初めは、単なる気まぐれだった。

 けれどふと、気づいてしまったのだ。これって実は、ものすごく良い思いつきなんじゃないかしら?と。
 わたくしはもう有頂天になって、自分で自分を褒めてあげたくなった。

 そう、異世界から『月の巫女』に相応しき娘を見つけてくるのだ。
 いつもほどには容姿にこだわらずとも構わないから、とにかく温厚でしとやかで、心根の優しい娘を探してこよう。緋の王子の傷つき冷えきった心に、そっと寄り添って温めてくれるような誰かを――……

「ぷうぅ?」

「ふふっ。もちろん娘が帰りたいと願えば帰してあげるわよ。でもね、恋なんて突然落ちるものなのよ、そうでしょう? 緋の王子と出会って結ばれて、ずっとこの世界で暮らすことを望むかもしれないじゃない?」

 きっと異世界の娘ならば、くだらない偏見になど囚われないはずだ。緋の瞳が不吉だなどというのは、あくまでこの世界だけの迷信なのだから。

「うん、我ながら名案だわ! そうと決まれば早速行ってくるわね、わたくしの可愛いシーナ・ルーたちよ!」

 ……けれど、張り切ってたどり着いた異世界で、わたくしはすっかり打ちのめされてしまった。

 なんなの、この理解不能な生き物たちは?
 それに緑なんてほとんどない、このやかましくて無機質な町並み! 眺めているだけでぞっとするわ。

 わたくしは早々に匙を投げて帰還することにした。ぶつぶつ文句をこぼしながら、最初に道を繋げた山へと戻る。


 ――そうして、わたくしは出会ったのだ。


「……あらまあ、どうしましょ? この子を元の世界に戻したら、その瞬間に谷底に落ちて死んでしまうわ」

 山から滑落して死にかけていた、異世界の娘。
 わたくしが怪我を癒やしてあげたから、今はつやつやと血色の良い顔をして眠っている。容姿は十人並、といったところかしら。

 困り果てたわたくしは、仕方なく娘を自分の世界に連れ帰ることにした。
 自分が月の巫女を探しに来た事実なんて、その時のわたくしからはすっぱり抜け落ちていたのだ。

「でも、さすがに『帰らずの森』に放置するわけにはいかないわよね。王都の入口にでもそっと置いてきて――……えっ!? ど、どうしたのっ!?」

 不意に、気を失っていた娘が喉を掻きむしって苦しみ出した。
 わたくしは慌てて彼女の額に手をかざし、そうして知る。なんてこと。この子、魔素への耐性が全くないのだわ!

「ど、どうし……いえ、迷っている時間はないわ!――異世界の娘よ、己の殻を破りなさい! この世界に順応するため、新たな姿を手に入れるのよ!」

 娘の姿が光に包まれる。よしよし、これで救命成功……ね……?

「……え?」

 わたくしはパチパチと瞬きした。
 一瞬見間違いかと目をこすり、そうして深呼吸してもう一度娘を見下ろす。……うん、全っ然見間違いじゃなかったわね。

 さっきまで人間だったその子は、真っ白なお腹をふくふくと上下させて眠っていた。
 なんとも幸福そうなお間抜け顔。わたくしの大好きなシーナ・ルー。

「あらまあ〜……あらあら。……どうしましょ?」

 参ったわ。
 これじゃあ王都に放置するわけにいかないじゃない。悪い人間に売り飛ばされでもしたら大変だもの。

「ええ〜、そんなことってあるぅ……? とにかくまずは、この子に魔法をかけて、と」

 ひとまず言語がわかるようにしてあげましょう。
 それからそれから、この子の身柄は月の聖堂に預ければ大丈夫よね? うん、というよりそれしかないわ。

「よし、完璧ね。それじゃあ――……あら?」

 ――緋の王子の、気配がする。

 わたくしは眉根を寄せて神経を研ぎ澄ませ、それからはたと気がついた。そうよ、この子を月の巫女にすればいいんじゃない!? そして緋の王子と引き合わせ……たところで、もふもふ毛玉状態で恋が始まるかどうかはわからないけれど!

(いいえ、とにかく試すだけ試してみましょう! 緋の王子の通りかかりそうな場所に、この子をそっと置いて、と)

 そこまでが限界だった。

 異世界と道を繋げ、そして異世界人である娘をこちらに連れてきた。怪我も癒やしてあげたし、呪いもかけた。言葉までわかるようにしてあげた。

「も、もう駄目……。あとは、頼んだ、わよ……。緋の、王子……」

 かつての、前世のあなたが愛したあの子のことを。
 どうか、どうか護ってあげて――……


 結果的に、この試みは大層うまくいった。

 シーナはとっても明るくて可愛らしい子で、わたくしは己の選択に鼻高々だった。シーナ・ルーたちも早々に彼女に懐いたし。

(もし、シーナが緋の王子と結ばれないとしても……)

 わたくしはうきうきと考える。

 シーナを任せるに相応しい殿方を、このわたくしが直々に見つけてあげましょう。
 それともシーナは肉体を捨て、魂だけ天上世界で暮らすことを望むかしら? いいえ駄目よ、だってわたくしはあの子に生きていてほしいのだもの。

 そっと人間界を盗み見る。
 小さなシーナ・ルーは、ベッドで緋の王子に抱き締められて眠っていた。緋の王子はこれまでにないほど穏やかな表情で、愛おしげにシーナを見守っている。

「…………」

 温めている。
 緋の王子の傷つき冷えきった心に、そっと寄り添って温めているわ……!

(やっぱり、わたくしの直感は正しかったのよ!)

 こうなったら、先走らずに二人のことを見守りましょう。
 緋の王子の側近騎士も、あの褒め上手な神官も、どちらもシーナを任せるに足ると思っていたけれど、そちらに関しては保留だわ。

 シーナを勝ち取りたければ、しっかり努力するのよ緋の王子!


 やがて待ちわびた日が訪れて、シーナは緊張しながらも数百年ぶりの儀式に臨んだ。
 誰もが目を離せなくなる、つたないながらも不思議な魅力を持った舞。くるくると変わる愛らしい表情。

 大役を終えた彼女が望んだのは、自分ではなく緋の王子の幸福だった。

 そして、緋の王子が望んだのは――……


「――ああ、本当に長かったわ……!」

 今度こそ絶対に、しあわせになってほしいと願っていた。
 前世の縁からついつい肩入れしすぎて、神にあるまじき依怙(えこ)贔屓(ひいき)までしてしまったけれど。

 抱き締め合う二人に胸がいっぱいになり、わたくしは彼らの上にこれでもかと祝福の光を降らせた。シーナ・ルーたちも大喜びで、わたくしの周りを駆け回る。

 はにかむシーナに、わたくしはそっと心の中で語り掛けた。

「本当にありがとう、シーナ……。太陽のように明るく優しい、命あるわたくしの友人よ……」