中学校の制服に身を包み、通りなれた道を学校に向かって歩いていく。

 いつもの朝の風景。
 すると横断歩道の手前で、1人の女の子が私にかけよってきた。

「お姉ちゃん、おはよう!」

 小学校低学年くらいのその子は、真夏ちゃん。
 最近知り合った女の子だ。

「おはよう、真夏ちゃん」
「聞いて聞いて。昨日この先の道を、大きな荷物を抱えたおばあちゃんが通ってね……」

 早口でしゃべってくる真夏ちゃん。
 真夏ちゃんは人間観察がマイブームみたいで、毎朝「昨日はこんな人を見かけたよ」って、教えてくれるの。
 私はそれに、うんうんと相づちをうっていたけど……。

「うわ、なにあの子。道の真ん中で1人でしゃべってるなんて、変なの」
「あれって、1組の皆元さんでしょ。変人ってウワサの」

 ──っ!

 聞こえてきた声に目をやると、うちの学校の制服を着た女子が2人、クスクス笑いながらこっちを見ている。
 私は、真夏ちゃんと話しているだけなのに。
 けど、仕方ないよね。
 だってあの人達には、真夏ちゃんの姿が視えないんだもの。

 すると真夏ちゃんも今の声が聞こえたのか、さっきまでの楽しそうな顔をくもらせる。
「お姉ちゃん……ごめんなさい」
「そんな、真夏ちゃんが謝ることじゃないよ」

 真夏ちゃんが落ち込まないよう、笑顔を作る。
 さっきの子たちは真夏ちゃんの姿が視えないし、声も聞こえない。
 だって真夏ちゃんは生きた人間じゃなくて、すでに亡くなっている。
 事故死した女の子の、幽霊なの。

 だから大抵の人は彼女の姿を視ることも、声を聞くことだってできない。
 けど私、皆元美子は違う。
 霊感っていうのかな。
 私はなぜか小さい頃から、幽霊を視ることができて、こうして話すこともできるの。

 成仏できずに、道路に佇んでいる真夏ちゃんと出会ったのが2週間くらい前。
 真夏ちゃんがあまりに寂しそうにしてたから、放っておけなかったの。
 それから真夏ちゃんはお話しできる私に、なついてくれてるの。

「気にしないで、もっとお話ししよう。私、真夏ちゃんと話すの、楽しいもの」
「本当!?」
「うん! ……あ、でも今日はもう行かないと、遅刻しちゃう」

 ゴメンって謝ったけど、真夏ちゃんはニコニコ笑ってる。

「平気だよ。お姉ちゃん、またお話ししようね」
「うん! それじゃあまたね」

 手を振って別れたけど、その間近くを通る人は、いぶかしげに私を見ている。
 うう~、やっぱり普通の人から見たら、変って思っちゃうよね。
 ほんと言うと、人目が全く気にならないわけじゃない。
 けど真夏ちゃんと話すのが楽しいのも本当だし、亡くなってからはずっと1人でいるんだもの。
 放っておけないよ。
 それに変って思われるのなんて、今さらだもんね。
 私は気をとり直すと、中学校に向かって歩いていった……。



 ◇◆◇◆


 他の人には視えないものが、どうして私にだけ視えるのかな?
 私は小さい頃から亡くなった人、幽霊の姿を普通に視ることができた。
 けどそのせいで周りからは気味悪がられて、変な子扱い。
 友達だっていない。
 昔はいたんだけど、私が変だから、だんだんみんな離れていっちゃった。

 中学校に入ったのを機に、今度こそ友達を作ろうって思ったんだけど、今まで友達がいなかったせいですっかりコミュ障になっちゃってて、中学デビューはあえなく失敗。
 それに何より、中学になってからも変な子扱いされたのが痛かった。

 幽霊って、自分のことが視えてるってわかったら、声をかけてくる人が多いんだよね。
 たぶん誰にも気づかれずに1人でじっとしているのは退屈だから。私が視えてるって分かると、からんでくるの。
 それに毎回受け答えしてるもんだから、変な子だってウワサは、すぐに広まっちゃった。
 けど、後悔はしてないよ。
 視えているのに、視えないふりなんてしたくないもの。

 学校についた私は誰かから声をかけられることなく、校舎に入って自分の教室へと向かう。
 けど、廊下の角に差し掛かったそのとき……。

「うわっ」
「キャ!?」

 急に誰かが曲がってきて、ぶつかりそうになる。
 よければよかったのに、運動オンチな私はそれができずに、後ろに転んでしまった。

「悪い、大丈夫……って、美子?」
「拓弥くん……」

 ぶつかってきた彼は差しのべてきたけど、私と目が合ったとたん、その手を止める。
 茶色いツンツンした髪をしたその人は、私がよく知ってる男の子、森原拓弥くん。

 小学校が同じで昔はいっしょに遊んでたんだけど、私が変な子って言われるようになるにつれて、距離ができちゃったの。
 中学に入ってからも見かけることは何度もあったけど、声をかけることもかけられることもなくて。
 私は差し出された手を取っていいかわからず、向こうも戸惑うように固まっちゃってる。
 けどそしたら……。

「拓弥、なにやってんだよ」
「あ、直也さん」

 拓弥くんの後ろから現れたのは、長めの金髪をした男子生徒。
 この人知ってる。たしか、3年生の、春風直也先輩……。

「君、立てる? 拓弥ー、女の子にぶつかっといて、助けないはないだろ」
「はい、すみません……」

 ペコリと頭を下げる拓弥くん。
 先輩に起こされた私も、「ありがとうございます」ってお礼を言う。
 するととたんに、廊下を歩いていた数人の女子が、こっちを見てきた。

「ねえねえ。あれ春風先輩と森原くんよね。2人と話せるるなんて、あの子羨ましい!」
「本当。前髪伸ばし放題でもっさりしてて、全然かわいくないのにね」

 ううっ、名前も知らない女子の言葉が、チクチク胸に刺さる。
 はい、すみません。もっさりでごめんなさい。

 彼女たちの言う通り、私はたまに先生から「見にくくない?」って言われるほど、前髪を伸ばしている。

 これは元々、幽霊を視すぎないように伸ばしたの。
 実は昔、変な子扱いされるのが嫌で、幽霊を視ない方法はないか考えたことがあったの。
 そこで思い付いたのが、前髪作戦。
 髪で目を隠せば、視えにくくなるんじゃないかって考えたんだけど、あまり効果なかった。

 けど1度定着してしまった髪型をそれ以上変える気にもなれずに今に至るんだけど。
 そのせいで、変な子に加えてモサいって言われちゃってる。
 でも、春風先輩は。

「こらこら君たち、そんなこと言わない。女の子がケンカしてるところなんて、俺は見たくないな~」
「は、はい! すみませんでした!」
「はわわ。春風先輩優しいー!」

 すごい、一瞬でメロメロにさせちゃった!
 だけど感心していると、廊下の向こうからさらに誰かがやってきた。

「2人とも、朝から騒がしいですよ」
「直也、またお前か」

 やってきたのは、2人の先輩。 
 するとさっきの女子達が、またも歓声を上げた。

「わぁっ!『七星』幹部勢揃い!」
「朝から幸せすぎるー!」

 キャーキャー騒ぎ出す女子達。
 彼女達がはしゃぐのは、彼らが特別な人達だから。
 彼らは『七星』って言う、暴走族チームのメンバーなの。

 あ、暴走族っていっても乱暴な人達じゃなくて、他の暴走族からうちの学校の生徒が絡まれないよう守ってくれる、自衛団みたいなもの。
 だから彼らは恐れられる存在ではなく、ヒーローみたいな扱い。
 これは友達のいない私でも知ってる、うちの学校の常識なの。

 しかも拓弥くんも、さっき私を助けてくれた先輩も、後から来た2人も、七星の幹部。
 眼鏡をかけた知的な印象を受ける2年生の先輩は、たしか染谷晴義さん。
 誰かが七星の頭脳って話しているのを、聞いたことがある。

 そしてもう1人。
 黒真珠のような髪と瞳をした美麗な、クールな雰囲気の3年生。
 うちの学校で知らない人はいない七星の総長、桐ヶ谷響夜先輩だ。

「キャー、響夜先輩ー!」
「きょ、今日も素敵すぎるー!」

 気持ちが高まりすぎて倒れるんじゃないかってくらいの、感激の声が飛んでる。
 さすが桐ヶ谷先輩、下手なアイドルよりも、よっぽど人気だ。

 私は特別桐ヶ谷先輩のファンってわけじゃないけど、間近で見る先輩には、思わず見とれてしまった。
 よ、世の中には、こんな綺麗な人がいるんだ。
 それに暴走族の総長までやってるなんて、すごい人だなあ……。

「……アンタ」
「は、はいっ!」

 見とれていたら、桐ヶ谷先輩が話しかけてきて、思わず声が裏返ってしまった。
 あ、あわわ、変に思われてないかなあ?

「直也に何かされなかったか?」
「え? い、いいえ、なにも」 
「そうか、ならいい」

 興味をなくしたみたいに目をそらす桐ヶ谷先輩。
 き、緊張したー!
 普段人と話すことになれてない私にとっては、一言二言の会話でも心臓バクバクだった。
 そしてそんな私のことなんて眼中にないみたいに、集まった4人は話しはじめる。

「響夜さん、晴義さん、おはようございます」
「おはよー2人ともー。で、朝っぱらから何か用?」
「ちょっと相談したいことがあって。ここじゃあなんですから、話はアジト教室で」

 彼らの会話が聞こえてきたけど、アジト教室なんてあるの!?
 けど、話を聞けたのはここまで。

 場違いな私が彼らの側で、いつまでもつっ立ってるわけにはいかないものね。
 聞こえたか分からないけど、もう一度「ありがとうございました」と小声で言ってから、その場を後にする。

 ううっ、緊張したなー。
 ぶつかって助けてもらっただけなのに、近くにいるだけで彼らのオーラに当てられちゃった。
 もしかしたら、今後一生無いかもしれない貴重な経験だったかも?
 なにせ私と彼らとでは同じ学校に通っていても、住む世界が違うんだから。

 ……って、思っていたけど。

 まさか私が、七星の人達と大きく関わることになるなんて。
 このときはまだ、思ってもいなかった。

『美子ちゃんって変だよねー』

 放課後の教室で、友達の女の子がそう言ったのを、私は信じられない気持ちで聞いていた。

 あの日小学生だった私は、忘れ物を取りに教室に戻ったとき、クラスメイトが集まって自分の話をしているのを聞いた。

 教室のドアの陰に隠れながら耳を傾けていると、誰もいないのに1人でブツブツ言ってるとか、幽霊が視えるなんて言ってて気味悪いとか、みんな口々に言っていた。

『美子ちゃん、ほんとおかしいよね。拓弥くんもそう思うでしょ』

 こっそり教室を覗きこむと、話をふられていたのは、当時1番仲のよかった友達。
 森原拓弥くん。

 このとき私は拓弥くんなら、『そんなことないよ』って言ってくれるって思ってた。
 だけど、彼が言った言葉は……。

『うん……俺もそう思う……』

 それを聞いた瞬間、私の中のなにかが崩れたような気がした。

 同時に、ガタッて音を立ててしまって、教室にいた子達が一斉にこっちを向いた。
 そのとき拓弥くんと目が合ったけど、彼がどんな顔をしていたかは、覚えてない。
 それ以上その場にいたくなかった私は逃げ出して。
 次の日には、クラスで居場所がなくなっていた……。



 ……う、うう~ん。
 久しぶりに見たなあ、あの日の夢。

 目を開けると、飛び込んできたのは見慣れた自分の部屋の天井。
 昨日拓弥くんと会ったせいか、小学校の頃の夢を見ていた。
 結局あれから、友達の1人もできないまま。
 あ、幽霊とは、たまにお話しするけどね。
 そんな生活にも、もうなれちゃったなあ。

「……起きよう」

 うーんって背伸びをして、私はベッドから抜け出した。


 ◇◆◇◆


 今日も途中で真夏ちゃんに挨拶をして、やってきた中学校。
 だけど校舎の中に入ると……気のせいかな?
 なんだか周りが、いつもより騒がしい気がする。
 廊下を歩いていると、いたるところで生徒が集まっては、ざわざわと何かを話している。

「なあ、あの話聞いたか?」
「うん……七星は、これからどうなるんだろう?」

 七星?
 聞こえてきた言葉に、昨日会った拓弥くんたちのことを思い出す。

 みんな、七星の話をしてるの?
 それ自体はいつものことなんだけど、普段とは何か空気が違う気がする。
 すると……。

「信じられないよ。桐ヶ谷先輩が亡くなったなんて」

 ……え?

 聞こえてきた声に、思わず足を止めた。
 亡くなったって、あの桐ヶ谷先輩が?

 昨日声をかけられたときの、彼の姿がよみがえってくる。
 あれからまだ、1日しか経っていないのに……。

 私と桐ヶ谷先輩の接点はあのときだけで、あとは一方的に知っていただけ。
 けどそれでも、知っている誰かが亡くなったというのは、不思議な寂しさがある。

 拓弥くんは、大丈夫かなあ?
 昨日親しげに話していた、彼のことを思い出す。
 きっと、すごくショックだと思う。
 けど私は彼らとは何の関係もない、赤の他人。心配したところで、どうすることもできない。
 私はため息をついてから、再び歩き出す。
 気にはなったけど、なにができるってわけでもないよね。
 けど、廊下の角を曲がろうとしたそのとき……。

「うわっ」
「キャッ!?」

 まるで昨日の再現。
 角の向こうから曲がってきた誰かとぶつかりそうになった私は、またしても後ろに転んじゃった。

「痛たた……」
「悪い、大丈夫か?」

 聞こえてきたのは、心配する男子の声。
 そして昨日拓弥くんにされたみたいに、手がさしのべられる。

「は、はい。ありがとうございま……」

 その手を取ろうとして、固まった。
 ぶつかってきたのは昨日とは違って拓弥くんじゃないけど、その人の顔には見覚えがあった。
 というか、彼は……。

「桐ヶ谷先輩?」

 ぶつかりそうになった相手は、学校一の有名人。桐ヶ谷響夜先輩だったの!
 だけど……あ、あれ? さっき桐ヶ谷先輩は亡くなったって聞いたんだけど?
 それとも、あれはデマだったのかなあ?

 だけど頭にハテナを浮かべていると、桐ヶ谷先輩がハッとしたような顔をして私を見る。
 そして……。

「お前、俺のことが視えるのか?」
「え? は、はい。見えますけど……」

 伸びた前髪で多少目が隠れているけど、ちゃんと見えるし視力も悪くない。
 けど桐ヶ谷先輩は、黒々とした目をますます丸くした。

「声も聞こえるのか? そうなんだな!?」

 桐ヶ谷先輩は声を上げながらしゃがむと、グイッと顔を近づけてくる。
 って、近い近い! 近いですよー!
 さらに先輩は、私の肩に手を置いてきたけど……。

「え?」
「ちっ、さすがに触れはしねーか」

 先輩の手が触れようとした瞬間、スッと私の肩をすり抜けた。
 まるで桐ヶ谷先輩が、存在しない幻みたい……って、ちょっと待って。

 普通に考えたらこれはあり得ない現象だけど、私はこれと同じことを、何度も見たことがある。
 例えば真夏ちゃんが私に触ろうとしても、今みたいにすり抜けちゃうの。
 それは真夏ちゃんが、実体を持たない幽霊だから。
 そして桐ヶ谷先輩でも、同じことが起こったということは……。

「ゆ、幽霊なんですか?」
「あー、どうやらそうらしい」

 やっぱり!
 一瞬、噂は嘘だったのかって思ったけど、違った。
 生きてたんじゃなくて、桐ヶ谷先輩の幽霊!?
 小さいころから幽霊はたくさん見てきたけど、知ってる人が幽霊になったのは初パターン。
 といっても、先輩のことを一方的に知ってるだけだけど。

 こ、こういうときって、どう声をかけたらいいんだろう。
 御愁傷様です、とか?
 けど考えていると、クスクスと笑う声が聞こえてきた。

「なにあの子、廊下で座ってる」

 ハッ、そうだった!
 私は未だ座ったまま。
 しかもみんなには桐ヶ谷先輩の姿は見えないから、座って1人でぶつぶつ言ってるように映ってるはず。
 は、恥ずかしい!
 慌てて立ち上がって、スカートについた汚れを払う。

「すみません。お騒がせしましたー!」
「おい、待てって!」

 去ろうとしたけど、桐ヶ谷先輩は腕をつかんでくる。
 といってもさっきと同じで、先輩の手は空を切ったんだけどね。

「お前、どうして俺が視えるんだ? なあ、聞こえてるんだろ!」

 声を大きくして、聞いてくる桐ヶ谷先輩だけど……。

「す、すみません。場所を移動していいですか? ここでは、目立ってしまうので……」
「む、それもそうか」

 よかった、わかってくれた。
 道の真ん中で真夏ちゃんとお話はしてるけど、学校だともっと悪目立ちしちゃうもんね。

「けど最初に、これだけは聞かせてくれ。お前、名前は?」
「み、皆元美子。1年です」
「最初に」というのが気になったけど名前と、ついでに学年も答える。
 その間も足を止めずに教室に向かったけど……どうして桐ヶ谷先輩も、後ろからついてくるんですかー!?

「返事はしなくていいから、そのまま聞いてくれ。俺は3年の、桐ヶ谷響夜だ」

 はい、知ってます。
 というかうちの学校で、桐ヶ谷先輩のこと知らない人なんていませんから。

「昨日の放課後、わけあって車に跳ねられて、気がつけばこうなってた。たぶん今の俺は、幽霊なんだと思う」

 はい、きっとそうですね。
 私は視ることができましたけど、他の人は見えていないみたいですし、なにより触れられませんでしたから。

「だれも俺のことなんて見えねーし、声も聞こえねーらしい。けどアンタだけは俺に気づいてくれた。頼む、俺の話を聞いてくれないか?」

 お願いしてくる桐ヶ谷先輩だったけど、もう教室について、もう少ししたら授業がはじまる。
 でもこんなに頼んでいるんだもの、放ってはおけない。
 私は席につきながら、周りに聞こえないよう小声で話しかける。

「……今は、難しいです。けど、昼休みになら」
「本当か!?」

 もしかしたら休み時間でも話せるかもしれないけど、話が長くなるかもしれないから、昼休みの方が確実だよね。

 というわけで、いったん話は中断。
 まずは授業を受けることに。

 授業の間中、桐ヶ谷先輩は教室の後ろからずっと私のことを見ていて、変な緊張感に悩まされたのは想定外だったけど。
 午前中の授業が終わって、昼休み。
 ずっと先輩に見られていたせいか、ただの授業が今日はすごく疲れた気がする。

 そして休み時間のたびに、クラスのあちこちで桐ヶ谷先輩のことが話題になっていた。
 亡くなったのがショックで泣いている子もいたし、対立しているチームの人に毒を飲まされたなんて、ビックリするような話まで囁かれていた。

 けどわたしが一番気になったのは、拓弥くん。
 拓弥くんとはクラスが同じなんだけど、今日は朝から来てなくて、彼の席は空っぽ。
 拓弥くんは七星の幹部だし、もしかしたら桐ヶ谷先輩が亡くなったことと、何か関係があるのかも?

 だけどそれを確かめる術なんてないし、知ったところで私に、なにかできるわけでもない。
 それよりもまずは、桐ヶ谷先輩の話を聞かないと。

 私は教室の後ろにいた桐ヶ谷先輩の方を向いて、目で合図を送る。
 先輩はそれに気づいたけど、教室で話したんじゃやっぱり変に思われるから。
 家から持ってきたお弁当を持って、桐ヶ谷先輩を連れて教室を出る。

 向かった先は、校舎の裏。
 ここなら誰も近づかないから、ナイショ話をするのにもってこいだよね。

「こんな場所あったんだな。アンタ、よく知ってたな」
「それは……1人でご飯を食べれる場所を探してたら、見つけたんです。私、いっしょにお昼を食べる友達がいませんから」
「あー、悪い」

 バツの悪そうな顔をする桐ヶ谷先輩。
 ま、まあおかげでこうして人目を気にせず話せるんだから、いいよね。

「あの、桐ヶ谷先輩……話というのは?」
「その前に気になったんだがアンタはどうして、俺を視ることができるんだ?」
「それは、私にもわかりません。小さいころからなぜか、幽霊が視えて。たぶん霊感があるんだと思うんですけど、ハッキリしたことはなにも」
「霊感……なあ、拓弥のことを知ってるか? うちのチーム、七星のメンバーなんだが」
「はい……拓弥くんとは、小学校が同じでしたから」

 昔聞いてしまった彼の拒絶の言葉を思い出して、胸がチクリとする。
 けど、どうしてここで拓弥くんの名前が出たんだろう?

「前にアイツが言ってたっけ。同級生に、幽霊が視える女がいるって。あれって、皆元のことだったんだな」
「拓弥くんが私の話を? あ、あの、他に何か言ってませんでしたか? 変な子とか、気味が悪いとか」
「いや、そういったことはなにも……つーか皆元、そんな風に言われてるのか?」
「そ、それは……」

 答えるのが恥ずかしくて目を反らしたけど、桐ヶ谷先輩は察したように「そうか」と言ってくる。

「拓弥は別に、皆元のことを悪く言ってなかったよ。むしろ、心配してる風だった」
「拓弥くんが私の心配を? どうして?」
「さあな。大方、皆元のことが気になってたんじゃないのか? アイツ、友達思いだからな。新しくチームに入ってきたやつが馴染めるように、積極的に声をかけるようなやつだ」
「ふふ、拓弥くんらしいです」

 拓弥くんは優しくて、気まずくなる前までは私もたくさんお話ししてたっけ。
 今では距離ができちゃってるけど、拓弥くんは変わってないんだなあ。

「拓弥くんって、七星でもちゃんとやってるんですね。昔は背が低くて、暴走族に入るイメージなんてなかったのに」
「背は今でもそんなに高くないけどな。アイツがうちのアジトに訪ねてきたときのことは、よーく覚えてるよ。強くなりたいから、鍛えてほしいって言ってきたんだ」
「今はたしか、幹部なんですよね? すごいなあ、拓弥くん」
「アイツは成長が早いんだ。根が真っ直ぐなやつだからな。拓弥だけじゃない、直也や晴義……チームのメンバーなんだけど、みんないい奴らで、俺の自慢だ」

 仲間のことを語る桐ヶ谷先輩は明るい顔で笑っていて、眩しさにドキッとする。
 桐ヶ谷先輩って、こんな風に笑うんだ。
 だけどすぐに、その表情に影が落ちた。

「けど今は、荒れてる。俺のせいで……」
「先輩の? どういうことですか?」
「俺が死んだからだ……くそ、『紫龍』の動きが、激しくなってるってのに」
「紫龍?」
「七星のことを知ってるなら、紫龍の名前も聞いたことないか? うちによく絡んでくるチームだ」

 紫龍って名前ははじめて聞いたけど、七星と敵対してるチームがあるっていうのは、聞いたことがある。
 たしか、乱暴な人達だって。

「うちの学校の生徒もよく標的にされていて、七星と紫龍は日々衝突してるんだ。なにか対策を打たねーとって思ってた矢先、俺がこのザマだ。くそ、みんなで団結しなきゃいけねー時に、なさけねー」

 悔しそうに言ったけど、こればかりはどうしようもない。
 すると桐ヶ谷先輩は何を思ったのか、私に向かって大きく頭を下げてきた。

「そこで皆元、お前にお願いがある。俺の言葉を、仲間に伝えてやってくれないか」
「えっ? わ、私がですか!?」
「ああ。今朝皆元に会う前にチームの様子を見てきたんだが、俺が急にこんなことになって、動揺してるやつも少なくなかった。仲間を残して死んじまう不甲斐ない総長だったけど、せめて最後に一言伝えて、アイツらの背中を押してやりてーんだ。けど今の俺じゃあ、話すこともできねー。だから……」
「代わりに私に、伝えてほしいってことですね」
「そうだ……頼む、俺にはお前が必要なんだ!」

 真っ直ぐに私を見つめる瞳から、桐ヶ谷先輩の強い思いが伝わってくる。
 確かに、桐ヶ谷先輩の言葉を拓弥くんたちに伝えられるのは私だけ。

 でも……桐ヶ谷先輩の幽霊と会って伝言を頼まれましたって言っても、拓弥くんたち信じてくれるかなあ?

 今までも誰かに幽霊が見えるって話したことは何度かあったけど、いつも信じてもらえなかった。
 今回も、そうなってしまったらどうしよう?
 考えたら、怖くなるけど……。

「頼む……」

 深く頭を下げて、このまま土下座でもしそうな勢いの桐ヶ谷先輩。
 こんなにもお願いしてるんだもの、無下になんてできない。

「先輩、顔を上げてください。わかりました、私やってみます。拓弥くんたちに、先輩の言葉を伝えますから!」
「本当か!? ありがとう皆元!」

 正直言うと、ちゃんと信じてもらえるかなっていう不安はある。
 だけど、先輩がこうまでして伝えたい強い思いがあるんだもの。

 一生懸命言えば、きっと大丈夫。
 そう自分に言い聞かせた。
 昼休みはもう半分が終わってしまってたから、七星の人達と話すのは放課後になったけど。
 残りの時間、桐ヶ谷先輩は七星について色々教えてくれた。
 それによると七星を結成した初代総長が別にいて、桐ヶ谷先輩は2代目総長だという。

「その初代総長さんは、今どうしているんですか?」
「……色々あって、今は遠くにいる。俺はあの人から七星を頼むって任されたのに、こんなことになっちまって申し訳ねー」
「で、ですが桐ヶ谷先輩は今もこうして、チームのことを考えているじゃないですか。普通は死んじゃった直後はすごく不安になって、情緒不安定になるんですよ」

 何度も幽霊を見てきた、私だからわかる。
 亡くなったことを受け止めきれずに、暴る幽霊だって少なくなかった。

「ですが桐ヶ谷先輩はしっかりしてますし。きっと先代さんはそういうところを認めて、先輩に後を任せたのではないでしょうか?」
「それは買いかぶりな気もするけど……ありがとうな皆元。おかげでちょっと元気出たよ」

 お礼を言ってくる桐ヶ谷先輩。
 クールな印象があったけど、意外と柔らかい雰囲気にビックリ。
 暴走族の総長っていうより、優しいお兄さんみたいな感じ?
 そんな先輩の心残りを晴らすために、最後のお願いをなんとしても叶えてあげないと。
 その後私は話すのに夢中で、お弁当を食べ損ねちゃったけど。
 昼休みも午後の授業も終わって放課後。
 私は先輩の案内の元、校舎の奥にある今は使われていないという、空き教室の前までやってきた。

「ここが俺達が、アジトにしている教室だ。今くらいの時間だと、七星の幹部は集まってるはずだ」

 アジト教室。そういえば昨日そんなことを話していたけど、本当にあったんだ。
 この中に、七星の人達が……。
 けど、中に入ろうとドアに手をかけようとした瞬間。

「紫龍のやつら、絶対に許さねえ。七星総出で、殴り込みましょう!」
「待て。響夜があんなことになって、みんな動揺している。今行っても、返り討ちにあうだけだ」
「じゃあどうするんですか!」
「だから、まずはメンバーをまとめて……」
「いや、俺も拓弥に賛成だな。響夜があんなことになったのは、紫龍のせいだからな」

 聞こえてきた声に、ドアを開けようとしていた手が止まる。
 桐ヶ谷先輩が亡くなったのは、紫龍のせいってこと?
 先輩を見ると、苦しそうに顔を歪めている。
 交通事故で亡くなったって聞いてたのに、紫龍のせいってどういうこと?
 すると察したみたいに、先輩が口を開く。

「黙ってて悪い。俺が事故にあったのは、紫龍の奴らとモメてる最中だったんだ。だからアイツら、俺の弔いだって言って、殴り込みをかけようとしてる。けど俺は、そんなの望んでない」
「先輩……わかりました。それもちゃんと、七星の人達に伝えますから」
「ああ、頼む」

 桐ヶ谷先輩の言葉を受けて、今度こそドアに手をかける。
 引き戸になっているドアをガラッと引くと、教室の中から6つの目がこっちを見た。

「し、しちゅれいしましゅ!」

 あわわ、大事なところなのに噛んじゃった!
 慌てながら中を見ると、そこにいたのは昨日会った春風直也先輩と、染谷晴義先輩。
 それに、今日休んでいたはずの拓弥くんもいる。
 ひょっとして、ずっとサボってここにいたのかなあ?

「美子? お前、何でここに?」
「拓弥、知り合いか?」
「はあ、まあ……クラスメイトです」
「ああ、見たことあると思ったら、昨日の子かあ。こんなところになんの用? 拓弥に用事?」

 春風先輩が聞いてきたけど、私は首を横にふる。

「あ、あの。みなさんに、聞いてほしいことがあって来ました。桐ヶ谷先輩からの伝言を、伝えに来ました!」
「は? 響夜さんの?」

 拓弥くんが目を丸くする。

「う、うん。信じられないかも知れないけど私、話を聞いたの。亡くなった桐ヶ谷先輩の、幽霊から」
「──っ! お前、まだそんなことを言ってるのかよ!」

 憤怒の表情を見せたかと思うと、傍にあった机に拳をガンと叩きつける。
 ひ、ひぃぃぃぃっ!
 すると、染谷先輩も。

「響夜の幽霊? 笑えない冗談だ。拓弥、なんなんだ彼女は?」
「昔から、幽霊が視えるとか言ってるやつで……あーもう! 話なら後で俺が付き合ってやるから、変なこと言うんじゃねー」

 ダ、ダメだ。全然信じてくれない。
 変な子って言われたあの日のことを思い出して、ガクガクと足が震える。
 だけど……。

「お前ら待てって。皆元の話を聞いてくれ!」

 桐ヶ谷先輩が前に出て、声を上げて訴えかけてる。
 だけどその声は、拓弥くんたちには届いていない。
 やっぱり、私がなんとかしないと。

「本当なんです! 信じてください! 桐ヶ谷先輩の幽霊がここにいて……むぐっ!?」
「あー、君、美子ちゃんだっけ? ちょっと落ちつこうねー」

 スッと近づいてきた春風先輩の手が伸びて、口をふさがれた。

「わかる、わかるよ。君、七星のファンなんでしょ。響夜があんなことになって、幻覚を見ちゃったんだよね。けど今は、ちょっと黙っててくれないかな。いいよね?」
「むぐーっ! むぐーっ!」
「いいよね?」

 春風先輩はニッコリと笑っているけど、目は笑っていない。
 昨日廊下で会ったときはチャラい感じがしたけど、今は有無を言わせない迫力がある。
 春風先輩は私の口をふさいでいた手を引っ込めると、今度は両肩をつかんで、教室の出口に向かってUターンさせられる。

「悪いけど、こっちも取り込み中なんだ」
「待ってください。話はまだ……痛っ!」

 早く私を追い出したいのか、強い力で肩をつかまれ、指が食い込んで痛い。
 すると、それを見ていた桐ヶ谷先輩が叫んだ。

「おい、やめろ直也! その手を放せ!」

 春風先輩の手を掴もうとしてるけど、やっぱり桐ヶ谷先輩では触れることができない。
 けどそれでもなんとかできないかって、今度は私を引き剥がそうとする。

「皆元、こっちへこい!」

 私を抱き寄せるように引っ張ろうとしたけど、そんなことをしても無理です。
 先輩は、私に触れないのですから……。
 けどそのとき、予想外のことが起こった。

 桐ヶ谷先輩の腕が私を包み込んだその瞬間、先輩がスッと私の中に入ってきたの。
 ……もう一度言うね。
 先輩が私の中に、入ってきたの!

「え?」

 まるで実体のないホログラムに、体を重ねたよう。
 するとそこにいたはずの桐ヶ谷先輩が、私の中に溶けるように入っていった。

 ──っ! こ、これって!?
 この現象には、実は覚えがあった。
 だけどそれを思い出した瞬間、金縛りにあったみたいに、体の自由が効かなくなって、私の体はダランと崩れ落ちた。

「えっ? 君、どうしたんだ!?」
「美子!?」

 さっきまで私を追い出そうとしていた春風先輩も、それに拓弥くんも、驚いたように床に倒れた私を見る。
 けどワタシは、すぐにムクリと起き上がった。
 そして……。

「──っ! いったい何がどうなったんだ?」

 頭を押さえながら、ワタシは言う。
 けど……わ、私はしゃべってなんていないし、立ち上がろうともしていないよ。
 今私の体は自分の意思とは関係無しに、立ってしゃべってるの。
 ──これってやっぱり!

(先輩! 桐ヶ谷先輩、聞こえますかー!?)

 姿を消した桐ヶ谷先輩に語りかけたけど、口が動かない。
 けどそれに答えるように、返事が返ってくる。
 返事をしたのは、私の体だ。

「皆元か? お前、どこからしゃべってるんだ?」
(あ、頭の中で話しているんです。気づいてないかもですけど先輩は今、私に憑依しているんですよー!)
「は、憑依?」

 語りかけるように心の中で叫ぶと、私の口が返事をする。
 心と体の動きがまるであっていないけど、これが憑依という状態。

 過去に何度か幽霊に気に入られて憑依されたことがあったけど、こうなったら幽霊に体の主導権を奪われちゃう。
 つまり今私の体は、桐ヶ谷先輩が動かしてるの。

「憑依って。俺は皆元の体の中に入っちまったのか? 前髪が長くて、よく見えねーよ」

 先輩は状況を確かめるように顔やお腹など、体のあちこちを触りだしたけど……。

「キャーッ! せ、先輩。私の体なんですから、あまり触らないでくださーい!」

 心の中で叫んだつもりだったけど、今度は口が動いて声が出た。
 どうやら気持ちが高ぶったら、少しは体を動かせるみたい。
 桐ヶ谷先輩は慌てたように「悪い」って謝ってきたけど……。
 この状況、拓弥くん達から見れば、1人で会話してるようなもの。
 きっとすごく、不気味に映ってるんだろうなあ。
 
 急に崩れ落ちたり、1人で叫んだり騒いだりして。これで不信に思わないはずがない。
 ほら、みんな顔を見合わせながら、気味悪そうにこっちを見てますよー!

「えっと、美子ちゃん。君、ふざけてるの? いいかげんにしないと、これ以上はさすがに……」

 引きつった顔で、再び手を伸ばしてくる春風先輩。
 だけどその腕を私が……ううん、私に憑依してる桐ヶ谷先輩が掴んで、そのまま締め上げた!

「──っ! 痛ててっ!」

 春風先輩は何が起きたか分からない様子で、腕を締め上げられて苦悶の表情を見せる。
 桐ヶ谷先輩はそのまま、私の声で告げる。

「お前らしくねーぞ、直也。女には優しくがモットーだって、いつも言ってたよな?」
「──っ!? 君はいったい?」

 桐ヶ谷先輩は答えずに、今度は驚いてる染谷先輩と拓弥くんに目を向けた。

「晴義、ちゃんと話を聞け。いつもの冷静さはどうした? 拓弥、お前は皆元を、このまま追い返していいのか? 前に言ってたずっと謝らなきゃって思ってる相手って、皆元のことだよな?」
「なっ、どうしてそれを!? 響夜さんにしか話してないのに!?」

 なんの話かはわからなかったけど、拓弥は驚愕して、染谷先輩も目を見開いている。

「君は何者だ?」
「晴義、分からないか? 俺は、響夜だ」
「は? なにをふざけたことを!」
「信じられねーのも無理はねーか。けど本当だ。コイツに憑依してしゃべってる」

 話しながら、春風先輩の拘束を解く。
 口調は桐ヶ谷先輩なのに私の声だから、すごく変な感じ。
 拓弥くんや春風先輩は「マジか?」、「いや、まさか」って困惑してるけど、染谷先輩はまるで仇でも見るような怒りに満ちた目を、私に向けた。

「どこまでもふざけて。本当に響夜だって言うなら、証明してみせろ!」
「ちょっ、晴義さん!?」

 拓弥くんが叫んだけど、もう遅い!
 染谷先輩の拳が風を切って、私めがけて繰り出されたの。
 な、殴られる!
 だけど桐ヶ谷先輩が憑依したワタシは迫る拳を、手刀で払った!

「なに!?」
「いきなり殴りかかるなんて、お前らしくないな。けどいいぜ、相手になってやる!」

 腕を構えて、ファイティングポーズを取る桐ヶ谷先輩だけど、全然よくありません!
 私の体で戦う気ですかー!?

 だけどこうなったらもう止められない。
 染谷先輩は次々とパンチを、時に蹴りを繰り出してきて、だけど桐ヶ谷先輩はそれを全部さばいていく。

「懐かしいな晴義。道場に通っていたころ、よくこうして組み手してたっけ」
「くっ、まだ響夜のフリを……」
「フリかどうかは……コイツで確かめろ!」

 ワタシの拳が、染谷先輩の顔に直撃──してない!
 寸でのところで、手は止まっていたの!

 拳を受けるかと思ってた染谷先輩は、固まっちゃってる。
 そしてワタシは、そんな染谷先輩にフッと笑ってみせた。

「今日も俺の勝ちだ。けど、いつでも相手になってやるから。もっと強くなってかかってこい」
「──っ! その言葉は、いつも響夜が言っていた。まさか、本当に……」
「だからさっきから言ってるだろ……心配かけたな、お前ら」
「響夜!」

 染谷先輩の目に、何かが光った気がした。
 それに拓弥くんも春風先輩も桐ヶ谷先輩の名前を呼びながら、集まってくる。

「まさか、本当に響夜なのか?」
「響夜さん、そこにいるんですか!?」

 さっとまでとは明らかに違う目で私を……響夜先輩が憑依している、ワタシを見る。
 みんな、信じてくれたんだ。
 ここにいるのが、桐ヶ谷先輩だって。
 だけど……。

「うっ!?」
「響夜!?」

 ワタシがフラっとよろけて、床に膝をついた。
 や、やっぱりこうなっちゃった!

「なんだ? 力が入らねー」
(そ、そりゃあそうですよ。先輩はさっき暴れましたけど、体は私のものなんですから。激しい動きについていけなくて、反動がきたんです!)

「あれくらいでか? 皆元の体、ヤワすぎだろ」
(しょうがないじゃないですか。それに今日は、お昼食べそこねちゃいましたし……)
「そういえばお前、昼飯食えてなかったな。てことはコレは、貧血ってやつか? はじめて味わったけど、結構つれーな……」

 次の瞬間、私の体から先輩の幽霊がポンッて弾き出された。
 どうやら疲れたせいか、憑依が解けたみたいだけど。
 体の主導権を取り戻した私に、ダメージが一気に来た。
 うう、頭が痛い。もうダメ……バタッ!

「美子っ!? いや、響夜さんか?」
「どっちか知らねーけど、これヤベーんじゃねーの?」
「急いで病院に運ぶ。2人とも、手を貸してくれ!」

 薄れゆく意識の中で、拓弥くんたちが慌ただしく騒ぐ声が聞こえたけど、やがてそれも消こえなくなって。
 私は眠りに落ちていった……。


 ◇◆◇◆


 次に私が目を覚ましたのは、病院のベッドの上。
 辺りを見ても、病室の中には誰もいない。
 けど桐ヶ谷先輩の幽霊だけは、隣にいてくれていた。

「起きたか? 悪い、皆元のことを考えずに、無理をさせすぎた」
「せ、先輩、顔を上げてください。あの、それよりここは?」
「晴義の家の病院だ。アイツのとこは医者の家系でな。倒れた皆元を運び込んだ。晴義達は今、医者の話を聞きに行ってるけどな」
「桐ヶ谷先輩は、みなさんといっしょにいなくていいんですか?」
「お前を1人にして行けるかよ。といっても、幽霊に残られても頼りねーだろうけど」

 桐ヶ谷先輩は苦笑いを浮かべたけど、そんなことありません。
 目が覚めたとき側に先輩がいるのを見て、安心したんですから。
 すると、部屋のドアが開く。
 入ってきたのは拓弥くん。それに、染谷先輩と春風先輩だった。

「美子、起きたのか!? それとも、響夜さんか?」
「美子だよ。おはよう拓弥くん……って、もう夜だよね」

 窓から外を見ると、すっかり暗くなってるのがわかる。
 いったいどれくらい眠っていたのかな?
 すると染谷先輩が前に出てきて……勢いよく土下座をした!

「すまなかった!」
「ええっ!?」

「君の言うことを信じずに暴力をふるってしまい、本当に申し訳ない。響夜が憑依していたというのは、本当だったんだろう」
「はい……桐ヶ谷先輩は、今もそこにいます」

 隣を指すと、拓弥くんたちは「マジか?」って食い入るように見てくる。
 けど残念ながらいくら集中しても、視ることはできないみたい。
 とりあえず、土下座していた染谷先輩には立ってもらって、話をする。

「私がみなさんを訪ねたのは、桐ヶ谷先輩に頼まれたからなんです。拓弥くんは、知ってるよね。私が幽霊が視えるって言ってたの。信じられないかもしれないけど、あれは本当なの」
「もう信じてるよ。さっきの動きも口調も、まるっきり響夜さんだったからな。お前じゃあんな演技できねーだろ」
「ありがとう。それで桐ヶ谷先輩、死んじゃったのは仕方ないけど、最後にみんなに、言葉を伝えてほしいって」

 さっきは話を聞いてもらえなかったけど、これでようやく先輩の願いが果たせる。

「みんな、聞いてくれ。こんなことになってしまって、本当に悪い。けど俺は、お前達なら七星を守ってくれるって信じてる。それと間違っても俺の仇って理由で、紫龍と戦おうとするな。今大事なのは戦うことじゃなくて、チームをまとめることだ。わかってくれ」

 桐ヶ谷先輩が言って、私はそのままをみんなに伝える。
 拓弥くんは涙ぐんで上を見ながら、「響夜さん」って名前を呼んでるし、春風先輩は黙ったままうつむいてる。
 染谷先輩も何かを考えているようだったけど、やがてゆっくりと口を開く。

「ありがとう。響夜の言葉、たしかに受け取ったよ」

 よかった。桐ヶ谷先輩の言葉、ちゃんと届いたんだ。
 これで安心して、成仏することができますね。
 隣を見ると、桐ヶ谷先輩は満足したように、ニコッと笑ってくれる。
 うっ、やっぱり桐ヶ谷先輩に笑いかけられると、ドキドキするや。
 なんて思っていたけど。
 なにやら染谷先輩が、言いにくそうに口を開いた。

「だけど、その……君はなにか、勘違いしているんじゃないかな?」

 え、勘違いって?
 すると先輩はさらに、驚くべきことを言った。

「響夜は死んでいない。今もちゃんと生きてるよ」
「え?」

「俺が生きてる? どういうことだよ?」

桐ヶ谷先輩が、驚きの声を上げる。
すると今度は、春風先輩が。

「そうそう。それなのにいきなり、響夜が亡くなっただの幽霊だの言ってきたから、なに言ってるのって思ったよ。だけどデタラメ言ってるわけじゃなさそうだし、どういうこと?」
「わ、私にもなにがなんだか? 桐ヶ谷先輩、どういうことですか?」
「むしろ俺が聞きたい。こうして幽霊になってるってことは、死んだってことじゃないのか?」

桐ヶ谷先輩も事情がわからずに、混乱してるみたい。

「響夜と話しているのか? どうやらそちらは状況を把握していないみたいだけど、響夜が生きてるのは本当だ。この病院に入院している」
「ああ。俺達さっき、響夜さんのところに行って確かめてきたんだ」
「もちろん君がウソをついてるとは思ってないけど、どうなっているんだろうね? そうだ、響夜の様子を見てみるかい?」

春風先輩に言われて、私も桐ヶ谷先輩もうなずく。
全員で病室を出て、向かった先は病院の奥にある別の病室。
入ってすぐに仰天する。
中にあったベッドの上には、患者服姿の桐ヶ谷先輩が横になっていて、目を閉じていたの。
側には、心拍数を示すモニターが動いてる。

「この通り、桐ヶ谷はちゃんと生きてる。もっとも、事故の後はずっと眠ったままだけど」

なるほど。
それじゃあ学校で聞いた桐ヶ谷先輩が亡くなったっていうのは、デマだったんですね。
昏睡状態が続いているのを、誰かが勘違いしてウワサを流したのかな?

なのに私は、桐ヶ谷先輩が亡くなった前提で話をしてたもんだから。
そりゃあ拓弥くん達だって、怒るよね。

桐ヶ谷先輩を見ると、自分の体を前にして驚いてる様子。

「俺の体だ。こうして自分の体を見るのははじめてだけど、不思議な感じがするな」
「え? 見るのはじめてなんですか? 幽霊になってすぐとか、見てなかったんですか?」
「ああ。事故に遭ったあと、気がつけば今の状態で、学校にいたんだ。そしたら誰も俺のことが視えてないみたいだし、俺が死んだなんて言ってるやつもいて、それで自分が幽霊だって思ってたんだけど」

幽霊になったとき、体が近くになかったんだ。

「つまり、先輩は自分が亡くなったって、ちゃんと確認したわけじゃなかったんですね。だとしたらこれは……」

私は桐ヶ谷先輩や拓弥くんたちを1人ずつ見る。

「状況がわかりました。ここにいるのは、桐ヶ谷先輩はの生霊です」
「生霊? それって、源氏物語で六条の御息所がなったっていう、生きたまま幽霊になるやつのことかい?」
「はい。みなさんには視えていないかもしれませんけど、桐ヶ谷先輩の幽体は私の横にいます。桐ヶ谷先輩の魂が、体から離れてしまっているんです」
「つまり幽体離脱して、戻ってないってこと? 俺、幽霊とか詳しくないけど、それってヤバいんじゃないの? 魂が体に戻らなかったら、響夜は目を覚まさないってことない?」

そうなります。
昏睡状態が続いているのは、きっとこのせい。
魂が抜けた状態だと、ずっとこのままなんです。

「桐ヶ谷先輩、体に戻ることはできますか? さっき私に憑依したときみたいにやれば、戻れると思うんですけど」
「あのときは自分でもどうやったか分かってないんだが、やってみる」

先輩は自分の体の前に行くと、覆い被さるように重なる。
だけど……。

「ダメだ、すり抜けるだけで戻れねー」

そんな。
自分の体に戻るだけなんだから、私に憑依するよりも簡単な気がするのに。

「響夜、戻れないのか。どうして?」
「わかりません。けどたしか、幽体が離れて戻れないのには、原因があるはずなんです。肉体の損傷が激しかったり、心に何らかの問題を抱えていて、戻るのを拒んでいたり」
「さすが専門家。詳しいね」

春風先輩は言ったけど、別に専門家というわけでは。
けど昔から幽霊が見えていたから色々調べていて、知識はあるんです。
すると染谷先輩が、難しい顔をする。

「体は問題ない。大きな外傷はなくて、いつ目を覚ましてもおかしくないはずなんだ。逆に言えば、いつ目を覚ますか分からないってことでもあるけど」
「ちょ、縁起でもないこと言わないでくださいよ。けどそれじゃあ、響夜さんが拒んでるってこと? なんで!?」
拓弥くんの言葉で桐ヶ谷先輩を見たけど、先輩は自分の体をじっと見つめている。

「俺が拒んでる? そんなはずは……」
「先輩?」

すると先輩は、ハッとしたように言う。

「原因はわかんねーけど、戻れないもんは仕方がねー。それより皆元、お前はもう帰った方がいい。あんまり遅くなってもいけねーし、俺の体は生きてるって分かったんだ。あとはこっちでなんとかするよ。色々世話になったな」
「いいえ、私はべつに」

本当は、桐ヶ谷先輩が体に戻るお手伝いまでできればよかったんだけど、残念ながらこれ以上はなにもできそうにない。
先輩の言葉を拓弥くんたちに伝えると、みんな納得したようにうなずいた。

「たしかに、これ以上君を巻き込むわけにはいかないか。うちの者に、車を用意させるよ」
「そんな、1人で帰れますから」
「そうはいかない。もう遅いし、無理をさせた責任が、僕にはある。響夜も、そう言ってないかい?」
「晴義の言う通りだ、送ってもらえ。俺はここに残って、戻る方法はないか色々試してみるよ」

まあ、それなら。
言われた通り染谷先輩に車を用意してもらって、みなさんに別れを告げる。
全然スッキリしないけど、仕方がないよね。
だけど、病室を出て少し歩いたその時。

「うわっ、なんだ!?」
「え、桐ヶ谷先輩?」

すぐ後ろから、病室に残してきたはずの桐ヶ谷先輩がついてきていたの。

「どうしたんですか? また何か、みなさんに伝えてほしいことがあるとか?」
「違う。急に何かに引っ張られるような感じがして、気づいたら皆元の後を追ってたんだ」
「え?」

驚いていると、話してるのに気づいた拓弥くんたちが「どうした?」って、廊下に出てくる。

「あの、実は響夜先輩の生霊が、なぜかついてきてしまっているんですけど」
「え、ひょっとして響夜、美子ちゃんのこと気に入って、離れたくないとか? 地味系がタイプだったの? 」
「なっ!? 本当ですか響夜さん!?」

騒ぐ春風先輩と拓弥くんだったけど、それは絶対に違うから!
桐ヶ谷先輩の話しだと、自分の意思とは関係なしに追いかけてきてしまったってことだけど……まさか!?

「ひょっとしてこれって……」
「なにか分かったのか?」
「たぶんですけど、桐ヶ谷先輩は私に、とり憑いちゃったんだと思います。きっかけはたぶん、憑依したとき。あれで魂の契約がなされたと言うか……」
「待て、そんな専門的なことを言われても理解できねー。もっと分かるように言ってくれ」
「ええと、つまり桐ヶ谷先輩は私から、離れられなくなってしまったんです!」

病院なのに大きな声を上げてしまったけど、気にする余裕なんてない。
桐ヶ谷先輩はもちろん、聞いていた拓弥くんたちも驚いてる。

「離れられないってどういうことだよ? 響夜さんの生霊が、美子にずっとついて回るってことか?」
「たぶん……」
「なんてことだ。何とかする方法はないのか?」

そう言われても。私も対処法までは知らないんです。
けど先輩の焦る気持ちもわかる。
病室に残って元の体に戻る方法を探さなきゃいけないのに、私についてくるならそれもできなくなるんだもの。
はっ、それにこのままだと……。

「あの、先輩。大変申し上げにくいのですがとり憑いている以上、私の家までついてこなきゃいけなくなるんですけど……」
「……マジか?」

顔を見合わせながら、何とも言えない気まずい空気が漂う。
さらに、それを聞いていた拓弥くんがなぜか、「ウソだろぉ!?」って、崩れ落ちるように膝をついた。