「ぱえ~……」
つまり、この体――シーナちゃんは恐怖耐性が著しく低いらしい。
言われてみれば、思い当たる節はいくつかあった。
恐怖を感じたときの心拍数は苦しいほどに早かったし、最初に一刀両断男に助けられたときは気絶してしまった。本来の私はけっこう図太い性格で、これまでの人生で病弱美少女のように気を失った経験などもちろんない。
「ぽえ~……」
「困ったね。そういうことなら、ヴィクターとは相性最悪じゃん」
ため息をつくカイルさんに、キースさんが得たりとばかりに頷いた。
「その通りです。何せヴィクター殿下といえば、戦闘職ゆえか常に殺伐とした空気をまとっていらっしゃる。ならばせめて愛想よく振る舞えばよいものを、にこりともしないどころかむしろ睨みつけ、周囲に恐ろしく緊張感を与えます。まさに存在が歩く不協和音」
「そこまで言う?」
カイルさんが力なく突っ込んだ。
が、一刀両断男は特に反論する様子もなく、静かに座っているだけだ。……別に、こうしていれば怖くも何ともないんだけどな。
おずおずと近づこうとしたら、途端に「来るな」と鋭く拒絶された。
「ぴ、ぴぇ……っ」
「キース。こいつはこの聖堂に置いてゆく」
淡々と告げるなり、さっさと腰を上げてしまう。
「帰るぞ。カイル」
「あ、ああ……」
ためらいながらも頷き、カイルさんは切なそうに私を見た。
私もはっと我に返り、大慌てで彼にすがりつく。
「ぱえっ、ぱぇあ、ぱぅ~!」
(意地悪と変態の巣窟に置いてかないでー! 一刀両断男がだめなら、カイルさんのおうちじゃいけないの!?)
見知らぬ異世界の中で、私の顔見知りは一刀両断男とカイルさんだけ。
死にものぐるいで訴えれば、カイルさんは悲しげに微笑んだ。私の顎の下をくすぐり、きっぱりとかぶりを振る。
「連れて帰ってって言ってるのかな? でも、ごめんね。オレも君を引き取ってあげられないよ。……オレとヴィクターの所属する第三騎士団はね、凶悪な魔獣の駆除を専門にしてる。王族を警護する第一騎士団、犯罪から王都の治安を守る第二騎士団とは、過酷さが段違いなんだ。殉職者だって珍しくないんだよ」
(そんな……!)
恐怖に凍りつく私に、カイルさんは噛んで含めるように語りかける。
「戦闘の興奮を家に持ち帰って、眠れないことだってしょっちゅうある。殺気立ったオレに反応して、シーナちゃんがびっくりして死んじゃったらどうするの? オレ、シーナちゃんを殺すのはごめんだよ」
おどけたように肩をすくめるが、その瞳は真剣だった。
私は何も言えなくなって、長椅子にへたり込んでしっぽを垂らす。カイルさんの言うことはわかる……、わかるん、だけど。
目を細めて成り行きを見守る、一刀両断男を見上げた。
(あなたも、私を死なせたくないから……?)
でも、最初に助けてくれたのはあなたでしょ。
一度拾ったなら、責任持って最後まで面倒見てよ。
シーナちゃんは、すぐに死んじゃうぐらい繊細で壊れやすい。
でもホントの私、椎名深月は雑草みたいに図太くてしたたかなんだよ。長いこと悩んでいられない性格だし、立ち直りだって早いんだから。
それってプラスマイナスゼロでどうにかなんない?
(ねえ、月の女神さま……!)
祭壇に飾られた女神像を振り返る。
祈りを込めて、光を通して輝くステンドグラスに目をやった。
「ぱぇ、うぅ~っ」
――あらあら。そんな泣きそうな声を出さないで
ふわ、と透明な細い腕が私を抱き締める。
耳元に優しい吐息がかかった気がした。
◇
「まぶし……っ!?」
まぶたの裏が真っ白に染まり、私はたまらず両手で目を覆った。
生理的な涙が浮かび、小さく鼻をすする。
(あ、おさまった……?)
というよりも、光に目が慣れてきたのか。
恐る恐る目を開けると、そこは一面の花畑だった。赤、ピンク、黄色……。春の盛りのように、美しい花々が咲き乱れている。
「あ、たんぽぽの綿毛も発見――……って、あれっ!?」
花の隙間から顔を覗かせる、真っ白なもふもふ。あれってあれって、もしかして――
「シーナちゃんっ?」
「ぽえぇ~?」
長いお耳をそよがせたシーナちゃんが、つぶらなお目々をきょとんと見開いた。
可愛らしく小首を傾げると、興味を失ったみたいに私から顔を背ける。そのままぱえぱえと跳ね、遠ざかってしまう。
「ま、待って!……お、おおお?」
綿毛が他にもたくさん――……って。
いや、違う。
「ぱえ~」
「ぽえ~」
「ぱぱぱぱぁ~」
よく見たら、他にもたくさんのシーナちゃん。
のんきな鳴き声を上げながら、幸せそうにほんわりもふもふ跳ね回っている。私もつられて幸せな気分になって、しゃがみ込んで小さな彼らと目線を合わせた。
「ふふ、かーわいい。ねえねえ、抱っこしてもいい?」
「ぱぇあ~」
よろしくってよ、というように、一匹のシーナちゃんがぽてぽてと寄ってきてくれた。
私はそっとやわらかな体をすくい取り、ふわふわの毛並みを指で撫でる。ああ、至福。カイルさんもこんな気分だったのかなー。
…………
…………
…………
って。
ちょっと待て。
ようやっと気がついて、私は勢いよく立ち上がった。「ぱえー」と非難の声を上げたシーナちゃんが、迷惑そうに逃げ出していく。
けれど、私はそれどころじゃなく丹念に己の全身を確認した。
胸に手を当て鼓動を感じ、グーパーと指を動かす。その場で力強く足踏みする。あーあー、あいうえおあいうえお。マイクテストマイクテスト!
「ち、ちゃんとしゃべれるっ。体も動くし! 私、人間に戻ってるーっ!」
「あらあら。いつ気づくのかしら~って思って見てたのよ」
笑みを含んだ声が聞こえ、私は大慌てで振り向いた。
つまり、この体――シーナちゃんは恐怖耐性が著しく低いらしい。
言われてみれば、思い当たる節はいくつかあった。
恐怖を感じたときの心拍数は苦しいほどに早かったし、最初に一刀両断男に助けられたときは気絶してしまった。本来の私はけっこう図太い性格で、これまでの人生で病弱美少女のように気を失った経験などもちろんない。
「ぽえ~……」
「困ったね。そういうことなら、ヴィクターとは相性最悪じゃん」
ため息をつくカイルさんに、キースさんが得たりとばかりに頷いた。
「その通りです。何せヴィクター殿下といえば、戦闘職ゆえか常に殺伐とした空気をまとっていらっしゃる。ならばせめて愛想よく振る舞えばよいものを、にこりともしないどころかむしろ睨みつけ、周囲に恐ろしく緊張感を与えます。まさに存在が歩く不協和音」
「そこまで言う?」
カイルさんが力なく突っ込んだ。
が、一刀両断男は特に反論する様子もなく、静かに座っているだけだ。……別に、こうしていれば怖くも何ともないんだけどな。
おずおずと近づこうとしたら、途端に「来るな」と鋭く拒絶された。
「ぴ、ぴぇ……っ」
「キース。こいつはこの聖堂に置いてゆく」
淡々と告げるなり、さっさと腰を上げてしまう。
「帰るぞ。カイル」
「あ、ああ……」
ためらいながらも頷き、カイルさんは切なそうに私を見た。
私もはっと我に返り、大慌てで彼にすがりつく。
「ぱえっ、ぱぇあ、ぱぅ~!」
(意地悪と変態の巣窟に置いてかないでー! 一刀両断男がだめなら、カイルさんのおうちじゃいけないの!?)
見知らぬ異世界の中で、私の顔見知りは一刀両断男とカイルさんだけ。
死にものぐるいで訴えれば、カイルさんは悲しげに微笑んだ。私の顎の下をくすぐり、きっぱりとかぶりを振る。
「連れて帰ってって言ってるのかな? でも、ごめんね。オレも君を引き取ってあげられないよ。……オレとヴィクターの所属する第三騎士団はね、凶悪な魔獣の駆除を専門にしてる。王族を警護する第一騎士団、犯罪から王都の治安を守る第二騎士団とは、過酷さが段違いなんだ。殉職者だって珍しくないんだよ」
(そんな……!)
恐怖に凍りつく私に、カイルさんは噛んで含めるように語りかける。
「戦闘の興奮を家に持ち帰って、眠れないことだってしょっちゅうある。殺気立ったオレに反応して、シーナちゃんがびっくりして死んじゃったらどうするの? オレ、シーナちゃんを殺すのはごめんだよ」
おどけたように肩をすくめるが、その瞳は真剣だった。
私は何も言えなくなって、長椅子にへたり込んでしっぽを垂らす。カイルさんの言うことはわかる……、わかるん、だけど。
目を細めて成り行きを見守る、一刀両断男を見上げた。
(あなたも、私を死なせたくないから……?)
でも、最初に助けてくれたのはあなたでしょ。
一度拾ったなら、責任持って最後まで面倒見てよ。
シーナちゃんは、すぐに死んじゃうぐらい繊細で壊れやすい。
でもホントの私、椎名深月は雑草みたいに図太くてしたたかなんだよ。長いこと悩んでいられない性格だし、立ち直りだって早いんだから。
それってプラスマイナスゼロでどうにかなんない?
(ねえ、月の女神さま……!)
祭壇に飾られた女神像を振り返る。
祈りを込めて、光を通して輝くステンドグラスに目をやった。
「ぱぇ、うぅ~っ」
――あらあら。そんな泣きそうな声を出さないで
ふわ、と透明な細い腕が私を抱き締める。
耳元に優しい吐息がかかった気がした。
◇
「まぶし……っ!?」
まぶたの裏が真っ白に染まり、私はたまらず両手で目を覆った。
生理的な涙が浮かび、小さく鼻をすする。
(あ、おさまった……?)
というよりも、光に目が慣れてきたのか。
恐る恐る目を開けると、そこは一面の花畑だった。赤、ピンク、黄色……。春の盛りのように、美しい花々が咲き乱れている。
「あ、たんぽぽの綿毛も発見――……って、あれっ!?」
花の隙間から顔を覗かせる、真っ白なもふもふ。あれってあれって、もしかして――
「シーナちゃんっ?」
「ぽえぇ~?」
長いお耳をそよがせたシーナちゃんが、つぶらなお目々をきょとんと見開いた。
可愛らしく小首を傾げると、興味を失ったみたいに私から顔を背ける。そのままぱえぱえと跳ね、遠ざかってしまう。
「ま、待って!……お、おおお?」
綿毛が他にもたくさん――……って。
いや、違う。
「ぱえ~」
「ぽえ~」
「ぱぱぱぱぁ~」
よく見たら、他にもたくさんのシーナちゃん。
のんきな鳴き声を上げながら、幸せそうにほんわりもふもふ跳ね回っている。私もつられて幸せな気分になって、しゃがみ込んで小さな彼らと目線を合わせた。
「ふふ、かーわいい。ねえねえ、抱っこしてもいい?」
「ぱぇあ~」
よろしくってよ、というように、一匹のシーナちゃんがぽてぽてと寄ってきてくれた。
私はそっとやわらかな体をすくい取り、ふわふわの毛並みを指で撫でる。ああ、至福。カイルさんもこんな気分だったのかなー。
…………
…………
…………
って。
ちょっと待て。
ようやっと気がついて、私は勢いよく立ち上がった。「ぱえー」と非難の声を上げたシーナちゃんが、迷惑そうに逃げ出していく。
けれど、私はそれどころじゃなく丹念に己の全身を確認した。
胸に手を当て鼓動を感じ、グーパーと指を動かす。その場で力強く足踏みする。あーあー、あいうえおあいうえお。マイクテストマイクテスト!
「ち、ちゃんとしゃべれるっ。体も動くし! 私、人間に戻ってるーっ!」
「あらあら。いつ気づくのかしら~って思って見てたのよ」
笑みを含んだ声が聞こえ、私は大慌てで振り向いた。