「こんなにたくさん、いいんですか?」
「ええ、もちろん。たくさん召し上がってください」
ブレンさまは早速とばかりに手を伸ばした。自分が買ってきたものも並んでいるみたいで、ほくほくとした表情で美味しそうに頬張っている。……本当、美味しそうに食べる人よね。
そこから、用意されたお皿にひょいひょいといろんなものを乗せて、レグルスさまに渡した。
……毒見をしていたみたい。
「美味しいからおすすめですよー」
「じゃあ、俺もいただきます」
わたくしとマーセル、クロエにも配膳するブレンさま。その姿を見て、にこにこと楽しそうなオリヴィエさまと、探るように目元を細めるノランさま。
ブレンさまが選んだ軽食はどれも美味しくて目を丸くしてしまったわ。
どうやって美味しいお店を見つけているのかしら……?
「大人数で食べると美味しいですねー」
「本当に。久しぶりに娘と食べるから余計に美味しいわ」
――『マーセル』に視線を送るオリヴィエさまに、曖昧に微笑む。
中身はわたくしだから、なんとも切ない気持ちになった。
一通り食べ終えてから、ノランさまがオリヴィエさまに声をかける。
「オリヴィエ、この前の刺繍を見せてあげたらどうだ?」
「刺繍?」
レグルスさまが首をかしげて問うと、ノランさまはこくりとうなずいた。そして、どこか自慢げに口を開く。
「オリヴィエの刺繍は一級品なんだ。この前大作が出来上がったばかりでね、みんなに見てもらおうと思って」
「やだ、あなたったら。でも、そうね。見てもらおうかしら」
かたんとオリヴィエさまが立ち上がり、刺繍を取りに食堂から出ていった。
それを見送ってから、ノランさまがすっと目を細めてわたくしたちを見渡す。
「――なぜ、うちに来たんだ?」
硬い声に『カミラ』がびくりと肩を震わせた。
「とある事実を、確認したくて参りました」
「こんなに大勢で?」
「関わっちゃいましたからねー」
ブレンさまがのんびりとした口調とは裏腹に、鋭い視線をノランさまに向けた。その視線に、彼の眉がピクリと跳ねあがる。
「――どうして、知っていながら、公爵の要望を却下したのですか?」
「まぁ、このおうちを見ればわかりますけどねー」
レグルスさまとブレンさまの言葉に、ノランさまはわかりやすく表情を引きつらせた。
わたくしとマーセルも彼を見つめる。
クロエはそんな様子のわたくしたちを、眉を下げて眺めていた。きっと、心配してくれているのだろう。
「――お父さま」
そう言葉をつぶやいたのは、『カミラ』だった。びくっと肩を震わせて、血の気の引いた顔を彼女に見せた。
「……お母さまは、このことを知っているの? 今までずっと、私たちのことを騙していたの?」
……わたくしの顔でそんなに悲壮な顔をされると、なんだか不思議な感じがするわね。
「そもそも、どうしてわたくしたちはトレードされたのですか?」
マーセルの言葉に続くように、わたくしも言葉を紡ぐ。
わたくしたちの言葉遣いに違和感を覚えたのか、ノランさまの表情が段々と険しくなる。『マーセル』と『カミラ』を交互に見て「まさか……」と目を丸くした。
「いや、そんなことが起こるわけ……」
「その予想通りですわ、ノラン・カースティン男爵」
わたくしの言葉に、信じられないとばかりに勢いよく首を横に振る。
その気持ちはよくわかるわ。
マーセルとわたくしの中身が入れ替わる、なんて普通に考えれば信じられないことでしょう。
「……どこまで、知っていらっしゃるのですか?」
ぎゅっと拳を握り、ゆっくりと開いてから、ノランさまは小さな声をこぼす。その口調は娘に対するものではなく、『公爵令嬢』に対するものだった。
「あなたは、マーセルが学園でどんな扱いをされているか、ご存知ですか?」
「え?」
「……マーセル、話しても良いかしら?」
マーセルに尋ねると、彼女は小さくうなずいた。それを見て、一度深呼吸をしてから、学園でのことを話す。
その内容にノランさまはぐっと唇を噛み締め、うつむいてしまった。
「――マーセルと、マティス殿下が……」
「わたくしはマティス殿下との婚約を望んでおりません。……それに、マーセルが本来の公爵令嬢なのですから、彼の婚約者は彼女のほうが……」
「それはいけません!」
大声でそう叫ぶノランさま。自分の声の大きさに驚いたのか、口元を手で押さえて、苦々しく眉間に皺を刻むのを見て、わたくしは目を細める。
「――なぜ?」
冷たく、鋭い声が出た。
……わたくし、こんな声も出せたのね。身体はマーセルのものだけど。
マーセルの顔で、きっと彼が聞いたことのない冷たい声色の言葉を聞いて、ノランさまはふるふると身体を震わせた。
「――言えない」
ブレンさまが笑みを引っ込めて、ノランさまをじっと見つめる。
彼の、そんな表情を見るのは初めてで……こんなに真面目な表情を浮かべることができるのね、と心の中でつぶやいた。
「言えないように、魔法がかかっていますね」
「え? そんなこともできるの?」
「まぁ、これも呪いに近いですけれどー……でもね、僕なら解けます。相手に気付かれないように、ね。レグルスさま」
「許可する。ブレン、――楽にさせてやれ」
「レグルスさまの御心のままに」
ブレンさまが立ち上がり、レグルスさまに身体を向けて胸元に手を置き、小さく頭を下げる。
そして、ノランさまに手を伸ばした。
ノランさまはただじっとしていた。動けないのだと思う。
手のひらから、淡い光が放たれる。それを見ていたわたくしとマーセルは、ぐっと胸元に手を置いて服を握りしめた。
なにかが――外れるような、そんな感覚。
パチン、とブレンさまが指を鳴らす。それと同時に、わたくし、マーセル、そしてノランさまが「うっ」と小さく呻いてテーブルに手を置いた。
「……こんな、ことが……できるとは……」
「すみません、ちょっと衝撃がありましたねー」
ブレンさまの言葉が、先程とは違うところから聞こえる。
ハッとして顔を上げ、座っている席順を見ると、わたくしとマーセルの場所が入れ替わっていた。
――もとに、戻っている……?
呆然として手のひらを見つめるわたくしとマーセルに、レグルスさまが問いかけた。
「二人がもとに戻っている?」
「ついでに、カミラさまに絡みついていた鎖と、マーセル嬢に絡みついていた鎖も解きました。これで隠された属性と、魔法が使えるようになりましたよ」
マーセルは自分の手のひらから、ブレンさまに視線を移し、信じられないとばかりに目を大きく見開く。
わたくしも、目を閉じて自分の隠された属性を探ってみる。
いったい、わたくしにどんな属性が隠されているというの――……?
「……ああ、なるほど。ちょっと失礼」
レグルスさまの声が聞こえる。カタンと立ち上がり、歩く音。そして、わたくしの肩に手を置いて「そのまま」と真剣な声色でささやかれ、頬に熱が集まってしまう。
肩に置かれた手が、温かい。……いえ、どんどん温かみを増していく。
そして、その温かみがどんどんと心臓のほうに向かっている。
とん、と優しい温かさが当たるような、そんな感覚。
当たった場所から、なにかを引っ張り出されるような――……
「いくよ」
「え?」
短い言葉とともに、わたくしの身体からなにかが溢れる感覚がした。
目を開けてみると、身体が淡く光っていて、思わず目を丸くしてしまう。
ぱさり、となにかが落ちる音が聞こえてそちらに顔を向けると、刺繍を取りにいっていたオリヴィエさまが、信じられないものを見たとばかりに目を大きく見開いていた。
「……神聖力……? どうして、カミラさまが、その力を……?」
困惑するように声を震わせるオリヴィエさま。その瞳には確かに『恐怖』が見えた。
「オリヴィエ……」
「あなた……、どうして、カミラさまが神聖力を持っているの? あれは、あの力は……」
「すみません、神聖力とはなんですか?」
それまで黙っていたクロエが挙手して、首をかしげて問う。その問いに、オリヴィエさまは我に返ったみたいで、手のひらで目元を覆い、ゆっくりと深呼吸を繰り返す。
「神聖力とは――わたくしの家系に伝わる、力なのです」
「……家系の、力?」
オリヴィエさまはこくりとうなずき、目元から手を離すとふらふらとした足取りでノランさまに近付く。ノランさまが彼女の手を取ると、マーセルとわたくしを交互に見て眉を下げて彼を睨みつけた。
「――わたくしの家系は代々、神殿で暮らしていたのです。神聖力を持っているから、信徒のためにその力を使うため……。神聖力を持つ人は決まっておらず、わたくしに宿る神聖力は少ないものだったので、神殿よりは王都で暮らしたほうが良いだろうという両親の勧めで学園に入学しました」
淡々とした口調で語り始めるオリヴィエさまに、わたくしたちは顔を見合わせた。彼女はさらに言葉を続ける。
「学園に入学し、一度は殿下――今では陛下、ですわね。と、恋仲になったこともありました。ですが、わたくしは男爵の娘。身分が釣り合わないから、彼のもとを去ったのです。……きっぱりと諦めて、ノランさまと結婚して子を授かり、その子を大切に育てていました。なのになぜ、マーセルではなく、カミラさまに神聖力が宿っているのですか……?」
ふるふると肩を震わせる。彼女はいったい、どんな感情を持っているのかしら……?
「ねえ、あなた、これはどういうことなの? なにか言ってよ……ッ!」
涙声のオリヴィエさまに、ノランさまはぐっと唇を噛み締めて、目を伏せた。
「……陛下から、頼まれたんだ」
「……え?」
「きみと、ベネット公爵夫人の妊娠はほぼ同時だったろう。生まれた子を取り替えよう、と陛下に頼まれて……公爵家の令嬢だからと多額の金貨をくださった。陛下は、どうしてもきみの子どもがほしいと言っていた。自分の養子に迎えるわけにはいかないから、生まれたばかりのマティス殿下と婚約をさせると……そうすることで、きみの家系の血を王家に入れることができる、と……」
明かされた真実に、オリヴィエさまはふっと身体から力を抜いて、その場に座り込んだ。
「お母さま!」
マーセルが慌てて彼女に駆け寄り、その手を取ろうとして――オリヴィエさまがパシンと彼女の手を拒絶した。そのことに驚いたのか、ノランさまが「オリヴィエ!」と声を荒げる。
「マーセルは知らなかったことなんだ。お前のことを本当の母だと慕い、ずっと暮らしていた。悪いのは、多額の金貨に目がくらんだ私なんだ……!」
「そして、それを言えないようにした陛下ですねー」
「しかしまぁ……回りくどいやり方だなぁ……」
レグルスさまがぽつりと言葉をこぼす。
わたくしも、そう思うわ。
……でも、確かにこの国の在り方なら、殿下の婚約者に男爵令嬢は選ばないでしょうね。
陛下はそれをわかっていたから、そんなことを提案したの……?
聞いてみないとわからないことだけど……
「わたくしもマーセルも、あなた方に振り回された……ということは確定ですわね」
自分が思っている以上の、冷たい声。
陛下がオリヴィエさまの血筋を王家に入れたい――または、神聖力を持つ者を王家に入れたいという理由で、トレードされたということなの?
そんな理由で、わたくしはあの血がにじむような努力を強いられていたということなの?
そんな、そんなのって……!
ぐっと拳を握りしめて震わせていると、レグルスさまがぽんぽんと優しく肩を叩いてくれた。
まるで、「落ち着け」と伝えるように……
数回深呼吸を繰り返し、わたくしはレグルスさまを見上げた。彼の表情はとても柔らかく、その笑みを見るだけでなぜか心が安堵した。
――わたくし、きっと、彼に惹かれているんだわ――……
マティス殿下には感じなかった感情。この感情をきっと『恋』というのだろう。
「ブレンさま。わたくしとマーセルのトレードは、これで終わりでしょうか?」
「はい。鎖は完璧に解きました。もうあなたたちの中身が入れ替わることはないでしょう」
「中身が、入れ替わる……?」