お出かけするときは痛バックとともに。
缶バッチを42個つけた真っ赤なバックを、肩から下げるの。
夢の中も幸せだよ。
今は亡きおばあちゃんが作ってくれたノエル君のぬいぐるみを、ギュッと抱きしめて眠るからね。
「演劇科に転入ってことは……」
最推しを生で拝められるのでは?と、心臓がはしゃぎだす。
遠巻きからのチラ見じゃない。
同じクラスになれる可能性だって生まれちゃった。
席が隣同士になったりして。
教科書忘れちゃったから見せてくれる?って微笑まれて、机をくっつけて授業を受けちゃったり。
お芝居の練習の時、ペアになっちゃったり。
「はぁぁぁムリムリ」と、ペンライトを持っていないほうの手で胸をさする。
瞳が溶けちゃいそうなほどの至近距離は、心停止の恐れありだもん。
授業中にノエル君と目が合いキュン死しましたなんて、シャレにならないよ。
誰か夢だと言って。
推しは画面越しに愛でるくらいがちょうどいいの。
心まで綺麗なノエル君に私が吐いた汚い空気を吸わせちゃったらと思うと、罪悪感すごいし。
でも会いたいな。
いやいやおこがましすぎ。
同級生になったら「ひまり」って呼んでもらえたりして。
ないない、宝くじが1億円当たるより贅沢だから。
あぁぁぁ、妄想だけで胸が張り裂けそう……
キャーキャー言いながら、ベッドのばねを使い飛び跳ねるわたし。
胸に向かってふんわり広がる髪が、視界の中で踊りだす。
真っ赤なペンライトをぶんぶん振り回していたのがいけなかったんだろう。
ハイテンションではしゃぎだすと、わたしの握力が弱まるらしくて。
なんて冷静に分析している場合じゃない。
「あっ!」
弧を描く真っ赤なサイリウム。
「大変、わたしの宝物が!」
開けっぴろげの窓の外に吸い込まれ、ペンライトは視界からいなくなってしまいました。
窓枠に手をかけ真下を見る。
ただ今の時間、夜の8時すぎ。
暗くてよく見えないな。
いや、暗闇だからこそ真っ赤なサイリウムが居場所を教えてくれるはずでしょ。
100パーセント、ペンライトが壊れたということで……
あーあ、なんでわたしはペンライトを投げちゃったかな。
窓の外に飛ばすほどはしゃぎすぎって、幼稚園児じゃないんだから。
後悔してももう遅い。
2階の窓から落下予測地点あたりを見回しても、真っ赤な光はどこにもない。
「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい」
ペンライト、ノエルくん、そしてアズリズのコンサートに連れて行ってくれてペンライトを買ってくれた今は亡きおばあちゃん。
みんなにざんげしながら、潤んだ瞳のまま部屋を飛び出す。
階段を駆けおり、玄関で靴をはき、ドアを開け暗闇に出た。
このあたりに落ちているはずなんだけどな。
月明かりだけじゃ、足元は特に暗くて見あたらないか。
懐中電灯を取りに家に戻るのが得策っぽい。
捜索は一時中断にしますと、まわれ右をした時だった。
「っ、痛ぁ」
後ろから、うめき声が聞こえたのは。
誰かいるの?
恐る恐る振り返る。
人の気配はない。
よかったぁ、空耳か。
そんなことより、今はペンライト探しに集中しなきゃ。
懐中電灯を取りに家に戻って……って。
うわっ、カサカサ聞こえる!
目の前の生い茂ったつつじの葉っぱが、風がないのにワサワサ動いてる!
つつじの茂みの中に誰かいるんだ。
うめき声の主?
待って、怖いよ、今すぐ逃げなきゃ。
筋肉に力をこめようとするも、足が震えすぎて動けない。
恐怖が神経にまで伝染してしまった。
金縛りにあったように固まったまま、闇夜の怪物のように葉を揺らすつつじの茂みを見つめる。
何かが顔を出した。
鼻までしか出ていない。
サラサラストレートの髪に切れ長の目。
薄暗くてもわかる、人の顔だ。
わたしを射ぬくように見つめる、鋭い二つの目玉。
やっぱり不法侵入者がいた。
泥棒?
もしかして私の家族まで襲おうとしてる?
大声で叫びたい、助けてって。
でも恐怖でのどが絞られちゃった。
涙しか出てこないよ。
しずくが大粒すぎて、視界がぼやけちゃう。
つつじの茂みを手でかきわけ、誰かが出てきた。
見上げるくらい背が高い。
ちらっと見えた顔は……
ひゃっ、手が伸びてきた、怖い怖い。
もうダメ、この男につかまっちゃう!
「ひまり、泣いてるの?」
……え?
「うれし泣きしたいの、こっちなんだけど」
耳のすぐ横で奏でられた、やわらかい低音ボイス。
甘い声で名前を呼ばれ、なぜか恐怖以外のドキドキでハートがうずきだす。
「不意打ちで俺の一生の願いを叶えるとか、あははっ、神って気まぐれなんだな」
オスっぽい声色に笑い声がまざっていて、もう一度甘く心臓が跳ねた。
わたしの二の腕に沈みこんだ大きな手のひら。
「おいで」とまた優しい声が落ちてきて、わたしの体が彼に引き寄せられていく。
とまどいで目をぱちぱちしている間に、ギュっと上半身が圧迫された。
わたしの視界が真っ暗になって、力強い腕が私の背中に絡みついていて。
顔面が沈みこんだ胸元からは、わたしのではない心臓の音が、これでもかというくらい早いスピードでドクドクうなっていて……
あれ、優しく抱きしめられてる?
この不審者に? なんで?
放心状態のわたしは、呼吸すら忘れて固まってしまいました。
「陽葵に説明しなきゃってのはわかってる。でもごめん、今はこのままでいて」
泣きそうなワイルドボイスが闇夜に溶ける。
また名前を呼ばれた、ひまりって。
抱きしめられる前に少しだけ彼の顔を見たけど、お会いしたことは多分ない。
アイドルに負けないくらい美顔なクールイケメンに出会ったら、瞳が記憶していると思うし。
年は私と同じ中2かもう少し上。
目鼻立ちがくっきりしていて大人っぽかったし、高校生って可能性もある。
モデルみたいに綺麗な顔立ちだけれど、目力があって意志が強そうで。
姫を守るナイトみたいな切れ長の目が、特に印象に残っていて。
つつじの茂みから出てきた見ず知らずの男の子に、抱きしめられているこの状況。
不思議なんだ、さっきまで感じていた恐怖が一切なくなった。
懐かしというか、安心感があるというか。
わたしの頭の上に乗ったごつごつした手。
優しく撫でられ、かぁーっと顔の熱が上がってしまう。