――なっ……!?
――に、人間になった!?
「皆様、どうぞ静粛に!」
パニックになって騒然とする周囲を、キースさんが手を上げて静めてくれた。威圧感たっぷりに人々を見回し、重々しく告げる。
「それではこれより、月の女神ルーナ様に天上の奇跡を乞い願います。――さあ、楽の音を!」
キースさんの言葉に、楽器を手にした神官たちがはっと顔つきを変えた。すぐさま落ち着きを取り戻し、おのおのの楽器を構える。
優美な形の横笛に、片手で抱えられる程度の小さな太鼓、琵琶や琴に似た弦楽器まである。彼らは真剣な眼差しで頷き合い、呼吸を合わせた。
――ポロン……
弦が弾かれ、澄んだ音が夜に響き渡る。
すぐに笛や太鼓も合わさって、ゆったりとした優しい調べを奏で始めた。
(さあ、行くよ……!)
私はすうっと両手を天にかざし、軽やかに舞い踊る。
金の腕輪がしゃらしゃらと微かに音を立て、神官たちの音楽を引き立てる。
舞の装束は、どこか日本の巫女服に似たデザインだった。
上に羽織る真っ白な衣は、下の腕が透けて見えるほど袖が薄手で、重さなんて少しも感じられない。鮮やかな緋の袴は、まさにヴィクターの瞳の色そのものだった。
天上世界でこの衣装をルーナさんから見せられた時、驚く私にルーナさんはいたずらが成功した子どものように喜んだ。
『すごいでしょう、シーナの記憶から巫女のイメージを読み取ったのよ。でもわたくしの好みとは違っていたから、少しだけ手を加えさせてもらったの。シーナの故郷と、こちらの世界の融合よ。とっても素敵だと思わない?』
(……ええ。確かに素敵、なんですけどねっ)
懸命に舞いつつ、私はくっと涙を呑む。
ルーナさんの好みを優先した結果だろうか、袴はひらひらしたスカートのように薄くて頼りない。風でめくれやしないかとひやひやしてしまう。
聴衆も同じことを思ったのか、固唾を呑んで私を見守っている。ヴィクターの顔がやけに険しい気がするのは……単に気のせいだよね?
「……わっ!?」
地上から悲鳴が上がった。
ひらひらスカートの裾を踏んづけて、危うく転んでしまうところだったのだ。うん、でも大丈夫。なんとか踏みとどまったからね!
何事もなかったかのように舞を再開する私に、聴衆たちは「ふーっ」と一斉に安堵の息を吐く。
頭の中で、ルーナさんがころころと楽しげな笑い声を立てた。
『うふふ。さすがはシーナね、面白すぎるわぁ〜。いつもの儀式だったら、人間たちはうっとりして舞に見入るばかりなのに』
(すみませんねぇ。今日は緊張感に満ち満ちて、みんな手に汗握って見張ってくれてますよっ)
やけくそで舞う私に、ルーナさんは『笑顔、笑顔』とアドバイスをくれる。
『明るく可愛く、それがシーナだものね。――さあ、それじゃあそろそろ浄化を開始するわよっ!』
途端に、ピン、と空気が張り詰めた気がした。
楽の音が遠くなり、世界がぐんぐん色を失っていく。モノクロに変わってしまった景色の中で、私の足元から生まれ出たのは黄金の光。ほんのりとやわらかな、優しい輝き。
(……月、みたい……)
ぽつぽつ、ふわふわ。
後から後から湧き出して、光は私の周りを踊るように囲んでいく。トン、と地を蹴って跳ねれば、光も一緒になって宙を舞った。
『――さあ、シーナ。全身全霊で祈りなさい! この世の全てに、浄化の光を届けるの!』
ルーナさんに言われるがまま、心の奥底から叫びを上げる。
(どうか、届いて! 世界の隅々まで、魔素を浄化するの!)
あの子の願い。魔法のない世界。
そして、私の願いも――……
(ヴィクターや、騎士団のみんなが傷つかなくていい世界! 魔獣に脅かされることのない世界を、どうか私たちに与えてください!!)
おお、というどよめきが沸き起こる。
光の粒が大きく膨らみ、弾けては夜に溶けるように消えていく。消えた光は、世界の果てまで沁みわたる。
教えられずとも、なぜか私にははっきりとわかった。浮かんだ涙で視界がにじむ。
急速に音と色を取り戻していく世界の中で、私はただぎゅっと己の体を抱き締めた。
(ルーナ、さん……!)
『ええ。よくやってくれたわ、シーナ。浄化は大成功よ!』
息を弾ませ、壇上に立ち尽くす。
涙がぽろりと頬をつたい、ごしごし乱暴にぬぐって地上を見渡した。
光の奇跡に愕然とする王族たち、儀式の成功を確信して満足気な神官たち。
唇を震わせながらも微笑みかけてくれるキースさんに、「お疲れ!」と親指を立ててねぎらってくれるカイルさん。
そして――……
(……ヴィクター!)
ヴィクターはまっすぐに私を見つめてくれていた。
その瞳から揺るぎない信頼を感じ取って、心の底から喜びがあふれてくる。自然と笑みがこぼれ、私はそっと胸に手を当てた。
(……ねえ、ルーナさん)
『なあに?』
呼びかければ、ルーナさんがすぐさま反応してくれる。
私は深呼吸をして、ゆっくりと彼女に問いかけた。
(最初の約束を、覚えていますか? 私、あなたにこう宣言しました。月の巫女を引き受けて、この世界で絶対にしあわせになってみせる、って)
そして、こうも言った。
ルーナさんの威光を笠に着まくってやる!と。
『うふふ、もちろん覚えているわ。わたくしからの答えもあの時と変わらなくってよ。――シーナ。あなたになら、好きなようにわたくしの名を利用することを許してあげる』
(ありがとう、ございます……!)
弾むようにお礼を言って、心を決める。
地上から私を見守るヴィクターに手を差し伸べ、凛と声を張り上げた。
「――緋の王子、ヴィクター。こちらへ」
――に、人間になった!?
「皆様、どうぞ静粛に!」
パニックになって騒然とする周囲を、キースさんが手を上げて静めてくれた。威圧感たっぷりに人々を見回し、重々しく告げる。
「それではこれより、月の女神ルーナ様に天上の奇跡を乞い願います。――さあ、楽の音を!」
キースさんの言葉に、楽器を手にした神官たちがはっと顔つきを変えた。すぐさま落ち着きを取り戻し、おのおのの楽器を構える。
優美な形の横笛に、片手で抱えられる程度の小さな太鼓、琵琶や琴に似た弦楽器まである。彼らは真剣な眼差しで頷き合い、呼吸を合わせた。
――ポロン……
弦が弾かれ、澄んだ音が夜に響き渡る。
すぐに笛や太鼓も合わさって、ゆったりとした優しい調べを奏で始めた。
(さあ、行くよ……!)
私はすうっと両手を天にかざし、軽やかに舞い踊る。
金の腕輪がしゃらしゃらと微かに音を立て、神官たちの音楽を引き立てる。
舞の装束は、どこか日本の巫女服に似たデザインだった。
上に羽織る真っ白な衣は、下の腕が透けて見えるほど袖が薄手で、重さなんて少しも感じられない。鮮やかな緋の袴は、まさにヴィクターの瞳の色そのものだった。
天上世界でこの衣装をルーナさんから見せられた時、驚く私にルーナさんはいたずらが成功した子どものように喜んだ。
『すごいでしょう、シーナの記憶から巫女のイメージを読み取ったのよ。でもわたくしの好みとは違っていたから、少しだけ手を加えさせてもらったの。シーナの故郷と、こちらの世界の融合よ。とっても素敵だと思わない?』
(……ええ。確かに素敵、なんですけどねっ)
懸命に舞いつつ、私はくっと涙を呑む。
ルーナさんの好みを優先した結果だろうか、袴はひらひらしたスカートのように薄くて頼りない。風でめくれやしないかとひやひやしてしまう。
聴衆も同じことを思ったのか、固唾を呑んで私を見守っている。ヴィクターの顔がやけに険しい気がするのは……単に気のせいだよね?
「……わっ!?」
地上から悲鳴が上がった。
ひらひらスカートの裾を踏んづけて、危うく転んでしまうところだったのだ。うん、でも大丈夫。なんとか踏みとどまったからね!
何事もなかったかのように舞を再開する私に、聴衆たちは「ふーっ」と一斉に安堵の息を吐く。
頭の中で、ルーナさんがころころと楽しげな笑い声を立てた。
『うふふ。さすがはシーナね、面白すぎるわぁ〜。いつもの儀式だったら、人間たちはうっとりして舞に見入るばかりなのに』
(すみませんねぇ。今日は緊張感に満ち満ちて、みんな手に汗握って見張ってくれてますよっ)
やけくそで舞う私に、ルーナさんは『笑顔、笑顔』とアドバイスをくれる。
『明るく可愛く、それがシーナだものね。――さあ、それじゃあそろそろ浄化を開始するわよっ!』
途端に、ピン、と空気が張り詰めた気がした。
楽の音が遠くなり、世界がぐんぐん色を失っていく。モノクロに変わってしまった景色の中で、私の足元から生まれ出たのは黄金の光。ほんのりとやわらかな、優しい輝き。
(……月、みたい……)
ぽつぽつ、ふわふわ。
後から後から湧き出して、光は私の周りを踊るように囲んでいく。トン、と地を蹴って跳ねれば、光も一緒になって宙を舞った。
『――さあ、シーナ。全身全霊で祈りなさい! この世の全てに、浄化の光を届けるの!』
ルーナさんに言われるがまま、心の奥底から叫びを上げる。
(どうか、届いて! 世界の隅々まで、魔素を浄化するの!)
あの子の願い。魔法のない世界。
そして、私の願いも――……
(ヴィクターや、騎士団のみんなが傷つかなくていい世界! 魔獣に脅かされることのない世界を、どうか私たちに与えてください!!)
おお、というどよめきが沸き起こる。
光の粒が大きく膨らみ、弾けては夜に溶けるように消えていく。消えた光は、世界の果てまで沁みわたる。
教えられずとも、なぜか私にははっきりとわかった。浮かんだ涙で視界がにじむ。
急速に音と色を取り戻していく世界の中で、私はただぎゅっと己の体を抱き締めた。
(ルーナ、さん……!)
『ええ。よくやってくれたわ、シーナ。浄化は大成功よ!』
息を弾ませ、壇上に立ち尽くす。
涙がぽろりと頬をつたい、ごしごし乱暴にぬぐって地上を見渡した。
光の奇跡に愕然とする王族たち、儀式の成功を確信して満足気な神官たち。
唇を震わせながらも微笑みかけてくれるキースさんに、「お疲れ!」と親指を立ててねぎらってくれるカイルさん。
そして――……
(……ヴィクター!)
ヴィクターはまっすぐに私を見つめてくれていた。
その瞳から揺るぎない信頼を感じ取って、心の底から喜びがあふれてくる。自然と笑みがこぼれ、私はそっと胸に手を当てた。
(……ねえ、ルーナさん)
『なあに?』
呼びかければ、ルーナさんがすぐさま反応してくれる。
私は深呼吸をして、ゆっくりと彼女に問いかけた。
(最初の約束を、覚えていますか? 私、あなたにこう宣言しました。月の巫女を引き受けて、この世界で絶対にしあわせになってみせる、って)
そして、こうも言った。
ルーナさんの威光を笠に着まくってやる!と。
『うふふ、もちろん覚えているわ。わたくしからの答えもあの時と変わらなくってよ。――シーナ。あなたになら、好きなようにわたくしの名を利用することを許してあげる』
(ありがとう、ございます……!)
弾むようにお礼を言って、心を決める。
地上から私を見守るヴィクターに手を差し伸べ、凛と声を張り上げた。
「――緋の王子、ヴィクター。こちらへ」