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クロエがおずおずと手を上げて首をかしげる。みんな一斉に首を縦に動かすと、彼女は安堵したように息を吐く。
「それでは、私は両親に手紙を書きますね。次の休みに会いに行くって」
「マーセルのご両親は王都に住んでいるの?」
「はい。うちは領地を持っていませんから。男爵の領って、村くらいの大きさなんですって。だから、お父さまは村よりも安定して王都に暮らせるほうがいい、と王都で家を買ったんです」
「そうだったの……」
マーセルの家ってどんな家なのかしら……?
「ああ、そうだ。ちょっと待っていて。貴女、今、テキストやノートは持っていて?」
「え? は、はい」
貸してちょうだい、とマーセルからテキストとノートを受け取り、パラパラと捲る。マーセルなりに授業についていこうとしていることがわかる書き込みだった。
「今日の課題はわたくしが解くわ」
「え。あ、ありがとうございます」
「お母さまになにか言われたら、わからないところを聞いてきていた、と伝えて。そうすれば、あの部屋に閉じ込められることはないから」
ノートに挟まれていた今日の課題を解いていく。すらすらと解いていくのを、四人が見ているから、なんだか気恥ずかしいわ。
「ところで、あの部屋って?」
「……聞いたらきっと、絶句しますわよ」
今日の課題をノートに挟み、ぱたんと閉じる。テキストとノートをマーセルに渡して、眉を下げて微笑んだ。
――手入れされず埃っぽい部屋。蜘蛛の巣もあったわね。そして、かび臭い毛布にベッド。外の様子を見ることが叶わない――いいえ、むしろ太陽の光も届かない地下室。
わたくしが、家族の期待通りに動かないときに、閉じ込められる……部屋。
それだけではない。お母さまから、鞭で背中を叩かれたこともある。
痕がつかないように、しばらくしたら回復ポーションを飲まされるんだけど……そのポーション、味がとっても不味いのよね。でも、全部飲まない限り部屋から出られない。
『わたくしだってこんなことをしたくはないのよ! でも、カミラは完璧な公爵令嬢でなければ許されないのッ!』
ヒステリックに叫ぶお母さまのことを思い出して、わたくしは思わず額に手を置いて重々しくため息を吐いた。
お母さまがわたくしを『完璧な公爵令嬢』にしようとしていたのも、きっと血の繋がりがなかったから……
「……いろいろ、探っていくしかないのよね」
「……そうですね」
ぽつりとつぶやくと、マーセルが言葉を返した。
マティス殿下の婚約者として、公爵家はわたくしにいろいろなことを教え込んだ。そのおかげで確かにわたくしは『完璧な公爵令嬢』に近付いたわ。
でも――……
ちらりとレグルスさまに視線を向ける。彼はわたくしを見ていたようで、ぱちっと視線が交わり、ふわりと柔らかく微笑んだ。
……でも、『完璧な公爵令嬢』ではないわたくしを、望んでくれる人がいる。
そのことが、とても嬉しいの。わたくし自身に、価値があるような気がして。
「それじゃあ、今度はマーセル嬢の家に訪問、か」
「ええ、今度の休日に。……マーセル、貴女、抜け出せる……?」
「あ、それなら私が迎えに行きます。公爵たちをうまく誤魔化してみせますよ!」
クロエが自身の胸元に手を置いて、力強い言葉を発した。
「なら、クロエに任せるわ。マーセル、時間は?」
「じっくり話し合いたいので、午前中にしましょう」
「なら、手土産にたくさんなにか持っていきましょうー」
「ただ単に、食べたいだけじゃないか、お前は……」
ぽんぽんと会話が弾む。
こんなふうに会話ができるようになったのも、マーセルの身体に入ってからだわ。
逆に、マーセルは今、会話を楽しむこともできないのだろう。
公爵邸で親切にしてくれたのはメイドたちだけ。そのメイドたちとも、雑談はあまりしたことがないもの……
「それでは、今度の休日に」
わたくしの言葉に、全員がうなずいた。
――マーセルのご両親――つまりは、わたくしの実の両親――とは、会話をした記憶があまりない。
……いったい、どんな方々なのかしら……?
そして、休日。
マーセルのご両親と会う日がきた。
……なんだか緊張してきたわ。とりあえず、寮には外泊許可も取っているから、遅くなっても大丈夫。
ゆっくりと深呼吸を数回繰り返して、マーセルの部屋から出た。
しっかりと鍵をかけて、待ち合わせ場所に足を進める。
「おはよう、マーセル嬢」
「おはようございますー」
「おはようございます、レグルスさま、ブレンさま」
スカートの裾を摘まんで、カーテシーをした。彼らの後ろには大きな馬車が一台。
レグルスさま、ブレンさま、クロエ、マーセル、それからわたくし。
五人が乗る馬車だから、大きなものを用意してくださったみたい。
数分後に、『カミラ』を連れたクロエがきた。……どうやってお母さまたちを説得したのかしら、彼女。感心していると、その視線に気付いたクロエがにこりと微笑む。
「おはようございます、みなさま。遅れてしまいましたか?」
「いいえ、五分前ですよー。では、行きましょうか、お嬢さま方」
ブレンさまがにこにこと人懐っこそうに笑いながら、馬車の扉を開けた。『カミラ』から馬車に入り、最後にレグルスさまが入り「出してくれ」と御者に合図を送った。
馬車が動き出し、……しんと静まり返った馬車の中、『カミラ』がそわそわしたように視線をあちこちに飛ばしている。
「……ふむ」
小さくブレンさまがつぶやく。その声にビクッと肩を震わせる『カミラ』を見て、首をかしげた。
「――面白いですね」
「面白い?」
「マーセル嬢とカミラ嬢は、魂の双子のようです」
……魂の、双子?
「あなたたちの魂は、とてもよく似ているんですねー。だからこそ、中身が入れ替わったのかもしれません」
ブレンさまは目元を細めた。
言っている意味は、良くわからなかったけれど……わたくしとマーセルの魂が似ているから、このトレードが起きたということ?
「似ている魂は、引き寄せられるとも言うしなぁ」
レグルスさまが感心したようにブレンさまに視線を移す。ブレンさまは興味深そうにわたくしたちを眺め、それから視線を窓の外に向けた。
「あ、手土産を買っていきましょう! マーセル嬢、ご両親はどんなものがお好きですか?」
「え? ええと、……なんでも食べますね。しょっぱいのも甘いのも好きです」
「わー、気が合いそうです。じゃあ、適当に見繕いますねー」
ブレンさまの表情、とてもワクワクしているように見えるわ。
中央広場で一度馬車を停めてもらい、「ちょっと行ってきますねー」とブレンさまが馬車から降り、素早く手土産を買いにいく。
手土産を買う時間も考えて、早めに集合したのだけど……ブレンさまの中では買うものが決まっていたのかすぐに戻ってきた。
……大量の荷物を抱えて。
「……あの、いったいなにをそんなに……?」
ぽかんと口を開けてその大量の荷物を眺めて、マーセルが首をかしげた。
そうね、マーセルは知らないものね。
「美味しそうなものを集めてきましたー」
その大量の荷物のほとんどが、おそらくブレンさまの胃に入ることになることを。
「それじゃあ、マーセル嬢のおうちまでお願いしますー」
ブレンさまが御者に声をかけると、馬車が再び走り出す。
マーセルの家には、それから三十分もしないうちについた。
……とても広い屋敷で驚いたわ。
明るいクリーム色の外壁に、夕日色の屋根。
ここで、マーセルは育ったのね。ちらりと彼女を見ると、切なそうに目元を細めて見つめていた。
玄関前まで馬車で送ってもらい、馬車を降りると勢いよく扉が開く。
「マーセル!」
出てきたのは、ストロベリーブロンドの女性。マーセルの名を呼び、抱きついてきた。
「寮に入ってからめっきり会えなくなって、寂しかったのよ。元気に暮らしているのよね? あら、ちょっとやつれたんじゃない? 大丈夫?」
心配そうに眉を下げて、ぺたぺたと頬を触る。――この人がマーセルの母……いえ、『わたくし』の母なのね。
「こらこら、オリヴィエ。お客さまたちが驚いているよ」
「……あらっ、ごめんなさい。久しぶりに娘に会えたから、嬉しくて。初めまして、マーセルの母のオリヴィエ・カースティンと申します」
わたくしから離れ、すっとカーテシーをしてから顔を上げ、柔らかく微笑んだ。
「初めまして、マーセルの父のノラン・カースティンです。マーセル、いつの間にこんなに友達を作ったんだい?」
同じように柔らかく微笑む男性。プラチナブロンドの持ち主。……この人たちに愛されて、マーセルは育ったのね。
「あなた、とりあえず中に入ってもらいましょう」
「あ、これお土産ですー」
「まぁ、こんなにたくさん! お気遣いいただいてありがとうございます」
ブレンさまとオリヴィエさまが、にこにこと笑いながら会話をしている。
その様子を、マーセルがじっと眺めていた。
「マーセルがうちに帰ってくるって手紙が届いたから、私たちも張り切ったのよ。さぁ、今日はたくさんお話ししましょうね」
オリヴィエさまは声を弾ませて、わたくしたちを中に招き入れる。
「……冷静?」
「……はい。大丈夫です」
こそりとマーセルに問いかけると、彼女は思ったよりもしっかりと返事をした。
カースティン邸に足を踏み入れて、オリヴィエさまとノランさまのあとをついていく。
「それじゃあ、学園のことをお話ししてくれる?」
ついたのは、食堂のようだった。
それぞれ椅子に座り、オリヴィエさまがにこにことしながら両手を合わせ、わたくしたちの顔を見渡す。
――さて、なにから話すべきかしらね?
「まずは、自己紹介をさせてください。リンブルグから留学したレグルスと」
「ブレンと申しますー」
レグルスさまが口を開き、自己紹介を始めた。オリヴィエさまとノランさまは「ああ!」という顔をして、小さくうなずく。
「お噂はかねがね。リンブルグの王太子……だったか?」
「はい。よろしくお願いします」
「こちらこそ」
にこやかな挨拶を交わして、ノエルさまの視線がクロエと『カミラ』に移る。クロエは自分の胸元に手を当てた。
「マティス殿下の主治医の一人、クロエと申します」
「ああ、平民の……」
ノランさまがぽつりとつぶやく。そのつぶやきにクロエは笑みを浮かべて、「はい、そうです」と胸を張って答える。
……強い、わね。
「――それと……」
「カミラ・リンディ・ベネット公爵令嬢ですわ」
――わざと、わたくしが紹介した。ぱぁっと表情が明るくなったのはオリヴィエさまだけで、ノランさまは一瞬表情を強張らせた。
でも、本当に一瞬だけ。
……どうやら、わたくしたちのトレードを知っているのは、ノランさまだけのようね。
「――元気に過ごしていましたか? カミラさま」
「え、ええ……まぁ……」
そっと視線を外す『カミラ』。それを不思議そうに見るオリヴィエさま。
ノランさまはこほんと一度咳払いをしてから、メイドたちを呼んでいろいろなものを用意する。お茶やお茶菓子、軽食も。
目をキラキラと輝かせるブレンさまに、レグルスさまは「こいつは……」とどこか呆れたように息を吐く。
「こんなにたくさん、いいんですか?」
「ええ、もちろん。たくさん召し上がってください」
ブレンさまは早速とばかりに手を伸ばした。自分が買ってきたものも並んでいるみたいで、ほくほくとした表情で美味しそうに頬張っている。……本当、美味しそうに食べる人よね。
そこから、用意されたお皿にひょいひょいといろんなものを乗せて、レグルスさまに渡した。
……毒見をしていたみたい。
「美味しいからおすすめですよー」
「じゃあ、俺もいただきます」
わたくしとマーセル、クロエにも配膳するブレンさま。その姿を見て、にこにこと楽しそうなオリヴィエさまと、探るように目元を細めるノランさま。
ブレンさまが選んだ軽食はどれも美味しくて目を丸くしてしまったわ。
どうやって美味しいお店を見つけているのかしら……?
「大人数で食べると美味しいですねー」
「本当に。久しぶりに娘と食べるから余計に美味しいわ」
――『マーセル』に視線を送るオリヴィエさまに、曖昧に微笑む。
中身はわたくしだから、なんとも切ない気持ちになった。