「うっ……、うっ……」

「いい加減にしろ。キース」

 ヴィクターがうんざりしたようにため息をつく。
 地面に座り込んでさめざめと泣くキースさんに、カイルさんが優しく寄り添った。しかしその顔は明らかに面白がっている。

「あんまり、あんまりです……っ。人が懸命に結界の修復をしている横で、自分たちばっかりシーナ・ルー様の奇跡(キセキ)を堪能してえっ」

「うんうん。キースはすっかり自分の世界に入り込んじゃってたもんなー。周りが見えなくなっても仕方ないよなぁ」

「わだっ、わだじだっで雷の奇跡(ギゼギ)が見だがっだああああ」

「ぱえっぱえっ」

 ヴィクターのポケットから顔を出し、私も必死でキースさんを慰める。降ろして降ろしてとヴィクターに目で訴えかけるが、逆にぎゅむっとポケットに押し込まれた。なんでやねん。

「しッ、住人達が戻り始めている。お前は隠れていろ、シーナ」

 こっそり顔を覗かせてみれば、確かに寝間着姿の人々が恐る恐るこちらに向かって歩いてくる。気味悪そうに魔獣の死骸を避けて、第三騎士団の面々に歩み寄った。

「あ、ありがとうございます騎士様方……」
「さ、幸い家もそこまで壊れてはいないようです」

「いえいえ。一般の方にお怪我がなくて何よりでした」

 カイルさんが笑顔で答える横で、キースさんが突然すっくりと立つ。すばやく涙をぬぐい、威厳たっぷりに微笑んだ。

「どうぞ皆様、ご自宅も気になるでしょうが、まずは月の聖堂へとご避難をお願いいたします。結界の修復が成ったとはいえ、安全を確認する必要がございますゆえ。聖堂の庭にて急ぎ炊き出しの支度もいたします、疲れた体を休めてくださいませ」

「だ、だけど……」
「こら。神官様のご命令だぞ、ここは従おう……」

 こそこそと言葉を交わし、彼らは仕方なさそうに頷いた。
 黙って見守っていたヴィクターを大回りして避け、目も合わさずにそそくさと立ち去ろうとする。

(って、はあ? ヴィクターにはお礼言ってなくない?)

 むっとして耳を立てるが、またもヴィクターから押さえつけられた。カイルさんも困ったように眉を下げ、無言で首を横に振る。

 大人しくポケットの中に戻りながらも、私はむらむらと腹が立ってきた。人々はヴィクターだけは露骨に避けたくせに、カイルさんにキースさん、それから他の団員さんにはくどいぐらいペコペコと何度も頭を下げている。


 ――ぷつんっ


(あ、もう無理)

 自分の中で何かが切れる音がして、私は電光石火の速さでポケットから脱出した。「おい!?」と叱責するヴィクターをきっぱり無視して、彼の腕を一気に駆け上がる。

 そのまま頭によじ登り、思いっきり息を吸い込んだ。

「ぱっ、えっ、えっ、え〜〜〜〜ぃっ!!」

「へっ!?」
「今、なんか間抜けな声が……えっ?」
「お、おいあの動物っ、絵本で見たことがあるぞ!」

 私を指差し、口々に叫び出す。

 ヴィクターの頭の上で偉そうにふんぞり返れば、ヴィクターが疲れたみたいに肩を落とした。どうしたもんかと思ってるね?

 悩めるヴィクターに含み笑いして、ゆうゆうとしっぽを振りつつ下界を見下ろした。
 茫然と立ち尽くすカイルさん、そして団員さんたち。キースさんだけがはっとした様子で、コホン!と聞こえよがしに空咳をした。

「あーあー、皆様〜。あちらにおわしますのは〜、尊き月の聖獣シーナ・ルー様でございまする〜」

「……おい! キース!?」

 朗々と住人さんたちに呼び掛けるキースさんに、ヴィクターが途端に慌て出す。住人さんたちは口をあんぐりと開けて私を見た。

「そしてそして、次の満月に行われし伝統の儀式にて、月の巫女を務められることも決まっております〜。わたしは一足先に拝見いたしましたが、その舞はふわっふわのくるっくる、もっふもふ〜」

「おいっ!」

 黙らせようとヴィクターがキースさんに掴みかかったが、カイルさんがすばやくヴィクターを押さえた。真っ赤な顔で笑いをこらえながら、意味ありげに私を見上げる。

 私もぱうぅと含み笑いして、ヴィクターの頭からすべり降りた。肩に華麗に着地して、ぎゅうっと力いっぱいヴィクターの頬にしがみ着く。

「……っ」

「ほら皆様、ご覧の通り月の聖獣シーナ・ルー様は――」

「うちの団長のことが大大大好きなんだよねぇ。魔王と同じ瞳を持つってのに、なんでだろうなー? ありがたい聖獣様が、邪悪な人間に懐くもんかなー?」

 キースさんの口上に割り込んだカイルさんが、わざとらしく首をひねった。
 キースさんも一緒になって難しい顔を作る。

「シーナ・ルー様は曇りなき、純粋無垢な心をお持ちの聖獣様。そのシーナ・ルー様が、これほどまでに騎士団長殿を慕われるということは……つまり」

「うぅん、うちの団長は意外と怖くないってことかな? 大丈夫なの、ちゃんと優しくしてもらってる?」

「ぱぇっぽぉ〜!」

 ぴょんぴょん跳ねて肯定すれば、住人さんたちは明らかに動揺した。おろおろと顔を見合わせ、寄り集まる。

「え、え? だけど、あの瞳は間違いなく不吉な……」
「月の聖獣様、もっふもふだな……」
「魔王って実は、動物好きだったのか?」

 だから魔王じゃないっつーに!

(ヴィクターも、それから『森の民』のあの子も……)

 どちらも決して、魔王なんかじゃない。
 優しくてあったかい、当たり前の人間なのだ。しゅん、と鼻を鳴らしてもう一度ヴィクターの頬に寄りかかる。

 ヴィクターは深くため息をつくと、おもむろに歩き出した。住人さんたちがびくっと震える。

「……いいから早く、月の聖堂へ移動しろ。後始末は第二と連携して行う。王都内に他に魔獣が残っていないかの確認もな」

「ぱえっ!」

 私も手伝うよ〜、としっぽを振れば、住人さんたちは気まずげに視線を落とした。ごくりと唾を飲み、ぎくしゃくと頭を下げる。

「は、はい……。ありがとう、ございます……」
「ど、どうぞよろしくお願いします……」

 短く礼を言って、逃げるように走っていった。
 その背中を見送り、私はむっと頬をふくらませる。

(なぁんか、まだ納得いってないんですけど)

「まあまあシーナちゃん、すぐには無理だって」

「それでも大いなる一歩ですよ。王都の住人が初めて、ヴィクター殿下と言葉を交わしたのですから」

 カイルさんとキースさんがすかさずフォローしてくれた。団員さんたちも「確かに、初めて見たな」と笑って頷く。

 ヴィクターは決まり悪げに頭を掻くと、くるりと背を向けてしまう。

「……怪我人の治療は完了しているな。リック、お前はキースと共に聖堂へ向かい、避難所の手伝いをしろ」

「はいっ」

「カイルは団員と手分けして王都内の見回りを。俺は第二と話をつけてくるから、残りの者は魔獣の死骸と瓦礫の片付けを頼む。……それから、シーナは」

 はいはい!

 わくわくと耳を立てる私を見て、ヴィクターは少しだけ笑った。ピンと額を弾き、私をポケットに入れてしまう。

「ぽえぇ?」

「お前は、寝ていろ。戦闘で疲れたのだろう、目が潰れかけているぞ」

 え、本当に?

 言われてみれば確かに、ぐんぐん視界が狭まってきているような……。自覚した瞬間どっと疲れに襲われて、素直に目をつぶる。

「ぱあぁ……」

「――お休み、シーナ」

 穏やかな声に安心して、あっという間に眠りに落ちた。