『……どれだけ後悔したところで、もう遅い。外の人々は魔法という絶対的な力を知ってしまった。知ったからには、追い求めずにはいられなくなる。そう、あいつの……ヴァレリーの、ように』

 少年が苦しげに声をしぼり出す。
 ルーナさんは身じろぎひとつせず聞き入っていた。ただ()いだ瞳で少年を見つめる。

 少年もじっとルーナさんを見返した。
 唇を震わせ胸を押さえながらも、決然と背筋を伸ばす。

『俺は、最後の森の民として責任を取らねばならない。魔法の技術も記憶も何もかも、俺の命と共に連れてゆく。そして死後にこの身が悪用されぬよう、俺に宿る魔素を欠片たりとも残さず消し去ってほしい。……これが、俺の願いの全てだ』

『……ええ』

 長いこと黙り込んでいたルーナさんが、ようやく言葉を発した。
 少年にしっかりと頷きかけ、ドレスを払って立ち上がる。

『ようく、わかったわ。月の女神ルーナの名において、あなたの願いを聞き届けましょう。――さあ、お仕事よ! わたくしの可愛い聖獣ルーたち!』

 パンパンと高らかに手を叩く。
 礼拝堂を静かに飛んでいた光が、突然弧を描いて踊り出す。大きく膨らんできらっと弾け、光の中からシーナちゃんが現れた。

『ぽええ〜!』
『ぱぇあ〜!』

 ぽふぽふと空中に出現し、後から後から落ちてくる。私は慌ててシーナちゃんたちに駆け寄った。

『ぱうぅ〜!』

(みんなっ!)

『! ぽえっ、ぽぇあぁ〜!』

 わあっと一斉に群がられ、もみくちゃにされてしまう。心配してたんだよ、どこに行っていたの。そんな優しい気持ちが伝わってきて、私も泣きそうになりながら彼らに抱き着いた。

『ふふっ、再会を喜び合うのは後にしなさいな。この子の魔素はあまりに強大だわ。吸収したところで微々たるものでしょうけど、あなたたちも力を合わせて頑張ってみて』

『ぽえっ!!』

 凛々しく返事をして、少年を全員で取り囲む。少年が絶句してシーナちゃん軍団を見下ろした。

『な……、え……?』

『可愛いでしょう。ねえ、知っていて? 可愛さって足し算じゃなくて掛け算なのよ。これだけいたら、もはや可愛さの限界突破よね』

『いや……、うん。かわ、いいな。すごく……』

 茫然と呟き、頬をゆるめる。
 手当たり次第にシーナちゃん軍団を撫で、最後にひょいと私を抱き上げた。

 びっくりして目を丸くする私に、『お前は、ここだ』とにやっと笑う。肩に載せて頬ずりすると、まっすぐにルーナさんを見上げた。

『俺は、何をすればいい?』

『魔素をどんどん魔力に変換してちょうだい。そうして、心の中で強く願うの。わたくしはあくまで力を貸すだけ。実際に魔法の舵を取るのはあなたなのよ』

 そう言って、ルーナさんは少年の手を握って立たせた。
 二人は手を繋いだまま向かい合い、大きく頷き合う。刹那、ぱあっと光が弾けた。

 目も開けていられないぐらいの輝きが二人を包み込む。

『――さあ、心の奥底から叫ぶのよ! あなたの願いを、世界の()るべき姿を!!』

『……っ』

『もっと、もっとよ! あなたの渇望はたったその程度なの!? 魔力も全然足りないわ、全身全霊で命を燃やし尽くしなさい! 思いを力に変えて、最後の輝きを放つのよ!!』

 ルーナさんの長い髪が光り輝き、まるで意思を持ったように波うっている。
 少年は苦しげに眉根を寄せ、それでも一心に祈り続ける。私も彼の肩につかまって、必死になって魔素を吸収した。

 礼拝堂の高い天井まで届くほど、魔素の炎がめらめらと立ち昇る。
 まるで本当に燃えているようだった。息もできないほどに濃密なひととき。

 それでも時間にしたら、それほど長くは経っていなかったのかもしれない。
 始まった時と同じように、終わりも唐突に訪れた。あれほど眩しかった光が、しぼむようにして消えていく。

『ぅ、……っ』

 少年がガクリと膝を折る。
 はっとして彼を見ると、真っ赤だったはずの髪がすっかり色を失くしていた。まるで鍛え込まれた鋼のような、不思議な色――……

(……あ……)

 ヴィクターと、同じ?

 息を呑んだ瞬間、少年がゆっくりと床に倒れ伏した。私も床に転がり落ち、すぐさま起き上がって彼にすがりつく。

『ぱ、うっ。ぱうぅ〜!』

『けだ、ま……』

 撫でようとしてくれたようだが、少年の手は力なく床を掻くだけだった。それで私が代わりに彼の手の下に潜り込む。

 指に毛並みをこすりつけた。すりすりと頬を寄せ、少年に甘える。大丈夫、大丈夫だよ。ちゃんと私はここにいるからね。

 苦しげだった少年の顔がやわらいだ。
 口元にはしあわせそうな笑みも浮かぶ。

『……魔法は、成功したわ』

 ルーナさんも肩で息をしていた。
 崩れ落ちるように座り込み、『けれど……』と声をしぼり出す。

『ごめんなさい。あなたの魔素は、使いきることが叶わなかった』

『ならば……、俺の屍は、灰になるまで燃やし尽くしてくれ……』

 かすれ声で呟く彼に、ルーナさんは小さく首を振る。

『いいえ、その必要はないわ。魔素は死体には宿らない。あなたの命が尽きると同時に消えてしまうことでしょう』

『そう、か……。よかった……』

『……けれど、それは今生での話。これほどの魔素ですもの、おそらくあなたは――』

 ――生まれ変わってもまた、その身に魔素を宿すことになる。

 一切の表情を消したルーナさんが、非情に宣告した。

 うとうとと眠りかけていた少年は、愕然として目を見開く。髪と違って少しも色あせていない、ヴィクターと同じ緋色の瞳。

 声もなく見入っていると、少年は動けない体でもがき、必死で起き上がろうとした。

『ぱ、ぱえっ!?』

『冗談じゃ、ない……。また、俺は、災厄の種となるのか……っ。生きているだけで、周りに不幸を呼んでしまうのか……!』

 黙って己を見下ろすルーナさんを、少年はほとばしるような怒りを込めて睨みつける。

『ならば俺は、絶対に生まれ変わったりなどしない! 輪廻の輪になど、誰が乗ってやるものかっ。俺は、ここで終わる。墓も名も、何ひとつこの世に残しはしない。森の民の魔法と同じに、ただ消えてゆく……!』

『……そう』

 ぽつりとルーナさんが呟いた。
 少年の手の下から私をつまみ上げ、ぽんと彼の近くに移動させる。少年の視線が私を追った。

『わかったわ。魔素をすべて使い切る、という願いを叶えきれなかったのはわたくしだもの。本当にごめんなさい』

 噛み締めるように謝るルーナさんに、少年は途端におろおろと目を泳がせる。

『い、いや。俺の方が、悪いんだ。八つ当たり、だった……』

『ふふっ、いいのよ。後はもうゆっくりお休みなさいな。わたくしたちが見送ってあげてよ』

 横座りしたルーナさんは、少年の頭を膝に載せた。
 少年はぎょっとして起き上がろうとしたが、ルーナさんがそうはさせじと少年を押さえ込む。手招きでシーナちゃん軍団を呼び寄せた。

『ほら、あなたたちも囲んで囲んで。しっかり暖めてあげるのよ。子守唄も歌うといいわ』

『ぱぇっぽぉ〜!』

 もふもふと少年に群がり、寄りかかる。ぱえぱえ賑やかに歌うシーナちゃんを見て、少年は目を細めた。

 ひとり黙念と立ち尽くす私に気づき、困ったみたいに笑いかける。

『毛玉。お前は、歌ってくれないのか?』

『! ぱ、ぱぇ。ぱぇ、っぽ……』

 歌おうとしたのに、息が詰まって声が出ない。
 ふるふる首を横に振って、少年の胸によじ登る。

『ぱぇ……っ、ぱう、ぅ……っ』

『……ごめん。お前を、悲しませたくはなかったのに。それなのに、悲しんでくれて嬉しい、とも思ってしまう……』

 よろよろと手を持ち上げ、私をきつく抱き締めた。

『……墓はいらない、と言っていたけれど』

 黙って私たちを見守っていたルーナさんが、不意に口を開く。

『人間界ではなく、わたくしたちの天上世界に墓標を立てるのはどうかしら。そうすれば、この小さな聖獣ルーの心も癒やされると思うのよ。ね?』

 少年が虚を突かれたように瞬きした。
 問うように私を見つめるので、私は必死になって何度も頷く。

 それでも迷う少年に、ルーナさんが思いっきり顔をしかめてみせた。

『ひどいわ、わたくしの可愛いルーが傷ついてもいいって言うの? ほら、あきらめて名前を教えなさい! 墓標に必要なんだから』

『う……っ』

『ほらほら、早くぅ。ねっ、ルーたちも!』

『ぱぇあ〜!!』

 全員で一斉に唱和すると、少年はとうとう観念したようだった。

『わかった、教える。俺の、名は――……』

 ルーナさんの膝に頭を預けたまま、ルーナさんとシーナちゃん軍団を順繰りに見回す。

 最後に私に視線を止めて、少年はふわりと穏やかに微笑んだ。

『――シーナ。俺の名は、シーナだ』