大混乱に陥る聖堂を、ヴィクターは私を抱えたままさっさと後にした。あまりの素早さに、神官と王族は引き止める間もなかったに違いない。
 待たせていた馬車にちゃっかりカイルさんとキースさんも同乗して、ほどなくしてお屋敷に到着した。

 もう真夜中だというのに、お屋敷にはあかあかと光が灯っていた。ロッテンマイヤーさんが門の前で待ち構えていて、おろおろと私たちを出迎えてくれる。

「まあ旦那様、まあ神官様、ああカイル! それから、それから……!」

「えへへ。ただいま戻りました、ロッテンマイヤーさん」

 照れ笑いする私を、ヴィクターが無言で抱き寄せた。寄り添い合う私たちを見て、ロッテンマイヤーさんが唇を震わせながら何度も頷く。

「ええ、ええ……! お、お帰り、なさいまし。シーナ、様……!」

 わっと声を上げて泣き出した。ええっ?

「ご、ごめんなさい驚かせちゃいましたよね!? ああやっぱり、ロッテンマイヤーさんには事前にきちんと説明すべきで」

「い、いいえ! いいえシーナ様! わたくし、ただただ嬉しいだけなのです」

 しゃくり上げ、潤んだ目を細めて笑う。
 すがりつく私の手を取り、ぎゅっと包み込むように握り締めた。

「どうぞ、どうぞ旦那様を、末永くよろしくお願いいたします……!」

「もちろんです、任せてください! ロッテンマイヤーさんのおやつとシェフの美味しいごはんがある限り、私はずっとヴィクターの側にいますから!」

「……おい。その条件は初めて聞いたぞ」

 ヴィクターが嫌そうに顔をしかめ、カイルさんとキースさんがお腹を抱えて笑い出す。ロッテンマイヤーさんも顔をほころばせ、「さあさあ」と私たちをお屋敷の庭へと導いた。

「儀式の晩だけあって、とっても素敵な月夜なのですもの。急ごしらえですが、使用人全員でパーティの準備をいたしましたのよ。シェフの用意した軽食と、わたくし手作りのお菓子もたんとございますわ」

 おおっ、やったぁ!
 緊張が解けたせいか、今になって猛烈にお腹がすいてきたんだよね。さすがロッテンマイヤーさん!

 私はヴィクターの手をひっつかみ、うきうきと走り出す。

「早く行こう、ヴィクター! みんなで打ち上げパーティだよ!」

「ふん。慌てて喉に詰めるなよ」

「待って待ってミツキちゃん! オレとキースももちろん参加するからさ!」

「そうですともミツキ様〜! このキース、地の果てまでもお供いたします〜!」

「おい! お前達はミツキと呼ぶな!」

「うわッ、ヴィクター心せまー!!」

 怒りながら笑いながら騒ぎながら、全員で賑やかに中庭へと移動する。
 出迎えてくれた使用人さんたちは私を見て目を丸くしたが、すぐにロッテンマイヤーさんが取りなしてくれた。あちらはシーナ様なのよ、と言えば、なぜかみんな瞬時に納得する。

「……なぜに?」

「不思議と違和感がないと申しますか……。時々、旦那様のお部屋から女性の声がしておりましたし」

「人間のお姿もとっても愛らしくて、まさに聖獣様の印象そのままです」

 え、ほんと?

 お世辞とは知りつつ喜ぶ私に、ヴィクターはどこか面白くなさそうだ。さりげなく移動して、大きな体で私をみんなから隠してしまう。カイルさんがにやにやして見守った。

 それからはお屋敷のみんなも一緒になって食べて飲んでおしゃべりして、私たちはパーティを思う存分楽しんだ。

 お腹もようやく落ち着いて、私はヴィクターを引っぱってみんなから少し距離を取る。後ろからはカイルさんとキースさんも付いてきて、ヴィクターが怖い顔で二人を振り返った。

「お前達、気遣いをどこに置いてきた?」

「はははヴィクター殿下、そのようなお戯れを。ご自身に無いものを人に求めてはなりませんよ〜」

「そうそう」

「…………」

 ぐうの音も出ないってこのことだよね。

 くすりと笑って壁際まで移動して、四人で並んで月を見上げる。
 ほてった頬に夜風が心地いい。ふあ、とあくびが漏れて、ヴィクターが気遣わしげに私を見下ろした。

「どうする、ミツキ。もう休むか」

「えー、どこでどこで?」

 すかさずカイルさんが嬉しそうに突っ込んで、ヴィクターとキースさんからどつかれる。

「客室に決まっているだろうっ。ようやく人間に戻れて、まして儀式を終えたばかりで疲れているのだから!」

「……ううん。私は今まで通り、ヴィクターの部屋で一緒に寝るよ。今日だけじゃなくて、これからもずっと――」

『…………』

 ふぁ~あ、とまた大あくび。
 駄目だ、もう限界。上まぶたと下まぶたが今にもくっつきそう。

 ごしごしと目をこすり、つかみ合ったまま硬直する男たちに笑いかける。

「いいでしょ、別に? シーナちゃんの姿なら、そんなに場所も取らないし」

「……は?」

「はい、せーのっ」

 えいやっ!

 気合いを入れた途端、ぽむっとシーナちゃんへと姿が変わる。芝生にやわらかく着地して、しっぽをぶんぶん振りまくる。

「ぱえっ!」

「……は」
「え」
「うおおおおおっ!?」

 野太い雄叫びを上げたキースさんが、電光石火の速さで私を抱き上げる。もふもふな毛並みを撫でまくり、恍惚にとろけた顔を近づけた。

「し、しししシーナ・ルー様ああああっ!!! おおおすでにして懐かしきこの感触ーーーっ!!!」

「阿呆、近いっ!!」

 キースさんの脳天に鉄拳を落とし、ヴィクターが荒々しく私を奪還する。私はぱうぅと含み笑いして、もう一度こぶしを握って力を込めた。


 ――えいや、ぽむっ!


「ふぁっ。……とまあ、ざっとこんな感じなんですよ?」

「どんな感じだ!」

 私の下敷きになったヴィクターがわめく。
 私が不意打ちで人間に戻ったものだから、バランスを崩して尻もちをついてしまったのだ。

 上に乗っかったまま、「いやぁ、実はね」と照れ笑いする。

「ルーナさんが言うには、まだ私の魔素への耐性は万全じゃないんだって。やっぱりそんな急には無理だったみたい。だから基本はシーナちゃん状態で過ごして、様子を見ながら人間でいる時間を伸ばしていきなさい、って」

 シーナちゃんとの同化・同調は完璧に成功した。今の私は人間であり、そしてシーナちゃんでもある。
 だから今後は、月は関係なしに姿を入れ替えることができるのだ。

「今のところは全然苦しくないんだけどね、やっぱり夜寝てる間に窒息したら大変でしょう? だから安全を取って、夜は絶対シーナちゃんになろうかなって」

「…………」

「あ、呪いはちゃんと解いてもらったよ? ほら、その証拠に髪の色が変わったでしょう。私、元々は黒髪だったんだよ」

 一房つまんで笑うと、ヴィクターはそっと私の髪に指をからませた。「まるで、夜のような色だ」と呟き、目を細める。

「……っ」

 なんだか恥ずかしくなって、私は大急ぎでヴィクターから目を逸らす。にやにや笑うカイルさんを睨みつけ、ヴィクターを引っぱって勢いよく立ち上がった。

「そ、それでねっ。だから私、シーナちゃん状態でなら今まで通り奇跡(キセキ)が使えるからっ!」

「えっ!? そ、それは本当ですかシーナ・ルー様!?」

 動揺したのか、呼び名が元に戻ってる。
 慌てるキースさんに笑いかけ、私は大きく頷いた。

「はい。今ごろ、聖堂にも神託が下っているはずです。人間界で暮らすことを選んだ眷属を護るため、条件付きで特別な奇跡(キセキ)を与える、ってルーナさんが」

 条件とはもちろん、私が聖獣シーナちゃんの姿に戻ること。なおかつヴィクターが側にいること。
 そして、決して人間を傷つけてはならないということ。

「そんなわけで私、明日からもお仕事に付いていくから。大いに頼りにしてくれていいからね、ヴィクター!」

 胸を張って宣言すれば、ヴィクターは目を瞬かせた。ややあって、にやっと不敵に口角を上げる。

「よし。頼んだぞ、ミツキ!」

「うん! 任せて!」

 パン、と高らかに手を叩き合った。

「うわ、ずるい! オレもオレも」

「抜け駆けしないでくださいカイル! もちろんわたしもですよッ」

 カイルさんとキースさんまで参戦してきて、みんなで代わりばんこに手を合わせる。賑やかな声が、夜空に吸い込まれるようにして消えていく。

 空の上で輝く満月からも、澄んだ笑い声が響いた気がした。