――ねえ、あなたたち。シーナに何かしたでしょう?

 ――ぱ、ぱぅえぇ〜?

 ――もお、とぼけないの。見てごらんなさい、元気なのが一番の取り柄だったのに。この子、とっても顔色が悪いわ――……


「……ん……」

 眩しい光がまぶたの裏を赤くして、私はぼんやりと目を開ける。
 よろめきながら起き上がれば、ルーナさんがはっとしたように口をつぐんだ。

「シーナ!」

「ルーナ、さん……?」

 もごもごと呟く私に、ルーナさんが体当たりするように抱き着いてくる。
 驚く私の背中を優しく叩き、肩口に顔をうずめた。ルーナさんの甘い香りが鼻孔をくすぐって、私は夢見心地で目をつぶる。

「……体温がひどく低いわ。シーナったら、駄目じゃない。つらい時にはちゃんと、自分から手を伸ばして助けを求めないと」

 低い声で叱責されて、我知らず頬がゆるんだ。
 ルーナさんが心から私を心配してくれているのが伝わってきて、申し訳ないと同時に嬉しくもなってしまう。ほっとする温かさに、意識が遠のきそうになってくる。

 こくりこくりと眠りかける私を、ルーナさんが乱暴に揺さぶった。

「コラ、天上世界に来てまで寝ないの! 寝るのなら現実の、緋の王子のお膝にしておきなさい!」

「う……、は、い……。そうですね。だって、私も……」

 ヴィクターの膝で寝るのが、一番好きだから。
 ああでも、抱き締められて寝るのも悪くないかな。大事なんだって言われてるみたいで。大丈夫だよ、って安心させてくれてるみたいで……。

 大あくびする私に、ルーナさんがくすりと笑った。

「ふふっ、のろける余裕があるのなら大丈夫そうね。……それで、どうしたの? 急激に生命力が弱ってしまっているわよ」

「ああ……」

 やっぱ、弱ってたのか。
 仕方ないよね、シーナちゃんは繊細な聖獣なんだから……。

 あきらめとともに受け入れつつ、途切れ途切れに事情を説明する。

 ひどくリアルな夢の話。
 石牢は震え上がるほどに寒くて陰鬱で、暗闇の中をひとりきりでさ迷う心細さ。ヴィクターが側にいてくれない恐怖。

 鉄格子の向こう側、囚われているのはまだほんの子どもなのに、そのくせ大人びたしゃべり方をする。どうしてこんな子どもがこんな場所に、と、胸がぎゅっとつかまれたみたいに苦しくなるのだ――……

「ねえ、ルーナさん。あれってもしかして、現実なんですか?」

 ささやくように確かめると、それまで黙って聞き入っていたルーナさんが息を呑んだ。私から目を逸らしかけ、思い直したように踏みとどまる。
 ややあって深々と息を吐き、痛そうに顔をしかめた。

「……そうね、現実よ。気が遠くなるほど昔の話だけれど、確かに現実にあった出来事なのよ」

 昔々はね、と声を低く落とす。

「天上世界と人の世の境界がまだ曖昧で、何かの拍子に重なり合ってしまうことがあったわ。それで運悪く人の世に迷い込んでしまい、帰れなくなったシーナ・ルーがいたの――……」

 気まずげにうつむいていたシーナちゃん軍団の、長い耳がぴくっと一斉に反応する。
 顔を上げないまま耳だけがぴこぴこ息の合った動きをして、私はおかしさに噴き出してしまう。ルーナさんから離れ、そうっと彼らに歩み寄った。

「……ね、シーナちゃん。もしかしてあなたたちが、私にあの夢を見せたの? 驚かせようと思ったのかな、それとも共鳴実験に協力しようとしてくれた?」

「…………」

 シーナちゃん軍団はかたくなにこちらを見ようとしない。ぷぅともぴぃとも鳴かず、貝のように口をつぐんでしまっている。

 困り果ててルーナさんを見上げるが、ルーナさんは小さくかぶりを振るだけだった。どうやら成り行きを見守るだけで、口出しするつもりはないらしい。

 それで私は心を決めて、花畑にぺったりと座り込む。ぴくぴく聞き耳を立てるシーナちゃんたちに、ぐすっと聞こえよがしに鼻をすすってみせた。

「そっか、わかったよ……。みんな、私に意地悪したんだね。わたし、みんなに、嫌われちゃったんだ……っ」

「ぱ、ぱえっ?」
「ぷっ、ぷぷぅ〜!」
「ぽぇあ、ぱぅぅぅ〜っ!?」

 途端にシーナちゃん軍団が大騒ぎする。
 両手で顔をおおって泣く私に、シーナちゃんたちが半狂乱で群がってきた。しめしめ。

 心身ともにくたびれ果てているのは本当なので、あえて演技しなくても涙は後から後からこぼれてくる。うん、あとは大げさに声を上げればいっか。

「ひっく、ひっく……!」

「ぱぇ〜! ぱうぅ〜!」

「うわああああんっ」

「ぷ、ぷぇ……っ。ぷえ、ぷええええ〜!」

 あ、やば。
 シーナちゃん軍団までつられて泣き出しちゃった。

 どうやら調子に乗りすぎてしまったらしい。
 シーナちゃんたちは「ぷえー! ぷえー!」と声を枯らして鳴き、仰向けになってジタバタ暴れ、花畑を(かたき)のようにバンバン叩く。いや感情表現激しすぎんか!?

「ちょっ、みんな落ち着いて!? ごめん私が悪かった、ほら私もう泣き止んだよ大丈夫だよー!?」

「……っ」

 涙を拭いて必死になぐさめる私の横で、なぜかルーナさんがふるふると肩を震わせた。
 一拍置いて、はっと息を吸って笑い出す。驚いたシーナちゃんたちが、ようやく鳴くのをやめて目を丸くした。

「ぱえ?」
「ぽええ?」

「ふ……っ、ごめん、なさい。でも、おかしくてっ」

 大笑いしすぎて目尻ににじんだ涙をぬぐう。

「ああ面白い! ねえシーナ、どうやらあなたはもう合格みたい。共鳴なんてとっくに出来てるわ、シーナ・ルーはあなたのことを仲間だと認識しているのよ」

「え?」

「泣いてたら一緒に泣いてあげて、苦しんでいたら一緒に騒いであげる。……だからこそこの子たちは、あなたにも知ってほしいと思ったのね」

 知ってほしい?
 ……何を?

 ルーナさんが一転して寂しげな笑みを浮かべる。
 シーナちゃんたちもさっきまでの大騒ぎが嘘のように黙り込み、長い耳を垂らしてうつむいた。

 ぽかんと座り込む私に、一匹のシーナちゃんがよじ登ってくる。私のお腹に小さな手を置き、きゅうと首を傾げた。

 ルーナさんは手を伸ばしてその子を抱き上げると、決然とした眼差しを私に向ける。

「そうね、わたくしも同じ気持ちだわ。シーナ、どうかあなたに知ってほしい。あの夢……迷子のシーナ・ルーの目を通して、かつてあった出来事を。――魔王と呼ばれ人々から恐れ忌避された、心優しき少年の真実を」