「きゃああー!」
側にあったクッションを頭から覆い縮こまる。
「いい加減愛想つかすとこだったんですけどね」
パッと電気がつく。
もちろん私が付けた訳じゃない。
勝手な事が次から次へと起こる。
今目を開けたら絶対やばいと思い、頑なに目を瞑ったままだ。
「おーい、そろそろお話しません?…死ぬ勇気はあるのにお化けは怖いなんて、笑わせてくれますよね」
は?
カチンと来てクッションを放り投げた。
「なに分かったこと言っちゃって!さっきからうるさいんですけど…て、あっ」
声の主の正体に思わず口に手を当てた。
あの、通せんぼ男が腕組みしながら壁にもたれかかっていた。
スーツ姿も同じだ。
「はぁ」
こちらを見ずに深いため息を吐く。
「あの…、なぜあなたがうちに?」
とりあえず至極当然の事を聞いてみる。
「本当はこんなはずじゃなかったんです。ま、緊急事態ってことで。今から話すこと、ちゃんと信じてくださいね」
「よく分かりませんが、話は聞いてみます」
自然と正座して体勢を整える。
このおかしな状況だ。
今は何となく乗っかっておくことが得策に思えた。
「僕、あなたの守護霊なんです。あなたがこの世に生まれてからずっと、陰で守ってきたんです。そそっかしいもんだから、そりゃあもう忙しくて息つく暇もなかったんすよ?」
「それは、どうも、すみませんでしたね」
またイラっときて、抑揚のない声で返す。
「今だから言いますけどねー」
文句タラタラと彼は話し続ける。
私が幼い頃から危ない目に遭っては難を逃れてきたということで、それがまるで自分のお陰だと言わんばかりなのだ。
「信じられないのも無理はないです。でも今日のことだってそうですよ。僕がいなかったら、どうなっていたと思います?」
歩道に落ちた鉄パイプ。
暴走した逆走車。
そこに彼は居合わせた。
ただの偶然とは思えない。
「じゃ、ただの通せんぼだったわけじゃないんだね」
「何です、その通せんぼって。僕は任務を全うしただけですけどね」
偉そうな態度は変わらないが、自慢げに言うもんだから何となく可愛らしく思えてきた。
守護霊?
お化け?
確かに私は心霊系は大の苦手だ。
なのにこんなお気楽に会話している世界、どうかしている。
どうかしすぎて笑えてきた。
不思議とちっとも怖くない。
グラスに残ったワインを豪快に飲み干す。
「ふふふ、君ってすごい人なんだね。いやぁ、有り難い有り難い。お礼にこのケーキをお召し上がりください。ワインもどうぞ」
ケーキとワインのボトルをすすっと差し出す。
「話聞いてました?僕、守護霊なんです。普通に食べれませんよ」
「ですよねー!いっけね、私としたことが、失敬失敬。ははは、そうだそうだ、ユーレイさんは食べれない!ははは」
やれやれと呆れた表情を浮かべながら、守護霊は向かい合わせに座る。
「ちゃんと感謝して欲しいんですけどねー」
そう言いながら、私のフォークを取るなりケーキに差し入れる。
「では、遠慮なく、いっただきまーす」
パクっと頬張る守護霊。
仏頂面だった顔がふにゃっと綻ぶ。
やはりどこか可愛いのが憎い。
「おーいひー」
「ちょ、ちょっと、食べれないんじゃなかったの?」
身を乗り出す。
「うーん。基本的には?」
「意味が分からない。全然分からない」
「まあまあ、いいじゃないすか。今日誕生日なんでしょ?おめでとうございます」
「あ、ありがとう。いや、そうじゃなくて、そうなんだけど…」
完全に相手のペースに飲まれている。
酔いも回ってかどんどん思考が鈍る。
「そう言えば小一の時でしたっけ、近所の犬に噛まれて大泣きしてましたよね」
「あったあった!あれはね、本当に痛かったの。ていうか、守護霊なら何で助けてくれなかったの?」
「知ってます?大難が小難になるって言葉。難を出来るだけ小さくすることも大事なんですよ」
「ふーーーん。あっそう。すごいんだねー。じゃあ、鉄棒から落ちた時も?」
「当たり前じゃないすか。朝飯前です。病院送りにならなかったでしょ?」
「確かにね」
小さい頃の話題は尽きなかった。
ユーレイと言えど他人なのに、全部話が通じた。
おかしな世界があったもんだ。
気がつけば深夜3時をまわり、ケーキもワインも無くなっていた。
こんなに誰かと沢山話したの、いつぶりだっけ。
ふわふわした気持ちのまま、いつの間にか眠りに落ちていた。
誕生日の翌日。
本当なら、今日を迎えることなんてないと思っていた。
おかしな世界に入り込んでしまったせいだろうか。
洗面台にぼーっと突っ立っている私の背後で、ひょこっと顔を出す男の人が鏡に映る。
万が一、夢だったかもしれないなんて、一瞬でかき消された。
なぜ自分のツヤツヤの髪を仕切りに気にするのか。
気にする必要など無いだろうに。
ユーレイなんだから。
むしろ私のボサボサの髪の方が酷い。
「あの、守護霊って、ずっと一緒なんですよね」
「はい。任務なんで」
「ずっとですか」
「ずっとですね」
言葉を返す度に鏡で髪の毛を気にする。
「邪魔ですか?」
「邪魔っていうか…、ずっと一緒にって気になるっていうか」
「気になりますよねー。だから、通常見えないんです。見えないのが当然です。でも、今緊急事態なんで」
「昨日から言ってるその緊急事態って何?」
ギロっとクリクリの目で私を睨んでくる。
可愛くて凄みに欠けるのが救いか。
「自覚無しですね」
「…分からないよ!何が起きてるのか。危険な目に遭いそうになってる気はするけど」
「そこですよ。なぜ危険な目に遭いそうになっているか。ご自分でよーく考えてください。僕がわざわざいうことでも無いので」
またカチンと来ること言う。
うんざりして私はもう無視することにした。
「はいはい、もうこの話やめよう。ユーレイさんは消えてください」
バシャバシャと顔を洗う。
突き放せば、愛想つかしてそのうち姿を現さなくなるだろう。
そう目論でいた。
昨夜はもう少し楽しく話していたのに、なんでいちいち上から目線で偉そうなんだ。
腹立つことばかりだ。
いつも通り会社へ行き、いつも通り仕事をこなす。
無断欠勤したというのに、気のいい社長のせいもあってかお咎めなしだ。
これもあの、守護霊のお陰だったらどうしようか。
中小企業で平凡で安月給でボーナスもない。
こんな会社とっくに辞めたってよかった。
勤続4年目の事務員。
なのにそんな気が起きなくてなっていたのだ。
あの日を境に。
どうなったっていいと思っていたのに、時間を気にしたり人の顔色伺ったり、買い物もまた値上がった卵にため息ついてたりする。
あのケーキを奮発したせいで今月生活費がキツイことも頭を悩ませる。
でも1番はやっぱり、あいつだ。
消えてって言ったのに、チラチラ視界に入る。
守護霊君。
何で....
「何で消えてくれないのー」
にたりと顔を覗かせる。
全てお見通しと言うキラキラした眼差しだ。
「見えるようになったのも、ちゃんと意味があるんすけどね」
「これ以上待っても時間の無駄なので、特別にご説明します。僕も仕事増やしたくないので」
帰宅するなり待ち構えたように自ら椅子に座り、こっちを招く。
あなたの部屋じゃないのですが...。
「主様が1度、本気で死のうと思うと、緊急事態が発令することになっているんです。
守護霊として最大レベルの守護をしなければならないので。
その分、死を狙う魔が襲ってくるようにもなるんです。
本人の意図していない隙を狙って。
だからいつも以上に危険な目に遭いやすくなるんです。
おわかりいただけましたか。
あと、僕が見えるようになったのはですね、この緊急事態が大きければ大きいほど、反動でたまに見えちゃうことがあるらしいです。
滅多に無いらしいですけどね。
僕としては、好都合です。
口頭で注意喚起できますから。
よくあるのは、夢枕とか虫の知らせとかですね」
そう一通り説明を終えると、買ってきた惣菜のヒレカツを味見する。
「気をつけてくださいね」
と事故から救ってくれた際、去り際に放っていた言葉に合点が行く。
あの時の雰囲気と今では随分違うが、同一人物に間違いない。
いつ、どこで、私の覚悟に気付いていたのだろうか。
胸が苦しくなった。
自分の身勝手な思いで、散々振り回していた存在があったなんて。
「ごめん、なさい」
「いや、僕は謝ってほしかったわけじゃないですから。何より、感謝の気持ちの方が僕としては嬉しいです」
泣きそうになる私の頬をツンと指でつつく。
ずるい。
悔しい。
腹立つ。
なのに、心の底から嫌いにはなれない。
それよりずっと胸の奥にじんわり広がる温かさを実感する。
「一緒にたべよう」
2人分の皿と箸を用意する。
「はーい」
「ユーレイって、お腹減らないんじゃないの?」
「はい。基本的には」
「ふふふ、絶対言うと思った」
こうして守護霊君との、おかしで不思議な同居生活が始まったのだった。
奇妙な生活も2週間が過ぎようとしていた。
最近はすっかり守護霊君の存在も慣れてしまっている。
今日の占いのごとく、気をつけるべき行動を聞いてから仕事に行くのも習慣になっていた。
「えーっと今日は、人間トラブル回避のために、1本電車を遅らせるだっけ」
どんなトラブルかという中身までは教えてもらえなかった。
これまでもこれから起こるかもしれない、その難の中身は詳しく教えてもらっていない。
知らないことがいいこともあるんだとか。
確かにそうかもしれない。
信じてない訳じゃないけれど、たまには違うことしても大丈夫だよね。
何かあれば守護霊君が助けに来てくれるんだろうし。
なんて、悠長な事を考えた。
この日は遅らせずに時間通り、電車に乗ることにした。
電車から降りると、足早に改札に向かう。
何にも起こらない。
なんだ、守護霊君の気のせいじゃないの。
すると、ドキッと心臓が鳴った。
2年前に別れた元彼が目の前を横切っていったのだ。
見間違いと思いたい。
でも気になってその姿をつい目で追ってしまった。
くせ毛まじりで眼鏡をかけている背の高いあの人。