「アメリア・エディカシオン公爵令嬢! 今日をもってお前との婚約を破棄する!」
煌びやかなシャンデリアに照らされた卒業パーティー会場の中央。高らかに婚約破棄を宣言したのは、私の婚約者で、このローハレス公国のナイル王太子。
「……殿下、理由をお聞きしても?」
卒業パーティーが終わると、一週間後に婚姻の儀を控えている。ようやくナイル王太子と婚姻を結ぶことができると安堵していたのに、ナイル王太子の言葉に絶望してしまう。それでも、まだ挽回できるかもしれないと自らを奮い立たせ、フローラ男爵令嬢を抱き寄せているナイル王太子の前まで進み出た。
「お前が身分を笠にして、学園でフローラを貶める暴言を吐いたことはわかっている! フローラが涙ながらにお前の非道な行いを訴えてくれた。身に覚えがないとは言わせないぞ」
「そんな……っ! 私はただフローラ様にナイル殿下は婚約者がいるのだから、節度ある距離を保ってくださいとお願いしただけです」
「ナイル〜こうやってアメリア様がいつも怒りながら睨んでくるんです……!」
憎くてたまらないフローラ様に視線を向ける。
男爵家の庶子として生まれたフローラ様は、最近、学園に転入してきた。ストロベリーブロンドとピンク色の瞳。天真爛漫なふるまいでナイル王太子をはじめ高位の貴族令息を次々に籠絡し、学園の風紀を乱している。
ナイル王太子とフローラ様の背後には、フローラ様に籠絡されたナイル王太子の側近も並び、ナイル王太子と同じように私を睨みつけている。ああ、せめてナイル王太子以外であったならフローラ様に文句など言わなかったのに……。
「醜い嫉妬をするな! 転校生のフローラが早く学園に馴染めるように力を貸すのは、この国の王太子として当然の務めだ」
「ああ、ナイル……っ! フローラのことを守ってくださって嬉しいです」
涙を浮かべたフローラ様がナイル王太子にしなだれかかり、側近たちにも甘ったるい視線を送る。私に勝ち誇ったように笑みを向けたけれど、歪んだ笑みが見えているのは正面にいる私だけだろう。
このままではナイル王太子との婚約を破棄されてしまう。どうしたらいいのか必死で考える。
「ナイル殿下、フローラ様を正妃に迎えるには身分が低すぎます。それに王太子妃教育はとても難しく、フローラ様に耐えられるとは思いません。……フローラ様は、側室として迎えてはいかがですか?」
「……なっ!」
「ひどい〜〜〜! アメリア様ったらフローラは勉強ができないって言いたいの?! ナイルのためだったら頑張るのに〜〜!!」
「ああ、フローラ! なんて健気で可愛いんだ!」
フローラ様の腰に回していたナイル王太子の腕に力が籠り、二人の距離が一段と近くなる。甘ったるい空気が生まれる様子に、提案が失敗してしまったと泣きたくなるけれど、泣いている場合ではない。私は絶対にナイル王太子と結婚しなくてはいけないのだから──。
「……ナイル殿下と私の婚約は、王家とエディカシオン公爵家が結んだもの。ナイル殿下には破棄する権限はありません。陛下と、エディカシオン公爵は了承しているのでしょうか?」
「っ、王族に口答えするとは不敬だ! お前のような悪女を未来の王妃として迎え入れるわけにはいかない。俺は、アメリアと婚約を破棄してフローラと婚約する。アメリア、王族である俺と、未来の王妃となるフローラに対する態度は到底許されるものではない。アメリア、お前は貴族籍剥奪の上で、国外追放する──!」
「そんな……っ! ナイル殿下、どうか考え直してください! 私と婚姻を結んでくださるなら、なんでも言うことを聞きますから……どうか、どうかお願いします……っ!!」
ナイル王太子に駆け寄り腕を伸ばした途端、床の上に突き飛ばされた。
「アメリア見苦しいぞ! 愛するフローラを侮辱した者に一欠片の愛情もあるわけないだろう。もうお前は貴族ではないからな。おい、誰かこいつを連れていけ」
その言葉で、フローラ様に心酔するナイル王太子の側近に取り囲まれる。私が慌てて立ちあがろうとすると足首に痛みが走った。
「……っ!」
下卑た笑いを浮かべる令息達の間から、冷ややかな侮蔑の眼差しで私を見るナイル王太子と愉悦を浮かべたフローラ様が見える。それから、唯一フローラ様に篭絡されていない王家の犬と呼ばれる犬獣人の護衛騎士も無表情で立っていた。
助けを求めるように周りを見渡して気づいた。卒業パーティーだと言うのに、国王陛下と王妃様は不在。さらにエディカシオン公爵であるお父様を含め、ナイル王太子を諫める人がいない状況だとわかり、血の気が引いていく。狙いすました婚約破棄なら、エディカシオン公爵家に帰ることもできないまま国外追放されてしまう。
恐ろしすぎる未来を想像して、カタカタと身体が震えていく……。
──バキッ
「ああ〜やっと取れた!!!」
なにか壊れるような音のあと、開放感にあふれる大きな声がパーティー会場に響いた。声の主が王家の犬と呼ばれるシベリアン国の犬獣人、ジルベルト王子だったことに衝撃が走る。
「っ!」
私はジルベルト王子の亀裂の入った隷属の首輪を呆気に取られて見ることしかできない。無表情ではなくなった水色の瞳に正気が宿り輝いている。
最北の大地にあるシベリアン国は、シベリアンハスキー獣人をはじめとする獣人の国で、ローハレス公国の属国。ジルベルト第一王子は、病に冒されたシベリアン王妃である母上を助けることと引き換えに、我が王家に隷属の首輪を嵌められている。
隷属の首輪は、嵌められた者の意思に関係なく意のままに操ることのできる呪われた魔道具。我が国はジルベルト王子を欺き、不当な条件でシベリアン国を属国とさせた。隷属の首輪は王家の者にしか外すことができない。勿論、この非人道的なやり方に抗議の声は国内外から強く上がっているが、王家はすべてを無視している。
圧倒的強さを持つシベリアンハスキー獣人、さらに裏切る心配のないジルベルト王子は、ナイル王太子の筆頭護衛騎士……だった。隷属の首輪がなければナイル王太子に仕える理由なんてひとつもない。
「お、おいっ、ジルベルト! なにしてる?」
「ん? 見ての通り、首輪を外してるところだよ」
「今すぐやめろ!」
ナイル王太子の言葉を無視して、ジルベルト様が隷属の首輪の亀裂に手を掛け、引きちぎって投げ捨てる。人より遥かに戦闘力に優れた獣人の力と解放された姿を見せられて、パーティー会場は水を打ったように静まり返った。
「いい加減にしろ、ジルベルト! 今すぐ戻れ!」
ナイル王太子の高圧的な命令にパーティー会場が凍りつく。ナイル王太子は勉強嫌いで、生徒会の仕事も王太子の仕事も私に回していたけれど、まさか今の状況を理解していない……?
「はあ、ナイルは本当にうるさいな」
「……なっ!? おっ、おい……ジルベルト、なんで俺の命令に従わないんだ!」
ジルベルト王子の銀髪の間から覗くシルバーグレーの三角耳がピンと立ち、苛立ちを表すように銀色の尻尾を小刻みに振りはじめた。
「隷属の首輪が取れたのに、なんで従わないといけないの?」
「なっ! お前はあの首輪でいうことを聞いていたのか!?」
「あ〜やっぱりナイル王子は知らなかったんだね。ほーんと、助かったよ。いくら力が覚醒したとしても、隷属の首輪に定期的に魔力を注がれてたら外れなかったからね」
「な、なに……っ? 父上が魔力を忘れるなと言っていたのは、そういう意味だったのか! 今から魔力を注いでやるから、首輪を持ってこい!」
「はあ、ナイル王子は本当にばかだなあ──絶対にやだね」
軽い口ぶりなのに、有無を言わせない風格がある。ようやくナイル王太子もジルベルト王子に命令が効かないことに焦り、顔が青ざめていく。満足そうに笑ったジルベルト王子が歩くたびに人が避けていき、私を取り囲む令息も気づいたらいなくなっていた。
「アメリア」
ジルベルト王子が座り込んだままの私に跪くと名前を呼んだ。ナイル王太子に向けていた冷酷な瞳ではなく、水色の瞳は甘やかで、尻尾も左右に大きく揺れ動いている。
「俺の番、ただいま」
「…………お帰りなさい、ジルベルト」
「遅くなってごめん。アメリアが乱暴されている姿を見たら、怒りで力が覚醒したんだ」
「ううん、遅くなんてない……っ! ジルベルトの隷属の首輪が取れて嬉しい……っ」
あまりに嬉しくて、どうしようもなく嬉しくて、涙が頬を伝っていく。ジルベルトの指が私の涙を優しく拭ったあと、大きな身体に抱きしめられた。ジルベルトの体温にようやくジルベルトが戻って来たことを実感する。
「アメリアがナイルに抱かれたらと思ったら気が気じゃなかった……間に合ってよかった……っ」
「ごめんなさい。私が王家の者になれればジルベルトの首輪を外せる思っていたのだけど、結局失敗しちゃった……」
「失敗してよかったと思ってるって言ったら怒るかな?」
ジルベルトの言葉に首をぶんぶん横に振った。ジルベルトの隷属の首輪を外したい一心だっただけで、私だってナイル王太子のことはこれっぽっちも好きじゃない。本当は指一本触れられるのだって嫌だから。
私とジルベルトは婚約する予定だった。エディカシオン公爵領にある北の避暑地で、私とジルベルトは出会った。最初はシベリアンハスキーが屋敷に迷い込んできたと思っていたら獣化したジルベルトで、獣人に戻ったときには本当に驚いたのを覚えている。
番の匂いは人間にはわからないはずなのだけど、私は一目見た時からシベリアンハスキーのジルベルトを離さなくて大変だったらしい。シベリアンハスキーを離さない私と私から離れないシベリアンハスキーに屋敷中が困っていたらシベリアン王家の使いがやってきてジルベルト王子だと発覚した。
獣人にとって番は、唯一であり特別。獣人同士であればすぐに婚約を結んだり、お互い成人していれば即結婚することもあるが、相手が人間である場合は少し違う。人間は番の匂いがわからない。お互いを知るために成人であれば一年、未成年であれば三年間の猶予期間が設けられる。
五歳だった私達は一緒に遊び、手紙をやり取りして、まもなく三年という時にシベリアン王妃様が眠り姫病に冒された。突然、眠ったまま目を覚まさなくなる不治の病に効くのは、百年に一度だけ実る目覚林檎だけ。
──それが偶然にもローハレス公国に目覚林檎が実ったという知らせを聞いたジルベルトは、居ても立っても居られずシベリアン国から離れたローハレス公国に駆けつけた。
王城に到着したのが夜にも関わらず、ローハレス公国の王は快く謁見を受け入れ、目覚林檎をジルベルトに渡すことを約束する。すぐに目覚林檎を欲するジルベルトに、ローハレス公国の王は朝日を浴びた目覚林檎が最大限に目覚めの効力が高まると嘘を伝え、王城に部屋を用意させた。
朝になれば目覚林檎を手に入れられる安堵と、ほぼ不眠不休で駆けてきた疲れ、それから飲み物に混入された睡眠薬でジルベルトは深い眠りに落ちてしまう。そして、目覚めたときには隷属の首輪を嵌められていた。
ローハレス公国の王から告げられたのは二つの選択肢。
──ジルベルトが隷属の首輪をして我が国に残るのなら、目覚林檎を与えましょう
──隷属の首輪を外すことを願うのなら、目覚林檎を処分してしまいましょう
幼かったジルベルトは目覚林檎を選びシベリアン王妃は目覚めたものの、隷属の首輪を嵌められたジルベルトは人質に。もちろんシベリアン国も抗議はしたが、第一王子のジルベルトが隷属の首輪を嵌められている以上従うほかなかった。
「おい! アメリア!!」
「っ!」
突然のナイル王太子からの怒号を受けて、自分のいる場所を思い出した。
「ジルベルトの首輪を取ったのはお前ということか!? これは王家に対する反逆罪だ! おいアメリア、貴様は国外追放ではなく死罪に値する。覚悟しておけ」
「そうよそうよ! アメリア様ったら大犯罪者じゃない!」
ナイル王太子とフローラ様に叫ばれて頭が痛くなる。大国のシベリアン国が属国になっている理由は隷属の首輪だけ。犬獣人、特にシベリアンハスキー獣人は仲間を大切にする種族だから、シベリアン王国はずっと耐えていたことを知らないのだろうか。
「ナイル王太子、フローラ様。ジルベルト第一王子に失礼ですよ」
「はあ? そいつは王家の犬だぞ」
「アメリア様ったらちょっと犬にモテたからって、はしたないですよ〜」
どうして隷属の首輪をしていないジルベルト王子を王家の犬だなんて言えるのだろうか。今まで散々ジルベルトを玩具のように扱ってきた二人に怒りで身体中が震える。
「まあいい。アメリア、ジルベルトにもう一度隷属の首輪をつけろ。そうすれば、フローラを虐めたことは許してやってもいい──正室は無理だが、特別に側室にしてやる。優しいフローラに感謝するんだな」
「もちろんフローラが寵愛を一身に受ける役割で、アメリア様はお仕事だけするんですけどね〜きゃはは」
とんでもない発言に会場にいる人達が息を飲む。まさか隷属の首輪をつけ直せだなんて、この二人は事態がまったくわかっていないのだろう。手柄だけを私から奪い、遊び耽っていたナイル王太子をひややかに見つめる。
「ナイル殿下、お断りさせていただきます」
「……はあ?」
今までナイル王太子に媚びを売り続けていた私の言葉に、ナイル王太子が驚いたように目を見開く。ジルベルトの首輪が外れた今、ナイル王太子と結婚するなんて天地がひっくり返ったとしてもお断りなのだけど。
「なっ! アメリア、いくらわたしが好きだからと言って正室を望むのは強欲すぎるぞ! さっさとジルベルトに隷属の首輪を嵌めろ!」
この状況でどうしたら私が正室を望んで我儘を言っていると思うのだろう。ナイル殿下の頭の中にはお花畑か、ふわふわな甘い綿菓子でも詰まっているのだろうかと、頭が痛くなった。
「ナイル、いい加減にしてくれる?」
「ジルベルト、その生意気な瞳はなんだ……っ!? お前は大人しく俺の犬であればいいんだっ!」
「お断りだね。二度と隷属の首輪は嵌めない──それより、俺のアメリアに謝って」
「はあ? なんでアメリアに謝る必要がある! あいつはわたしに惚れている、側室にしてやるのだから感謝すべきだ」
「そ、そうよ! 正室はフローラなんだからアメリア様は側室で十分でしょう!」
ナイル王太子とフローラ様が叫ぶけれど、そういう話ではない。ローハレス公国の危機にすら気づけないなんて王族失格もいいところだと思う。
「本当にナイルは馬鹿だな。なあ隷属の首輪が外れると、シベリアン国に知らせが届くようになっているんだよ」
「そ、それがどうした?」
「シベリアン国は、隷属の首輪が取れる日を信じて、ずっとローハレス公国に攻め入る準備を続けてきた」
ジルベルトが手のひらを空へ向けると、水色の光が煌めく。獣化したときのジルベルトにそっくりな小さなシベリアンハスキーが空中に現れる。
「そして、本当に隷属の首輪が外れていたら、俺がシベリアン国に合図を送ることになっているんだ」
「なっ、や、やめろ……攻め入るなんて、我が国はどうなるんだ!?」
「さあね。俺の大切な番を侮辱する国も、俺に隷属の首輪を嵌めた国も、俺は到底許せないから──行け」
「わふっ」
シベリアンハスキーが元気よく返事をすると空に向かって走り出し、魔法で転移して消えた。消えたシベリアンハスキーを見て、ナイル殿下とフローラ様がようやく事の重大さに気づいたように床にへたり込む。
でも、私もジルベルトを十年も隷属の首輪で縛りつけたことを絶対に許せるわけがない。ナイル王太子とフローラ様をきつく睨んでいると、手の甲に柔らかな感触を感じた。
「アメリア、俺たちもそろそろ行こうか。ここは今から埃っぽくなると思うから」
「で、でも……、っ、きゃ……っ!」
突然、ふわりと浮遊感が身に起こり、気づいたらジルベルトにお姫様抱っこをされている。恥ずかしさに頬に一気に熱が集まってジルベルトの胸を叩く。
「自分で立てます……っ!」
「だーめ。足首を捻ったんでしょう? 俺にアメリアを抱きしめる口実をちょうだい──だめ?」
「〜〜〜〜その顔、わざとやってる……もう、だめなわけない……っ」
私が水色の瞳で窺うように見つめられるのが弱いとわかっていてやっているジルベルトをじとりと睨む。目を細めて笑うジルベルトに心臓が大きく跳ねる。ジルベルトの唇が額に近づいて甘い音を鳴らすから、私も甘えるようにジルベルトの首に腕を回した。
卒業パーティーの会場に大きな魔法陣が現れる。金色の光と共に現れたのは、ジルベルトの弟のラルク第二王子と兵士達。
「兄上、よくぞご無事で! アメリア姉様も!」
「ラルク、あとは頼んでもいいか? アメリアが怪我をしているから王城に連れて行きたい」
「もちろんです! 僕も兵士達もこの日を夢見て、あらゆる想定をしてきました。半日で掌握してみせますので、お任せください」
「優秀な弟がいて頼もしいよ。頼むね」
ジルベルトの言葉と共に、目の前が水色の光で包まれた──。
◇◇◇
あれからラルク第二王子の言葉通り、半日でローハレス公国は掌握された。ジルベルトに隷属の首輪を嵌めた王族は断罪。私を陥れようとしたフローラ様や側近の令息、ジルベルトに対して不敬を働いた者もすべて罪に応じて粛清された。
エディカシオン公爵であるお父様が王位を賜り、ローハレス公国の名前は地図から消えた。
私とジルベルトはシベリアン国で暮らしはじめ、少し前に結婚式を挙げた。
「アメリア愛している」
「私も愛しています」
夜空にかかるオーロラのカーテンを二人で見上げながら、甘やかな口付けを交わす。水色の瞳を見つめれば、同じように見つめられていて。これからもずっと離れないと心に誓いながら私達は、もう一度、唇を寄せあった──。
おしまい