優しく言われて、足が勝手に動き出す。隣に座ると、レグルスさまは嬉しそうに微笑んだ。
「あの、それで……なにかご用でしょうか?」
「ああ。今日マティス殿下からこれを渡されてね。マーセルに渡してほしいと」
ごそりと懐から手紙を取り出して、差し出す。……これ、マーセル宛ての手紙なのよね。
わたくしが読んでも良いのかしら……と戸惑っていると、レグルスさまも苦笑を浮かべていた。
「どうして、レグルスさまに渡したのでしょうか」
「いつものマティス殿下なら、これ幸いとばかりに自分で届けにいきそうなものですが……」
ブレンさまとクロエが首をかしげながら疑問を口にする。
……わたくしは少し考えて、誰からの手紙かを確認した。――オリヴィエ、と書かれていた。
「オリヴィエ……確か、マーセルのお母さまだわ」
「よくご存知ですね」
「お茶会で会話をしたことが多少。……そういえば、彼女の髪はストロベリーブロンドだったわね」
わたくしの……カミラの髪色は、実母譲りということ?
クロエに視線をむけると、彼女は小さくうなずいた。
そして、ブレンさまと一緒にまだ校内にいるであろうマーセルを連れてもらうことにした。十分もしないうちにクロエたちがマーセルを連れてきて、その素早さに目を丸くしてしまったわ……
マーセルは「えっと……?」と不安そうに瞳を揺らしている。
……うーん、わたくしの顔でそんな表情をされると、やっぱりいろいろ複雑だわ……
「これ、貴女宛ての手紙なの。わたくしが読むわけにはいかないし……」
わたくしが眉を下げて手紙を渡すと、マーセルは母親からの手紙に気付いてぎゅっと大事そうに手紙を抱きしめた。
「……今、読んでも良いですか?」
「もちろんよ」
ぱっと表情を明るくして、マーセルは封筒を丁寧に剥がして手紙を取り出し、視線を落とす。
読んでいる途中で、ポロポロと涙を流していく。
そっとマーセルにハンカチを渡し、彼女はそれを受け取って「ありがとうございます」とお礼を口にしてから涙を拭いた。
それでも次から次へと溢れ出す涙。嗚咽をもらさないように、肩を震わせている。
「……おかあさま……」
涙声で、彼女はそうつぶやいた。
「……ありがとうございました、カミラさま。ハンカチは洗ってお返しします。そして、できたら……カミラさまにもこの手紙を読んでいただきたいです」
「え?」
「だって、本来なら……カミラさまのお母さまですもの……」
入れ替わってしまったわたくしとマーセル。わたくしたちが生まれたばかりの頃の話だから、どちらが悪いとかはないでしょう。
ただ、そのことにマーセルは引け目を感じているみたい。自分が愛されて育ったことを、知っているから。
「……読ませてもらうわね」
手紙を受け取って、わたくしは目を通した。
内容は学園生活を楽しんでいますか? という言葉から始まり、マーセルの体調を心配していたり、勉強についていけているかを心配したり、親しい友人ができたかを気にしていたり……マーセルのことを、本当に大切に思っているのが伝わってきた。男爵家のことも書き綴られた五枚の手紙を読み終えて、誰にも聞こえないように小さく息を吐く。
「この手紙は、マーセルの部屋の机の引き出しに入れておくわね」
「……はい」
それから、みんなで今後のことについて話し合った。そのうちに、マティス殿下とレグルスさまの一騎打ちのことが話題に上がった。
「魔術師学科でもすごく噂になっていました……」
「傭兵学科もですよ! 僕はレグルス殿下に賭けました!」
……まさか身近に賭けをしている人がいるとは……
「ちなみにレグルスさまが負けるという予想のほうが多いので、がんばってくださいね!」
「人で遊ぶなよ……」
「……レグルスさまには言われたくありませんねぇ……」
お茶を飲みながら、そんなことを言い合う彼らに、わたくしたちは思わず笑ってしまった。
「そうだ、マーセル。貴女のご両親に会いたいのだけど……」
「え、両親に?」
わたくしの言葉が意外だったのか、マーセル……外見はわたくしだから、やっぱり不思議な感じね。彼女は、目を丸くして少し考え込むように黙り込む。
「でしたら……私も一緒に行きたいです。両親に、私たちのことを話したいので……」
「中身がトレードされていることを話すのですかー?」
こくり、とマーセルが首を縦に振った。
「なら、僕たちもお邪魔しても?」
「え? それは……別に構わないと思いますが……」
ブレンさまの言葉に、マーセルは目を瞬かせて、それからすぐに了承してくれた。
「でも、どうして?」
「鎖が緩むかな、と思って。マーセル嬢の鎖が魂にきつく絡みついているのは、リラックスできる状況ではないからかなぁ? と」
「ああ、両親に会って安堵したら、少し隙間ができるかもしれないわけか」
「はい。そこを狙って鎖をちょっと解いて、マーセル嬢が魔法を使えるようにしましょう!」
ぐっと意気込むブレンさま。その瞳の奥にメラメラと燃える炎が見えた。……問題が難しければ難しいほど燃え上がる人、なのね……
「あの、それは私もついていって良いのでしょうか……?」
クロエがおずおずと手を上げて首をかしげる。みんな一斉に首を縦に動かすと、彼女は安堵したように息を吐く。
「それでは、私は両親に手紙を書きますね。次の休みに会いに行くって」
「マーセルのご両親は王都に住んでいるの?」
「はい。うちは領地を持っていませんから。男爵の領って、村くらいの大きさなんですって。だから、お父さまは村よりも安定して王都に暮らせるほうがいい、と王都で家を買ったんです」
「そうだったの……」
マーセルの家ってどんな家なのかしら……?
「ああ、そうだ。ちょっと待っていて。貴女、今、テキストやノートは持っていて?」
「え? は、はい」
貸してちょうだい、とマーセルからテキストとノートを受け取り、パラパラと捲る。マーセルなりに授業についていこうとしていることがわかる書き込みだった。
「今日の課題はわたくしが解くわ」
「え。あ、ありがとうございます」
「お母さまになにか言われたら、わからないところを聞いてきていた、と伝えて。そうすれば、あの部屋に閉じ込められることはないから」
ノートに挟まれていた今日の課題を解いていく。すらすらと解いていくのを、四人が見ているから、なんだか気恥ずかしいわ。
「ところで、あの部屋って?」
「……聞いたらきっと、絶句しますわよ」
今日の課題をノートに挟み、ぱたんと閉じる。テキストとノートをマーセルに渡して、眉を下げて微笑んだ。
――手入れされず埃っぽい部屋。蜘蛛の巣もあったわね。そして、かび臭い毛布にベッド。外の様子を見ることが叶わない――いいえ、むしろ太陽の光も届かない地下室。
わたくしが、家族の期待通りに動かないときに、閉じ込められる……部屋。
それだけではない。お母さまから、鞭で背中を叩かれたこともある。
痕がつかないように、しばらくしたら回復ポーションを飲まされるんだけど……そのポーション、味がとっても不味いのよね。でも、全部飲まない限り部屋から出られない。
『わたくしだってこんなことをしたくはないのよ! でも、カミラは完璧な公爵令嬢でなければ許されないのッ!』
ヒステリックに叫ぶお母さまのことを思い出して、わたくしは思わず額に手を置いて重々しくため息を吐いた。
お母さまがわたくしを『完璧な公爵令嬢』にしようとしていたのも、きっと血の繋がりがなかったから……
「……いろいろ、探っていくしかないのよね」
「……そうですね」
ぽつりとつぶやくと、マーセルが言葉を返した。
マティス殿下の婚約者として、公爵家はわたくしにいろいろなことを教え込んだ。そのおかげで確かにわたくしは『完璧な公爵令嬢』に近付いたわ。
でも――……
ちらりとレグルスさまに視線を向ける。彼はわたくしを見ていたようで、ぱちっと視線が交わり、ふわりと柔らかく微笑んだ。
……でも、『完璧な公爵令嬢』ではないわたくしを、望んでくれる人がいる。
そのことが、とても嬉しいの。わたくし自身に、価値があるような気がして。
「それじゃあ、今度はマーセル嬢の家に訪問、か」
「ええ、今度の休日に。……マーセル、貴女、抜け出せる……?」
「あ、それなら私が迎えに行きます。公爵たちをうまく誤魔化してみせますよ!」
クロエが自身の胸元に手を置いて、力強い言葉を発した。
「なら、クロエに任せるわ。マーセル、時間は?」
「じっくり話し合いたいので、午前中にしましょう」
「なら、手土産にたくさんなにか持っていきましょうー」
「ただ単に、食べたいだけじゃないか、お前は……」
ぽんぽんと会話が弾む。
こんなふうに会話ができるようになったのも、マーセルの身体に入ってからだわ。
逆に、マーセルは今、会話を楽しむこともできないのだろう。
公爵邸で親切にしてくれたのはメイドたちだけ。そのメイドたちとも、雑談はあまりしたことがないもの……
「それでは、今度の休日に」
わたくしの言葉に、全員がうなずいた。
――マーセルのご両親――つまりは、わたくしの実の両親――とは、会話をした記憶があまりない。
……いったい、どんな方々なのかしら……?
そして、休日。
マーセルのご両親と会う日がきた。
……なんだか緊張してきたわ。とりあえず、寮には外泊許可も取っているから、遅くなっても大丈夫。
ゆっくりと深呼吸を数回繰り返して、マーセルの部屋から出た。
しっかりと鍵をかけて、待ち合わせ場所に足を進める。
「おはよう、マーセル嬢」
「おはようございますー」
「おはようございます、レグルスさま、ブレンさま」
スカートの裾を摘まんで、カーテシーをした。彼らの後ろには大きな馬車が一台。
レグルスさま、ブレンさま、クロエ、マーセル、それからわたくし。
五人が乗る馬車だから、大きなものを用意してくださったみたい。
数分後に、『カミラ』を連れたクロエがきた。……どうやってお母さまたちを説得したのかしら、彼女。感心していると、その視線に気付いたクロエがにこりと微笑む。
「おはようございます、みなさま。遅れてしまいましたか?」
「いいえ、五分前ですよー。では、行きましょうか、お嬢さま方」
ブレンさまがにこにこと人懐っこそうに笑いながら、馬車の扉を開けた。『カミラ』から馬車に入り、最後にレグルスさまが入り「出してくれ」と御者に合図を送った。
馬車が動き出し、……しんと静まり返った馬車の中、『カミラ』がそわそわしたように視線をあちこちに飛ばしている。
「……ふむ」
小さくブレンさまがつぶやく。その声にビクッと肩を震わせる『カミラ』を見て、首をかしげた。
「――面白いですね」
「面白い?」
「マーセル嬢とカミラ嬢は、魂の双子のようです」
……魂の、双子?
「あなたたちの魂は、とてもよく似ているんですねー。だからこそ、中身が入れ替わったのかもしれません」
ブレンさまは目元を細めた。
言っている意味は、良くわからなかったけれど……わたくしとマーセルの魂が似ているから、このトレードが起きたということ?
「似ている魂は、引き寄せられるとも言うしなぁ」
レグルスさまが感心したようにブレンさまに視線を移す。ブレンさまは興味深そうにわたくしたちを眺め、それから視線を窓の外に向けた。
「あ、手土産を買っていきましょう! マーセル嬢、ご両親はどんなものがお好きですか?」
「え? ええと、……なんでも食べますね。しょっぱいのも甘いのも好きです」
「わー、気が合いそうです。じゃあ、適当に見繕いますねー」
ブレンさまの表情、とてもワクワクしているように見えるわ。
中央広場で一度馬車を停めてもらい、「ちょっと行ってきますねー」とブレンさまが馬車から降り、素早く手土産を買いにいく。
手土産を買う時間も考えて、早めに集合したのだけど……ブレンさまの中では買うものが決まっていたのかすぐに戻ってきた。