聖堂に到着した私を出迎えたのは、門の前にずらりと横並びした神官ズ。
 意地悪神官長を真ん中にして、全員が険しい顔で仁王立ちしている。

 その迫力にビビりまくる私を、キースさんがさっと手の中に隠してくれた。

「神官長様、皆様。シーナ・ルー様は繊細な聖獣様なのですよ。そのように殺気立った雰囲気を出すものではありません」

「む……、そ、そうだな。――失礼いたしました、シーナ・ルー様。あまりにご到着が遅いものですから、我らも気を揉んでしまいまして。……まったく、あの不浄の王子ときたら……っ」

 うやうやしく頭を下げた神官長が、低い声で吐き捨てた。ああん?

 暴言に思わず半眼になり、神官長を冷たく睨みつける。
 が、鈍い神官長は少しも気づかずに、嬉しげに私に手を差し伸べた。

「ささっ、シーナ・ルー様。どうぞこちらへ、わたくしめがご案内いたしま」

「ぺっ」

 後ろを向き、しっぽでビシッと撃退してやる。その途端、なぜかキースさんが悔しげに顔を歪めた。

「くうぅっ、羨ましいです神官長様! わたしなどは未だしっぽで殴られた経験はございませんっ。ヴィクター殿下はしょっちゅうビシバシやられておりますがっ」

「そ、そうか?」

 神官長も満更ではない顔をする。何だそれ。

 あきれつつ、私はキースさんの指をきゅっと握った。悪いけどキースさん以外を頼るつもりはない。ヴィクターが側にいない以上、気をゆるめるわけにはいかないのだ。

 全身でしがみつく私に、キースさんがでれっと相好を崩した。

「ふへへ、申し訳ございません神官長様。シーナ・ルー様はわたしがよいとおっしゃっております」

「むうぅ……っ。し、仕方なかろう」

 不承不承といった様子で頷く。

 キースさんに連れられ、急ぎ聖堂の中へと入った。
 案内された湯殿で、女性神官さんたちにこれでもかと丁寧に洗われ、きっちり拭き上げられた。キースさんと再び合流し、今度は彼から真っ白になった毛並みに香油を塗り込められる。

「ブラッシングもしっかりしておきましょうねっ」

 しっとりつやつやになって、全身から良い香りが立ち昇る。こうして私はフローラル・シーナちゃんに生まれ変わった。

「ささ、お次は祭壇の間へ。わたしは扉の前で見張っておりますので、シーナ・ルー様は儀式のお時間までお一人でおこもりくださいませ」

「ぱえ〜」

 慌ただしく移動して、私だけ祭壇の間に足を踏み入れる。キースさんが重い扉を閉めた途端、しんと痛いほどの静寂に包みこまれた。

「…………」

 短い足でぽてぽて歩き、祭壇の前に座り込む。
 じっと女神像を見上げ、目を閉じた。

(ルーナさん、来ました。……ええと、で、何だっけ。儀式の成功を祈ればいいのかな。――精いっぱい頑張りますので、どうぞよろしくお願いします!)

 なむなむ。

 もふっとお手々を合わせた瞬間、鈴を鳴らすような笑い声が頭に響く。ぎょっとして辺りを見回したものの、ルーナさんの姿はどこにも見えない。

(ルーナさん?)

『ふふっ、シーナ。わたくしたち、こんな形で会話をするのは初めてよね』

 嬉しくてたまらないといった明るい口調に、私もつられて楽しくなってくる。
 しっぽをお腹に回して抱き締めて、うきうきと頷いた。

(はい。儀式が始まるまで、せっかくですからおしゃべりしましょう!)

『あら。それって最高だわ!』

 天上世界にいる時は、時間制限があっていつも慌ただしかった。けれど、今日は違う。

 時間を気にせず、私たちはたくさんおしゃべりを楽しんだ。
 日本での私の生活について、そしてこちらの世界でヴィクターたちと過ごした日々。シーナちゃんに変身して大変だったこと、嬉しかったこと……。

 話題は尽きず、時間は飛ぶように過ぎていく。

 なんだか胸がいっぱいになって、私はふと口をつぐんだ。
 ルーナさんに相談するなら、今なのかもしれない。過去の世界で少年の願いを知って、私も生涯魔法を隠し通すと決めてから、心に引っかかっていたあること――……

(ルーナさん。実は私、ひとつ迷っていることがあって)

『あら。どうしたの、改まって?』

 ルーナさんがすぐさま聞き返してくれる。
 私は深呼吸して、しっぽを抱く手に力を込めた。

(……魔法の、ことです。ヴィクターたちを護るため、私はこれからも魔法を使い続ける。一度はそう決めたはずなのに、不安で、たまらなくなってしまって。()()()私が魔法を使うことで、この世界の人たちに良くない影響を与えるかもしれない。そう、思い至ってしまったから……)

 いくら私は月の巫女だから特別なのだと取り繕っても、聖獣シーナ・ルーの化身なのだと嘘をついても、それでもやっぱり不安になるのだ。
 ひとたび人間に戻ってしまえば、私に神秘性なんて微塵もない。それは私自身が一番よく知っている。

 当たり前で平凡な人間が、常識外れで超常的な力を振るう。それを見た人々は、一体何を思うだろう。かつてと同じ過ちを、繰り返してしまうのではないか――……?

(本当なら私は、人間に戻ったら一切魔法を使うべきじゃない。ちゃんとわかっているんです。でも、でもやっぱり今日、ヴィクターが魔獣を討伐に行くって聞いた瞬間……!)

 魔法を使って彼を護りたい。
 心から、そう思った。そう願ってしまった。

(きっと私、ヴィクターが危険になったら迷わず魔法を使ってしまいます。だけどそれじゃあ、あの子の命懸けの願いを台無しにしてしまう。でも、でも、それでも私は……っ)

『シーナ』

 ルーナさんが静かな声でさえぎる。
 はっとする私に、温かな手が触れた気がした。優しく頭を撫で、笑みを含んだ声が降ってくる。

『――正直な気持ちを打ち明けてくれて、ありがとう。ちょうどわたくしもね、あなたに話さなければならないと思っていたことがあるの』

(え……?)

 ルーナさんがささやくようにして語り出す。
 その内容に私は目を丸くして――それから深く納得した。

(……なるほど。やっぱり一足飛びには無理だった、ってことですね?)

『ふふっ、そうよ。物事というのは劇的にではなく、徐々に変わっていくものなのよ。もどかしいと思うかもしれないけれど、着実に前進はしているのだもの。大丈夫よ』

 ……そっか。

 心が晴れ晴れとしてきて、私はぎゅっと小さな手を握り締める。
 そっかそっか。そういうことなら、私を悩ませていたこの問題は解決できる。立ちふさがる障害を、逆に利用してしまえばいいのだ!

(ありがとうございます、ルーナさん! 私、これからも絶対めげないって約束しますからっ!)

『ええ、もちろん全面的にわたくしも支えるつもりよ。だってシーナ、あなたはわたくしの――』

(わかってますって! もふもふ聖獣シーナちゃんは、月の女神様の大切な眷属ですもんね?)

 いたずらっぽく確かめれば、ルーナさんは声を立てて笑った。
 透明の見えない腕が、ふわりと包み込むように私を抱き締める。

『そうよ。そしてあなたは、唯一にして大切な――わたくしの友人なのだから』