――彼のために墓標を立てましょう。あなたたちが彼の名を受け継ぐのよ
――今日からあなたたちはシーナ・ルー。聖獣シーナ・ルーを名乗りなさい……
頭の中に、ルーナさんの声が優しく響く。
新しい名を喜ぶ、シーナちゃんたちの楽しげな鳴き声も。
けれどひとりだけ、うつむき悲しむシーナちゃんがいた。息を引き取った少年にぴったりと頬を寄せ、決して離れようとしない。
シーナちゃんから意識が離れた私は、俯瞰して彼らを見下ろしていた。
頬を涙が静かに流れ続ける。胸が苦しくてたまらなかった。
美しく微笑んだルーナさんが、悲しむシーナちゃんにそっと寄り添った。
――祈りましょう。彼の次の生が、喜びにあふれたものとなることを
――望むと望まざるとにかかわらず、魂とは巡っていくものだから。いつかきっとまた、彼も生まれ変われるはずよ
ルーナさんの言葉に、シーナちゃんがはっと顔を上げる。
ルーナさんは大きく頷くと、胸に手を当てて目を閉じた。他のシーナちゃんたちもすぐに彼女に従って、真剣な顔で祈りを捧げる。
――どうか来世では、病に苦しむことのない、頑健な体に恵まれますように
――時に笑い合い、時に叱ってくれる、信頼し合える友と出会えますように
――同じ時を過ごし、心から愛し愛される、生涯の伴侶と巡り会えますように……
◇
「……う……」
ぼんやりと目を開ける。
花の甘い香りが鼻孔をくすぐって、泣きすぎて重くなった頭の痛みがやわらいでいく。シーナちゃん軍団が心配そうに私を覗き込んでいて、思わずくすりと笑みがこぼれた。
「シーナ。気分は悪くない?」
少年と同じように、私もルーナさんの膝枕で眠っていた。
はにかみながらお礼を言って起き上がり、胸いっぱいに深呼吸する。最後の涙がこぼれ落ち、それでようやく気持ちが落ち着いてくる。
「……ルーナさん。ありがとう、ございました。それから、シーナちゃんたちも」
大切な記憶を、覗かせてくれて。
ヴィクターすら知らない過去を、私に教えてくれて。
深々と頭を下げる私に、ルーナさんが困ったように顔を曇らせた。
「……本当言うと、自信はないのだけれどね。シーナに重たいものを背負わせてしまったんじゃないかと……それだけが、心配」
「ううん、私、平気です。あの子の思いを確かに受け取ったから。ルーナさんとシーナちゃんたちの、心からの祈りも届いたから。――だから私も、誓います。魔法のことは絶対に、生涯隠し通してみせるって」
……けれど、私自身は魔法を手放すことができるだろうか。
目を閉じて自問自答して、私はためらいながらもかぶりを振った。
いいや、私はヴィクターをこの手で護りたい。カイルさんやキースさん、第三騎士団のみんな、それからロッテンマイヤーさんたちお屋敷の人たちだって、絶対に傷つけさせやしない。
「本当のことが話せなくて、みんなを騙すことになったって構わない。たとえ責められて嫌われたとしても、奇跡と偽ってでも、私は絶対にヴィクターを護ってみせる……!」
「……ええ。それはわたくしとしても望むところよ、シーナ」
ルーナさんが穏やかに微笑んだ。
「きっと彼も許してくれるわ。あなたの魔法……いいえ、『特別な奇跡』は一代限りのものだもの。なんといってもあなたは、聖獣シーナ・ルーの化身にして、月の巫女でもある規格外の存在なんですからね」
「うわぁ、すごい。我ながら大層な肩書きでいっぱいですね」
おどけて告げれば、ルーナさんがはっと息を吸って笑い出す。シーナちゃんたちも嬉しげにぱえぱえ跳ねた。
両手を広げ、シーナちゃんたちを力いっぱい抱き締める。魔王にされてしまった少年の、記憶を伝えてくれた大切な仲間たち。
「ヴィクターは……少しも覚えては、いないんですよね?」
ささやくように確かめれば、ルーナさんは静かに頷いた。
「ええ。魂は前世の記憶を、一切引き継ぐことができないから。けれどわたくしは、ずっと彼を気にかけていたわ。いつ生まれ変わるのか、遅すぎやしないか……。ヤキモキしながら待ち続けて、気がつけば二千年も経ってしまっていたの」
彼は、輪廻の輪になど乗らないと言っていた。
きっと必死であらがい続けたのだろう。そして、とうとう負けてしまったのだろう。
でも、こうして生まれ変わってくれたからこそ――……私は今、ヴィクターの隣にいることができる。
黄金の髪を風になびかせ、ルーナさんが遠くを見つめた。
「世界から魔法が消え、ヴァレリー王は激しく苦悩したわ。魔法の記憶はぽっかり抜け落ちても、起こった出来事は間違いなく彼の中に残っていたから。すなわち、助力してくれた恩人たちを殺してしまったという事実だけは……ね」
苦しみ後悔したヴァレリー王は、それでも最後には己の罪を糊塗しようとした。
森の民は魔獣であったと、先に王を裏切ったのは森の民の方であったと、国民どころか己すらも騙す道を選んだという。
「ヴァレリー王は少年を……シーナを魔王にすることで、森の民を悪とすることで、己の行為を正当化した。けれどわたくしは、それを黙認して正そうとはしなかったわ。あの子はそんなことを望まないと、ちゃんとわかっていたからよ」
少年の願いはただひとつ。
人間が魔法を使うことのない世界、それだけだった。
「ヴァレリー王の死後しばらくして、魔素は『帰らずの森』だけに収まらず少しずつ世界に広がり始めた。儀式を始めたのはその頃よ。人間が魔素の存在に気がつき、二度と再び魔法にたどり着くことがないように――」
「そう、だったんですね……」
ルーナさんはずっとずっと、あの子との約束を守り続けてきたんだ。
それを、私も引き継ぎたい。心からそう思った。
決意とともに、キッと顔を上げる。
「ルーナさん。絶対に明日の儀式を成功させましょう。魔素を浄化して、あの子の望んだ世界を護り続ける。私も、その手伝いがしたいです」
「シーナ……」
ルーナさんが嬉しげに顔をほころばせた。
私の手を取って立たせ、ふわりと抱き締める。
「ええ、二人で一緒に頑張りましょう。……でもねぇ、シーナぁ」
体を離し、おっとりと首を傾げた。
「明日じゃなくて、もう今日なのよ? シーナってばずうっと寝ていたから、とっくに日付が変わっているもの」
「…………」
えええええっ!!?
ざあっと血の気が引いていく。
途端に焦り出し、私はおろおろと花畑の上を走り回る。ややややばい、月の舞の最終確認をしておかないとっ!
必死になって踊り出した私を見て、ルーナさんが噴き出した。シーナちゃん軍団もジャンプしてはやし立てる。
「もおっ、笑ってる場合じゃないでしょう!? ルーナさんもちゃんと見てくださいよっ」
「嫌よ、もうほとんど時間はないのだもの。無駄にあがくより、儀式の衣装の試着でもした方がよっぽど有意義だわ。……というわけで、見て見てシーナ! わたくし渾身の作よ、とっても素敵だと思わない!?」
「あああ、そんな時間はないですってば〜!」
「ぱえぱえ〜」
花畑に光があふれる。
シーナちゃんたちが嬉しげに声を上げる。
私も一緒になって笑いながら、あの少年に届くことを願って、くるくると舞い続けた。
――今日からあなたたちはシーナ・ルー。聖獣シーナ・ルーを名乗りなさい……
頭の中に、ルーナさんの声が優しく響く。
新しい名を喜ぶ、シーナちゃんたちの楽しげな鳴き声も。
けれどひとりだけ、うつむき悲しむシーナちゃんがいた。息を引き取った少年にぴったりと頬を寄せ、決して離れようとしない。
シーナちゃんから意識が離れた私は、俯瞰して彼らを見下ろしていた。
頬を涙が静かに流れ続ける。胸が苦しくてたまらなかった。
美しく微笑んだルーナさんが、悲しむシーナちゃんにそっと寄り添った。
――祈りましょう。彼の次の生が、喜びにあふれたものとなることを
――望むと望まざるとにかかわらず、魂とは巡っていくものだから。いつかきっとまた、彼も生まれ変われるはずよ
ルーナさんの言葉に、シーナちゃんがはっと顔を上げる。
ルーナさんは大きく頷くと、胸に手を当てて目を閉じた。他のシーナちゃんたちもすぐに彼女に従って、真剣な顔で祈りを捧げる。
――どうか来世では、病に苦しむことのない、頑健な体に恵まれますように
――時に笑い合い、時に叱ってくれる、信頼し合える友と出会えますように
――同じ時を過ごし、心から愛し愛される、生涯の伴侶と巡り会えますように……
◇
「……う……」
ぼんやりと目を開ける。
花の甘い香りが鼻孔をくすぐって、泣きすぎて重くなった頭の痛みがやわらいでいく。シーナちゃん軍団が心配そうに私を覗き込んでいて、思わずくすりと笑みがこぼれた。
「シーナ。気分は悪くない?」
少年と同じように、私もルーナさんの膝枕で眠っていた。
はにかみながらお礼を言って起き上がり、胸いっぱいに深呼吸する。最後の涙がこぼれ落ち、それでようやく気持ちが落ち着いてくる。
「……ルーナさん。ありがとう、ございました。それから、シーナちゃんたちも」
大切な記憶を、覗かせてくれて。
ヴィクターすら知らない過去を、私に教えてくれて。
深々と頭を下げる私に、ルーナさんが困ったように顔を曇らせた。
「……本当言うと、自信はないのだけれどね。シーナに重たいものを背負わせてしまったんじゃないかと……それだけが、心配」
「ううん、私、平気です。あの子の思いを確かに受け取ったから。ルーナさんとシーナちゃんたちの、心からの祈りも届いたから。――だから私も、誓います。魔法のことは絶対に、生涯隠し通してみせるって」
……けれど、私自身は魔法を手放すことができるだろうか。
目を閉じて自問自答して、私はためらいながらもかぶりを振った。
いいや、私はヴィクターをこの手で護りたい。カイルさんやキースさん、第三騎士団のみんな、それからロッテンマイヤーさんたちお屋敷の人たちだって、絶対に傷つけさせやしない。
「本当のことが話せなくて、みんなを騙すことになったって構わない。たとえ責められて嫌われたとしても、奇跡と偽ってでも、私は絶対にヴィクターを護ってみせる……!」
「……ええ。それはわたくしとしても望むところよ、シーナ」
ルーナさんが穏やかに微笑んだ。
「きっと彼も許してくれるわ。あなたの魔法……いいえ、『特別な奇跡』は一代限りのものだもの。なんといってもあなたは、聖獣シーナ・ルーの化身にして、月の巫女でもある規格外の存在なんですからね」
「うわぁ、すごい。我ながら大層な肩書きでいっぱいですね」
おどけて告げれば、ルーナさんがはっと息を吸って笑い出す。シーナちゃんたちも嬉しげにぱえぱえ跳ねた。
両手を広げ、シーナちゃんたちを力いっぱい抱き締める。魔王にされてしまった少年の、記憶を伝えてくれた大切な仲間たち。
「ヴィクターは……少しも覚えては、いないんですよね?」
ささやくように確かめれば、ルーナさんは静かに頷いた。
「ええ。魂は前世の記憶を、一切引き継ぐことができないから。けれどわたくしは、ずっと彼を気にかけていたわ。いつ生まれ変わるのか、遅すぎやしないか……。ヤキモキしながら待ち続けて、気がつけば二千年も経ってしまっていたの」
彼は、輪廻の輪になど乗らないと言っていた。
きっと必死であらがい続けたのだろう。そして、とうとう負けてしまったのだろう。
でも、こうして生まれ変わってくれたからこそ――……私は今、ヴィクターの隣にいることができる。
黄金の髪を風になびかせ、ルーナさんが遠くを見つめた。
「世界から魔法が消え、ヴァレリー王は激しく苦悩したわ。魔法の記憶はぽっかり抜け落ちても、起こった出来事は間違いなく彼の中に残っていたから。すなわち、助力してくれた恩人たちを殺してしまったという事実だけは……ね」
苦しみ後悔したヴァレリー王は、それでも最後には己の罪を糊塗しようとした。
森の民は魔獣であったと、先に王を裏切ったのは森の民の方であったと、国民どころか己すらも騙す道を選んだという。
「ヴァレリー王は少年を……シーナを魔王にすることで、森の民を悪とすることで、己の行為を正当化した。けれどわたくしは、それを黙認して正そうとはしなかったわ。あの子はそんなことを望まないと、ちゃんとわかっていたからよ」
少年の願いはただひとつ。
人間が魔法を使うことのない世界、それだけだった。
「ヴァレリー王の死後しばらくして、魔素は『帰らずの森』だけに収まらず少しずつ世界に広がり始めた。儀式を始めたのはその頃よ。人間が魔素の存在に気がつき、二度と再び魔法にたどり着くことがないように――」
「そう、だったんですね……」
ルーナさんはずっとずっと、あの子との約束を守り続けてきたんだ。
それを、私も引き継ぎたい。心からそう思った。
決意とともに、キッと顔を上げる。
「ルーナさん。絶対に明日の儀式を成功させましょう。魔素を浄化して、あの子の望んだ世界を護り続ける。私も、その手伝いがしたいです」
「シーナ……」
ルーナさんが嬉しげに顔をほころばせた。
私の手を取って立たせ、ふわりと抱き締める。
「ええ、二人で一緒に頑張りましょう。……でもねぇ、シーナぁ」
体を離し、おっとりと首を傾げた。
「明日じゃなくて、もう今日なのよ? シーナってばずうっと寝ていたから、とっくに日付が変わっているもの」
「…………」
えええええっ!!?
ざあっと血の気が引いていく。
途端に焦り出し、私はおろおろと花畑の上を走り回る。ややややばい、月の舞の最終確認をしておかないとっ!
必死になって踊り出した私を見て、ルーナさんが噴き出した。シーナちゃん軍団もジャンプしてはやし立てる。
「もおっ、笑ってる場合じゃないでしょう!? ルーナさんもちゃんと見てくださいよっ」
「嫌よ、もうほとんど時間はないのだもの。無駄にあがくより、儀式の衣装の試着でもした方がよっぽど有意義だわ。……というわけで、見て見てシーナ! わたくし渾身の作よ、とっても素敵だと思わない!?」
「あああ、そんな時間はないですってば〜!」
「ぱえぱえ〜」
花畑に光があふれる。
シーナちゃんたちが嬉しげに声を上げる。
私も一緒になって笑いながら、あの少年に届くことを願って、くるくると舞い続けた。