――彼らは、まつろわぬ民であったという。


「……二千年ほど昔の話よ。国に帰属することなく、森に隠れてひっそり生きることを選んだ一族がいたの。元々は奴隷階級の出だとか、犯罪を犯した逃亡者の集まりだとか言われていたけれど、その出自は定かじゃないわ」

 花畑に横座りしたルーナさんが、静かな声で語り出す。
 シーナちゃんたちはみな一様に口をつぐみ、輪になってルーナさんを囲んでいた。その表情はどこかキリリとしていて、私も彼らに合わせて神妙な顔でかしこまる。

「外の人々はその森をひどく恐れ、決して近づくことはなかったわ。森によどむ陰の気を吸うだけで、命を落としてしまうと信じていたの。まして森には、人を喰らう魔獣まで住み着いていたんですもの」

 陰の気?
 魔獣が住み着いている……?

 私は目を瞬かせた。

(それって、もしかして……)

 私の心を読んだのか、ルーナさんが大きく頷く。

「そう。『帰らずの森』よ」

 といっても、当時は今ほど魔素が濃くなかったのだそうだ。
 魔素は森の中だけにとどまって、外へ漏れ出すことはなく、魔獣も森の奥深くにだけ存在していたという。

「彼らはごくごく少数の一族だったわ。森で魔獣や動物を狩ったり、山菜や木の実を集めて日々の糧を得ていたの。外の人々は彼らを『森の民』と呼び、穢れの象徴として畏れ、交わることはなかったそうよ」

「あ、あの」

 話を遮るべきではないと思いつつも、私は恐る恐る挙手をした。
 すぐにルーナさんが目顔でうながしてくれたので、ほっとして口を開く。

「森の民は、どうして『帰らずの森』で暮らすことができたんですか? 今より魔素が濃くなかったってことは、魔獣の数もそれほどじゃなかったとか? でも、それでもやっぱり危険ですよね」

「あら、いい質問ね」

 ルーナさんが頬をゆるめた。
 シーナちゃんたちも同調するみたいにうんうん頷く。

「それはね、森の民が魔獣への対抗手段を持っていたからなのよ。彼らは人の中で唯一、意のままに自然を操る(すべ)を心得ていたの。燃え盛る炎を出現させ、鋭い風で敵を切り裂き、腕の一振りで水や雷の矢を放った。……これが何であるか、もちろんシーナならわかるわよね?」

 ルーナさんから問われ、私はごくりと唾を飲んだ。
 緊張で背中に嫌な汗をかきながら、私はかすれ声で答える。

「……魔法、ですね?」

「そうよ。大正解」

 ルーナさんが満足気に微笑んだ。

「わたくしたち神すら知らなかったのだけれど、どうやら人間にはその才が備わっていたみたい。すなわち、魔素を魔力に変換する力。そして魔力を用いて魔法を使う力……」

 聖獣シーナ・ルーと違い、人間は魔素を見ることはできない。それは森の民も同じであった。
 けれど長い年月を『帰らずの森』で過ごすうち、彼らは魔素が見えずとも感じ取れるようになったのだという。

 そうして徐々に、森の民は魔法の才能を開花させていった。

「彼らは思慮深く温厚な一族だったわ。魔法があるからといって必要以上に魔獣を狩ることはせず、一族だけでまとまって、身の丈にあった暮らしをしていたの」

 そんな時が止まったかのような彼らの生活は、ある日突然終わりを告げた。

 森の外から、一人の青年がやって来たのだという。彼はひどくぼろぼろの格好をして、今にも息絶えそうなほどに弱っていた。
 森を忌み嫌っているはずの外の人間の侵入に、森の民は当初とても驚いた。それでも彼らは青年を放ってはおけず、集落に連れ帰ることにしたのだそうだ。

(……え? それって)

 どこかで聞いたような話に、私は知らず息を呑む。
 既視感の元は、キースさんから読み聞かせてもらった魔王の絵本。確か追放された王子さまが、帰らずの森で行き倒れてしまったのじゃなかったか。

 そこまで思い出したところで、私ははたと首をひねった。

(ううん、でも違う。だってあの物語では、行き倒れた王子さまを助けたのは……)

「森の民は人間よ。王子と同じ、人間なのよ。決して魔獣なんかじゃなかったわ」

 ルーナさんがきつい調子で口を挟む。
 目を丸くする私を睨み据え、怒りを抑えるように長いため息をついた。

「……歴史が常に正しいとは限らないわ。なぜならそれは、勝者が作るものだから。真実と嘘を織り交ぜて、己の都合の良いよう脚色するの」

 あの王子はね、と淡々と続ける。

「確かに志はあった。暴君たる父王を倒して民を救いたい、という強い熱意。そこに嘘がなかったからこそ、純朴な森の民はほだされたの。大切な住処(すみか)を離れ、王子に力を貸すことに決めたのよ」


 ――けれど、王子さま。これだけは先にお伝えしておかねばなりませぬ

 ――我らとて、魔素がなければ魔法を使うことは叶わぬのです


「当時、魔素は『帰らずの森』にしか存在していなかった。一歩森の外に出れば、強力な魔法を使う森の民も徒人(ただひと)となってしまう。それを聞いて、王子は顔色を変えたそうよ」


 ――ですが、どうぞご安心くださりませ

 ――我らが一族の中に一人だけ、魔素を宿した特別な子がおりますゆえ……


「……っ」

 魔素を宿した子ども。
 ヴィクターと、同じ――……

「一族で最年少だった彼は、まだ十一歳の子どもだった。その子自身はまだ魔法を使えなかったけれど、彼がいさえすれば森の外でも魔法が使える。だから森の民は彼を連れて――……あらぁっ?」

 突然、ルーナさんがすっとんきょうな声を上げる。
 私はびくっと体を揺らし、あわあわと口を開こうとした。が、ルーナさんが手振りでそれを押しとどめる。

 じっと耳を傾けるような仕草をして、ややあっておかしそうに頬をゆるめた。

「ふふっ、聖堂から緋の王子の声が聞こえるわ」

「えっ!?」

「すごいわ、緋の王子ったら。いくら聖堂を通しているとはいえ、神官でもないのに天上世界まで声を届けることができるだなんて。もしかして神官の才能があるんじゃない?」

 うきうきと告げるなり、私の腕をつかんで無理やり立たせる。唖然とする私をぎゅっと抱き締め、優しく何度か背中を叩いた。

「――シーナ。大丈夫、大丈夫よ。恐れる必要なんてないわ。過去は過去であって、今じゃないの。迷子のシーナ・ルーはちゃんと天上世界に戻れたし、牢屋の彼も己自身で取るべき道を選んだわ」

「ぱえっ!」
「ぱえぱえっ!」

 そうだよ、と言うようにシーナちゃんたちが周りを飛び跳ねる。

「だからどうか、シーナ・ルーの記憶を受け入れてほしい。そのためには体をこんなふうに弱らせていては駄目よ。しっかりと食べて寝て、気力と体力を戻すの。そしてその目で彼の、魔王にされてしまった少年の、生きた道を見届けてあげて」

 抱き締められた体が熱くなる。
 驚いて自分の体を見下ろせば、体中がかすかに発光していた。じわじわとお腹の底から元気が湧いてくる。

 ルーナさんが最後にぽんと景気よく背中を叩いた。

「はい、癒やしの魔法をかけてあげたわ。神官流に言えば奇跡(キセキ)ね」

「あ、ありがとうございます」

「もうお行きなさいな、シーナ。緋の王子がヤキモキして待っているわよ」

 あ、そうだった!

 離れかけたルーナさんの手を慌てて追いかけて、ぎゅっとつかみ取る。

「あの、ヴィクターってばルーナさんに何て言ってたんですか? もしかして、何か失礼なことでも」

 ルーナさんがブッと噴き出した。
 美しい黄金の髪と肩をふるふる震わせて、顔を真っ赤にして笑いをこらえる。固唾を呑んで続きを待つ私を、そっと優しく押した。

「ル、ルーナさっ」

「今もずっとずーっと、ドスのきいた低い声で凄み続けているわ。シーナが塞ぎ込んでいる、シーナが夜うなされている、あの食い意地の張ったシーナが食事を一切取ろうとしない……どうしてくれる? あいつに何かあれば、たとえ相手が神であろうと容赦はしない。覚悟するがいい……ってね?」

 げげっ!?
 普通、神様相手に喧嘩とか売る!? 一体何を考えてるの!

「も、もおヴィクターってば! ルーナさんは全然悪くないのに! か、完全に八つ当たりっ」

 怒りながらも頬が一気に熱くなる。
 足元の花畑が消失し、今日も私は落ちていく。が、私はそれどころではなく顔を隠して身もだえる。

(ああもう、ああもうっ)

「ご馳走様、シーナぁ〜。緋の王子によろしくねぇ〜?」