というわけで、早速翌日から実験を開始する。

 いつも通りヴィクターと一緒に出勤して、今日は私だけ本部の執務室でお留守番させてもらうことにした。
 珍しく私がついて来ようとしないものだから、ヴィクターもカイルさんも思いっきり怪訝そうな顔をする。ちらちら私を振り返る二人に、愛想よく手を振ってみせた。

「ぱぇぱぇ〜」

(いってらっしゃーい)

 強制的に送り出し、執務机にどっかりと座り込む。
 ぎゅっと目をつぶり、天上世界のシーナちゃん軍団に思いを馳せた。白くもふっとした丸いフォルムを心に描く。

 ぽえぽえ花畑を駆け回るシーナちゃん。
 転んでしまってちょっぴり恥ずかしいシーナちゃん。
 重なり合ってピラミッドを作るシーナちゃん。
 ルーナさんに抱っこしてもらい、嬉しそうに頬ずりをするシーナちゃん……。

(……お、いい感じ)

 まるで私もその場に立っているかのような臨場感。
 私もシーナちゃんに変身して、ぽてぽて彼らに駆け寄ってみる。能天気でしあわせそうな顔を覗き込む。

 ――ねえ、シーナちゃん。
 あなたは今、どんなことを考えているの? どうか私に教えてほしい。

『ぽえぇ〜?』

 つぶらな目を丸くして、シーナちゃんが可愛らしく首をひねった。何か言いたげに私を見つめ、そして――……


 …………

 …………

 …………


「ぷぁっ」

 駄目だ。全然読み取れなーい。

 一時間ほどねばったものの、あえなくギブアップ。そもそも今のは私の妄想だったのかな、それとも現実?
 悩みつつ、休憩用にと取っておいたロッテンマイヤーさんのおやつに手を伸ばす。
 サクサク生地のパイをかじれば、中から甘く煮つけた林檎がとろりとあふれ出してきた。うまうま。うまうま……。

 頬を押さえてもだえていたら、ヴィクターが帰ってきた。パイの欠片が散らばった机を無言で見下ろすので、私は大慌てで机の上を片付けるのだった。ごめんて。


 ◇


「……は? 巣箱で寝るのか?」

 夜、仕事を終えてお屋敷に帰ってから。

 ヴィクターが虚を突かれたように固まった。
 私は真面目くさって頷いて、背伸びして巣箱の表面を叩く。中に入れてほしいとのアピールだ。

「…………」

 ヴィクターが無言で私をつかみ取り、ロッテンマイヤーさん作の巣箱の中に置いてくれる。
 しっぽをひと振りして感謝を伝え、ファンシークッションの上をぽふぽふ跳ねた。ようし、それでは早速精神統一を――……

(んん?)

 なぜかヴィクターがまだ突っ立ったままなのに気がついた。
 眉根を寄せて、じいっと私を見下ろしている。その眼差しにどこか非難めいたものを感じ取って、私はおずおずと彼を見上げた。

「ぱぇぱぁ?」

「……何か、不満でもあるのか」

 地を這うような低い声で問う。へ? 不満?

 瞬きする私に、ヴィクターはここぞとばかりに畳み掛ける。

「昼間もほぼ別行動だった。いつもならば連れて行け連れて行けとやかましい癖に。置いていこうとしたらしがみついてくるだろう、普通なら」

「ぱ、ぱぅ」

「今日は膝で昼寝もしていない。リックの巣箱で先に寝ていたろう。腹を丸出しにして」

 あらやだ。
 道理でお腹が冷えてると思ってたんだよねー。

(……じゃ、なくって)

 なんだろう、浮気を詰問されてる旦那のような気分になってきたぞ。
 なんとか弁解せねばと、私は短い手をぱたぱたと振りまくる。

「ぷうぅ、ぱぅえ〜」

(違うの、そうじゃなくって)

「ぱぇ、ぱぇっ」

(ほら、これはアレですよアレ)

「ぽぇ〜、ぽぇあ〜?」

(人間に戻るために必要っていうか?)

 身振り手振りで懸命に訴えても、もちろん伝わるはずもなく。
 二人同時にため息をついて、お互い黙り込んでしまった。ヴィクターは荒っぽく頭を搔くと、背中を向けてベットへ潜り込んだ。えっ、ちょっと待って待って!

「ぱえ、ぱぇぱぁっ」

「寝る」

 端的に告げる。いや拗ねないで!?

 大慌てで巣箱をよじ登り、ころりと転がった。お尻を押さえてぱえぱえ鳴けば、ヴィクターが仕方なさそうに起き上がる。

 また私を巣箱に入れようとするのを、全力で拒否してヴィクターに抱き着いた。

(や、一人寝が寂しいならそう言ってよ! ちゃんと一緒に寝てあげるからっ)

 巣箱の中の方が集中できるかと思ったが、ヴィクターと喧嘩している方がよほど気が散る。
 ぎゅううと力を込める私に、ヴィクターは途方に暮れたみたいに立ち尽くした。

「……ベッドがいいのか」

 うんうん!

「巣箱の中でなく」

 だからそうだってば!

 高速で頷く私に、ヴィクターはようやく納得してくれたようだった。
 明かりを消し、枕元にそっと私を寝かせる。すぐに自身も横になった。

「ぱぇあ〜、ぱぇぱぁ」

(お休み、ヴィクター!)

「……ああ」

 噛みしめるように返事をする。なぁんだ、やっぱり寂しかったんだね。意外と可愛いところあるじゃない!

 じりじりと彼ににじり寄り、硬い髪の毛にそっと触れる。いつものお礼とばかりに、優しく何度も撫でてあげた。

「……シーナ」

 寝返りを打ったヴィクターが、目を細めて私を見つめる。穏やかな眼差しに、心臓がどくんと音を立てた。

「……っ」

 ビシッ。

「寝ろ」

「ぱぅえぇ〜っ」

 痛烈なデコピンを食らってしまった。
 額を押さえてころりと転がる。もうもうもうこの男っ、金輪際優しくなんてしてあげないんだから〜!

 ふてくされて丸くなる私の横から、くくっと押し殺した笑い声が聞こえてきた。私はふんと鼻息を吐き、ヴィクターなんか放って実験を再開することにする。

(ええい、シーナちゃんが一匹、シーナちゃんが二匹……!)