「違う違ぁう、シーナったら! もっと優雅に、気品あふれて大胆に。それからたっぷり色気も振りまいて!」

 もう何度目になるだろう、ルーナさんの容赦ない叱責が飛んでくる。
 私は中腰の苦しい姿勢のまま、泣き出しそうになりながら彼女を振り返った。

「無茶言わないでくださいよ! 最初から存在しないものを、振りまくのなんて不可能ですってばっ」

「ぱぇあ〜」
「ぽぇぽぇ〜」

 おいそこのシーナちゃん軍団、全力でうんうん頷くな!
 きゅっと彼らを睨みつけた瞬間、バランスを崩して倒れ込んでしまった。肩を弾ませ、美しい花畑に大の字に寝っ転る。

「あーっ、もお休憩っ!」

 ヤケクソで叫ぶ私に、すぐさまシーナちゃん軍団が群がってきた。
 私はへろへろと両手を上げて、もふもふな彼らを力いっぱい抱き締める。


 ――ルーナさんの「わたくしが『月の舞』を教えてあげるっ」宣言から早一ヶ月。

 有言実行、私は毎夜眠りにつくたびルーナさんから天上世界へと強制召喚されている。きつい苦しいもう嫌だ、もはや寝不足も限界です。

 シーナちゃんの毛並みに顔をうずめて、ぶつぶつと恨み言をこぼしてやる。
 耳ざとく聞きつけたルーナさんが、にやっと意地悪く口角を上げた。

「あらあら、日中はいつもたっぷりお昼寝してるくせに。緋の王子のお膝で、それはそれはとろけきったお顔をして、ね?」

「な、なんで知ってるんですかっ」

「うふふふ〜。月の女神は何でもお見通しなのよぅ」

 真っ赤になる私を、ルーナさんが軽やかに笑う。

 うう、違うんだよ〜。
 天上世界に行くためには魔素を吸収しなきゃいけないし、魔素を吸収したらへにゃへにゃになっちゃうし、ヴィクターの膝の上はあったかいし、優しい眼差しで私を見下ろしてくれるし……。そう、すべてはヴィクターのせいなんだっ。

「……緋の王子も、変われば変わるものよねぇ。ほんの少し前までは『この世の全ての不幸を背負っています』みたいな、やさぐれた表情しかしていなかったのに」

 あれ?

 噛みしめるように呟くルーナさんに、ふと違和感を覚えた。
 シーナちゃん軍団を腕の中から解き放ち、姿勢を正して彼女に向かい合う。

「そういえばルーナさんとヴィクターって、実は知り合いだったりするんですか? ルーナさんはヴィクターのこと、最初から知ってたみたいですけど……」

 ルーナさんがギクリと肩を跳ねさせた。
 私からふっと視線を外し、複雑そうな笑みを浮かべる。

「ん〜……。少なくとも緋の王子の側は、わたくしのことを単なる神としか認識してないと思うわよ?」

 歯切れ悪く告げるなり、かぶりを振って立ち上がった。
 瞬きする私に片目をつぶると、ルーナさんは両手を頭の上にかざした。そのまま体重を感じさせない羽のような動きで、花畑の上をゆったりと回り出す。

 ルーナさんの舞に合わせ、シーナちゃんたちも周りをふわふわと不規則に跳ね始めた。ルーナさんの黄金の髪がなびき、ドレスが風を含んでふんわり膨らむ。
 その眼差しはどこか遠くを見ていて、伏せたまつ毛がふるりと震えた。

(わ、ぁ……っ)

 なるほど。
 優雅で上品、そして色気ね……!

 動きを止めたルーナさんが礼を取り、私は詰めていた息をやっと吐く。
 大興奮で拍手して称えると、ルーナさんは胸を張ってふんぞり返った。

「ま、こんなところかしら。いーいシーナ、宿題よ。明日また呼び出すまでに、気品と色気を意識した動きを身に着けておくこと」

 いや、難易度高いよ!

 がっくりきて花畑に突っ伏してしまう。

 だって私が人間状態で練習できるのは、月が出た晩のほんの数十分程度だけなのだ。
 最近は人間に戻っても呼吸に支障なくなったとはいえ、さすがに運動するのはきつい。肩で息をする私を心配し、カイルさんとキースさんからいつもストップがかかってしまう。

「大丈夫よ。体調に関しては、きっとこれからグングン改善していくはずだもの」

 ルーナさんが自信たっぷりに受け合った。

「シーナ・ルーの眼を自由自在に使いこなせるようになり、ましてシーナ・ルー固有の能力である魔素の吸収までも成功させた。これはね、あなたがシーナ・ルーという異物の器に、身も心もすっかり馴染み始めたという証左に他ならないの」

「シーナちゃんって異物、なんですか?」

 こんなに真っ白で可愛くて、もふもふでふかふかで癒やされる存在なのに?

 鼻先のシーナちゃんたちに目をやれば、彼らは「ぷぅぅ〜?」と一斉に首を傾げた。

 ルーナさんが苦笑する。

「それはそうよ。人間の魂に聖獣の器、これを異物と言わずして何と言うの? シーナはあっさり受け入れて満喫してたけど、普通ならもっと拒否感やら嫌悪感やらを抱くものよ」

 そ、そうかなぁ?
 だって私には、他に選択肢なんてなかったし。
 シーナちゃんに変身していなければ、とっくの昔に魔素で窒息死していただろう。そう考えれば感謝しかない。

 起き上がって一生懸命にそう伝えると、シーナちゃんたちが大喜びでぱえぱえ跳ねた。ルーナさんも頬をゆるめ、私の頭をよしよしと撫でてくれる。

「ともかくシーナ、この調子でシーナ・ルーへの同化・同調を続けなさいな。人間のあなたと聖獣のあなた、二つがぴたりと重なり合えば、見た目にはどちらの姿を取っていようが本質は同じこと。魔素に苦しむことなく、ずっと緋の王子の側にいられるわよ」

「は、はいっ」

(ずっと、側に……)

 照れくさくなって、熱い顔をごしごしと乱暴にこすった。

 だけどヴィクター、私が人間に戻ってもお屋敷に置いてくれるかな?
 ポケットに入るサイズじゃなくなっても、もふもふふかふかじゃなくなっても、それでもずっと一緒にいてくれる?

「ふふっ。心配なら聞いてみたらいいじゃない?」

「そ……いえ。それは止めときます」

 からかうように尋ねるルーナさんに、きっぱりと首を横に振って立ち上がる。
 目を丸くする彼女とシーナちゃん軍団に、ガッツポーズで笑ってみせた。

「側にいていい? じゃなくて、『絶対離れないからね!』って貼りついてやることにします。だってたとえ拒否されたって、私はヴィクターから離れるつもりなんてないんですから。聞くだけ無駄ってものです」

 そう、離れるつもりなんてない。
 ヴィクターから受けた山ほどの恩を、これからじっくり返していかなきゃならないんだから。

(呪いが解けて、人間に戻ったら――)

 騎士団の裏方で働くのもいいけれど、ロッテンマイヤーさんに弟子入りするのもいいかもしれない。そうしてヴィクターの隣で、彼の役に立ってみせるのだ。うん、完璧!

「よぉし、そうと決まればがんばらなくっちゃ! 目指せ、お屋敷の住み込み使用人っ!」

「……シーナったら、どうしてこうもズレているのかしら。緋の王子ってば前途多難だわ……」

 ルーナさんが下を向いてぶつぶつこぼした。
 そんな意味不明な呟きは聞き流し、気合いを入れて練習を再開する私であった。